レフト イズ ライト 令夫人の忘れもの あるいは 裏切られた世代 Betrayed Generation 第五話(最終話)
(創作大賞2025応募作品)
(第一話はこちらです)
令夫人は意を決したのか、ぼくら三人を部屋に入れてくれた。座布団などはなく、三人はそれぞれ段ボールの床にぎこちなく座った。予想していた臭いはなく、きれいに片付いている。お茶は出てこない。お茶はあっても、客用の湯呑茶碗を三脚は持ちあわせていないだろうから当然だ。
ぼくは話を始めた。毎年 令夫人への接遇を楽しみにしているホテリエもいるが、この二年間は宿泊がなかったこと、忘れ物の主は既に存在しない住所を書いていたこと、公衆電話からしか予約がないこと、そして、晴れている日にしか姿を見せないことなど。こうしたことが謎になっていると説明をした。また、樺沢さんが「私は実はホテリエなんです」
と言うと、令夫人は ひどく驚いていた。樺沢さんも神野さんも保安担当なので、お客様と接する機会が多くはない。だから、これまでホテルで令夫人と顔を合わせたことがなかったのだろう。
令夫人はとまどって あれこれと考えを巡らしているようだったが、
「そうですね。ホテルの方たちから見れば謎なのかもしれませんね」
と言って、思案しているようだった。令夫人が自分では説明しがたいようだったので、ぼくが代わりに推察を話してもいいだろうかと訊くと、彼女は静かに頷いた。
「まず 晴れている日にしか姿をお見せにならないのは、傘に問題があるからですね。実は先日お弁当を届けた時に、ぼくも一緒にいたんです」
ぼくがそう言うと、令夫人は驚いた表情をした。
「お顔を見たわけではありません」
言ってから、ハッとして神野さんを見ると、いつものように冷たい目でこちらを見ているのだった。神野さんが言いたいことはわかる。どうせ 顔を見たところで憶えていないだろう だ。
「それで その時にちらっと部屋の中が見えまして 破れた傘が目に入ったんです」
令夫人は「これですね」とすこし恥ずかしそうに俯くと、近くにある赤い傘に左手を置いた。
「雨が降れば、その傘を差さないといけません。けれど、それでは二つ問題が起きてしまう。一つは雨に濡れてしまうこと。つまり、お着替えが必要になるということです。あなたはいつも一泊しかしません。チェックインする時とチェックアウトする時の格好が同じ人はよくいます。だからホテリエはそんなことは気にしません。部屋では部屋着を着ているのだろうと想像するだけです。そして あなたはチェックインした後は レストランで早めの夕食を取ってしまう。それから部屋に上がります。その後は チェックアウトまでホテリエと顔を合わせることはありません。朝食を食べないゲストは結構いらっしゃいますし、自分で用意したものを食べたのかもしれない。ホテリエはそうしたこともあまり気にしません。特に毎年のことともなれば」
令夫人はそこまで調べたのかという表情をしていた。実際、ホテルの記録を遡って 初めてのご利用から今年のことまで ゲストの行動を調べることは記憶力のいい先輩もいたことで簡単だった。
「ですが、雨に濡れた服を着替えずにレストランへとなると、ホテリエは気にします。着替えてほしいとも思うものです。あなたはそれを知っているから、雨の日には来ないのでしょう。失礼ですが、お着替えがないからだと思います」
令夫人はふうっと息を吐くと、頷いた。
「それから、もちろんその傘をホテリエに見られるわけにもいかなかった」
「ええ。わたくしは自分が令夫人とあだ名されていることを存じていました。わたくしのことをそんな風に誤解していただけるのはとってもありがたく嬉しいことだったのです。わたくしとしては、せめてホテルにふさわしい格好をと思っていただけなのですけれど、」
「あなたは この18年間 欠かさずにホテルをご利用になっています。そして、いつも同じ格好だと聞いています。ただ、それが大変似合っていて気品があるということで、ホテリエの方もいつもの格好だと安心していたというか 期待通りだったと聞いています」
「それは わたくしには願ってもないことです。あの紫陽花の柄のワンピースはわたくしが人生で初めて心から欲して手に入れた服なのです。それでも毎年同じ格好なんてと 実は内心不安になっておりました」
