『コンカフェに行きまくってるのが彼女にバレてから、彼女の様子がどうにもおかしい』
「――最近、コンカフェ行ってるんだって?」
その一言を聞いた瞬間。
○○は、自分の人生が終わったと思った。
「…………」
「…………」
夜、二十二時過ぎ。
○○の部屋。
ローテーブルを挟んだ向こう側に座っているのは、彼女――村山美羽。
黒いパーカー。
ショートパンツ。
長い髪を適当に下ろして、ソファに背中を預けている。
いつも通りの、気怠そうな表情。
そして、いつも通りの低めの声。
少なくとも。
表面上は。
「……誰から聞いた?」
「愛季」
「谷口ぃ……」
思わず天井を仰ぐ。
今度会ったら絶対文句を言ってやる。
もっとも――。
「愛季は悪くないよ」
「……はい」
「私が聞いたから」
「はい……」
「だから答えて」
「はい」
完全に取り調べだった。
ただ、怒鳴られるわけでもない。
睨まれるわけでもない。
むしろ美羽はいつも通り。
それが怖い。
「何回?」
「……何が?」
「コンカフェ」
「…………」
「何回行ったの?」
「……ここ二ヶ月で?」
「うん」
「…………七」
美羽が瞬きをした。
「七回?」
「はい」
「二ヶ月で?」
「……はい」
「へえ」
怖い。
死ぬほど怖い。
「いや、あの、美羽さん」
「なに」
「ちゃんと説明させていただきたく」
「どうぞ」
「友達に誘われたのが最初でして」
「うん」
「それで、まあ……楽しくて」
「楽しかったんだ」
「…………」
墓穴。
○○は自分の発言を後悔した。
「いや、違う。違くはないけど、美羽が考えてるような――」
「私、何も言ってないけど」
「……そうですね」
美羽はスマホを弄り始める。
無表情。
完全なる無表情。
○○としては、怒られる方がまだ楽だった。
「……美羽」
「ん」
「怒ってる?」
「別に」
出た。
恋人から言われたら信用してはいけない言葉ランキング、不動の第一位。
別に。
「本当に?」
「うん」
「じゃあ――」
「可愛い?」
「え?」
美羽がスマホから目を上げた。
「そこの女の子」
「…………」
「可愛いの?」
「いや……」
「可愛くないのに七回も行ったの?」
詰みである。
「……可愛い、です」
「ふーん」
「でも美羽とは全然――」
「比べなくていいよ」
「いやでも」
「別に怒ってないし」
「…………」
美羽は立ち上がった。
「帰る」
「えっ」
「眠い」
「泊まってかないの?」
普段なら週末はかなりの確率で泊まる。
美羽の私物もこの部屋には多い。
化粧水。
歯ブラシ。
充電器。
パジャマ。
もはや半同棲に近い。
けれど。
「今日は帰る」
「……美羽」
「なに」
「ごめん」
玄関へ向かっていた美羽が止まる。
しばらく背中を向けたまま黙って。
「……別に」
それだけ言って、帰ってしまった。
*
翌日。
「お前ぇ……!」
「ちょ、なんで私が怒られるの!?」
大学の食堂。
○○の正面で谷口愛季が目を丸くしていた。
「美羽に言っただろ!」
「だって聞かれたんだもん!」
「なんで知ってんだよ!」
「○○が自分で言ったんじゃん!」
「……あ」
そうだった。
以前、愛季を含めた友人グループで飲んでいたとき。
酔った勢いで、
『最近コンカフェ結構楽しいんだよね』
と話した記憶がある。
「完全に自業自得じゃん」
「……返す言葉もございません」
「しかも七回?」
「はい」
「美羽と付き合ってるのに?」
「……はい」
愛季は盛大にため息をついた。
「馬鹿なの?」
「その言葉昨日から何回も心の中で自分に言ってる」
「美羽、怒ってた?」
「それが……全然」
「あー」
愛季の顔が変わった。
「それ、たぶん結構きてるよ」
「やっぱり!?」
「声大きい」
愛季は水を一口飲む。
「昨日、美羽から電話来たんだけど」
「え」
「一時間半」
「そんなに!?」
○○の知る限り、美羽は電話が好きではない。
必要な話が終わればすぐ切るタイプ。
「何話したの?」
「言わない」
「そこをなんとか」
「女同士の話だから」
「……俺について?」
「ほぼ全部」
「頼む、教えてくれ」
両手を合わせる○○。
愛季は呆れたように眉を下げた。
「簡単に言うとね」
「うん」
「美羽、自分が彼女としてつまらないんじゃないかって気にしてる」
「…………は?」
想像していなかった言葉だった。
