『バ先のあーり先輩が可愛すぎてキューアグ発動してしまう件について』
「○○くん、これ飲む?」
「……はい?」
「これ。新作。私にはちょっと甘かった」
そう言って、谷口愛季は自分がさっきまで飲んでいたペットボトルを差し出した。
「……」
「ん?」
「……あーり先輩」
「なに?」
「俺が男だってこと、たまに忘れてません?」
「忘れてないけど?」
「じゃあなんでそんな無防備なんすか」
「無防備?」
きょとん。
首を傾げる。
身長百五十センチほどの小さな身体。
バイト中だから前髪は上げられていて、綺麗に出た額と丸みのある顔立ちがいつも以上に幼く見える。
なのに一個上。
大学三年生。
俺より一年先輩。
面倒見がよくて、仕事ができて、俺がミスれば助けてくれて、休憩に入るのを忘れていれば「○○くん、休憩行ってきな」と背中を押してくれる。
谷口愛季。
通称、あーり先輩。
そして。
俺が現在進行形で死ぬほど好きな女。
「だって○○くん、これ好きそうじゃん」
「いや……好きですけど」
「じゃああげる」
「……飲みかけですよね?」
「そうだよ?」
「……」
「いらない?」
「いります」
「ふふっ」
笑うな。
可愛い。
死ぬ。
俺はペットボトルを受け取る。
当然、飲み口を見る。
ここに。
さっき。
あーり先輩の唇が。
「……」
「飲まないの?」
「飲みますよ」
「なんでちょっと顔赤いの?」
「暑いんすよ」
「店内涼しいよ?」
「俺だけ暑いんです」
「変なの」
変なのはあんただ。
いや、違う。
あーり先輩は悪くない。
この人は何も悪くない。
悪いのは俺の脳だ。
最近二十歳になった。
酒が飲めるようになった。
煙草も吸えるようになった。
大学の先輩に連れていかれてパチンコなんてものにも触れ始めた。
酒。
煙草。
パチンコ。
文字面だけ見れば大学二年生にして着々と終わった男への階段を上っている。
そんな俺には、最近もう一つ新たな症状が現れた。
それが――
キューアグ。
可愛すぎるものを見た時に発生する、キュートアグレッション。
つまり。
「……あーり先輩」
「ん?」
「ほっぺ触っていいですか」
「なんで?」
「なんか急に触りたくなりました」
「やだよ」
「ですよね」
「勤務中だよ?」
「勤務中じゃなかったらいいんですか?」
「…………」
一瞬。
愛季先輩が止まった。
「……ばか」
「え?」
「仕事戻るよ」
「はい」
小さな背中が逃げていく。
その耳が。
少しだけ赤い。
「……」
俺は思った。
あれ。
もしかして。
俺。
ワンチャンある?
――なんて。
そんな希望を抱いた三時間後。
「○○、煙草」
「はい」
「減らしな」
「……はい」
「最近吸いすぎ」
「母親?」
「誰がお母さん」
バイト終わり。
店の裏。
俺が一本取り出した煙草を、愛季先輩がひょいっと取り上げた。
「返してください」
「やだ」
「二十歳なんで合法です」
「知ってる」
「じゃあ」
「この前も飲み会の後ずっと吸ってたじゃん」
「よく見てますね」
「そりゃ見るよ」
さらっと言う。
この人はこういうことを平然と言う。
俺の心臓が止まりそうになることなど知らずに。
「○○くんってさ」
「はい」
「なんか放っておいたらダメな感じするんだよね」
「俺そんなダメ男っすか?」
「ダメ男じゃない」
「ならいいじゃないですか」
「でもダメ男になりそう」
「予備軍?」
「そう。予備軍」
「ひど」
「だって最近、酒覚えて、煙草覚えて」
「パチンコも覚えました」
「それ」
ぺしっ。
腕を叩かれた。
「痛っ」
「ほんとやめな?」
「いや、まだ二回しか行ってないですよ」
「負けた?」
「一万二千円」
「……」
愛季先輩が俺を見る。
「○○」
「あれ、くん消えた」
「一万二千円あったら何できた?」
「……」