「あのワンピースがお泊りになれる唯一の服なので、梅雨ではありますが、これまでは初夏に当ホテルをご利用になっていたのですね? 他の季節では紫陽花とは合いませんから。そして、日傘もお持ちになっていないので、もっと陽射しの強くなる季節というわけにもいかなかったのだと思います。今日、お伺いしたのは、紫陽花の季節が過ぎてしまうと、お客様が忘れ物を取りに来るタイミングを逃してしまうと気付いたからなのです。私生活に立ち入るようなことをして、本当に申し訳ありません」
令夫人は首を振っている。
ぼくはすこし間をおいて、令夫人が不快そうな表情をしていないことを確認すると話を続けた。
「察するに、18年前にはすでにぎりぎりの生活だったのではないでしょうか。それで この二年間はご宿泊がなかったことを考えると、そのころから公園でお暮しになっているのではないでしょうか。これは 当ホテルの氷見という図書室で仕事をしているホテリエがいるのですが、彼が公園に本を置き始めた時期とも重なるのです」
令夫人は小さく頷いた。その表情は落ち着いていた。ぼくは話を続けていいようだった。
「彼は他の公園にも本を置いているのですが、たいてい文庫本一冊なのです。そしてベンチの右側に置くんです。これは世間に多い右利きの人たちに向けて置かれたものです。ですが、この公園のベンチにだけは、数冊の単行本を左側に置いている。このことからわかるのは、彼は誰か特定の人間、しかも左利きで、本の好みを知っている人間を念頭に置いているということです」
「ええ。氷見さんとは、ホテルに泊まる折りには必ず図書室に立ち寄って あれこれと本の話をしたものです。わたくしがこの公園で暮らすようになった二年前からは この小屋から近いベンチに本が置かれるようになりました。わたくしもベンチに座ると左側に本が置いてあること、そして、わたくしの好みの本であることに気付きました。おそらく 氷見さんは どこかでわたくしが歩いているところでも見かけたのでしょう。そして顔を合わせると恥ずかしいだろうと考えて 置いて下さったのでしょう。彼の優しさですわね」
令夫人はすこし微笑んでから話を続けた。
「特に先日読んだ『不平等の再検討』という本は、いまのわたくしの状況を考えて置いて下さったのでしょう。家庭環境や大学を卒業した時の社会の景気に対して、わたくしはどうしてという思いがあったのです。今も積極的に仕事を探しておりますし、まだあきらめてはおりません。ただ、雇ってくださるところがありません。役所の方にも伺って、生活保護の相談をいたしました。けれど、病気でもなく、仕事もできるだろうとおっしゃるばかり。そして、姉夫婦にわたくしの支援をできないかどうか照会する必要があるという話が出ました。さすがにそれは耐えられませんでした。今の苦境を知られても構わないという方は、最初からこのような状況に陥らないのです。あの方たちはそうしたことがお分かりにならないのです。わたしくは以前から公園に暮らしている方の支援をしてまいりましたが、その方々の苦境の原因や理由に関しては考えたこともなく、また自分がこうなるかもしれないとも思ったことはございませんでした。ただ、困っている方を助けたいと思っていただけでした。けれど、今回、本を読んで、家庭や世代の環境だけではなくて、能力のあるなしや、努力することしないことも含めて、その人の自由ではないということに気づかされました。環境がいいのにうまくいっていない方もいらっしゃいます。けれど、その責めをその方に負わせるべきではないと思ったのです」
令夫人はふと付け加えて言った。
「わたくしは一日しか宿泊しないので、実はホテルで本をお借りしたことはないのです。それなのに、なぜでしょう。わたくしが読み終えるころになると、またわたくし好みの新しい本が置かれているの。不思議ね」
令夫人は優しい目で遠くをじっと見つめた。そうか 氷見さんも優しい人なのだ。ぼくは令夫人の言葉でそのことを知った。そうして しばらく時間が経ったので、ぼくは話を引き取った。
「残りの謎ですが、公衆電話からしか予約がないことも、端末の契約や維持には費用がかかるということでしょうし、また 住所がないからということなのでしょう。チェックインの住所も既に存在しない住所でしたし」