「なんで?」
「コンカフェの女の子って、いっぱい喋ってくれるんでしょ?」
「まあ……仕事だから」
「愛想もいいし」
「それも仕事だから」
「可愛いって言ってくれる?」
「……まあ」
「好きとか言われる?」
「サービスとしてなら」
「ほら」
愛季が指を差す。
「美羽ってそういうの苦手じゃん」
「……うん」
「好き好き言わないし、愛想振り撒くタイプでもないし」
「でもそれは美羽だから――」
「○○はそう思ってても、美羽本人は気にするんだよ」
愛季は少しだけ笑った。
「あの子、見た目よりずっと面倒くさいから」
「知ってる」
「○○のことになると特に」
「……それも知ってる」
「じゃあちゃんとしてあげて」
「はい」
「あと」
「ん?」
愛季が意味深に笑う。
「たぶん、今日からちょっと変になると思う」
「……どういう意味?」
「昨日いろいろ相談されたから」
「何を教えた?」
「内緒」
「怖いんだけど」
「まあ頑張って」
愛季はそう言って手を振った。
*
そして。
愛季の予言は、その日の夜から現実となった。
「美羽?」
「ん」
「……近くない?」
「そう?」
近い。
めちゃくちゃ近い。
○○の部屋のソファ。
いつもなら隣に座るとしても、少しくらい隙間がある。
今日はゼロ。
美羽の太ももが完全に○○の脚へ触れている。
それどころか。
ぎゅっ。
「…………」
美羽が○○の腕を抱え込んできた。
「美羽さん?」
「なに」
「どうしました?」
「別に」
またそれだ。
しかし昨日とは意味が違う気がする。
「……テレビ見づらくない?」
「見える」
「そう」
「うん」
十分。
二十分。
三十分。
ずっと離れない。
むしろ時間が経つにつれて距離が縮まっている。
とうとう美羽の頭が○○の肩へ乗った。
「…………」
「…………」
○○は横目で彼女を見る。
相変わらず表情は薄い。
テレビを見ている。
けれど。
耳が赤い。
「美羽」
「ん」
「可愛い」
「…………」
無反応。
ただし腕を抱く力が強くなった。
「……美羽?」
「もっと言って」
「え?」
「なんでもない」
「いや今、もっと言ってって――」
「言ってない」
「言ったよね?」
「うるさい」
そして。
美羽が○○の肩へ顔を埋めた。
「…………」
○○は少し迷ってから、その頭を撫でる。
すると。
「ん……」
小さな声。
「今日どうしたの?」
「……普通」
「絶対普通じゃない」
「普通」
「美羽」
「……なに」
「昨日のこと?」
ぴたり。
美羽が止まった。
「コンカフェ」
「…………」
「ごめんな」
「謝らなくていい」
「でも」
「浮気したわけじゃないんでしょ」
「それは絶対ない」
「ならいい」
そう言いながら。
美羽は○○の腕へ頬を擦り寄せる。
全然よくなさそうだった。
「……でも」
小さな声。
「うん」
「私より、楽しい?」
「何が?」
「その店」
「…………」
○○はようやく理解した。
愛季の言っていた意味を。
美羽は怒っているのではない。
不安なのだ。
「美羽」
「ん」
「こっち向いて」
「やだ」
「なんで」
「今、顔見られたくない」
「じゃあこのままでいい」
○○は彼女の頭を撫で続ける。
「楽しいの種類が違うよ」
「…………」
「店は店」
「うん」
「美羽といる時間は、美羽としか作れない」
「……そういうのずるい」
「本心なんだけど」
しばらく沈黙。
そして。
「じゃあ」
美羽が顔を上げた。
「証明して」
「……どうやって?」
答える代わりに。
美羽の手が○○の頬へ触れた。
そして――唇が重なる。
「……っ」
短いキス。
離れる。
けれど数センチしか離れない。
美羽の低い声が囁く。
「私のこと好き?」
「好き」
「どれくらい?」
「かなり」
「かなりって何」
「めちゃくちゃ」
「……雑」
そう言いながら。
もう一度。
今度はさっきより長く。
美羽から唇を重ねてきた。
普段の彼女からは考えられないくらい積極的だった。
「……美羽」
「ん」
「今日、本当にどうした?」
「だから」
美羽が○○の胸へ額を押しつける。
「……取られたくないだけ」
聞き逃しそうな声だった。
「誰に?」
「……知らない女」
「コンカフェの?」
頷く。
「取られないよ」
「分かんないじゃん」
「分かるよ」
「私は分かんない」
美羽の指が○○の服を掴む。