「ご飯何回食べられる?」
「……四回くらい?」
「もっと食べられる」
「はい」
「服だって買えるし」
「はい」
「私と遊びにも行けるじゃん」
「……はい?」
「……あ」
愛季先輩が固まった。
俺も固まった。
夜。
バイト先の裏口。
遠くを走る車の音。
自販機の低い駆動音。
その中で。
「……あーり先輩」
「違う」
「何がです?」
「今のは違う」
「俺、まだ何も言ってないですけど」
「顔が言ってる」
「じゃあ言葉でも言います」
「言わなくていい」
「俺と遊びたいんですか?」
「……」
「一万二千円パチンコに使うくらいなら、あーり先輩と遊ぶのに使えと」
「違うって」
「何が違うんです?」
「もう!」
ぺしぺし。
腕を二回叩かれる。
全然痛くない。
むしろご褒美である。
「じゃあ今度遊びましょうよ」
「……いつ?」
「食いつくの早」
「○○くん!」
「すいませんすいません」
怒った。
可愛い。
頬が赤い。
可愛い。
小さい。
可愛い。
俺の腕を叩いてくる。
可愛い。
――キューアグ発動。
「あーり先輩」
「なに」
「ハグしていいですか?」
「なんでそうなるの!?」
「可愛すぎて」
「……っ」
愛季先輩の顔が一気に赤くなった。
「そういうの……」
「はい」
「さらっと言うの、ずるい」
「……」
山口。
出た。
普段はほとんど標準語なのに。
照れたり、俺と二人きりになったりすると、時々柔らかな地元の響きが混じる。
これが。
俺に効く。
死ぬほど効く。
「……やば」
「なにが?」
「今めちゃくちゃ抱きしめたい」
「ダメ」
「ですよね」
「……ここでは」
「え?」
「なんでもない」
そう言って愛季先輩は歩き出した。
俺はその背中を見つめた。
…………。
待って。
今。
「ここでは」って言った?
*
「それはもう付き合っとるやん」
数日後。
居酒屋。
俺の正面に座る中嶋優月先輩が、呆れたように言った。
「付き合ってないです」
「なんで?」
「なんでって」
「そこまでいって付き合ってない意味が分からん」
隣では石森璃花先輩が笑っている。
「まあ、愛季だからね」
「どういう意味ですか」
「愛季ってああ見えて恋愛になると結構面倒くさいよ?」
「璃花」
「なに?」
「それ本人に言ったら怒られるよ」
「優月も思ってるでしょ?」
「思っとる」
この二人。
谷口愛季キューアグ被害者の会。
俺が勝手にそう呼んでいる。
愛季先輩のいつメン。
ちなみに本日の主役である愛季先輩は、少し遅れて来るらしい。
「でも○○くん」
璃花先輩が俺を見る。
「愛季のどこがそんな好きなの?」
「全部」
「即答」
「顔」
「うん」
「声」
「うん」
「身長」
「そこ?」
「小さいの可愛いじゃないですか」
「分かる」
優月先輩が即座に頷いた。
「あとおでこ」
「分かる」
今度は璃花先輩。
「バイト中のでこ出し愛季、赤ちゃんなんだよね」
「そうなんすよ」
「ほっぺもちもちだし」
「触ったことあるんですか?」
「あるよ」
「……」
「何その顔」
「羨ましい」
二人が笑う。
「でも一番は?」
優月先輩に聞かれる。
俺は少し考える。
「……俺のこと、よく見ててくれるところですかね」
二人の笑いが少し止まった。
「俺、別にそんなちゃんとした人間じゃないんで。講義サボることもあるし、最近酒とか煙草とか覚えて。パチンコも行くし」
「うん」
「でも、あーり先輩って怒るんですよ」
「愛季らしいね」
「怒るっていうか、心配してくれるんですよね」
煙草を減らせ。
飲みすぎるな。
ちゃんとご飯食べろ。
講義行け。
バイトのシフトを入れすぎるな。
寝ろ。
「なんか……嬉しいんすよ」
「……なるほどね」
璃花先輩が笑った。
優月先輩も何故かニヤニヤしている。
「な、なんすか」
「いや」
