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「不安、疑似餌の大鑽井(だいさんせい)盆地」としてのリクルート--③仲介ビジネスの品質グラデーション——総合商社・電通との比較

大鑽井盆地とは、乾いた大地の下に、巨大な地下水脈を抱えた場所である。井戸を掘れば、水が湧く。リクルートは、日本人の不安に井戸を掘った。

前回まで、私はリクルート的語彙の構造を観察してきた。

今回からは少し視点を変えて、仲介ビジネスとしてのリクルートを観察する。

リクルートのビジネスは、要するに仲介である。求職者と企業を仲介する。広告主と読者を仲介する。旅行者と宿泊施設を仲介する。中古車の売り手と買い手を仲介する。

仲介ビジネスというものは、世の中にたくさんある。総合商社も仲介である。広告代理店も仲介である。小売業も、ある意味では仲介である。

ここで興味深いのは、仲介ビジネスにもグラデーションがあるということだ。

同じ「仲介」でも、世の中に何かを残すものと、何も残さないものがある。社会に貢献するものと、貢献しないものがある。文化を生むものと、文化すら生まないものがある。

リクルートは、このグラデーションのどこに位置しているのか。それを今回は観察する。


総合商社——実体を動かす仲介

仲介ビジネスで世界的に有名なものを挙げるとすると、総合商社だろう。「ラーメンからミサイルまで」というフレーズがとても有名だ。

三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅——いわゆる五大商社。これらの企業も、本質的にやっていることは仲介である。資源を持つ国と、それを必要とする国を仲介する。製品を作るメーカーと、それを売る市場を仲介する。

ところが、総合商社の仲介には、リクルートの仲介と決定的に違うところがある。

実体が動いていることである。

イランの油田が開発される。アフリカで農業プロジェクトが立ち上がる。東南アジアに電力網が敷かれる。オーストラリアの鉄鉱石が日本に運ばれる。インドネシアのLNGがヨーロッパに届く。

総合商社が仲介すると、世界のどこかで何かが生まれる。資源が掘り出され、工場が稼働し、電気が供給され、人々の生活が成立する。

仲介の結果として、実体経済が動く。これが、総合商社の仲介の正統性である。

しかも、総合商社は世界市場で戦っている。グレンコア、トラフィギュラ、ヴィトル——欧米の資源商社と直接競合し、勝ったり負けたりしながら世界の物流を担っている。


電通・博報堂——副産物として文化が残る仲介

電通、博報堂、ADKなどの広告代理店も、仲介ビジネスである。広告主と媒体を仲介し、広告主と消費者を仲介する。やっていることは情報の流通であって、総合商社のような実体経済は動かない。

しかも、広告代理店には独特の害悪がある。消費者の欲望を煽り、不要なものを買わせ、メディアを操る。電通の権力構造は、しばしば批判の対象になってきた。

ところが、広告代理店には救いがあると私には感じる。副産物として、文化が残る

名作CMがある。伝説のキャッチコピーがある。記憶に残るドラマがある。CMで流れて大ヒットした曲が世代の記憶になる。コピーライターの言葉が時代を作る。

広告代理店の仲介の過程で、クリエイターという実体が動き、創作物という実体が生まれる。それは消耗品としてのCMであっても、後から振り返るとある時代の文化として残っていることがある。

広告代理店は物理的な何かを産み出さないのかも知れないが、文化的な副産物が残る場合がある。現に多い。

しかも、電通・博報堂は「広告で世の中を動かす」という自覚的な権力意識を持っている。自分たちが何をしているかを、ある程度は分かっている。「個人の夢を応援する」などとは言わない。傲慢ではあるが、正直ではある。


リクルート——欲望を製造する仲介

そして、リクルートである。

リクルートの仲介は、実体を動かさない。求職者と企業を仲介しても、新しい工場が建つわけではない。中古車を仲介しても、新しい車が作られるわけではない。住宅情報を仲介しても、新しい家が建つわけではない(建てるのはハウスメーカーであって、リクルートではない)。