「○○、人に好かれるから」
「そんなことない」
「ある」
即答。
「私が知ってる」
その言葉だけ妙に自信満々なのが可笑しい。
「……笑わないで」
「ごめん」
「むかつく」
「美羽」
「なに」
「好きだよ」
「…………」
「大好き」
「……急に言わないで」
「言ってほしいんじゃなかった?」
「そうだけど」
「じゃあ言う」
「……もういい」
「大好き」
「うるさい」
「美羽が一番可愛い」
「……うるさい」
「美羽が一番好き」
「ほんと、うるさい」
言葉とは裏腹に。
美羽は離れなかった。
それどころか。
ぎゅうっと。
○○の身体へ腕を回す。
そして。
「……私も」
「ん?」
「好き」
「もう一回」
「やだ」
「聞こえなかった」
「絶対聞こえてた」
「お願いします」
「……嫌い」
「それは嘘」
「なんで分かるの」
「こんな抱きつきながら言われても」
「…………」
美羽は少し考えて。
さらに強く抱きしめてきた。
「じゃあこれで分かるでしょ」
「分かります」
「ならいい」
*
そこからだった。
明らかに美羽がおかしくなったのは。
翌朝。
「○○」
「んー……?」
目を開ける。
目の前に美羽。
近い。
近すぎる。
「おはよ」
「……おはよう」
「起きて」
「今何時?」
「七時」
「今日一限ないんだけど……」
「知ってる」
「じゃあなんで」
「一緒に朝ごはん食べる」
「……はい」
ベッドから起きようとする。
しかし。
「…………」
美羽が退かない。
むしろ布団の中で○○の腕へ抱きついている。
「美羽」
「ん」
「朝ごはん」
「まだいい」
「起こしたの美羽だよ?」
「うん」
「じゃあ起きようよ」
「あと五分」
「なんで俺を起こした?」
「起きてる○○にくっつきたかった」
「…………」
昨日から何なんだ。
破壊力が高すぎる。
「美羽さん」
「なに」
「それ誰に教わった?」
「何が」
「そういうの」
「…………」
沈黙。
「谷口?」
「違う」
「谷口だな?」
「違う」
「愛季に電話するわ」
「やめて」
スマホへ伸ばした○○の手を美羽が掴む。
そのままベッドへ押し戻された。
「……電話しなくていい」
「怪しい」
「愛季は関係ない」
「めちゃくちゃ関係ある顔してる」
「見ないで」
美羽が両手で○○の目を塞ぐ。
「何相談したの?」
「言わない」
「美羽」
「言わない」
「お願い」
「やだ」
「じゃあ愛季に――」
「もう」
唇を塞がれた。
一瞬。
二瞬。
そして美羽が離れる。
「これで黙って」
「…………」
「何」
「もう一回聞こうかな」
「調子乗らないで」
低い声。
無表情。
なのに耳は真っ赤。
○○は笑いを堪えられなかった。
「美羽ってさ」
「なに」
「分かりやすいよね」
「……どこが」
「俺のことめちゃくちゃ好きじゃん」
「…………」
「痛っ!」
脇腹を抓られた。
*
数日後。
大学の空き教室。
「で?」
愛季がニヤニヤしている。
「どう?」
「何を吹き込んだ」
「だから何も」
「嘘つけ」
「美羽が自分で頑張ってるだけ」
「頑張る方向がおかしいんだよ」
「いいじゃん」
愛季は笑う。
「可愛いでしょ?」
「……可愛いけど」
「じゃあいいじゃん」
「最近、毎日うち来るぞ」
「うん」
「講義終わったら絶対連絡来る」
「うん」
「返信遅いと『どこ?』って来る」
「うん」
「昨日なんか俺がゲームしてたら、何も言わず膝の上に座ってきた」
「…………」
愛季が吹き出した。
「美羽そんなことしてんの!?」
「お前が教えたんじゃないのかよ!」
「そこまでは教えてない!」
「そこまで?」
「……あ」
「何を教えた?」
「いや」
「谷口愛季さん?」
「私はただ……」
愛季が目を逸らす。
「言葉で言えないなら行動で示したら、とは言った」
「お前かぁ……!」
「だって美羽、本当に悩んでたんだもん!」
愛季は笑いながら言う。
「自分じゃコンカフェの子みたいに○○を楽しませられないって」
「そんな必要ないのに」
「それ、美羽にちゃんと言った?」
「……言ってない」
「じゃあ言いなよ」
その言葉だけは真面目だった。
「美羽はね」
愛季が少し声を落とす。
「たぶん○○が思ってるよりずっと○○のこと好きだよ」
「…………」
「でも本人、絶対全部は言えないから」
「うん」
「ちゃんと見てあげて」