「愛季が○○くんにハマる理由分かったかも」
「え?」
「本人に聞き」
璃花先輩がグラスを傾ける。
その瞬間。
「ごめん、遅れた!」
聞き慣れた声。
振り向く。
そして。
俺は。
死んだ。
「……」

前髪。
下ろしてる。
バイト中の額を出した幼い雰囲気とはまるで違う。
綺麗に下ろされた前髪。
薄めのメイク。
肩を出したトップス。
デニム。
小柄なのは変わらない。
なのに。
大人っぽい。
「○○くん?」
「……」
「どうしたの?」
「今日帰ります」
「なんで!?」
「無理」
「何が!?」
「可愛すぎる」
「……っ」
愛季先輩の動きが止まる。
璃花先輩が吹き出した。
優月先輩はテーブルに突っ伏して笑っている。
「○○くんさぁ……」
「はい」
「そういうこと急に言うのやめて」
「事実なんで」
「もう……」
愛季先輩が俺の隣に座る。
近い。
シャンプーか香水か。
いい匂い。
無理。
「ちょっと離れてもらえます?」
「なんで?」
「心臓が」
「知らない」
「冷た」
「○○くんが悪い」
「俺?」
「そう」
ぷいっと顔を逸らす。
――可愛い。
「……ほっぺ触りたい」
「やだ」
「一回」
「やだ」
「五秒」
「やだ」
「三秒」
「値下げ方式やめて」
「一秒」
「……」
愛季先輩が俺を見る。
ため息。
そして。
「……一回だけね」
「え?」
「早く」
頬をこちらへ向ける。
璃花先輩と優月先輩が無言で俺を見る。
俺も二人を見る。
三人の視線が交わる。
おそらく考えていることは同じ。
――え、いいの?
恐る恐る。
人差し指で。
ぷに。
「……」
柔らかい。
「……あーり先輩」
「なに」
「もう一回」
「一回って言ったじゃん」
「お願いします」
「ダメ」
「……」
「そんな顔してもダメ」
「じゃあ両手で挟むのは」
「もっとダメ」
璃花先輩がボソッと言った。
「……分かる」
優月先輩も頷く。
「くすぐりたいよね……」
「ちょっと二人とも!?」
その日の飲み会。
俺は人生で一番楽しかった。
そして。
少し飲みすぎた。
*
「○○くん」
「はい」
「歩ける?」
「余裕です」
「ふらふらじゃん」
「地球が揺れてる」
「酔ってるだけ」
終電。
駅までの道。
璃花先輩と優月先輩は反対方向。
結果。
俺と愛季先輩だけになった。
「飲みすぎって言ったじゃん」
「すんません」
「ほんとにもう……」
愛季先輩が俺の腕を掴む。
「ほら」
「はい」
「ちゃんと歩いて」
「はい」
小さな手。
俺の腕。
あったかい。
「……あーり先輩」
「なに?」
「手繋ぎません?」
「なんで」
「そっちの方が歩きやすい」
「絶対嘘」
「バレた」
「もう」
だけど。
愛季先輩は手を離したあと。
俺の手を握った。
指と指。
絡ませるように。
「……」
「これなら転ばないでしょ」
「恋人繋ぎじゃないですか」
「嫌なら離す」
「絶対嫌じゃないです」
ぎゅっと握る。
「……強い」
「逃げるから」
「逃げないよ」
「じゃあこのままで」
「……うん」
夜道。
手を繋いで歩く。
それだけ。
なのに。
酔いなんてほとんど飛んでしまった。
「○○くん」
「はい」
「煙草」
「はい?」
「今日何本吸った?」
「……」
「何本?」
「六」
「多い」
「すんません」
「減らしなよ」
「じゃあ」
「なに?」
「あーり先輩が彼女になってくれたら減らします」
足が止まった。
愛季先輩も。
俺も。
酔った勢い。
……ではない。
ずっと言いたかった。
「それ」
愛季先輩が小さく言う。
「ずるくない?」
「何がです?」
「私が断ったら、煙草吸い続けるみたいじゃん」
「じゃあ煙草関係なく」
俺は握っていた手を少し強く握る。
「俺、あーり先輩が好きです」
「……」
「付き合ってください」
沈黙。
心臓が痛い。
愛季先輩は下を向いている。
