存在

 形而下での存在が存在たるのは、専ら他在によってである。存在は、他の存在によって規定され、つまり相対的にしか、存在は存在し得ない。形而下の存在は相対的であり、一方で、形而上での存在がもしあるとすれば、それは絶対的な存在であるに相違ない。絶対的存在の連続性においての、その直線上のある一点の存在が、形而上から偶有的に投影され、それが相対的な濾過を経て、形而下へと投影されていると考える。
 一体は、前者は機械的であって、後者は有機的な風に思える。というのは、私にとってこの構造は、ある完全な機械が、暁闇にも似た、暗黒の雲海の狭間から、儚い光線を、形而下へと照射しているように思えた。ここで、形而下と形而上は、雲海によって隔たれており、かつ、一方が下にあり、他方が上にあるように思えるが、実際、双方はともに、地平の次元にあるだろう。しかし、互いに、時間軸において、およそ逕庭していると考える。
 形而上は、おそらく、形而下の終点であろう。形而上は、終点から、その道程を、厳かに見つめているのだ。しかし、終点は常に移動するだろう。というのは、完全な機械が、おそらく、様々の存在性を付与する毎に、軽妙かつ静かに、終点と、形而下は背き離れていくに相違ない。

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