「……分かった」
*
その夜。
○○の部屋。
「美羽」
「ん」
「ちょっと話そう」
「何」
ソファに座っていた美羽がこちらを見る。
○○はその隣へ座った。
「コンカフェのこと」
一瞬だけ。
美羽の顔が曇る。
「もういいよ」
「よくない」
「…………」
「俺、もう行かない」
「え」
美羽が珍しく目を見開いた。
「別に行っていいよ」
「いや」
「友達と行くんでしょ」
「うん。でも美羽が嫌なら行かない」
「……嫌って言ってない」
「じゃあ嫌じゃない?」
「…………」
答えない。
「美羽」
「……嫌」
小さかった。
「ほんとは嫌」
「うん」
「私以外の女の子に会いに行くために、お金払ってるの」
「……はい」
「可愛いって思ってるのも嫌」
「はい」
「楽しそうに話してるの想像するのも嫌」
「はい」
「でも」
美羽の声がさらに小さくなる。
「そんなことで束縛したら嫌われると思った」
○○は何も言わず。
彼女を抱き寄せた。
「……何」
「ごめん」
「だから謝らなくていいって」
「いや。これは謝らせて」
美羽の身体を抱きしめる。
「気づかなかった」
「…………」
「俺、美羽があんまり言わないから勝手に大丈夫だと思ってた」
「私も言わなかったし」
「じゃあこれからは言って」
「……無理」
「即答?」
「恥ずかしい」
「じゃあ行動でもいい」
「…………」
「俺が気づくから」
美羽が顔を上げた。
「ほんと?」
「うん」
「絶対?」
「絶対」
「じゃあ」
美羽の両腕が首へ回る。
「今、キスして」
「それは言葉じゃん」
「……うるさい」
笑いながら。
○○は美羽の唇へキスをした。
一度。
離れる。
すると。
「……短い」
「注文多くない?」
「嫌ならいい」
「嫌じゃない」
今度はゆっくり。
彼女を抱き寄せながら唇を重ねる。
美羽の指が○○の髪へ触れる。
離れると。
彼女は少し息を整えながら○○を見つめていた。
「……○○」
「ん?」
「好き」
「うん」
「かなり」
「かなり?」
「……めちゃくちゃ」
○○は思わず笑った。
「俺の真似?」
「違う」
「同じじゃん」
「うるさい」
そしてまた、美羽から抱きついてくる。
胸元へ顔を埋めて。
ぽつり。
「だから」
「うん」
「他の女のところ行かないで」
その声は。
いつもの低くて淡々とした声なのに。
今まで聞いたどんな言葉よりも。
彼女の愛情が詰まっているように聞こえた。
「分かった」
「……絶対ね」
「絶対」
「愛季と二人で遊ぶのは?」
「え?」
「それも嫌かも」
「待って。愛季は美羽の友達でもあるだろ」
「女じゃん」
「急に範囲広がってない?」
「……だめ?」
上目遣い。
これは卑怯だ。
「二人では遊びません」
「ん」
満足そうに頷く。
「じゃあ、美羽」
「なに」
「代わりに一個お願い」
「何?」
「これからも今くらい甘えて」
「…………」
数秒。
美羽の顔が真っ赤になる。
「無理」
「なんで」
「恥ずかしい」
「ここ数日散々やってたじゃん」
「あれは……」
「うん」
「愛季に……その……」
「やっぱり愛季じゃん!」
「うるさい!」
珍しく声を張った美羽が、○○の胸を叩く。
しかし。
そのまま離れるかと思ったのに。
ぎゅっ。
また抱きついてきた。
「……でも」
「ん?」
「○○が好きなら」
胸元に顔を隠したまま。
「たまにはする」
「毎日で」
「調子乗らないで」
「じゃあ週五」
「多い」
「週三」
「…………」
「考えるんだ」
「うるさい」
○○は笑いながら彼女の髪を撫でる。
コンカフェ通いがバレてから。
彼女の様子がどうにもおかしい。
以前より近い。
以前より甘える。
以前より嫉妬する。
以前よりたくさん触れてくる。
そして何より。
今まで見えなかったほどの愛情を、これでもかというくらい行動で示してくる。
「○○」
「ん?」
「……こっち向いて」
振り向けば。
美羽が目を閉じていた。
○○は意味を理解して。
その唇へそっとキスをする。
「……ん」
離れようとすると。
服の裾を掴まれた。
「まだ」
「……美羽さん、最近積極的ですね」
「誰のせいだと思ってるの」
「俺です」
「分かってるなら」
もう一度。
唇が重なる。
――どうやら。
彼女の様子がおかしくなったのは。
しばらく。
いや。
もしかすると、ずっと。
治りそうになかった。