前髪で表情が見えない。
やがて。
「……遅い」
「え?」
「遅いっちゃ」
顔を上げる。
真っ赤だった。
「私、結構待ったんよ」
山口の言葉。
完全に二人きりの時の愛季先輩。
「え、いつから?」
「言わない」
「教えてくださいよ」
「やだ」
「じゃあ」
一歩。
近づく。
愛季先輩は逃げなかった。
「付き合ってくれるんですか?」
「……うん」
「マジ?」
「マジ」
「……抱きしめていいですか」
「それ毎回聞くね」
「嫌われたくないんで」
「……今は」
愛季先輩が。
自分から俺の胸へ近づいた。
額が胸に当たる。
「聞かんでいいよ」
「……」
腕を回した。
小さい。
想像していた以上に。
すっぽり収まる。
「ちっさ」
「うるさい」
「可愛い」
「うるさい」
「好きです」
「……うるさい」
俺の服を掴む手。
離れない。
「あーり先輩」
「ん?」
「キスしていいですか」
「……」
顔を上げる。
目が合う。
逃げない。
「それは聞くんだ」
「初回なんで」
「……ばか」
それを。
許可だと解釈した。
ゆっくり顔を近づける。
唇が触れる。
一瞬。
離れる。
「……」
「……」
お互い。
何も言えない。
愛季先輩が俺の胸へ顔を埋めた。
「無理」
「何が?」
「恥ずかしい」
「俺もです」
「○○くん平気そうじゃん」
「心臓触ります?」
「やだ」
「めっちゃ速いですよ」
「……私も」
「触っていい?」
「ばか」
また胸を叩かれた。
弱い。
全然痛くない。
俺は笑った。
「もう一回していいですか」
「……一回だけ」
「さっきほっぺもそれ言ってましたね」
「じゃあしない」
「します」
二回目。
今度は少し長く。
唇を重ねた。
離れた後。
愛季先輩が小さく笑った。
「煙草」
「はい」
「減らしてね」
「はい」
「パチンコ」
「ほどほどにします」
「やめるとは言わないんだ」
「先輩と遊ぶ金なくなるほどはやらない」
「……ならいい」
「いいんだ」
「私もたまに行ってみたいし」
「マジ?」
「○○くんが何してるのか見たい」
「……」
「なに?」
「好き」
「急だなぁ」
*
付き合ってから分かったことがある。
谷口愛季という女は。
彼女になったら。
もっとヤバい。
「○○、お茶取って」
「……」
「○○?」
「……」
「聞いてる?」
「聞いてます」
休日。
俺の部屋。
ソファ。
愛季先輩。
短いショートパンツ。
ゆるいタンクトップ。
以上。
「……」
「何その顔」
「いや」
「お茶」
「はい」
冷蔵庫からペットボトルを取る。
渡す。
「ありがと」
受け取る。
何気なく伸びをする。
「んーっ……」
「……」
俺は天井を見た。
ダメだ。
見るな。
彼女だ。
彼女だけど。
だからって何でも許されるわけじゃない。
理性。
頑張れ。
「○○」
「はい」
「なんでさっきから私見ないの?」
「見たらダメな気がして」
「なんで?」
「服」
「服?」
「……無防備すぎません?」
愛季先輩が自分を見る。
「普通じゃない?」
「普通じゃないです」
「暑いもん」
「エアコン下げます」
「寒くなるじゃん」
「服着てください」
「やだ」
「……」
「なに?」
「めっちゃ襲いたい、どうしよう……」
「っ!?」
口に出てた。
愛季先輩の顔が一気に赤くなる。
「○○!」
「すいません!」
「ばか!」
「いやでもこれは先輩が悪い」
「なんで私!?」
「そんな格好で男の部屋にいるから」
「彼氏の部屋じゃん!」
「彼氏も男です!」
「……」
「……」
沈黙。
愛季先輩が。
ショートパンツから伸びる脚を少し縮める。
「……意識してるんだ」
「死ぬほどしてますよ」
「ふーん」
「何すか」
「別に」
「嬉しそう」
「嬉しくない」
「顔が」
「見ないで」
クッションを投げられた。
キャッチ。