「ええ そうですね。端末にはお金がかかりますから、持つことは叶いません。仕事探しにも差し支えるのですけれど。困ったものですね。お金がないとお金を稼ぐ手段も見つからないだなんて」
それが資本主義のおかしなところだとは思ったが、話が広くなりすぎるので、口には出さなかった。すると、樺沢さんが深く頷いて言った。
「資本主義っておかしなものですね」
すこしの間 ぼくは固まった。
「住所は実家のあったところでしたの。ただ、今では合併して地名が変わってしまいました」
令夫人は そう寂しそうに言った。つまり、初めての宿泊の時には存在した住所だった。その時には嘘ではなかった。
「ザ レフト ホテル神山ともなれば、たとえ忘れ物をしたとしても、そちらの住所に連絡をするなどということはございませんでしょう? それを見越して わたくしは あの住所を書いたのです。まさか本当に忘れものをするだなんて思ってはいませんでしたけれど」
なにか問題が起きないかぎりは、その住所が存在するかどうかを ホテルが調べることはまずない。そして、それが小さな地方都市ともなれば、名前が変わったとしても気付かれることはまずはない。
「毎年一回、自分への贈り物として宿泊していたんです。どんな生活をしていても、あのホテルにだけは泊まろうと。そうすることで、自分はまだ大丈夫 社会に戻れると思いたかったのだと思います。ただ、この二年はカフェ利用をするのがせいぜいになってしまいました」
「なぜザ レフト ホテル神山をお選びいただいたのですか? 差支えがなければ教えていただけませんか?」
いつしか令夫人は ブレスレットを固く握りしめていた。彼女はブレスレットに視線を落とすと 言った。
「母の形見です......私の人生を奪った憎い母のものなのですけれど、これはなぜだか手放せなかったのです」
ザ レフト ホテル神山を選んだのも母との思い出なのだろうか。訊くと母親も左利きなのだと言う。
「わたくしとは考え方も行動も顔立ちさえも似ているところはほとんどない人でした。けれど、そこだけは、むしろそこだけでしょうか 左利きのホテルがあったらという話をしたことがあったんです。母との間で親密な時間というとあの会話を思い出すのです。それでなのかもしれません」
その後、令夫人はやや鼻にかかったよく通る声で生い立ちから話し始めた。
-Betrayed Generation 2-
「母には わたくしが子どものころから勉強勉強と追い立てられていたのです。それで、友達と遊ぶのも駄目、学校や塾の帰りの寄り道も駄目と、こうなんです。そういうわけで、学校で話すくらいの人には困らないけれど、大学に入るまで友達と言えるような人はただの一人もいませんでした。だから、周りの人が羨ましかったものです。それがたとえ高校生なのに先生に隠れてお酒を飲みに行くなんていう話が漏れ聞こえてきた時でも まぶしく見えたものです。わたくしは子どものころから一日たりとも遅刻も早退も欠席もせず、毎日毎日、学校に、塾にとせっせと通いました。本当は子どものころにしか経験できないことが たくさんあったと思うのです。今では取り返しがつきませんけれど。それもこれも有名な大学さえ出ておけば人生は安泰だと 繰り返し繰り返し両親から言われていたからなのです。それが本当かどうかはわかりません。けれど、親がそう言う以上、逆らうことなんてできません。子どもですから。わたくしの両親はすこし古い人で、遅くに結婚したということもあったので、同級生の親よりもかなり歳がいっていたんです。だから、丁稚や奉公なんていう いまでは映像の中でしか聞かないような言葉も普段から使っていたんです。わたくしに対してもそうでした。テストが100点ではなかったり、通知表がオール5でなかったり、生徒会長の選挙で選ばれなかったりすると、決まって、そんなんじゃあまともな大学になんて行けっこない。もう女中働きに出すしかないなんて言うんです。それが子ども心に怖くて怖くて。今でも女中という言葉を聞くと、地獄をイメージしてしまうんです。もちろん、いま冷静になって考えれば、オール5でなくとも、生徒会長でなくとも、有名な大学に行くことくらいはできるとわかります。けれど、子どものころは、有名な大学に行かなければ、地獄というイメージが頭にこびりついていました。それもあって必死に勉強したのだと思います。