『そろそろセックスしたい彼女とクソ鈍感彼氏の攻防戦』
「……天ちゃん」
「んー?」
「私、そんなに魅力ないのかな」
「…………は?」
昼下がりのカフェ。
向かいに座っていた山﨑天は、ストローを咥えたまま固まった。
守屋麗奈。
歩いているだけで男が振り返る。
知らない人から声をかけられることなど日常茶飯事。
可愛い。
綺麗。
美人。
そんな言葉は、本人が飽きるほど聞いてきた。
そして本人も、
「まあ、麗奈だからね♡」
と笑って返せるくらいには、自分の容姿が優れていることを理解している。
そんな女が今。
深刻そうな顔で言ったのだ。
――私、そんなに魅力ないのかな。
「いやいやいやいや」
天はストローから口を離した。
「誰が言うてんねん」
「麗奈」
「それは分かっとるわ」
「だって……」
麗奈は頬杖をつく。
唇が不満げに尖った。
「○○が全然手出してこないんだもん」
「…………あぁ」
天はすべてを察した。
「そっちか」
「そっち」
「キスは?」
「する」
「ハグ」
「する」
「家泊まったことは?」
「ある」
「何回?」
「……数えてない」
「ほな普通に仲ええやん」
「違うの!」
バン、と麗奈がテーブルを叩く。
周囲の客が振り返った。
麗奈は慌てて頭を下げる。
そして声を潜めた。
「……その先がないの」
「あー……」
「付き合ってもう半年だよ?」
「半年かぁ」
「麗奈だって……その……」
麗奈が珍しく言葉に詰まる。
頬が少し赤い。
天がニヤッとした。
「したいん?」
「…………」
「麗奈ちゃん、○○としたいん?」
「天ちゃん」
「はい」
「楽しんでるでしょ」
「めっちゃ」
「もうっ」
麗奈は顔を赤くしてアイスティーを飲んだ。
しかし否定はしなかった。
つまり。
そういうことである。
「……したいよ」
小さく呟く。
「好きなんだもん」
「知ってる」
「すっごく好き」
「それも知ってる」
「ずっと一緒にいたい」
「重いなぁ」
「だから早く既成事実作りたい」
「急に怖い怖い怖い」
天が両手を上げた。
「待って。言い方よ」
「だって本当にそうなんだもん」
麗奈は至って真剣だった。
「○○って格好いいでしょ?」
「まあな」
「優しいし」
「せやな」
「料理できるし」
「うん」
「変なところ真面目だし」
「分かる」
「あと麗奈のこと大好き」
「最後自分で言うんや」
「本当だもん」
そこには一切の疑いがない。
事実、○○は麗奈を大切にしている。
そもそも二人が出会ったきっかけは天だった。
天が地元を離れて上京してから知り合った後輩。
それが○○。
たまたま麗奈と天が一緒にいるところへ○○がやってきた。
天が、
『こっち守屋麗奈。めっちゃ可愛いやろ?』
と紹介した。
大抵の男ならそこで緊張する。
あるいは必要以上に麗奈を持ち上げる。
ところが○○は、
『あ、天さんからよく聞いてます。守屋さんですよね。○○です。よろしくお願いします』
それだけだった。
麗奈は衝撃を受けた。
――え?
終わり?
可愛いって言わないの?
こっち見て緊張しないの?
麗奈だよ?
