「変わらないものはない」と言うなら、昨日の私は誰だったのか― シェーンハイマーの実験と、“昨日の自分”という幻想 ―
「変わらないものはない」
よく聞く言葉です。
もちろん、
「変わらないものはない」という考え自体は
変わらないのか、
という少し意地悪な問いも出てきます。
ただ今回は、その哲学的な罠は
いったん横に置いておきます。
考えたいのは、もっと身近な問題です。
もし本当に変わらないものがないのなら、
昨日の私と今日の私は、
なぜ同じ私だと言えるのでしょうか。
身体は少しずつ入れ替わり、
感情は揺れ、
記憶でさえ形を変えていきます。
それでも私たちは、当然のように言います。
「私は私だ」と。
けれど、その“私”とは一体どこにあるのでしょうか。
1. 人間は“完成品”ではない
「人は変わる」
歳を重ねれば、価値観は少しずつ揺れ動きます。
昨日まで大切だったものが、今日にはそこまで重要ではなくなっていることもあります。
感情も身体も、同じ場所に留まり続けているわけではありません。
私たちは気づかないうちに、
常に別の状態へ移り続けています。
そして科学的に見ても、その“変化”は単なる比喩ではありません。
ルドルフ・シェーンハイマーは、同位体標識、つまり身体の中で栄養素の行方を追う“目印”のようなものを使い、生物の体が絶えず分解と合成を繰り返していることを示しました。
彼の研究は、身体を固定された完成品ではなく、常に作り替えられている「動的な状態」として捉えるきっかけになりました。
つまり人間とは、
「一度完成したもの」ではなく、
更新され続ける流れそのものなのです。
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2. 細胞は入れ替わる。それでも“私”なのか
私たちの身体は、部位ごとに異なる周期で更新されています。
腸の上皮細胞は数日ほどで入れ替わり
皮膚は数週間、赤血球は約120日
肝臓の細胞は平均すると3年未満
骨でさえ長い年月をかけて少しずつ作り替えられると言われています。
一方で、脳の一部の神経細胞や目の水晶体のように、長く残り続けるものもあります。
ですから、
「人間の全身は何年で完全に入れ替わる」
と単純には言えません。
ただ、細胞数だけで見ると、私たちはおよそ80〜100日で“全身の細胞数に相当する数”を新しく作っているとも言われます。
もちろん、これは血液や腸の細胞のように入れ替わりが早い部分が大きく影響しているため、全身が均等に交換されるという意味ではありません。
それでも、この数字はなかなか衝撃的です。
さらに日本人の平均寿命は、2024年時点で
男性81.09年、女性87.13年です。
これを細胞の質量としての入れ替わり
で大まかに考えると、人は一生のうちに
およそ五十回前後も“全身相当”を作り替えている計算になります。
もちろん、完全に五十回ほど別人になるという意味ではありません。
けれど、私たちの身体が一生を通じて静止した存在ではなく、何度も作り直される流れであることは確かです。
ここで不思議なのは
それでも私たちが自然に、
「私は私だ」
と言えてしまうことです。
もし本当に、
“変わらないものは存在しない”
のであれば、昨日の自分と今日の自分を
同じ存在だと言い切るためには
逆に“普遍”のようなものが必要になります。
変化し続けるものを、なぜ同じものとして扱えるのか。
ここに、自己という存在の不思議があります。
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3. 昨日の私と今日の私は同じなのか
怒りに支配されていた日の自分と
翌日に静かにコーヒーを飲んでいる自分は
本当に同じ人間なのでしょうか。
身体は少しずつ入れ替わり、感情は揺れ動き、記憶でさえ時間とともに形を変えていきます。
それでも人は、自分の連続性を信じています。
しかしそれは、物理的にまったく同じ存在だからではなく、
「私は私である」
という物語を、自分自身へ語り続けているからかもしれません。
社会も人生も、
この“連続している感覚”を前提として
成立しています。
名前があり、記憶があり、過去がある。
だから私たちは、変化しているにもかかわらず、自分をひとつの存在として受け止めることができるのです。
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4. 私たちは毎日、少しずつ別人になる
もし全てが変化しているなら、私たちは毎日、少しずつ別人になっているとも言えます。
悲しみに押し潰されていた日があったとしても、数日後には笑いながら過ごしていることがあります。
その時、そこにいるのは本当に同じ“私”なのでしょうか。
変化しているのは、人間だけではありません。
吸い込む空気は入れ替わり、街並みは静かに姿を変え、人間関係や価値観も、気づかない速度でずれていきます。
国家や文明でさえ、永遠に固定されたものではなく、流れるように形を変え続けています。
そう考えると、
「昨日と同じ日常」
という感覚そのものが、人間の認識による錯覚なのかもしれません。
私たちは毎日、少し違う世界を生きているのです。
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5. それでも人は“普遍”を求める
しかし人間は、変化だけの世界に耐えきれません。
だからこそ、何か変わらないものを求め続けるのでしょう。
魂、愛、神、信念、名前、記憶。
人類は昔から、“普遍”と呼べるものを探してきました。
それは、変化そのものが恐ろしいからかもしれません。
すべてが流れていく世界で、何かひとつでも変わらないものがあれば、私たちは安心できます。
ですが逆に言えば、完全な普遍が存在しないからこそ、過去の自分に縛られすぎなくてもいい、とも考えられます。
失敗した日も、絶望していた時間も、今のあなたを完全に固定するものではありません。
なぜなら、あなた自身がすでに
少しずつ別の存在へ変化しているからです。
昨日のあなたは、たしかにあなたでした。
けれど、今日のあなたと完全に同じではありません。
だから私たちは、変わりながら生きている。
そしてその変化の中にこそ、救いのようなものがあるのかもしれません。