世の中はバブルで、大人がずいぶん浮かれていた時代でしたが、私は脇目も振らず ただ懸命に勉強をしていたんです。その甲斐あって、東京の有名な大学に合格しました。この時は嬉しいというよりも、ほっとしたという心持ちが正直なところでした。これで地獄から逃れられる。女中奉公に出なくて済む。そう思ったんですね。けれど、時代は私に味方しませんでした。実は私がそうやってテキストとにらめっこをしていた高校生のころ、バブル経済がはじけていたんです。ですから私が大学生になった時には、既に不景気に入っていました。私はそんなことには気づきもしませんでした。何しろ勉強以外のことはまるでわからないんです。実家から大学に長い時間をかけて通っていたので、生活費はそんなにはかかりません。けれど、いくらか自由になるお金も欲しいと思いました。当時から大学生のアルバイトと言えば、塾か家庭教師ということで、私は迷わず塾を探しました。私はお話ししたような親の元で育てられましたから、世の親御さんという存在は苦手だったのです。それで家庭教師は頭から避けていました。けれど、有名大学の学生なのに、塾のアルバイトが10社、20社と回っても決まりません。なぜだろうとは思いましたが、まさか不景気だからとは思いつきもしなかったんです。せいぜい東京大学くらいでないと駄目なのだろうかと思ったくらいです。結局、当時の最低賃金で、全国展開をしている塾で雇われたのですが、交通費も出ませんでしたし、その日の仕事が決まるのが当日ということだったので、他の予定も立てられず、しばらくして辞めました。この時に気付いたことですが、私は仕事を終えて外が暗いと死にたくなってしまうのです。おそらく子どものころの学校と塾通いに原因があるのでしょう。もちろん寄り道も禁じられているのですが、塾が終わると外が暗いので、その後は家に帰って学校の宿題と塾の宿題をするだけなんです。今日もまた一日が勉強だけで終わってしまったという 虚無と言うのでしょうか。なにかそうした感覚に囚われてしまうんです。アルバイトを辞めても、幸い実家暮らしですから、何とか生活はできたのです。そうこうして大学も三年生になると就職活動が始まります。この時も有名な大学だから何とかなるだろうと思っていました。有名な大学に入れば安泰だと、子どものころから繰り返し言われて育てられてきたので、まだそれを信じていました。この時もたいして企業研究などもせず、大手の有名な企業に片端から応募しました。どの業界が自分に合っているのかなども考えませんでした。人生で自分で何かを考えて、決めて、行動した経験なんてないのですから当然です。周りの人に訊くと、そういう経験を子どものころからしてきたようで、驚きました。どの中学や高校、大学に行くのかということから始まって、どの塾に通うのか、どこに旅行に行くのか、どんな服やおもちゃが欲しいのかまで、親に意向を訊かれたというのです。そんな家庭が現実にあるなんてと、話を聞けば聞くほどに衝撃が大きくなって、そのうちに頭が痛くなりました。私とはずいぶん違いました。それなのに、今は同じ大学にいるのです」
令夫人は、ここまで息継ぎもないような勢いで話すと、大きく息を吐いた。令夫人の一人称がいつしか私に変わっていたことにぼくは気づいていた。今この人の魂は過去に戻っているのだろう。しばらくすると、彼女は再び話を始めた。
「私が就職活動をした年は、就職氷河期の中でも最も厳しい氷期でした。実は私には七つと、二つ離れた二人の姉がいるのですが、二つ上の姉が就職した時と比べると、私の時には大卒の有効求人倍率は二分の一になっていました。ただでさえ、第二次ベビーブームで子どものころから激しい競争にさらされてきたのに、人生で一番大事な岐路を前にした門に立った時、その門が半分閉じたんです。あんまりといえばあんまりです。つまり、例年なら大手のそれなりの企業に入れる人が、中小企業に入ることになるんです。これが二年前なら、聞いたことくらいはある大学を卒業した人が就職するような企業です。ブランドは手に入りませんし、初任給も違います。もっとひどいのはそれまでボーナスが十ヶ月分くらいはあった企業が、私たちの年から一カ月分にすると言うんです。つまり、格下げになった企業の基本給と合わせて言えば、年収は二分の一以下です。その上、当時は24時間働けますかという宣伝があった時代ですから、早出残業休日出勤という慣行がはびこっていたんです。そうした労働環境はそのままに、これまでよりも少ない人手で、年収は二分の一で働くことを要求されたんです。それが就職氷河期の氷期の世代が迫られたことなんです」
