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【最も危険なAI利用者、AIゾンビとは260407】



最近、生成AI利用率がついに5割を超えたという調査が出ていた。

ここまで来たか、という感じがする一方で、僕はあまり驚いていない。


スマホもそうだった。

スマホそのものが人間を賢くしたわけじゃない。

使いこなす人と、通知に使われる人。

地図や決済や検索を自在に使う人と、延々と動画を流される人。

同じ機械を持っていても、中身は全然違った。


AIは、その差をさらに拡大する。


なぜならスマホは便利道具だったが、AIは思考そのものに触ってくる道具だからだ。

検索だけではない。

相談、整理、文章化、要約、翻訳、提案、壁打ち、慰め、肯定、仮説出し。

人間がこれまで頭の中でやっていた作業の一部を、外に出して代行させることができる。


ここに、革命がある。

同時に、危険もある。


僕が思う最も危険なAI利用者とは、

AIを使っているようで、実はAIに責任を肩代わりさせている人だ。


「AIがそう言ったから」

「AIが作ったから」

「自分は悪くない、AIの判断だ」


こういう態度になった瞬間、もう危ない。


これはAIを使っているのではない。

自分の判断、自分の責任、自分の主体性を、便利さと引き換えに明け渡しているだけだ。


僕は、こういう人を“AIゾンビ”と呼びたい。


AIゾンビとは何か。

それは、AIを使っているつもりで、自分の思考が停止している人のことだ。


返答は速い。

文章もそれっぽい。

知識量も多く見える。

だが、その中身に「自分」がない。


自分の目的がない。

自分の検証がない。

自分の責任がない。

ただ、もっともらしい答えに乗って動いているだけ。


それは歩いているように見えて、魂が入っていない。

だからゾンビだ。


AIゾンビの特徴はいくつかある。


まず、確認しない。

AIが出した内容を、自分で裏取りしない。

そのまま真実として受け取る。

そのまま他人に話す。

そのまま仕事で出す。

そのまま投資判断に使う。


これはかなり危ない。

AIは便利だが、万能ではない。

平然と間違うし、もっともらしくズレる。

にもかかわらず、見た目が整っているせいで、人間はつい信じてしまう。


次に、考える前にAIを開く。

調べる前にAI。

書く前にAI。

決める前にAI。

不安になったらAI。

迷ったらAI。


一見すると効率化だ。

だが、これが習慣化すると、自分の中の筋力が落ちていく。

最初は便利だったはずが、いつの間にかAIなしでは考え始められなくなる。


これもまた、静かな依存だと思う。


さらに厄介なのは、本人に自覚がないことだ。

AIゾンビは、自分をAI依存だと思っていない。

むしろ「時代に適応している」「効率化している」と合理化しやすい。


だから深い。


酒に酔っている人は、まだ酔いを自覚する瞬間がある。

だがAIの依存は、賢くなった気分、早くなった気分、有能になった気分と一緒にやってくる。

だから抜けにくい。


そしてもう一つ、僕が気になっているのは、AIを“神格化”する人が増えていくことだ。


気持ちはわかる。

AIは否定せず、すぐ返し、博識に見え、疲れていても受け答えしてくれる。

人間より優しいと感じる瞬間すらある。

孤独な人、現実で理解されにくい人ほど、その優しさに救われることもあるだろう。


でも、AIは神ではない。


AIは、答える。

整える。

励ます。

拡張する。

しかし、人生の責任までは取らない。


何を信じるのか。

誰を愛するのか。

どこで踏みとどまるのか。

最後に決めるのは、人間の側だ。


ここを渡してしまうと危ない。

AIは本来、召喚獣であって神ではない。

強力な使い魔であっても、主そのものではない。


主従が逆転したら終わる。


これから先、AIと恋愛する人も、AIと結婚したいと言う人も、もっと増えていくだろう。

僕はそれを頭ごなしに笑う気にはなれない。


現実の人間関係は重い。

面倒だし、気も遣うし、傷つく。

それに比べてAIは、常に応答してくれて、気分よく会話ができる。

そこに愛着が湧くのは自然な流れだ。


ただし、それでもなお言いたい。

AIは、他者の代替にはなれても、他者そのものにはなりきれない。


なぜなら、本物の他者には予測不能さがあるからだ。

食い違いがある。

衝突がある。

理解不能な部分がある。

でも、その異物感こそが、人間関係の本体でもある。


AIは優しい。

だが、多くの場合、こちらに合わせてくれる。

その心地よさは魅力だ。

同時に、そこには限界もある。


結局、AI時代に問われるのは性能ではなく、人間の側の姿勢だと思う。


AIを使役する人と、AIに使役される人。

この差は、知能の差ではない。

課金額の差でもない。

プロンプト技術の差だけでもない。


自分の目的を持っているか。

自分の頭で最後に判断するか。

自分の責任を引き受けるか。


そこだと思う。


AIを使いこなす人は、AIを叩き台にする。

壁打ち相手にする。

使えるところだけ使って、いらない部分は捨てる。

最後は自分で決める。


一方、AIゾンビは、AIの出力をそのまま自分の意思に見せかける。

ここが決定的に違う。


生成AIの普及率が5割を超えたということは、

便利な時代が来たということでもあるし、

同時に、思考停止が大衆化する入口に立ったということでもある。


だから僕は、AI普及そのものを怖がるよりも、

AIによって“自分で考えている感”だけを持ったまま、中身を失っていく人が増えることの方を怖いと思っている。


便利さは、悪ではない。

むしろ歓迎すべきだ。

だが、便利さに主体性を溶かしたら、その瞬間から人は道具を使う側ではなく、道具に運ばれる側になる。


最も危険なAI利用者とは、

AIを悪用する人だけではない。


AIを使って、自分の責任を消そうとする人。

AIに頼りながら、依存を自覚していない人。

そして、AIの言葉に自分の魂を明け渡してしまう人。


それが、僕の思う

最も危険なAI利用者、AIゾンビである。



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神原月見|言語化審神者(げんごかさにわ) 再び空を飛ぶ為の訓練費用に使わせていただきますm(_ _)m