そのまま隣へ座る。
「……近い」
「彼氏なんで」
「さっきまで逃げてたくせに」
「限界きました」
「なにそれ」
手を繋ぐ。
愛季先輩も握り返す。
「……あーり先輩」
「ん?」
「可愛い」
「知ってる」
「強くなったな」
「○○が毎日言うから」
「じゃあ今日も言います」
「うん」
「可愛い」
「ありがと」
「好き」
「……私も」
「キス」
「ん」
今では。
許可すら短い。
唇を重ねる。
一度。
二度。
三度。
「一回じゃなかった?」
「先輩から二回目きたじゃないですか」
「知らない」
「可愛」
「言うと思った」
笑う。
また抱きしめる。
俺の胸にすっぽり収まる身体。
頭を撫でる。
「……子供扱いしてる?」
「してないですよ」
「ほんと?」
「可愛がってる」
「同じじゃん」
「先輩なのに小さいんで」
「関係ないでしょ」
「しかもバイト中おでこ出してる時めっちゃ赤ちゃん」
「○○」
「はい」
「怒るよ」
「すいません」
「……でも」
「はい」
「○○になら、まあいい」
「……」
ぎゅう。
力を強める。
「苦しい」
「キューアグ発動しました」
「なにそれ」
「可愛すぎて潰したくなる」
「怖っ」
「もちろん潰しません」
「当たり前」
「ほっぺは?」
「やだ」
「彼氏なのに?」
「彼氏でもダメ」
「一回」
「やだ」
「五秒」
「そのくだり前もやった」
「三秒」
「……」
愛季先輩が俺を見る。
そして。
「……好きにしたら?」
「え」
「今日だけ」
両手を伸ばす。
もち。
「……」
もちもち。
「……あーり先輩」
「なに」
「無理」
「何が?」
「可愛い」
むに。
「ちょ、○○」
むにむに。
「やめっ……」
「可愛い」
「もう!」
そのまま愛季先輩が俺に飛びついてきた。
「うおっ」
ソファに倒れる。
愛季先輩が上。
顔が近い。
「……」
「……」
さっきまでのふざけた空気が。
消える。
「○○」
「はい」
「ほんとに私のこと好き?」
「めちゃくちゃ」
「どれくらい?」
「バイト行く理由の七割くらいあーり先輩」
「仕事しなよ」
「してますよ」
「大学は?」
「行ってます」
「煙草は?」
「減りました」
「パチンコ」
「今月行ってない」
「お酒」
「先輩と飲む時が一番楽しい」
「……よろしい」
保護者か。
だけど。
そんな愛季先輩が。
俺は好きだ。
「○○」
「はい」
「私ね」
「うん」
「○○のそういうちょっと危なっかしいところ、嫌いじゃないよ」
「ダメ男好きなんですか?」
「違う」
「璃花先輩が言ってました」
「あいつ……」
「優月先輩も頷いてました」
「あいつら……」
「でも」
腰に腕を回す。
「俺、先輩がいる限りそんなダメにはならない気がします」
「なんで?」
「止めてくれるから」
「……私が?」
「はい」
「ずっと?」
「ずっと」
愛季先輩が黙る。
「……それ」
「はい」
「プロポーズみたい」
「まだ大学二年なんで待ってください」
「分かってるよ」
「でも」
頬へ触れる。
「いつかは」
「……」
真っ赤になる。
「そういうのずるいっちゃ……」
また。
山口の言葉。
「キューアグ」
「やめて」
「無理」
抱きしめる。
「ちょっ、苦しいって」
「好き」
「分かった」
「めっちゃ好き」
「私も好きだから」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「調子乗らない」
「ケチ」
「……○○」
「はい」
愛季先輩が俺の頬を両手で挟んだ。
そして。
自分からキスをした。
長い。
今までより。
ずっと。
唇が離れる。
だけど距離は離れない。
額と額が触れる。
「……今日は」
愛季先輩が小さく言った。
「帰らんでも、ええ?」
「……」
心臓が跳ねた。
「それ」
「うん」
