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ふたりで生きると決めたあとに来た、もうひとつの揺れ

我が家は夫婦ふたり暮らし。
お互いひとりっ子で、子供もいない。
少子化の最前線だ。

もともと、ふたり暮らしを選択したわけではない。 メンタルに重たい不妊治療や、複数回の悲しい想いもした。 続けていたら、3人家族だったのかもしれない。

医師からは、染色体が合わないのだと言われた。 双方に問題はないので、相手が違えば自然に妊娠・出産出来るでしょうと。
だから、可能性はあると。

でも、私のメンタルが限界だった。
「また悲しい想いをするかもと思うと、もう怖い」
と言ったとき、
「ふたり暮らしでもいいんじゃない?」
と夫は言った。
ありがたかった。不妊治療をやめた。

そう吹っ切れるまでの数年、正直に言えばココロは大荒れだった。 友人や知人からの「家族が増えました」という年賀状が届くたび、気持ちは沈み、破り捨てていた時期もあった。
「おめでとう!」と言いながら、出産祝いを送りつつも、鉛を飲んだように胸の内は重たかった。

学生時代からの友人たちと会っていても子供の話になることが多かった頃、フルタイムで働いていることを理由に距離を置いた。
既婚・独身を問わず子供のいない人との出会いを求め、子供の話をあまりしない友人達との付き合いが続いていた。

もう大丈夫。ちゃんと気持ちにけじめをつけて、ふたりで生きると決めた。
もうザワつかない──そう思えるまでに、5年ほど時間がかかった。

そして、子育てがひと段落してきたであろう年齢になった。
先日、旧友のひとりと20年ぶりくらいにランチを楽しんだ。
学生時代の友人というのは、何年あいても一瞬でその時代に戻れるから不思議だ。 こちらの勝手かもしれないが、旧友たちとの交流を再開したいなと思えた日だった。

そんな中、親しい知人がふとする「お孫さん」の話。
やっぱり、ザワつくのだ。
もう大丈夫だと思っていたのに。

心のどこかに燻っていたことに、焦りを覚えている。
食事や旅行や趣味と、ふたり暮らしだからこそできる暮らしを謳歌して、ふたりの楽しさを理解してきたはずなのに。

ひと段落したと思っていたココロの声と、また新たに向き合う時期に来ているのかもしれない。

心は一度片付けたら終わりではないらしい。
時間が経つと、別の角度から声が聞こえることがある。
その声に気づいたとき、私はまた自分の人生と向き合っていく。
そして、その声はひとつではなく、これからも時々聞こえるのだろう。
その度に、私は静かに立ち止まるのだと思う。

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