話を聞きながら、ぼくは巻貝さんの身の上も思い出していた。令夫人はため息をつくと、しばらく黙っていたが、また顔を上げて話し始めた。
「人生で戻りたい時期はと訊かれて、よく小学生のころと答える方がいますね。そんな時、私は心底羨ましく思うんです。私は勉強ばかりで、それも学校や塾でもいじめられていたので、あの頃には絶対に戻りたくはありません。そうやって我慢し続けた結果が、それでした。何も手にできなかったばかりか、ひどい環境の就職が待っているだけでした。そして、私は仕事が終わって外が暗いと死にたくなってしまうことを思い出しました。就職活動中に、企業で説明会や研修のようなものを受けることがあるのですが、終わると外はもう真っ暗なんです。小学生のころからの感覚が、大人になったからと言って、急に治るわけはないということに気付きました。このご時世に残業なしで5時に帰る正社員の仕事なんて見つかりっこありません。事実、ありませんでした。だから、わたしはだんだんと就職という道から外れる方へと心が寄っていきました。そして、あの出来事があったんです。それはかろうじて名前くらいは知っている企業の内定をいくつか取ったころでした。両親が私に話があると言うんです。それは七つ上の姉のことでした。二つ上の姉が結婚したことで、妹に先を越されたショックで、七つ上の姉はすこし精神的におかしくなりかけていたのです。両親が言うには、もし末の妹のわたしにまで先を越されたら、どうなるだろうか。完全におかしくなってしまうに違いない、とそう言うんです。これはわたしに結婚をするなという意味だとすぐにわかりました。わたしは親から子ども時代を奪われて、バブルで騒いでいた世代や政府から安定した就職先を奪われて、姉からは結婚を奪われたんです。この時ほど絶望したことは他にありません。もちろん、当時は結婚を前提にしないのに付き合うなどということは、結婚適齢期の女性にはできません。善良な男性もそうかもしれません。不品行でもありますし、そうでなくても相手の時間を無駄に奪うことだという考えがあったからです。結局、家を出て内定を得た会社で正社員として仕事を始めましたが、先ほど言ったこともあって、仕事が終わると外が暗いことや、このままつらい仕事をしていても結婚もできないんだと思うと。一週間ほどで 電車に飛び込みたくなったので退職したのです。今思えば、うつ病になっていたんでしょう。その先は紆余曲折ありましたが、年を重ねてアルバイトさえ雇ってもらえないようになると、行くところがありません。実家には七つ上の姉夫婦がいます。わたしの結婚適齢期を過ぎ去るのを待っていたかのように、十五年近く付き合った男性とようやく結婚したんです。ですから、実家にも戻れません。私は一人で職もないと言うのに、結婚して幸せそうな姉夫婦の姿を毎日見せつけられるかと思うと、やりきれません。姉夫婦もそういうことをわかってくれれば、自分たちが実家に住もうなどとは思わないのでしょうけれど、そうした想像力もない人たちなのです。そういうわけで、二年ほど前から公園で暮らしているんです」
令夫人はすこし間を置いてから言った。
「ホテルに泊まれなくなって、それでもあの空間に身を置きたいと思ったので、ポイントを使うことにしたんです。これまで貯めてきたかいがありました。おかげでお気に入りの服を着て、それなりの人間として扱われて、カフェを利用できたんですから。それも今年までですけれど、」
一度言葉を切ってから、令夫人はまた話し出した。
「実はこのブレスレットを売ってしまおうかとも考えたんです。そうすれば来年はまたホテルに泊まることができると思って。色々なことが頭の中で渦巻いていたので、気もそぞろになっていたのでしょう。忘れものをするだなんて。このブレスレット 男物で似合わないでしょう」
令夫人は大事そうにブレスレットを優しく撫でる。
