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愛され最低妻のやり直し記|第2話|家出——家族の原点《後編》

夏祭りの夜


「まいちゃん…!!!」

” まずい ” という表情をして、瞬発的に立ち上がった夫。

「もういやだ!」
「いやだいやだいやだ!!!」
「離婚する、むり!!!」

きっと、見せたこともない表情だったろう。

矢継ぎ早に、金切り声でそう叫んで、考えるより先に身体が動いていた。

キッチンの引き出しから可燃ゴミの大袋を束でわしづかみにしてきた私は、衣装ケースの引き出しを次々と乱暴に開けて、自分と子どもたちの服を無造作にゴミ袋に詰め込み始めた。


バンッ
ガンッ
ガサッ


一挙手ごとに大きな音を出して、夫が私に近寄れないように威嚇していた。
あまりに乱雑な作業で爪がパンッと割れて激痛が走ったけど、そんなものをはるかに凌駕する、心の爆発だった。

怒りと、痛みと、悲しみと、孤独。
4年間抑圧してきた全部が表に噴き出していた。


泣いて止められてたまるか。
土下座されても出ていく。
もう絶対離婚する!


涙でもう目の前すら見えない。
でも絶対手を止めない。
一瞬も止まったらいけない。
奥歯を食いしばって嗚咽をこらえていた。

” ああ、そうだ… ”
片手で母に電話をかけ、声にならない声でほとんど一方的に言葉を押し付けた。

「ごめん…今から行ってもいい?
…うん、今から。
いや、私と子どもたちだけ。
…もううんざりで。
…離婚しようと思ってさ。
…うん、今から出るから」

その電話が終わったとき、
立ち上がったままピクリとも動かず私の挙動を見ていた夫が、ガクッと座り込んで、両腕で頭を抱え込んだのが気配で分かった。


知ったことじゃない。
そんなことどうでもいい。


そんな夫には一瞥もくれず、
ママのただならぬ激情を目の当たりにして押し黙っている長男と次男に声をかけた。
「今からばぁちゃんの家に行くからね」
涙と鼻水まみれのママが振り絞った言葉に、どう返事をしたらいいのか分からなくて、おずおずとしていた長男の表情を今でも憶えている。

「…パパも?」

「いや、ママと〇〇と△△だけよ」

パパに目をやって、
ママに目をやって、
小さな胸で何かを感じ取って、
言葉にならない何かを飲み込んで、
長男はキュッと口をつぐんだ。

目が潤んでいた。


この日は、毎年恒例、夫の地元の夏祭りの日だった。
義母も義妹も、長男が生まれてからは私たち家族も毎年参加して、盆踊りやくじ引きやイベントを楽しんでいた。
地域の小さいお祭りだけど、義母にとっては積年のママ友が多くいて、その中でも息子が早くに結婚し、若くして孫がいることも相まって、気心知れた楽しいイベントだった。
「おぉ~また大きくなって!」
長男も毎年たくさんの大人たちから可愛がられていた。


夏祭りへは19時頃に家を出る予定でいた我が家は、18時頃から夕飯を食べていた。
でも、自分たちの支度が済んだからか、義母と義妹は18時過ぎには長男を連れに来てしまった。

” うちはうちで行くつもりだったのに… ”
強引さに少しムッとした私は、期待されているアクションを起こさずに、夕飯を食べ続けた。


いつもだったら。

今までの定番の流れをなぞるなら、
「あ、じゃあもう〇〇だけ連れてってもらっとこうか?」
そう、私が妙な協調性を発揮して、長男を送り出していただろう。

だけどその日は、なぜかいつもの流れにならないと、その場にいる大人みんなが感じていた。

” 私が「もう行っていいよ」って言うのを待ってるんだろうな… ”