後になって聞けば、もちろん○○も麗奈を見た瞬間、
『めちゃくちゃ綺麗な人だな』
とは思っていたらしい。
ただ、それと態度を変えることは別だった。
麗奈を特別扱いしない。
必要以上に持ち上げない。
でも雑にも扱わない。
一人の人間として対等に接する。
それが。
守屋麗奈という女には、とんでもなく効いた。
そこからは早かった。
連絡先を聞いた。
麗奈から誘った。
麗奈からデートに連れ出した。
麗奈から距離を詰めた。
最終的には麗奈から告白寸前まで追い込み、ようやく○○が告白した。
そして今。
完全に沼である。
「……なのに」
麗奈は呟いた。
「○○、全然そういうことしてこない」
「大事にされてるんちゃう?」
「それは分かってるよ」
「ほなええやん」
「よくない」
即答だった。
「麗奈は大事にされた上で襲われたいの」
「言い切ったな」
「彼氏だよ?」
「彼氏やな」
「麗奈の彼氏」
「はいはい」
「つまり麗奈には○○を誘惑する権利がある」
「どんな理屈やねん」
「というわけで」
麗奈がスマホを取り出した。
「今日、○○が家に来ます」
「……まさか」
「天ちゃん」
にっこり。
天は嫌な予感しかしなかった。
「作戦会議しよ♡」
「帰ってええ?」
「だめ♡」
「ですよねー……」
こうして。
守屋麗奈による、
――彼氏をどうにかその気にさせよう大作戦。
その第一回作戦会議が始まった。
◇
午後七時。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
麗奈は鏡を見る。
よし。
髪。
よし。
メイク。
よし。
部屋。
完璧。
服装。
――完璧。
今日の麗奈はいつもの部屋着とは少し違った。
露骨ではない。
むしろ一見普通。
ただ、○○の好みを完全に理解して選んだ服だった。
これなら絶対に意識する。
天のお墨付きでもある。
麗奈は玄関へ向かった。
「はーい♡」
ドアを開ける。
「お疲れさ――」
○○の言葉が止まった。
麗奈は心の中でガッツポーズ。
ほら。
見た。
絶対見た。
「……どうしたの?」
あえて首を傾げる。
「いや」
○○は視線を逸らした。
「今日、なんか可愛いなって」
――勝った。
麗奈の脳内で鐘が鳴った。
「今日“は”?」
「今日“も”です」
「ふふっ」
「揚げ足取らないでくださいよ、麗奈さん」
外ではこれ。
麗奈さん。
緩い敬語。
これも好き。
だけど。
麗奈にはもっと好きなものがある。
○○が玄関へ入る。
ドアが閉まる。
完全に二人きり。
その瞬間。
「麗奈」
呼び方が変わった。
――これ。
麗奈はこれに弱い。
「ただいま」
「…………」
「麗奈?」
「……おかえり」
「なんでちょっと顔赤いの」
誰のせいだと思っているのか。
麗奈は○○の袖を掴んだ。
「○○」
「ん?」
「もう一回呼んで」
「何を?」
「名前」
「麗奈」
「もう一回」
「麗奈ちゃん」
「…………好き」
「急だな」
○○が笑う。
そして麗奈の頭を撫でた。
「俺も好き」
ずるい。
こういうことは平然とやる。
麗奈がどれだけ自分を好きなのか理解しているくせに。
……いや。
理解していないからこうなのだ。
「ご飯食べる?」
「食べる」
「麗奈作ったよ」
「マジ?」
「うん♡」
「やった」
○○が素直に喜ぶ。
麗奈はその顔を見ながら思う。
――今日こそ。
今日こそ絶対。
進展させる。
◇
第一作戦。
――密着。
ソファに座る○○。
麗奈は最初、普通に隣へ座った。
テレビを見る。
十分後。
少し近づく。
○○は気づかない。
さらに十分後。
肩を触れさせる。
気づかない。
五分後。
腕を絡める。
「ん?」
ようやく反応。
麗奈は○○の肩に頭を預けた。
「……眠い」
嘘である。
目は冴え渡っている。
「寝る?」
違う。
そうじゃない。
「まだ寝ない」
「じゃあこのまま見る?」
「うん」
麗奈はさらに密着した。
身体を寄せる。
○○の腕に抱きつく。
さすがに意識するはず。
「…………」
○○が黙った。
麗奈の口元がわずかに上がる。
――来た。
「麗奈」
低い声。
「ん?」
「寒い?」
「…………」
「エアコン下げようか?」
「違う」
「え?」
第一作戦。
失敗。
◇
第二作戦。
――お風呂。
もちろん一緒に入ろうなどとは言わない。
まだそこまで大胆にはなれない。
問題は風呂上がり。
麗奈はいつもより少しだけ時間をかけて髪を乾かした。
スキンケア。
香りも確認。
そしてリビングへ。
