『マドンナの義姉、義弟が好きすぎて心中穏やかではないらしい』
森田ひかるには、秘密がある。
大学一の美女。
そんな呼ばれ方をされるようになったのは、いつからだっただろう。
小柄な身体。整った顔立ち。大きな瞳。
講義室に入れば一瞬だけ周囲の視線が集まり、学食を歩けば知らない男子から振り返られる。
入学してから三年間。
告白された回数については、途中から数えるのをやめた。
けれど、そのすべてを断ってきた。
理由は単純。
好きな人がいるから。
五年間。
ずっと、ずっと、ずっと。
たった一人だけ。
好きで。
好きで。
好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで――
「――好きぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「うるさっ!!」
松田里奈の部屋に、森田ひかるの絶叫が響き渡った。
「もう無理!! まりな無理!! 今日の○○無理!!」
「毎週聞いとる、その台詞」
「だって今日ね!? 聞いて!?」
「聞かんって選択肢ある?」
「ない!」
「でしょうね」
ひかるはベッドの上でクッションを抱きしめ、ゴロゴロ転がる。
大学では絶対に見せない姿だった。
「あのね!? 今日○○と学食行ったの!」
「いつもやん」
「それで私が髪切ったの気づいてくれた!」
「へえ」
「三センチだよ!?」
「……よう気づいたな」
「でしょ!?」
ガバッ。
ひかるが起き上がった。
「『ひかる、髪切った?』って!」
「うん」
「私が『分かるの?』って聞いたら!」
「うん」
「『分かるよ。ひかるのこと結構見てるし』って!!」
「……あー」
里奈は天井を見上げた。
やったな、○○。
お前、またやったな。
「結構見てるし!!」
「聞こえとる」
「私を!! 見てる!!」
「はいはい」
「しかもね!?」
まだあるらしい。
「『似合ってる。俺は今くらい好き』って!!」
「……」
「好きって言った!!」
「髪型の話な?」
「私に好きって言った!!」
「髪型の話やって」
「私!! ○○に!! 好きって言われた!!」
「都合よく文章切り取るな!」
大学一の美女。
完璧なマドンナ。
そんな評価を受けている女が、義弟から髪型を褒められただけでこれである。
里奈は思う。
この子はいつからこうなってしまったんだろう。
いや。
正確には知っている。
五年前だ。
森田ひかる、高校三年生。
母親から再婚すると聞かされ、新しい父親と、その連れ子に初めて会った日。
そこで。
森田ひかるの人生は狂った。
*
「ひかる。紹介するね」
母親にそう言われた。
当時十八歳のひかるは、少し緊張していた。
母親の再婚自体に反対はなかった。
新しい父親になる人にも何度か会っている。
穏やかで優しい人だった。
問題は、その息子。
自分より一つ下の男の子がいるとは聞いていた。
今日から弟になる。
どう接すればいいんだろう。
そんなことを考えていると。
リビングの扉が開いた。
「○○、来たぞ」
「はーい」
声が聞こえた。
そして。
少年が顔を出した。
「初めまして」
その瞬間。
ひかるの世界から音が消えた。
「○○です」
――え。
「よろしくお願いします」
――待って。
少年が笑った。
――好き。
終了。
森田ひかるの恋愛人生、開始一秒で終了。
初対面。
一目惚れ。
完膚なきまでに。
顔。
声。
雰囲気。
笑い方。
全部。
全部タイプだった。
「……ひかる?」
母親に呼ばれて我に返る。
「あっ……」
危ない。
姉になるのだ。
しっかりしなければ。
「森田ひかるです。よろしくね」
笑顔。
完璧。
後に里奈から、
『よう耐えたね』
と言われるほど完璧な笑顔だった。
すると○○は。
「あの」
「うん?」
「ひかるって呼んでもいい?」
心臓が止まった。
「……もちろん」
「よかった。俺のことも○○でいいよ」
死んだ。
その日の夜。
自室に戻ったひかるはベッドへ飛び込んだ。
「むりむりむりむりむりむり!!」
枕を抱えて転がった。
「何あれ!? 何あれ!? 好きなんだけど!!」
今日から弟。
好きな男の子が。
今日から弟。
「神様ぁぁぁぁ!!」
喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなかった。
そして。
それから五年。
その気持ちは。
薄れるどころか。
とんでもない方向へ成長した。
*
「おはよう、ひかる」
現在。
大学四年生になったひかるが玄関へ降りると、○○がいた。
「おはよ」
平静。
いつもの姉。
「今日一限?」
「うん」
「じゃ、一緒に行こ」
「いいよ」
平静。
森田ひかるは完璧だった。
ただし脳内は。
――今日も顔がいいぃぃぃぃぃ!!