「実は両親はどちらも三年前に他界しているのです。当時わたしは古いマンションの一室を借りてはいましたが、すでに喪服もなく、往復の交通費も工面できませんでした。もちろん香典も。それで通夜にも出られなかったのですけれど、姉から手紙が届いたのです。生前に母がわたし宛てに書いたものでした。この三年、封も開けていませんでした。いまさら何をと思ったからです。実家は姉夫婦が住み続けるだろうし、他に相続を期待できるようなものもありません。けれど、この間ブレスレットを自分の手元からなくしてみて初めて読んでみる気になったのです。手紙には思った通り母からの謝罪の言葉が書かれていました。死ぬ間際になって、詫びたとしてそれが何になるでしょう。ただ、自分が地獄に行きたくないための浅はかなものにしか思えませんでした。自分の行動を悔いてはいるようでしたが、わたしに対しての申し訳なさはそこには読み取れませんでした。ただ、そこにはブレスレットのことが綴られていました。
わたしが東京の有名な大学に合格したというので、母がこのブレスレットをよこしたのです。男物ですので、眉を顰めましたが、高価なものであることはわかりました。その時にはなぜか由来も訊かなかったのですけれど。手紙を読んでわかったのです。そこにはある風習があったのです。父と母は同郷で、そこでは運命の人と出会ったら、男は女に似合うものを、女は男に似合うものを贈りあう風習があったそうです。二人だけの婚約の証ということでした。贈りあうものは帽子や時計など何でもよいのですけれど、身に付けるもので、相手が時計なら自分も時計でないといけないそうです。つまり、母はわたしがどなたかと一緒になることを少なくとも望んではいたということです。もちろん、その後で結婚を禁止したことは恨んでも恨み切れません。それでも今はブレスレットは手元に置いておこうと思うようになりました」
ふと見ると 樺沢さんは静かに涙を流していた。神野さんは黙って令夫人をじっと見つめていた。ぼくは よくわからない。なにかが胸とお腹の中間あたりに生じてきていることを感じていた。ただ、ぼくにできることはもうない。
ぼくは帰った後、いつものように2時間ほどバスタブの中で考えごとをしていた。令夫人や巻貝さんの世代は、大人になろうとする時期に日本や世界の転換点に当たっていた。令夫人の親はなぜあんなにも自分の子どもを管理して支配しようとしたのだろう。
翌日氷見さんの貸してくれた本を読むと、核家族で男性が外で働いて金を稼ぎ、女性は家事と育児を任されるという価値観は明治くらいから生まれたらしい。それでも家で夫婦共働きの世帯は多かったが、1950年代になると、工業化が進んで専業主婦というものが普及し始めたそうだ。女性は目の前にいる子を社会的な成功者として育てることで、自分の価値を見つけ出す。ほとんどの女性にとって、それが手っ取り早いアイデンティティの証明になったようだ。高度経済成長期になると、高学歴でないと高収入の仕事に就けないということもあり、大学進学率は上がっていく。母親は子どもを小学生のうちから英語や受験専門塾に通わせて、中学受験をさせる。受験科目にない音楽や体育なども、評価対象にする一流の公立高校などに進学させるために、ピアノ、水泳を習わせる。子どもには夢も希望も時間もない。表現の自由も言論の自由も思想信条の自由もない。ただただ、18歳の時に東京大学を頂点とする難関大学に合格するためだけに、6歳から18歳という貴重な時間を費やす。喜びや嬉しさなどの感情や知的好奇心、遊びや生活の中で自然に身につくはずの美的な感性、意志を伝える能力、協調性、なにかに意味や価値を見出す気づきなどが育まれる、そういう子ども時代を奪われる。そして、自分を支える大切な思い出もなく、個性もなく、アイデンティティは有名大学卒という肩書だけの人が、就職活動では自己の個性を訴える。けれど、実際、採用担当が気にしているのは、取引先の子どもであるというコネクション、学歴、その時の景気だ。男性が稼ぎ頭という時代、男性は稼ぎがその人の価値になっていった。稼ぎがない男性は結婚相手にならなくなった。しかも男性から結婚の申し込みをするというのが戦後の日本の文化なので、就職氷河期に当たり、薄給で自信を持てない男性は結婚できなくなった。シングルマザーもそのころは非難される対象だったから、結婚しなければ子どもを持てないという時代だ。1990年冷戦が終わる。アメリカ合衆国は東側に対抗するために日本や西ドイツを優遇する必要はなくなった。日本の輸出品はますます歓迎されなくなり貿易摩擦と言われた。