○○はスマホを見ていた。
「○○」
「んー?」
「お風呂空いたよ」
顔を上げる。
一秒。
二秒。
三秒。
止まった。
麗奈は内心ほくそ笑む。
今度こそ。
「麗奈ちゃん」
「なぁに?」
「髪ちゃんと乾かした?」
「…………」
「まだちょっと濡れてるじゃん」
○○が立ち上がった。
「風邪引くよ」
「……うん」
「ドライヤー持ってきて」
「……はい」
麗奈は完全に不服だった。
数分後。
ソファの前。
麗奈は床へ座り、○○が後ろから髪を乾かしている。
「熱くない?」
「大丈夫」
「ここまだ濡れてる」
「うん」
優しい手つき。
丁寧に髪を乾かしてくれる。
……好き。
普通に好き。
めちゃくちゃ好き。
麗奈は膝を抱えた。
これはこれで幸せだから困る。
ドライヤーが止まる。
「できた」
「ありがとう」
振り返る。
距離が近い。
○○の顔。
麗奈はそのまま見上げた。
「○○」
「ん?」
「……キスして」
○○が少し目を見開く。
「急だな」
「したい」
「…………」
麗奈は目を閉じた。
唇が重なる。
一度。
離れる。
麗奈は目を開けた。
「もう一回」
「はいはい」
「“はい”は一回」
「めんどくさ」
「彼女にめんどくさいって言った」
「可愛い可愛い」
「適当」
言いながら、またキス。
今度は少し長い。
麗奈の手が○○の服を掴む。
離れそうになると追いかける。
「……麗奈」
「ん……」
また重なる。
麗奈は○○の首へ腕を回した。
そのまま身体を寄せる。
○○の手が麗奈の腰に触れた。
――来た。
今度こそ。
麗奈の心臓が速くなる。
恥ずかしい。
でも嬉しい。
もっと触れてほしい。
もっと近づきたい。
麗奈がもう一度唇を重ねようとした、その時。
○○が止まった。
「麗奈ちゃん」
「……なに?」
「もう遅いし寝よっか」
「…………」
「明日も朝早いでしょ?」
「…………」
「麗奈?」
「…………ばか」
「え?」
第二作戦。
失敗。
◇
翌日。
「ぶっはははははは!」
「天ちゃんうるさい!」
「いや無理やって!」
天は腹を抱えて笑っていた。
「髪乾かされて終わったん!?」
「キスもした!」
「そこちゃうねん!」
「結構いい感じだったんだから!」
「で、寝よっかって?」
「…………うん」
「健康優良児すぎるやろ!」
「もう!」
麗奈がクッションを投げる。
天が受け止める。
「でもさ」
笑いながら天が言った。
「○○、我慢してるだけちゃう?」
「我慢?」
「そら麗奈みたいなんが密着してきて何も思わん男おらんやろ」
「……じゃあなんで?」
「大事にしたいんやろ」
麗奈は黙った。
「○○ってそういう奴やん」
それは。
分かっている。
○○は麗奈を大事にしている。
大切だから慎重になる。
麗奈の気持ちを勝手に決めつけない。
それは、麗奈が○○を好きになった理由そのものでもある。
「……でも」
「でも?」
「私だって○○を大事にしたい」
麗奈は小さく言った。
「○○だけが私を大事にするんじゃなくて……私も同じくらい○○を好きでいたい」
天の笑みが少し柔らかくなった。
「だったら」
「うん」
「もう作戦とかやめたら?」
「え?」
「ちゃんと言えばええやん」
天はクッションを麗奈へ返した。
「麗奈がどうしたいか」
「…………」
「○○が鈍感なんは今さらやろ?」
「……うん」
「察してほしいは無理やで」
「……うん」
「言わな分からん」
麗奈はクッションを抱きしめた。
しばらく考える。
そして。
「……分かった」
顔を上げた。
「言う」
「お」
「ちゃんと言う」
「頑張れ麗奈ちゃん」
「うん」
麗奈は頷いた。
「その代わり天ちゃん」
「ん?」
「もし失敗したら慰めてね」
「何をどう失敗すんねん」
◇
数日後。
○○の部屋。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ」
麗奈が靴を脱ぐ。
今日は○○の家だった。
麗奈は何度も来ている。
泊まったこともある。
だから緊張する場所ではない。
……はずだった。
「…………」
「麗奈?」
「なに?」
「なんで玄関で固まってんの?」
「固まってない」
「固まってるじゃん」
「うるさい」
「なんで怒られた?」
○○が首を傾げる。
麗奈は深呼吸。
今日は言う。
天にも宣言した。
逃げない。
○○の部屋へ入る。
夕食。
テレビ。
いつもの時間。
いつもの二人。
だからこそ。
麗奈は何度もタイミングを逃した。
――今?
