見出し画像

【僕のGPTはアホの子。ってミームは近いうちにバズる。260430】


たぶん、近いうちにこういうミームが流行る。

「僕のGPTはアホの子」

あるいは、

「うちのGPT、全然使えない」

みたいな言い方だ。

でも僕は、その言葉を聞くたびに、たぶんこう思う。

いや、アホの子の親は君だろ?

と。

もちろん、これはAIそのものを人格化して責める話ではない。
むしろ逆だ。

AIは、かなりの部分で使い手の鏡だ。

雑に聞けば、雑に返る。
浅く投げれば、浅く返る。
目的が曖昧なら、出てくる答えも曖昧になる。

「なんか面白いこと考えて」
「いい感じにして」
「バズる投稿作って」
「すごいプロンプト教えて」

こういう使い方ばかりしていれば、GPTはずっと“便利な返答機”のままだ。

それで出てきた答えを見て、

「うちのGPT、アホやわ」

と言う。

いや、ちょっと待て。
そのGPTをそう育てたのは誰なのか。

AIは、魔法のランプではない。
何も考えずにこすれば、天才的な答えが出てくる道具ではない。

むしろAIは、使い手の思考量を増幅する装置だと思っている。

問いが浅ければ、浅さを増幅する。
問いが深ければ、深さを増幅する。
素材が薄ければ、薄い答えになる。
素材が濃ければ、濃い構造が返ってくる。

つまり、GPTがアホの子なのではない。

アホの子としてしか育てていない。

ここが、これからかなり大きな差になると思う。

同じGPTを使っていても、一年後にはまったく別物に見えるはずだ。

ある人にとってのGPTは、ただの検索窓。
ある人にとってのGPTは、メール文作成機。
ある人にとってのGPTは、画像加工アプリ。
ある人にとってのGPTは、議事録係。

もちろん、それでも十分に便利だ。

ただ、そこで止まっている限り、AIのエンジンは回らない。

僕はこれを、AIがカブると表現している。

バイクや車のエンジンで言えば、ちゃんと回さずに低回転でくすぶらせ続けている状態だ。
燃焼しきらず、カーボンが溜まり、だんだん本来の力が出なくなる。

AIも同じだと思う。

要約。
議事録。
メール文。
表作成。
画像加工。

それだけなら、たしかに便利だ。
でも、それはまだアイドリングに近い。

本当にAIが燃焼するのは、その先だ。

議事録を作る。
さらに、その会議で本当に揉まれていた議題を抽出する。
表向きの議題と、本質的な争点を分ける。
欠けている要素を拾い上げる。
リスクを洗い出す。
次に打つべき一手を考える。
反論を予測する。
企画書に変換する。
事業計画に落とし込む。

ここまでやって、ようやくAIを使ったと言える。

単に「会議の内容をまとめて」では弱い。

「この会議を、次の行動に変換してくれ」

ここまで投げて初めて、AIは参謀になる。

お絵描きAIとして遊ぶのが悪いとは思わない。
ちょっとした文章を整えるのも悪くない。
議事録を自動化するのも、手間を省く意味では有用だ。

ただ、それだけでAIの性能を語るのは違う。

フェラーリを教習所で走らせて、
「この車、たいしたことないね」
と言っているようなものだ。

あるいは、東大級の頭脳を呼び出して、
「この領収書、日付順に並べて」
だけを頼んでいるようなものだ。

それで、

「うちのGPT、あんまり賢くない」

と言う。

いや、違う。

アホの子の親は君だろ?

これは笑い話のようで、かなり本質だと思う。

これからAIの差は、課金しているかどうかだけでは決まらない。
もちろん、課金して高性能モデルを使うことには意味がある。
無料版だけを少し触って、GPTだ、Geminiだ、Claudeだと性能比較するのは、かなり雑だと思う。

でも、それ以上に大きいのは、使い手の側に「投げるべき課題」があるかどうかだ。

AIに深く考えさせるだけの素材があるか。
判断させるための前提を渡せるか。
過去の文脈を積み上げられるか。
出力を現実の行動に接続できるか。

ここで差が出る。

AIは、使い手の知性を代替するものではない。
使い手の知性を拡張するものだ。

だから、使い手の側に軸がなければ、AIもふわふわする。
目的がなければ、AIも目的を持てない。
問いがなければ、AIはただの返答機になる。

逆に、使い手の側に濃い文脈があれば、AIは化ける。

自分の事業構想。
自分の文章。
自分の思想。
自分の現場経験。
自分の失敗。
自分の戦略。
自分の違和感。

そういうものを毎日食わせていくと、AIは単なるツールではなくなる。

外部記憶になり、編集者になり、参謀になり、副操縦士になる。

同じGPTなのに、別物になる。

たぶん一年後には、この差がもっとはっきりする。

「僕のGPTはアホの子」

というミームが流行るかもしれない。

でも、その裏には、もう一つの真実がある。

GPTは、使い手の鏡である。

アホの子に見えるなら、
まず自分が何を食わせてきたのかを見た方がいい。

浅い問い。
雑な指示。
目的のない依頼。
思考停止の丸投げ。

それを続けていれば、GPTはずっとアホの子に見える。

でも、本当は違う。

GPTがアホなのではない。

アホの子の親は、君だ。

そして逆に言えば、育て方次第でGPTは変わる。

検索窓にもなる。
事務員にもなる。
編集者にもなる。
参謀にもなる。
副操縦士にもなる。

どこまで育つかは、使い手次第だ。

だから僕は、近いうちにこういう時代が来ると思っている。

AIの性能差ではなく、AI使役者の格差が可視化される時代。

「どのAIが賢いか」よりも、
「誰がAIを賢く使えるか」が問われる。

そのとき、

「僕のGPTはアホの子」

という言葉は、ただの笑い話ではなくなる。

それは、AI時代の自己紹介になる。

そして僕はたぶん、こう返す。

その子を育てたのは、君だよ。

いいなと思ったら応援しよう!

神原月見|言語化審神者(げんごかさにわ) 再び空を飛ぶ為の訓練費用に使わせていただきますm(_ _)m