だから、生産拠点はよそに移っていった。アメリカで作ってアメリカで売る。さらに、東南アジアの工場において現地の人に安い人件費で作らせるということもそれまで以上に拡大し、日本のメーカーは大卒の新入社員の採用を絞り始めた。さらにバブル崩壊で、不景気になると、日本政府や企業は赤字を垂れ流しにしたまま見て見ぬふりをした。結果として、令夫人や巻貝さんが就職するころに突然大企業が倒産しはじめる。『ジャパンアズナンバーワン』という本では、著者のエズラヴォーゲル氏が日本的慣行として賞讃していたすべてが、逆風になった。大学卒業してすぐの人を大量に正社員として採用して、社内で教育して、退職するまで解雇しない。この風習によって、不景気で新卒の採用が絞られると、その世代が企業から消えた。その世代はアルバイト、派遣労働に流れた。それまでのアルバイトは学費の足しにと学生のするものだったが、この世代にとっては生活費を稼ぐための主業になっていく。また、正社員を解雇する慣行がないので、政府はこの時代に派遣労働を多くの業種に認めた。これで必要が無くなったらいつでも解雇できる人間を確保できるようになった企業は、ますます正規社員の採用を絞った。こうした政府と企業の結託によって、あの世代は低収入で、すぐに解雇され、仕事場で尊敬もされないし、出世もボーナスもないという境遇に身を置くことになる。当然、貯金もできず、実家を出られず、結婚資金もないし、子どもも持てない。親は高齢化するので、実家にいる彼らが介護を担うことになる。親が亡くなった後、独身で子どももいない世代には、年金だけが頼りだが、低収入の人ほど退職後の年金も少ないという歪な制度だ。社会や政府、長年汚職を続ける政治家に何ら期待しない世代になったのも当然だろう。その後、この社会は少子化で市場が縮小したから物が売れない、デフレだ、保険料を払う世代が先細りだから国民年金は破綻するなどと危機を訴えている。あの世代だけのことならと見捨てておいて、いざ社会全体が危機に瀕したら、右往左往して、巻貝さんに言わせると「遅きに失した」就職氷河期世代の30万人雇用政策、少子化対策としての教育無償化など、的外れの政策を打ち出している。裏切られた世代の令夫人や巻貝さんはこの社会をどう見ているのだろう。
翌週、端末で出勤の処理をしてから制服に着替え朝礼に向かうと、部屋からざわめきが聞こえた。そこには、いつもと違った光景があった。ふだんはそれぞれの場所で話したり、隅で髪形を直していたり、真ん中に立ってメモ帳をじっと見たりしている。けれど、今日はみんなが誰かを囲んで、興奮気味に質問したり、驚いた声をあげているようだ。人垣の隙間から見えた輪の中心には見知らぬ人間が立っていた。新人だろうか そう思っていると 巻貝さんが「時間になったよ」と声をあげた。そして、
「彼女は今日から一緒に仕事をすることになった。では自己紹介をお願いします」 と言った。
自己紹介をはじめた声は 令夫人の声だった。さすがに驚いた。令夫人はぼくの同僚になったのだ。朝礼に顔を出している人間で、令夫人が公園に暮らしていたことを知っている人間はいないようだった。みんな元ゲストの令夫人がと色めき立って祝祭的な感じがした。朝礼が華やかな場になっているだなんて初めてのことだ。
令夫人は笑顔で「宜しくお願いいたします」と言っていた。その姿は晴れやかなもので、右手にはあのブレスレットがあった。
昼時に 社員食堂で そのことを氷見さんと話していると、
「神野のやつがオーナーに推薦したんだよ。ま 俺も令夫人は教養があるし 本の趣味もいいから オーナーに訊かれた時に 支持しといた。それが決め手だろうな」
神野さんの考えとはこのことだったのだ。そして たしかにぼくは令夫人が同僚になったことには驚いたけれど、それ以上に神野さんが推薦したことに驚いていた。ぼくには思いつかなかった。ぼくが忘れ物を返すことばかり考えていた時、神野さんは彼女をどう救おうか考えていた。そして、氷見さんはいつもなら新人の個人情報をみんなに触れ回って、朝礼で自己紹介をする時には、どんな些細なことまでも知れ渡るようにしているのに、今回はそうではないようだった。
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