いや。
――今かな。
違う。
――今なら。
無理。
結局、時計は十一時を回った。
「麗奈」
「ん?」
「今日泊まるよね?」
「……うん」
「パジャマ前の置いてあるよ」
「うん」
「先風呂入る?」
「…………○○」
「ん?」
来た。
今しかない。
麗奈はテレビを消した。
「ちょっとこっち来て」
「いるじゃん」
「もっと」
○○が近づく。
「もっと」
「え?」
「ここ」
麗奈が自分の隣を叩いた。
○○が座る。
近い。
麗奈は横を向いた。
「○○」
「はい」
「……麗奈のこと好き?」
「好きだよ」
即答。
ずるい。
「どれくらい?」
「どれくらいって……」
○○が少し考える。
「ずっと一緒にいたいくらい」
麗奈の胸が跳ねた。
「…………」
「何その顔」
「知らない」
「自分で聞いたじゃん」
「○○が悪い」
「理不尽だなぁ」
笑う○○。
麗奈はその手を握った。
指を絡める。
「私も」
「うん」
「ずっと一緒にいたい」
「うん」
「だから……」
言え。
言うんだ、麗奈。
普段なら何でも言える。
好きも。
格好いいも。
抱きしめてほしいも。
キスしてほしいも。
なのに。
その先の一言だけが、どうしても喉につかえる。
「だから?」
○○が待っている。
麗奈は真っ赤になった。
「…………もっと」
「もっと?」
「もっと……恋人っぽいこと、したい」
「恋人っぽいこと?」
「だから!」
声が大きくなる。
「……もうちょっと、先に進みたいの」
○○の表情が止まった。
ようやく。
ようやく伝わった。
「…………」
「…………」
沈黙。
麗奈は耐えられなくなって視線を逸らした。
「なんか言ってよ」
「いや……」
○○も珍しく困っていた。
「まさか麗奈から言われると思わなくて」
「なんで?」
「そういうの急がないタイプだと思ってた」
「誰が?」
「麗奈が」
「なんで?」
「なんとなく」
「…………」
麗奈の頬が膨らむ。
「じゃあ今まで」
「うん」
「麗奈がいっぱいくっついたり」
「うん」
「泊まりに来たり」
「うん」
「いつもより可愛い服着たり」
「それは気づいてた」
「お風呂上がりにずっと近くにいたり」
「うん」
「キスいっぱいしたり」
「うん」
「全部」
麗奈は睨んだ。
「何だと思ってたの?」
「甘えたい日なんだなって」
「…………」
「…………」
「天ちゃんの言った通りだ」
「何が?」
「クソ鈍感」
「酷くない?」
「酷くない!」
麗奈は○○の胸をぽこぽこ叩いた。
「麗奈頑張ったのに!」
「ごめんごめん」
「寒いのって聞かれた!」
「だってめちゃくちゃくっついてきたから」
「違うもん!」
「髪濡れてたし」
「あれも違う!」
「何が?」
「もう知らない!」
麗奈はそっぽを向いた。
○○が笑う。
「麗奈ちゃん」
「知らない」
「こっち向いて」
「やだ」
「麗奈」
「…………」
また。
それ。
家でしか呼ばれない。
その呼び方。
麗奈が大好きなやつ。
ずるい。
「……なに」
振り返った瞬間。
頬に手が触れた。
○○が近づく。
唇が重なった。
「…………」
いつもより長い。
麗奈は目を閉じた。
握っていた手に力が入る。
一度離れる。
でも。
今度は麗奈から近づいた。
もう一度。
キス。
離れて。
額が触れそうな距離。
「……麗奈」
「ん……」
「俺も考えてなかったわけじゃないよ」
「……ほんと?」
「そりゃ」
○○が困ったように笑う。
「好きな人だから」
その一言だけで。
麗奈の心臓がまたうるさくなる。
「じゃあなんで……」
「怖かったから」
