ハンディキャップ:他人に語ってもらわなくて大丈夫 ー巻末に作者からのメッセージ追加しましたー
わたしのハンディキャップと、わたしを説明する権利:モヤモヤ、わかる?
ねえ、ちょっと聞いてくれるかな。最近、東京都議会議員選挙での出来事が、ずーっと私の心に引っかかってるんだ。吃音っていうハンディキャップを抱えた候補者さんが出馬して、選挙の後に一部のメディアで反省会みたいなのがあったんだって。
そこでさ、名前も名乗らない人からの、吃音をバカにするひどいコメントがあったらしいの。そしたら、党の代表の方が、その候補者さんのハンディキャップについて説明したんだって。
その時、彼女がどんな気持ちだったのか、私には完璧にはわからない。でも、同じように何かしらのハンディキャップを持ってる人間として、「良かれと思って」誰かが私のハンディキャップについて説明したり、コメントしたりすることが、どれだけズシンとくるか、痛いほどわかるんだ。
自分で話したい、自分でタイミングを決めたい
私たちってね、自分のことは自分で説明できるんだよ。そして、一番大事なのは、その説明をする「タイミング」を自分で決めたいってこと。
今まで、たくさんの心ない言葉とか、好奇の目にさらされながらも、必死で頑張ってきたんだ。その努力が、たとえ悪気がなくても、誰かの「説明」によって、まるで全部ムダになったみたいに感じちゃう瞬間があるの。
「あー、また、私のことなのに、私が話す前に誰かの口から語られちゃうんだ」
って、胸がギュッとなるんだよね。
守ろうとしてくれた「親心」も、時には…
もちろん、党代表の方に悪気はなかったと思う。**候補者さんを「守ってあげたい」っていう、親みたいな気持ちからの行動だったのかもしれないね。そして、この行動は、一部のメディアとか支援者からは「よくやった!」って、むしろプラスに受け止められたみたいだし。**社会全体を見ても、ハンディキャップに対する理解ってまだまだ十分じゃないから、「知らないから」こその発言や行動が多いのも事実だ。
でも、その「知らない」が、私たち当事者にとっては、時にはナイフみたいに突き刺さることがあるんだ。
今回の出来事の捉え方は人さまざまなんだ。世の中にいるたくさんのハンディキャップを持つ人が経験してることなんだよ。
私たちが本当にほしい「理解」って?
私たちが本当にほしい「理解」って、ただ「知ってもらう」ことだけじゃないんだ。
それはね、私たち自身の言葉で、私たちが「今だ!」って思った時に、私たちが「こう話したい」って思う形で、私たちのことを語る権利を尊重してもらうことなんだ。
今回のことが、社会全体がハンディキャップを持つ人との関わり方について、改めて考え直すきっかけになってほしいって心から願ってる。そして、いつか、誰もが自分のことを、自分のペースで話せる、そんな場所になってほしいな。
同じ空の下で、あなたに伝えたいこと
もし、あなたが今、この記事を読んで、自分も同じような経験をしたことがある、とうなずいているなら、どうか聞いてほしい。
あなたは、一人じゃない。
この広い世界には、あなたと同じように、誰かの優しさに複雑な思いを抱え、笑顔の裏でひそかに闘っている人がたくさんいる。無理に笑顔を作るあなたのプライド、和を乱したくないと願うあなたの優しさを、私たちは知っている。
あなたは、決して弱くない。
むしろ、誰かの親心に応えながら、自分の心を守り、毅然と立ち向かうあなたの姿は、計り知れないほど強い。私たちは、その強さと、あなたが日々重ねる見えない努力を心からリスペクトしている。
疲れているときは、どうか無理をしないで。
その涙の多さは、あなたがどれほど真剣に、自分自身と向き合い、闘ってきたかの証だ。時には立ち止まり、ゆっくり休む時間も必要だよ。そして、もし手伝ってほしいことがあるなら、どうか遠慮なく甘えてほしい。
あなたのその小さな声に耳を傾け、あなたのペースを尊重してくれる人は、必ずいる。私たちは、あなたの言葉を待っている。あなたの笑顔の裏側にある、本当のあなたを、もっと知りたいと願っている。
