どうでもいい話ができる人ほど、恐ろしく底が見えない― 事実だけを語る時代に、遠回しの会話がいちばん知性を暴く ―
私は、雑談がうまい人が少し怖いです。
正確に言えば、「どうでもいい」とされる会話で自然に間を持たせたり、その場をつないだり、相手を楽しませたりできる人に、底知れなさを感じます。
今ここで言わなくてもいいような小さな話。
一見すると中身のない会話です。
けれど私は、そういう話を自在に扱える人ほど、実は深く考えているのではないかと思っています。
なぜなら、どうでもいい話とは、何も考えていない人の暇つぶしではないからです。
むしろ逆で、何を言うべきかを分かったうえで、あえてすぐには本題に行かない人の技術です。
少しずつ会話の角度を調整している。
それは軽さではなく、高度な制御です。
事実しか語らない人は、誠実だが、、、
自分の専門でないことを語らない人がいます。
分からないことは分からないと言い、憶測で話を広げず、事実ベースでしか物を言わない人です。
こういう人は誠実です。
思考の一丁目一番地です。
言葉に責任を持っているし、自分の知識の限界も知っています。
軽々しく話さないというだけで
その人の信頼はかなり高いと思います。
ただ、その誠実さは時に会話を痩せさせます。
正しさは強いのですが、強すぎる言葉は
人を黙らせることもあるからです。
隙のない会話、無駄のない会話、誤りの少ない会話は、たしかに立派です。
けれど人間は、正しさだけで近づけるほど
単純ではありません。
だから会話には、少しだけ無駄が必要になります。
その無駄こそが、雑談です。
どうでもいい話は、無意味ではなく調整です
どうでもいい話とは、
意味のない話ではありません。
意味を通すための調整です。
本題をそのまま投げれば、言葉は正しくても、相手にとっては重すぎることがあります。
正論をそのまま置けば、内容は合っていても、距離が一気に詰まりすぎることがあります。
だから人は、一度話を外します。
少し関係ないことを話し、少し笑いを入れ
少し温度を整えてから、本題へ入っていくのです。
これは逃げではありません。
配慮です。
相手の緊張をほどく。
場を固めすぎない。
言葉が刺さりすぎない角度を探す。
そのために「どうでもいい話」が使われるのだとしたら、それはむしろ高度な知性です。
私は、この遠回しの技術を持つ人ほど
実はかなり思考しているのではないかと感じます。
遠回しに話せる人は、会話を上から見ている
ここで大事なのは、雑談がうまい人は
単に口が達者なのではないということです。
その人たちは、会話の中にいながら
会話そのものを見ています。
今、自分の言葉はどう届くか。
この場で本題を出すには少し早いのではないか。
相手は何を警戒していて、何なら受け取れるのか。
沈黙を埋めるべきか、あえて残すべきか。
こうしたことを同時に見ている人は
ただ話しているのではありません。
会話を俯瞰しています。
つまり、メタ認知が高いのです。
自分の感情だけで話さない。
自分の正しさだけで押さない。
その場にいる「もう一人の自分」が
会話全体を見ている。
だから一見どうでもいい話に見えても、実はかなり精密に置かれた言葉だったりします。
逆に思ったことをそのまま言う人は、分かりやすいです。
ですが、言えるのに言わない人、見えているのに全部は見せない人は、分かりにくい。
そして分かりにくい人ほど、深いことが多いのです。
能ある鷹は爪を隠す、は会話にも当てはまる
昔から「能ある鷹は爪を隠す」と言います。
私はこの言葉は、会話の本質にも触れている気がします。
本当に考えている人ほど、考えている顔をしません。
本当に言葉を持っている人ほど、賢さを前面に出しません。
本当に場を読める人ほど、「私は読んでいます」という態度を見せません。
むしろ、少しくだらない話をする。
少し力を抜いた話し方をする。
少し本題を遅らせる。
けれどそれは、爪がないのではありません。
見せていないだけです。
会話の中では、力をむき出しにする人より
力の出し方を知っている人のほうが怖い。
知識を並べる人より、知識を引っ込められる人のほうが怖い。
正しさを振りかざす人より
正しさの温度を調整できる人のほうが
ずっと底が見えません。
私は、雑談のうまい人のほうが恐ろしい
事実しか語らない人は、誠実です。
ただ、その人の輪郭は比較的見えます。
慎重な人だな、不器用な人だな、正確な人だな、と読めます。
けれど、どうでもいい話がうまい人は、簡単には読めません。
私はそこに、少し恐ろしさを感じます。
この人はただ話しているのではない。
人がどこで安心し、どこで閉じ、どこで心を開き、どこで傷つくかを知ったうえで、言葉を置いている。
しかも、それを見せびらかさない。
知性を誇示する人より、知性を隠せる人のほうが、はるかに底が見えません。
どうでもいい話ができる人ほど、人間を知っている
結局、どうでもいい話とは、内容の問題ではないのだと思います。
その人が何を知っているかより、その人が人間をどれだけ分かっているかが出るのです。
相手が受け取れる形にまで整える。
そこには、知識以上のものがあります。
思考の先にある配慮があり、配慮の先にある制御があります。
だから私は思います。
能ある鷹は爪を隠すと言いますが、会話の中でも本当に怖いのは、爪を振り回す人ではなく、必要な時まで見せない人なのだと。