である。
大学三年生になった○○。
高校生の頃より少し大人びた。
背も伸びた。
声も少し低くなった。
――好きぃぃぃ!!
「ひかる?」
「ん?」
「ぼーっとしてるけど眠い?」
「ちょっとね」
「昨日遅かった?」
「まあね」
本当は午前三時まで○○との過去の写真を見返していた。
「ちゃんと寝なよ」
そう言いながら。
ぽん。
○○がひかるの頭を撫でた。
「…………」
「じゃ、行こ」
○○が先に玄関を出る。
ひかるは三秒停止した。
頭。
触られた。
撫でられた。
「…………っ」
声を出すな。
ここではダメ。
家族がいる。
大学でもダメ。
耐えろ。
耐えるんだ森田ひかる。
「ひかるー?」
玄関から呼ばれる。
「今行く!」
そして大学へ向かう。
電車でも隣。
キャンパスでも途中まで一緒。
幸福。
大学一の美女と呼ばれる森田ひかるが、なぜこれほど頻繁に義弟と一緒にいるのか。
周囲には知られている。
姉弟だから。
それ以上でも、それ以下でもない。
少なくとも○○はそう思っている。
「じゃ、俺こっちだから」
「うん。講義終わったら連絡して」
「分かった」
「お昼一緒に食べよ」
「いいよ」
「絶対ね?」
「なんで二回言うの」
○○が笑う。
「じゃ、また後で」
「うん」
ひかるも笑顔で手を振る。
○○が消える。
十秒。
「ひかる」
後ろから声。
里奈だった。
「……まりな」
「顔」
「え?」
「ニヤけとる」
「嘘!?」
慌てて頬を押さえる。
「嘘」
「まりな!!」
「大学のマドンナ様は今日も大変そうやね」
「聞いてよ! 今朝○○が頭撫でてきた!」
「朝から?」
「そう!」
「へえ」
「しかも『ちゃんと寝なよ』って!」
「弟に生活習慣注意されとるやん」
「優しい!!」
「重症やなあ」
五年間見てきた。
里奈はもはや慣れている。
だが。
「そういや○○くん、また告白されたらしいよ」
ひかるが停止した。
「…………誰に?」
声が一オクターブ低い。
「怖っ」
「誰?」
「経済の三年の子」
「名前は?」
「知らん」
「いつ?」
「昨日らしい」
「どこで?」
「知らんって」
「何時?」
「警察の取り調べ?」
ひかるはスマホを取り出す。
位置情報アプリを開く。
「おい」
「昨日の○○は……」
「おいマドンナ」
「十五時三十二分なら三号館……」
「おい犯罪者」
「ん?」
「GPS見るな」
「家族見守りアプリです」
「成人男性を?」
「弟だから」
「○○くん、入れられとるの知っとる?」
沈黙。
「ひかる?」
「……知らない」
「アウト」
「だって心配なんだもん!」
「何が!?」
「事故とか! 誘拐とか!」
「二十一歳の男を誰が誘拐するんよ!」
「可愛いから!」
「お前が一番危ないわ!」
ひかるは不満そうに頬を膨らませた。
「あと家のカメラ増やすのやめな?」
「防犯」
「○○くんの部屋の前にいる?」
「廊下の防犯」
「角度が完全に○○くんの出入り監視用なんよ」
「偶然」
「こっわ」
だが。
里奈は知っている。
ひかるは一線だけは越えない。
部屋の中には置かない。
着替えを覗いたりもしない。
GPSも普段は極力見ない。
極力。
今日見たけど。
すべては。
姉だから。
その一言で、ギリギリ踏みとどまっている。
*
昼。
○○とひかるが学食で向かい合う。
「ひかる、それ食べる?」
「ポテト?」
「うん」
「いいよ」
○○が一本取る。
――間接キス。
違う。
落ち着け。
ポテトだ。
「そういえば昨日さ」
○○が言う。
来た。
告白の話だ。
ひかるは何でもないような顔を作った。
「告白された」
「へえ」
完璧。
「断ったけど」
「そうなんだ」
完璧。
内心。
――よっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!
大歓喜。
「付き合わないの?」
一応聞く。
姉として。
「うん」
「なんで?」
「好きな人いるし」
時間が止まった。
「…………え?」
「だから」
○○は普通に唐揚げを食べる。
「好きな人いるから」
知らない。
聞いてない。
誰。
誰。
誰誰誰誰誰誰誰。
「……へ、へえ」
「うん」
「どんな子?」
聞け。
姉として。
自然に。
「んー」
○○が考える。
「可愛い」
――でしょうね!!