既に存在するものの流通に過ぎない。総合商社のように、世界のどこかで何かを生み出すことはない。

しかも、副産物としての文化も残らない。

リクナビは文化を残しただろうか。タウンワークは文化を残しただろうか。ホットペッパーは、じゃらんは、SUUMOは、文化を残しただろうか。

掲載された求人広告は、用が済んだら捨てられる。閲覧された情報は、転職が成立したら忘れられる。何も後に残らない。電通の名作CMのように、後の世代が振り返って「あの時代を作った」と言われるようなものは、リクルートからは何も生まれていない。

「個人の夢を応援する」「キャリアの自律を支援する」「自分らしい働き方を見つける」——こうした偽善とゆるふわ(私から言わせると…ね)の外装を纏っている。

総合商社が「ラーメンからミサイルまで」何でもモノを動かしていることを自負(と言ってもいい)し、広告代理店が「俺たちは大衆を操作している」と自覚している。

リクルートは「私たちは個人を解放している」かのように振る舞い、世間を「自分を解放しないと」と不安にして焦らせ、危機感を増幅させる。「火のない所に煙を立てている」ようなものだ。

不安、焦り、危機感という“需要”(別の表現をすると“渇き”)を製造して、その需要に対する解決策(でも“渇き”を訴える人に“海水”を提供しているようなものですが…)を売る。前回書いた「不安の製造業」の構造と同じである。

総合商社が実体を動かし、電通が文化を残すとすれば、リクルートは“渇き”に対して“海水”を販売し、さらに渇きを加速させているように見える。渇きに本当に必要なのは真水なのに…ね

総合商社、広告代理店、リクルートと仲介ビジネスを見比べると、同じ仲介でも世間に与える影響度や貢献度は、大きく違って見える。


「個人の夢を応援する」という偽善

リクルートは、自社のビジネスを「個人の可能性を広げる」「キャリアの自律を支援する」「自分らしい働き方を見つける手伝いをする」と説明する。

これが偽善(書いちゃいましたね…ま、いっか)である理由は、実態と説明が乖離しているからだ。

「個人の可能性を広げる」と言うが、実態は転職を繰り返させて手数料を取る。 「キャリアの自律を支援する」と言うが、実態はリクルートのサービスへの依存を深めさせる。 「自分らしい働き方を見つける手伝いをする」と言うが、実態は「自分らしさ」という空白の概念を売りつける。

実態と説明の間に、これだけの乖離がある。

電通や博報堂は、こんな偽善を纏わない。「広告で売上を作ります」と言う。傲慢だが、正直である。

総合商社も偽善を纏わない。「資源を仲介して利益を上げます」と言う。グローバル企業として、合理的である。

リクルートだけが、個人の幸福を装って、個人から搾取する


仲介ビジネスのグラデーションを描いてみる

ここまでの観察を、簡単にまとめておく。

総合商社——実体を動かす仲介。世界市場で戦い、資源と物流を動かす。仲介の正統性が最も高い。

電通・博報堂(広告代理店)——副産物として文化を残す仲介。傲慢ではあるが、自覚的な権力意識がある。文化的な救いがある。

リクルート——不安とか焦りとか精神的渇望とかを拡幅する仲介。実体を動かさず、文化も残さず、偽善の外装を纏う。

このグラデーションで見ると、リクルートの位置が明確になる。

総合商社や広告代理店のように何かを残すことなく、仲介ビジネスとして「アメーバのような自己増殖装置としての仲介」を、日本国内で大規模に展開し、時価総額10兆円企業として君臨している。これが今のリクルートである。


次回予告

次回は、リクルートの海外事業を観察する。

Indeedの買収。海外売上比率の上昇。日本のネット企業のM&Aとしては、確かに成功した部類に入る。事実として認めた上で、なお残る違和感を書きたい。

ブラザー工業、キーエンス——同じ「世界で勝つ」と言っても、勝ち方には質の違いがある。

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滝岡 弘(たきおか ひろむ)の「滝岡メディカルネットワーク} 医療ITは「やや変わった視点だが真面目」に、それ以外のことは「やや変わった視点」(あら、ただ変なだけ…)で書いておりますが、楽しんでいただけたらチップをよろしくお願いいたします。

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