「意味分かって言ってます?」
「……分かっちょる」
完全に。
山口。
俺は愛季先輩を抱きしめる。
「……先輩」
「なに?」
「もう一回キスしていい?」
「何回でも」
唇を重ねる。
今度は簡単には離れなかった。
指を絡ませ。
抱きしめ。
何度も名前を呼んだ。
その夜。
いつものように俺を心配して、俺の世話を焼いて、俺を叱ってくれる一つ上の先輩は。
いつもよりずっと近くで。
俺にしか見せない顔を見せてくれた。
*
翌朝。
スマホが鳴った。
『生きてる?』
璃花先輩。
その下。
『愛季、昨日○○くん家行ったやろ?』
優月先輩。
なんで知ってるんだ。
俺は隣を見る。
愛季先輩が俺の布団にくるまって寝ている。
前髪はぐしゃぐしゃ。
頬が少し赤い。
完全に無防備。
「……」
可愛い。
俺はそっと頬へ指を伸ばした。
ぷに。
「……ん」
愛季先輩が薄く目を開ける。
「……○○?」
「おはようございます」
「……おはよ」
寝起き。
声低い。
可愛い。
「……何しよるん」
「ほっぺ」
「朝から?」
「朝だから」
「意味分からん……」
布団へ潜る。
「先輩」
「んー?」
「今日バイトですよ」
「何時?」
「夕方」
「じゃあまだ寝れる……」
「大学三年生とは思えない」
「○○」
「はい」
布団から手だけ出てきた。
「手」
「はい?」
「……繋いで」
「……」
キューアグ。
発動。
俺はその小さな手を握った。
「……強い」
「すいません」
「もうちょい弱く」
「はい」
「……ん」
愛季先輩がまた眠り始める。
俺はスマホを取った。
璃花先輩へ返信。
『生きてます』
即既読。
『愛季は?』
『寝てます』
三秒。
『女だけどわかる』
続いて。
優月先輩。
『くすぐりたいよね……』
俺は笑った。
確かに。
分かる。
めちゃくちゃ分かる。
だけど。
今はやめておこう。
昨日の夜から疲れて眠っている彼女を起こすのは可哀想だ。
代わりに。
握った手を離さない。
「……○○」
「起きてたんすか?」
「んー……」
半分寝ている。
「今日さ」
「はい」
「バイト一緒?」
「一緒です」
「……よかった」
「……」
「○○おるなら……行く……」
「……」
ダメだ。
無理だ。
この人。
可愛すぎる。
「先輩」
「んー?」
「抱きしめていい?」
「……聞かんでいいって言ったじゃん」
「じゃあ失礼します」
布団ごと抱きしめる。
「んっ……」
「可愛い」
「朝からうるさい……」
「好きです」
「知っちょる……」
「先輩は?」
「……好き」
小さな声。
「聞こえない」
「好き」
「もう一回」
「……大好き」
俺は天井を見た。
今日も。
谷口愛季が可愛すぎる。
多分明日も。
明後日も。
バイト中のでこ出し赤ちゃんモードでも。
プライベートの前髪あり大人モードでも。
俺の酒や煙草に口を出す保護者モードでも。
二人きりになると山口弁が出る彼女モードでも。
俺はこの人を見るたび。
キューアグを発動する。
そしてきっと。
「○○」
「はい」
「……今日、バイト終わったら何食べる?」
「先輩何食べたいです?」
「○○が作って」
「俺?」
「彼氏でしょ」
「彼氏って料理係でしたっけ」
「私がいつも面倒見てるんだから、たまにはいいじゃん」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
「よろしい」
――一生。
この小さな先輩には敵わないのだと思う。
「……あーり先輩」
「なに?」
「可愛い」
「朝から何回目?」
「知らないです」
「もう……」
そう言いながら。
愛季先輩は俺の胸へ顔を埋めた。
「……○○も、かっこいいよ」
「……」
「なに?」
「今度は俺がキューアグ被害者の会に相談してきます」
「やめて!」
今日も。
俺の彼女が可愛すぎる。