「小柄で」
――私も小柄!!
「しっかりしてるけど、たまに抜けてて」
――私!?
「一緒にいると落ち着く」
――私では!?
「昔から知ってる人」
――私だ!!
ひかるの心臓が暴れ始める。
「……その人に告白しないの?」
「できない」
「どうして?」
○○は少し困ったように笑った。
「たぶん、したら困らせるから」
「…………」
それ以上は聞けなかった。
だが。
午後。
里奈宅。
「私じゃん!!」
「知らんって!!」
「絶対私じゃん!!」
「だから本人に聞けって!」
「聞けない!!」
「なんで!?」
「違ったら死ぬ!!」
クッションを叩く。
「小柄! 可愛い! しっかりしてるけど抜けてる! 昔から知ってる! 一緒にいると落ち着く!!」
「候補には入りそうやけど」
「私じゃん!!」
「うるさい!」
ひかるは頭を抱えた。
「でも○○からしたら私はお姉ちゃんだし……」
急に声が小さくなる。
そこなのだ。
五年間。
ずっと。
ひかるが越えられない壁。
血は繋がっていない。
出会った時にはすでに高校生だった。
それでも。
家族になった。
姉になった。
「好きなんだけどなあ……」
里奈が見る。
さっきまで暴れていた女が、クッションへ顔を埋めている。
「めちゃくちゃ好き」
それだけは。
冗談ではない。
*
その日の夜。
「ひかる」
風呂上がり。
リビングで○○に呼ばれた。
「何?」
「これ」
渡されたのはアイス。
「ひかる好きでしょ」
「……好き」
「コンビニ行ったから買ってきた」
「ありがと」
「どういたしまして」
○○が隣へ座る。
近い。
肩が触れる。
心臓がうるさい。
「ひかる」
「ん?」
「今日なんか元気なかった?」
「……そう?」
「昼から」
見ていた。
自分を。
ちゃんと。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「ならいいけど」
沈黙。
テレビの音だけが流れる。
やがて。
○○がひかるの肩へ頭を乗せた。
「…………○○?」
「ちょっと眠い」
「部屋行けば?」
「面倒」
「もう」
姉として。
頭を撫でる。
さらさらした髪。
愛しい。
「ひかる」
「ん?」
「俺さ」
「うん」
「ひかるがお姉ちゃんで良かった」
胸が痛んだ。
嬉しい。
でも。
苦しい。
「……急に何?」
「なんとなく」
○○が目を閉じる。
「俺、ひかるのそういうとこ好きだよ」
「…………」
来た。
好き。
言われた。
好き。
○○が私を好き。
ただし姉として。
「そっか」
笑う。
「私も○○のこと好きだよ」
言えた。
これだけなら。
姉として聞こえるから。
*
数日後。
夕食。
父親と母親。
ひかると○○。
家族四人が揃っていた。
話題は○○の就活。
大学院へ進むか。
就職するか。
そして。
「そういえば」
母親が何気なく言った。
「○○って彼女いないの?」
ブッ。
ひかるが味噌汁を吹きそうになった。
「いないよ」
○○が答える。
「好きな子は?」
「いる」
父親が反応する。
「へえ」
母親も笑った。
「どんな子?」
「それは秘密」
「告白しないの?」
「……まあ」
○○がちらっと。
ひかるを見た。
一瞬だった。
でも。
母親は見逃さなかった。
父親も。
そして二人が顔を見合わせる。
「ちなみに」
母親が言う。
「ひかるは?」
「え?」
「好きな人」
「…………いるけど」
「へえ」
ニヤニヤ。
嫌な予感がする。
「お母さんね」
「うん」
「別にいいと思ってるよ?」
「何が?」
「ひかると○○が付き合っても」
時が止まった。
箸が止まる。
○○も固まった。
「…………え?」
ひかるの声が震える。
父親が笑った。
「俺も別に反対しないぞ」
「いや、待って」
「血繋がってないし」
「待って待って」
「二人とも出会った時には高校生だったしね」
「待って待って待って!!」
母親が笑う。
「ひかる、ずっと○○のこと好きでしょ?」
「――――っ!!」
顔。
真っ赤。
「な、何言ってんの!?」
「五年前からバレてるよ」
「嘘!?」
「初日に分かった」
「初日!?」
「○○がトイレ行った瞬間、目で追ってたもん」
「…………」
終わった。
「お父さんも?」
「もちろん」
「…………」
死にたい。
いや。
待て。
「○○」
怖い。
隣を見る。
○○も耳まで赤い。