4人の食卓の横に座って、かいがいしく長男の口に食べ物を運びながら、
「ほら、〇〇くん、はやく食べてお祭りいこう!」
急かす義母と義妹。

私はなんの表情も浮かべず、テレビに目を向けたまま。

「食べたら連れて行くから、おかんたちは先に行ってていいよ?」
私の対応からいつになく不穏な空気を察知した夫が言った。

不満顔に変わった義母。
「向こうでも食べるものあるのに」

不満の矛先は、間違いなく、私に向けられていた。
知らん顔して食べさせ続けている私が気に入らないんだと、その場の数分間の沈黙が ” 圧 ” となって物語っていた。

そして義母は立ち上がって、大きめの声で言った。


「じゃあ、食べ終わったらパパとおいでね、パパとね?」


家を出たとき


” その時 ” のことを思い出すと、私は胸がギューーーーッと締め付けられる。
今は決して、自分を哀れんで、の苦しさではない。

当時まだ20代半ばの夫が、どんな想いで ” それ ” をしたのか、できたのか。

実は、記憶の中の ” それ ” にハッと焦点が合ったのは、まだつい最近のことだ。

今年、8月下旬の『窓の日』の衝撃から、
過去の私が拾わなかった何かを探すように、
埋もれた何かを掘り起こすように、
幾多の出来事を心の中でスキャンしている。

…その時点では気づけなかった事実と、
その瞬間には感じ得なかった夫の想いの質量に、
私は、打ちのめされている。

教えて欲しい。

” それ ” をするには、どんな種類の愛情が必要だろうか?
” それ ” をしながら、どんな気持ちを噛み殺していたんだろうか?



30分ほどかかって、私は荷物を詰め込み終わった。
可燃ゴミの大袋4つ、生活に必要な身の回りの物でギュウギュウにして、袋の口を結びながら、覚悟は静かに決まっていた。

2つめのゴミ袋の口を結び終わった頃、夫の姿はリビングから消えていた。
” だからなに? ”
という気持ちで、どこにいるのか、何をしているのか、気にもしていなかった。

食卓で座ったままでいることしかできない長男と、
まだ全然分からなくて単にお出かけだと思っている1歳の次男に、
「いこうか」と促して、リビングから玄関へと向かう扉を開けた。


廊下の向こう、玄関の扉はもう開いていた。
暗くなろうとしている夏の夜の熱気がモウッと入り込んできていた。

玄関すぐ外の車庫に停めてあるうちのミニバンは、既にエンジンとクーラーが始動していて、後部座席のドアとトランクが全開だった。

そこへ夫が ” 必要だと思ったもの ” を丁寧に積み込んでいる最中だった。

レゴブロックがぎっしり入っているケース
子どもたちが毎日遊んでいる仮面ライダーのおもちゃが入った箱
大小のボール数個が入った袋
塗り絵やクーピー、パズルのケース
ベビーカー
子供用の傘と、私用の日傘
おむつの大袋
おしりふきの大袋
買い置きしてある子ども用のおやつ
お昼寝に使っているタオルケット数枚


” …すごい… ”

…私は、あの時確かに、そう感じた。

なのに、自分を哀れむ感情にしか目を向けられなかった私は、
一瞬芽生えかけた『感謝の気持ち』に蓋をして、
そんなもの!と打ち消すようにゴミ袋と一緒に車に放り込んだ。

その1袋は私が、あとの3袋は「かして?」と、夫がバランスよく積んでくれた。

長男が車に乗り込み、夫が次男を抱いてチャイルドシートに乗せる。
タオルケットをそれぞれにかけて、
「いい子にして、ママをこまらせたらだめだよ?できるね?」
長男と次男の顔を交互に見ながら、泣きそうな笑顔でそう声をかけた。


