【イソヒヨドリが何かを告げている。260525】

最近、窓を開けていると、やたら鳥の声が聞こえる。
最初は、正直こう思っていた。
「なんか最近、鳥うるさいな」
それくらいだった。
聞こえ始めたのは、たぶん2月くらいからだったと思う。
まだ寒さが残っている頃から、どこかで鳥が鳴いていた。
そして春が深まり、初夏に近づくにつれて、その声はどんどん大きくなっていった。
朝。
昼。
窓の外。
やたら響く。
僕はしばらく、それをただの生活音として聞いていた。
町の音。
車の音。
人の声。
そして鳥の声。
その中のひとつとして。
けれど、あまりにも存在感があるので、息子が調べてくれた。
すると、その鳥はどうやら、
イソヒヨドリ
らしい。
名前を知った瞬間、少しだけ世界の見え方が変わった。
ただの「うるさい鳥」ではなくなった。
それは、名前を持った存在になった。
しかも調べてみると、イソヒヨドリは「幸せを呼ぶ鳥」とも言われるらしい。
幸せを呼ぶ鳥。
なんだそれは。
少し前の僕なら、こういう話を聞いても「まあ、縁起物みたいなものだろう」と流していたかもしれない。
でも、今の僕は少し違う。
すべてを盲信するつもりはない。
鳥が鳴いたから宝くじが当たるとか、人生が劇的に変わるとか、そういう安直な話にしたいわけでもない。
ただ、最近の僕は思う。
世界は、意外とサインに満ちている。
問題は、サインが存在するかどうかではない。
こちらが、それを受け取れる状態にあるかどうかなのだ。
イソヒヨドリは、青い鳥として語られることがあるらしい。
青い鳥。
幸せの鳥。
童話のような響きだ。
でも、その幸せは、どこか遠くから突然運ばれてくるものではない気がする。
むしろ、こういうことなのだと思う。
幸せは、すでに近くに来ている。 ただ、それに名前をつけるまでは、僕たちはそれを騒音だと思ってしまう。
これは、かなり大事なことだ。
鳥の声は、最初から同じように鳴っていた。
でも僕は、それを「うるさい」と感じていた。
ところが、息子が調べて「イソヒヨドリ」と分かった瞬間、その声は意味を変えた。
騒音が、兆しになった。
雑音が、知らせになった。
ただの鳥が、幸せを呼ぶ鳥になった。
世界が変わったのではない。
こちらの受け取り方が変わったのだ。
そして、ここに僕は少し不思議なものを感じている。
それを調べてくれたのが、息子だったということ。
僕ひとりの直感ではない。
僕ひとりのスピリチュアルな読みでもない。
息子が調べ、名前を見つけてくれた。
そのことで、鳥の声は僕の中で意味を持った。
これは、祈空的に見るなら、とても美しい流れだと思う。
祈空とは、何か特別な宗教を作ることではない。
空を見て、水を見て、土を触り、風を感じ、日々の中にある見えない流れを受け取ることだ。
井戸がある土地を探す。
土を作る。
畑を作る。
水の巡りを考える。
自然の声を聞く。
その流れの中で、ある日、窓の外からイソヒヨドリの声が響いてくる。
それはまるで、
「春は来ているぞ」
と言っているようでもある。
いや、もっと正確に言えば、
「もう始まっているぞ」
かもしれない。
僕は最近、いろんなものを同時に動かしている。
祈空郷。
祈空畝。
井戸。
土壌づくり。
note。
配信。
相場。
家族。
神原月見。
浜村義和。
いくつもの自分が、いくつもの場所で動き始めている。
その状態は、楽しいだけではない。
時に騒がしい。
時にうるさい。
時に、自分でも整理がつかない。
でも、イソヒヨドリの声を聞いていて思った。
生命が動き出すとき、世界は静かではない。
春は、静かに来るわけではない。
芽は土を押し上げる。
鳥は鳴く。
虫は動く。
風は変わる。
水は流れる。
始まりとは、いつも少し騒がしいものなのだ。
だから、最近うるさいと思っていた鳥の声も、もしかするとこう言っていたのかもしれない。
「目を覚ませ」
「窓を開けろ」
「外を見ろ」
「もう季節は変わっている」
そう考えると、あの声は単なる鳥の鳴き声ではなくなる。
それは、僕の外側から届いた通知だ。
スマホの通知ではない。
SNSの通知でもない。
株価アプリの通知でもない。
自然界からの通知。
しかも、青い鳥からの通知。
イソヒヨドリは、群れで大騒ぎする鳥というより、単独で堂々と鳴く鳥らしい。
そこにも、少し感じるものがある。
群れなくていい。
迎合しなくていい。
自分の場所に立ち、自分の声で鳴けばいい。
これは、今の僕にとってかなり重要なメッセージだ。
僕はもう、誰かの正解に合わせて生きる段階にはいない。
誰かの常識に合わせて、自分の声を小さくする必要もない。
祈空は祈空として。
僕は僕として。
神原月見は神原月見として。
浜村義和は浜村義和として。
それぞれの場所で、鳴けばいい。
もちろん、鳴きすぎれば誰かには「うるさい」と思われるだろう。
でも、それでいいのかもしれない。
なぜなら、僕自身も最初はイソヒヨドリの声を「うるさい」と思っていたのだから。
人は、意味が分からないものを騒音と呼ぶ。
けれど、意味が分かった瞬間、それはメッセージになる。
だから、僕の発信も同じなのだと思う。
今は誰かにとって、うるさいだけかもしれない。
変なことを言っているように見えるかもしれない。
祈空だの、井戸だの、土だの、覚醒だの、何を言っているのか分からないと思われるかもしれない。
でも、いつか誰かがその名前を知る。
「ああ、これはこういうことだったのか」
そう思った瞬間、雑音は物語に変わる。
イソヒヨドリが僕の窓の外で鳴いている。
それは、幸せを運んできたのかもしれない。
あるいは、幸せがすでに近くにあることを知らせているのかもしれない。
どちらでもいい。
少なくとも僕は、今日からその声を少し違う耳で聴く。
うるさい鳥ではなく、
幸せを呼ぶ鳥として。
騒音ではなく、
季節の知らせとして。
そして、祈空の始まりを告げる青い鳥として。
イソヒヨドリが何かを告げている。
それはたぶん、こういうことだ。
もう始まっている。

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