「……ごちそうさま」
立ち上がる。
「部屋行く」
逃げた。
ひかるはその背中を見送る。
母親が言った。
「追いかけないの?」
「…………」
「お母さんたちは、本当に気にしないよ」
父親も頷く。
「二人の人生だからな」
プツン。
聞こえた気がした。
五年間。
森田ひかるを止め続けていた最後のブレーキ。
義姉だから。
家族だから。
壊してはいけないから。
それが。
両親の言葉で。
消えた。
「…………行ってくる」
「いってらっしゃい」
母親が笑う。
「頑張れ」
父親まで。
ひかるは立ち上がった。
階段を上がる。
○○の部屋の前。
ノック。
「○○」
「……なに?」
「入るね」
扉を開ける。
○○はベッドに座っていた。
「ひかる」
「さっきの」
「うん」
「聞いたよね」
「……聞いた」
心臓が壊れそう。
でも。
もう逃げない。
「○○が好きな人って誰?」
○○が黙る。
「教えて」
「……言えない」
「どうして?」
「困らせるから」
「困らない」
「分かんないじゃん」
「分かる」
「なんで」
ひかるは一歩近づいた。
「私だから」
○○の目が大きくなる。
「違う?」
沈黙。
「小柄で」
一歩。
「可愛くて」
一歩。
「しっかりしてるけど抜けてて」
一歩。
「昔から知ってて」
もう。
目の前。
「一緒にいると落ち着く人」
○○が目を逸らした。
それだけで。
答えだった。
「……ひかる」
「私でしょ?」
「…………うん」
五年間。
欲しかった言葉。
胸の奥が熱くなる。
「いつから?」
「結構前」
「どれくらい?」
「高校くらい」
「…………ばか」
涙が出た。
「ひかる?」
「ばか!」
胸を叩く。
「だったら言ってよ!」
「言えるわけないじゃん!」
「なんで!」
「姉ちゃんだからだよ!」
「血繋がってない!」
「でも家族だろ!」
「好きなのに!?」
○○が止まる。
ひかるも。
もういい。
全部。
言う。
「私、○○が好き」
震えた。
「初めて会った時から」
○○が目を見開く。
「一目惚れだった」
「……嘘」
「ほんと」
「五年前?」
「五年前」
「ずっと?」
「ずっと」
涙を拭う。
「○○が大学ここにするって言った時、里奈ちゃんの家で泣いた」
「え」
「嬉しすぎて」
「……マジ?」
「○○が女の子に告白されたら毎回嫌だった」
「……」
「○○が私を褒めるたび、その日の夜眠れないくらい嬉しかった」
「ひかる……」
「好きって言われるたびに、本当は抱きつきたかった」
五年間。
積み重なったものが溢れる。
「お姉ちゃんだから我慢してた」
一歩。
「家族だから」
もう一歩。
「○○が困ると思ったから」
そして。
「でも」
両手で○○の頬を包む。
「もう我慢しなくていいって」
顔を近づける。
「お母さんたちが言ったから」
「それ、そういう意味なの……?」
「私はそう受け取った」
「ひかる」
「○○」
あと数センチ。
「嫌なら止めて」
○○は。
止めなかった。
だから。
唇を重ねた。
ほんの一瞬。
離れる。
「…………」
○○の顔を見る。
「……もう一回していい?」
「聞くんだ」
「だって初めてだから」
○○が笑った。
その笑顔を見た瞬間。
愛しさが爆発した。
「好き」
抱きつく。
「○○好き」
「ひかる」
「好き好き好き好き好き」
「多いって」
「五年分」
「重いなあ」
「今さら?」
「確かに」
○○の腕が背中へ回る。
ぎゅっと抱きしめ返される。
その瞬間。
ひかるの目からまた涙が出た。
「○○」
「うん」
「好き」
「俺も」
「もう一回」
「好きだよ」
「もう一回」
「ひかるが好き」
「もう一回!」
「何回言わせんの!」
笑った。
泣きながら笑った。
そしてもう一度キスをする。
今度は少し長く。
離れる。
額を合わせる。
「ねえ○○」
「なに?」
「私もう、お姉ちゃんやめてもいい?」
「……それは無理じゃない?」
「なんで!」
「姉なのは変わらないし」
「じゃあ彼女もする」
「欲張り」
「五年待ったもん」
「俺も待ったけど」
「じゃあお互い様」
ひかるは笑う。
そして。
勢いのまま○○の肩を押した。
「うわっ」
ベッドへ倒れる。
ひかるも一緒に倒れ込む。
○○の胸へ顔を埋めた。
「……幸せ」
「急に静かになった」
「今、噛み締めてる」
「そう」
「五年間好きだった人の彼女になった」