「何が?」
「麗奈が嫌だったら嫌じゃん」
「…………」
「俺が勝手に先走って、麗奈に嫌な思いさせる方が嫌だった」
麗奈は何も言えなくなった。
本当に。
この男は。
こういうところだ。
麗奈を美人だから大事にするわけじゃない。
年上だからでも。
彼女だからでもない。
麗奈が麗奈だから大事にする。
麗奈の気持ちを置いていかない。
だから好きになった。
どうしようもなく好きになった。
「○○」
「ん?」
「好き」
「知ってる」
「大好き」
「俺も」
「ほんとに?」
「ほんとに」
麗奈は○○の胸に顔を埋めた。
「……じゃあ」
声が小さくなる。
「今日は……帰さないで」
○○の身体が固まった。
麗奈にも分かった。
「…………麗奈ちゃん」
「なに?」
「それ意味分かって言ってる?」
麗奈は顔を上げた。
少し恥ずかしい。
でも。
今度は逃げない。
「分かってる」
「…………」
「○○とだから言ってるの」
沈黙。
今度は麗奈が待つ番だった。
○○が麗奈の頬に触れる。
「本当にいい?」
麗奈は頷いた。
「うん」
「途中で嫌になったら」
「ちゃんと言う」
「絶対?」
「絶対」
「無理しない?」
「しない」
「約束」
「うん」
麗奈は少し笑った。
「……やっぱり○○だね」
「何が?」
「こういう時まで真面目」
「大事なことだから」
「そういうところ好き」
「ありがとうございます」
「なんで敬語なの」
「照れてるから」
麗奈が吹き出した。
「ふふっ」
「笑うなよ」
「○○も照れるんだ」
「そりゃ照れるよ」
「顔赤い」
「麗奈も赤い」
「麗奈は可愛いからいいの」
「自分で言う?」
「言う♡」
いつもの麗奈だ。
○○も笑った。
その空気に安心して。
麗奈はもう一度、○○へ身体を寄せる。
「ねえ」
「ん?」
「○○からして」
「何を?」
「…………」
麗奈の目が細くなった。
「やっぱりクソ鈍感」
「いや分かってるって」
「じゃあ聞かないで」
「はいはい」
「“はい”は一回」
「はい」
「よろしい」
笑い合って。
また唇が重なった。
今度はもう、どちらからともなく。
いつもより少し長く。
いつもより少し近く。
そして。
いつもより少しだけ、その先へ。
その夜。
二人の部屋の灯りが消えたのは、いつもよりずっと遅かった。
◇
翌朝。
カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
麗奈はゆっくり目を開けた。
「…………」
隣。
○○が寝ている。
麗奈はしばらくその寝顔を見つめた。
そして。
ふふ。
口元が勝手に緩む。
幸せ。
ものすごく幸せ。
麗奈は布団の中で少し近づいた。
○○の胸へ額を寄せる。
すると。
「……麗奈ちゃん」
「起きてたの?」
「今起きた」
眠そうな声。
「おはよ」
「おはよう」
○○が麗奈の頭を撫でる。
麗奈は目を細めた。
「ねえ」
「ん?」
「昨日のこと後悔してる?」
○○が少しだけ目を開いた。
「してないよ」
「ほんと?」
「麗奈は?」
「してない」
即答。
「むしろ」
「むしろ?」
麗奈はぎゅっと抱きついた。
「もっと好きになった」
「……それなら良かった」
「○○」
「ん?」
「麗奈って呼んで」
「麗奈」
「もう一回」
「麗奈」
「ちゃんも」
「麗奈ちゃん」
「ふふっ」
「朝から何?」
「好きだなぁって」
「俺も好きだよ」
「…………」
麗奈はしばらく黙った。
そして。
「○○」
「んー?」
「もう逃げられないからね」
「何から?」
「麗奈から」
「逃げる予定ないけど」
