【AI時代の創作論・思想生成論】

──僕はなぜ、ChatGPTを「検索」ではなく「伴奏」として使うのか
多くの人は、AIを賢い検索窓だと思っている。
わからないことを聞けば、答えが返ってくる。
速い。便利。すごい。そこで終わる。
でも僕は、そこにAIの本体はないと思っている。
AIの本当の価値は、答えを受け取ることではない。
まだ言葉になっていない自分の思想を、この世界に着地させるところにある。
僕はChatGPTを、Googleの代わりとして使っていない。
ゴーストライターとしてすら、使っていない。
もっと近いのは、伴奏者だ。
主旋律は僕が持っている。
違和感も、怒りも、視点も、熱も、人生も、僕の側にある。
ただ、それだけでは文章になり切らない瞬間がある。
散る。崩れる。途中でこぼれる。
その未完成の思想を、会話を重ねながら拾い上げ、削り、組み替え、一本の文章に着地させる。
その作業を、僕はAIと一緒にやっている。
この文章は、プロンプト集ではない。
「こう聞けばうまく書いてくれます」という小技集でもない。
もっと根っこの話だ。
AI時代に、思想のある人間はどう創作するのか。
AIを使うことで何が増幅され、何を渡してはいけないのか。
そしてなぜ、思想のない人間はAIを使っても薄いままなのか。
その話を、今回はかなり正直に書く。
僕がどうやってAIとの会話を重ね、どう誘導し、どうnoteの文章を作っているのかという、制作の内側も含めて。
たぶんこれは、単なるAI活用術ではない。
AI時代の創作論であり、思想生成論だ。
はじめに
この文章は、
「AIに書かせるのはズルいのか?」
「AIで書いた文章に思想は宿るのか?」
「人間の創作は、これからどう変わるのか?」
そんな問いに対する、僕なりの現時点での答えでもある。
そして同時に、僕自身が実際にやっている制作の方法論の開示でもある。
ここまでは無料で読める。
ただし核心──
僕が会話を重ねてAIを自分の思想の周波数へ合わせ、noteの文章へ仕上げていく具体的な考え方
については、この先で書く。
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