「うん」
「しかも今日から堂々と○○にくっつける」
「今までも結構くっついてたけど」
「姉としてでしょ?」
「そうだけど」
「違うの」
ぎゅう。
さらに強く抱きつく。
「これは彼女として」
「……ひかる」
「なに?」
「可愛い」
停止。
「…………」
「ひかる?」
「今それ言う?」
「なんで」
「無理」
「何が」
「心臓」
○○が笑う。
「大学一の美女なのに?」
「○○に言われるのは違うの!」
「何が違うの」
「全部!」
またキス。
何度も。
五年間触れられなかった距離を埋めるみたいに。
その夜。
二人は長い時間、同じベッドで過ごした。
何度も好きだと伝え。
何度も抱きしめ。
もう姉弟という言葉だけには戻れないことを、互いに確かめ合った。
*
翌朝。
里奈のスマホが鳴った。
朝七時。
『まりな』
嫌な予感。
既読。
『どうした?』
三秒。
『付き合った』
「…………」
里奈はベッドから身体を起こした。
『誰と』
分かっている。
だが一応。
返信。
『○○』
「でしょうね」
さらに。
『キスした』
『はいはい』
『いっぱいした』
『朝から報告すんな』
『一緒に寝た』
「…………」
里奈はスマホを置いた。
天井を見る。
五年間。
長かった。
ようやく。
ようやく終わった。
いや。
違う。
たぶん。
ここからが始まりだ。
再びスマホ。
『まりな』
無視。
『ねえ』
無視。
『○○が寝てる』
無視。
『可愛い』
無視。
『写真送ろうか?』
『送るな』
即レスしてしまった。
『今腕枕してもらってる』
『よかったね』
『起きたらまた好きって言ってもらう』
『よかったね』
『幸せ』
そこだけ。
里奈の指が止まった。
そして。
『おめでとう』
送る。
数秒後。
『ありがとう』
ハートマークが大量についていた。
里奈は小さく笑った。
「ほんと、長かったなあ」
*
それから半年後。
「ただいまー!」
玄関が開く。
「おかえり」
○○が顔を出す。
ひかるは靴を脱ぐなり駆け寄った。
「○○!」
「うわっ」
ぎゅっ。
「会いたかった!」
「朝会ったじゃん」
「十二時間会ってない!」
「仕事してたからね」
大学を卒業したひかる。
○○は大学四年生。
そして。
二人は現在。
同棲している。
正確には。
両親公認で家を出て二人暮らしを始めた。
「今日疲れたぁ」
「ご飯できてるよ」
「好き!!」
「俺じゃなくてご飯に?」
「両方!!」
「はいはい」
「ねえ○○」
「なに?」
「好き」
「俺も」
「ちゃんと言って」
「ひかるが好き」
満足。
「ふへへ」
「顔」
「いいの」
大学時代。
マドンナ。
高嶺の花。
完璧な美女。
そう呼ばれていた女の面影は、家ではほとんどない。
○○限定。
「今日ね、会社の人に告白された」
「へえ」
○○が止まる。
「断ったよ?」
「分かってる」
「嫉妬した?」
「ちょっと」
「…………」
ひかるが停止。
「ひかる?」
「もう一回」
「何を」
「嫉妬したって」
「嫌だ」
「お願い!」
「嫌」
「○○!」
追いかける。
逃げる○○。
「待って!」
「やだ」
「言って!」
「言わない」
「嫉妬してくれたの嬉しい!」
「重い!」
「知ってる!」
リビングを一周。
捕まえる。
そのまま背中へ抱きつく。
「捕まえた」
「はいはい」
「○○」
「なに」
「幸せ?」
少しだけ。
声が真面目になる。
○○が振り返った。
「幸せだよ」
ひかるが笑う。
「私も」
キス。
短く。
自然に。
毎日するようになったキス。
それでも。
ひかるにとっては毎回特別だった。
五年前。
初めて会った瞬間。
好きになった。
弟になった。
だから諦めようと思った。
でも。
無理だった。
好きなものは好きだった。
五年間積み重なった想いは。
ブラコンなんて可愛い言葉では説明できないほど大きくなった。
そして今。
「○○」
「ん?」
「好き」
「知ってる」
「世界で一番」
「それも知ってる」
「ずっと一緒にいてね」
「いるよ」
ぎゅっと抱きしめられる。
ひかるも抱きしめ返した。
かつて。
松田里奈は言った。
――ブラコンを通り越した何か。
その評価は。
何一つ間違っていなかった。
ただ。
一つだけ付け加えるなら。
森田ひかるの重すぎる愛を。
森田○○も。
どうやら同じくらい。
気に入っているらしい。