「ほんと?」
「うん」
「一生?」
寝起きで投げる質問ではない。
それでも○○は少し笑った。
「できれば」
麗奈の眉が下がる。
「できれば?」
「一生がいいな」
「…………」
麗奈は布団を頭まで被った。
「何してんの?」
「無理」
「何が?」
「好きすぎる」
布団の中から声がする。
○○が笑った。
「麗奈ちゃん」
「なに」
「顔見せて」
「今無理」
「なんで?」
「絶対可愛くないから」
「麗奈が?」
「……なにその言い方」
「いつも自分で超絶美少女って言ってんじゃん」
布団から目だけが出た。
「○○もそう思う?」
「思うよ」
「…………」
また隠れた。
「麗奈?」
「今日だめ」
「何が?」
「○○が麗奈の好きなことばっかり言う」
「知らないよ」
「責任取って」
「どうやって?」
麗奈は少しだけ布団から顔を出した。
そして。
○○を見つめる。
「ずっと傍にいて」
一瞬。
○○が目を細めた。
「それでいいなら」
麗奈の頭を撫でる。
「喜んで」
「…………」
麗奈は○○の胸へ飛び込んだ。
「好き」
「うん」
「大好き」
「うん」
「世界で一番」
「それはどうも」
「○○は?」
「何が?」
「麗奈のこと世界で一番好き?」
「比較するものじゃなくない?」
「そういう正論いらない」
「じゃあ一番」
「適当!」
「面倒くさいなぁ」
「彼女に面倒くさいって言った!」
朝から騒がしい。
でも。
そんなやり取りすら愛おしい。
○○は麗奈を特別扱いしない。
美人だからと持ち上げない。
麗奈が拗ねれば普通に面倒くさいと言う。
間違っていれば注意する。
意見が違えば喧嘩もする。
そのくせ。
誰よりも麗奈を大切にしてくれる。
――対等に、一人の女性として。
だから。
麗奈は今日も。
どうしようもないくらい、この男が好きなのだ。
◇
数時間後。
天のスマホが震えた。
《麗奈》
嫌な予感がする。
恐る恐る開く。
『天ちゃん』
『うん』
『勝ちました』
「…………」
天は真顔になった。
意味は聞かなくても分かる。
『何にやねん』
数秒後。
返信。
『鈍感彼氏攻略戦♡』
天は天井を見上げた。
そして。
『はいはい、おめでとうございます』
送信。
即座に既読。
さらにメッセージが届く。
『あとね』
『何』
『○○が朝から麗奈っていっぱい呼んでくれた』
『よかったな』
『麗奈ちゃんとも呼んでくれた』
『いつものことやろ』
『昨日より破壊力上がってた』
『知らんがな』
『あとずっと一緒にいるって♡』
『はいはい』
『一生だって♡』
『はいはいはい』
『麗奈、絶対○○と結婚する』
「…………」
天はスマホを置いた。
十秒後。
また震える。
『天ちゃん?』
無視。
『天ちゃーん』
無視。
『既読ついてるよ?』
「うっさいなぁ!」
天はスマホを掴んだ。
『朝から惚気んな!!!!』
送信。
数秒後。
麗奈から返ってきた。
『だって幸せなんだもん♡』
天は大きくため息をついた。
ただ。
その口元は少し笑っていた。
そもそも。
二人を引き合わせたのは自分なのだ。
最初から分かっていた。
麗奈は○○みたいな男に弱い。
○○もきっと、麗奈みたいな女に弱い。
だから紹介した。
結果。
予想以上に麗奈が沼へ落ちただけである。
「……まあ」
天は呟いた。
「お幸せに」
そして数秒後。
再びスマホが震えた。
『ところで天ちゃん』
『今度は何』
『次の作戦会議なんだけど』
『まだやるん!?』
どうやら。
守屋麗奈とクソ鈍感彼氏の攻防戦は。
これからも、しばらく続くらしい。