私は、そんな夫に背を向けて、運転席に乗り込んだ。
今すぐにも出たいと言うように、シートベルトを締めて、ハンドルに手をかける。

子どもたちの頭をよしよしと撫で、後部座席のドアを閉めてから、夫が運転席の横に立った。
きっとさっき泣いてたんだろう、目が真っ赤だ。

「まいちゃん…ごめんね。 おなか、運転大丈夫?」
涙声で、心配げに聞かれる。

「…まぁ、大丈夫じゃない?」
「今後の手続きとかのことは、また」

冷たい表情で淡々と言ったと思う。
カオスのような心模様の私から絞り出せる言葉なんて、そのくらいだった。

それ以上にお互いに言葉はなく、そのまま、私は車を発進させた。
夫は、車に触れたまま何歩か進んだが、道路に出た時点で手は離れた。

そのあと、どれくらい外に立ち尽くしていたのかは、今も知らない。

私はその時、三男を妊娠していた。
ちょうど5ヶ月に入った頃だった。


父と母と弟


母と弟が暮らすアパートは、うちから高速を使っても3時間はかかる道のりだった。

私は、尋常じゃない方向音痴だ。
しかも、18歳で免許を取って以来、高速を運転したことがなかった。
カーナビも今ほど精巧ではなく、ナビられ下手な私が高速を運転したところで、乗降口が合っているかどうかでテンパって中央分離帯に突っ込むのが容易に想像できた。

普段の運転は、保育園の送迎や病院、日常の買い物程度。
それでも夫がいるときは100%夫が運転してくれていた。

なので、以前母のアパートに遊びに行った時も、往復の運転は夫だった。
私は道すら覚えていない。
そんな私が、横にナビゲーターもなく、大きなお腹で、夜間に、3時間も運転できるのか…?
子どもたちの命も乗せている、絶対にできない。
即答だ。

出発の時に「運転大丈夫?」と夫が聞いたのは、そんな現実的で大きな心配があったからだった。


家を出た私はまず、車で20分ほどの実家へ向かった。
実家にはここ2年程、父が1人で住んでいた。
途中父に電話して、かんたんな経緯を伝え、母のアパートまで送ってほしいとお願いしていた。

「ほぅ、そうゆうつらいことがいっぱいあったと。
で、もう離婚したいと。
それはまた思い切ったね〜、ハッハッハ!!
いいんじゃない?」

うちのミニバンを運転して母のアパートに向かう長い道中、父はどこか少しワクワクと、嬉しそうにも見えた。
思えば、私はほとんど実家に足を向けず、もう長らく父に孫たちの顔を見せていなかった。
こんな事態が、ずいぶん久しぶりの孫たちとの再会だった。
父はほんの少し、楽しい未来を想像したのかもしれない。


母のアパートに着いたときには、22時を回っていた。
夜間だったから、それでも早く着いた方だった。
住宅街の一角にあるそのアパートの前で母と弟が待っていてくれて、父母弟の3人で車から荷物を降ろしてくれた。

長男と次男は、夫がかけたタオルケットに包まれてぐっすり眠っていた。
父が長男を、私が次男を抱いて降ろし、母が準備してくれていた布団に寝かせた。
父は翌日仕事があったため、少し休憩をとってとんぼ返りとなった。
「ちょっとゆっくり気持ちを休めなよ。 落ち着いたら《夫》くんと話し合いしてさ」
「そうだね。 急だったのにありがとう、帰りも気を付けてね」

母と弟も、それぞれ仕事があった。
なので、居候中、日中は私と長男と次男の3人で過ごしていた。
車がないので買い物に出られるでもなく、人の家なので好き勝手できるわけでもなく、子どもたちの動きには結構気を遣っていた。

夫が積み込んでくれたおもちゃの数々が、本領を発揮していた。

「おもちゃがこれだけあって良かったよ。うちには子どもが遊べる物が1つもないから。〇〇くんと△△くんが暇しないように考えてくれたんだね。
本当に優しいね、《夫》くん。すごいね」

「まぁ、子煩悩だからね…」

母と弟は、夫のおもちゃのチョイスにしきりに感心していた。

3歳差の2人が一緒に遊ぶ用、1人ずつでも遊べるもの、それぞれの好みで選ばれ、盛り込まれていた。

そして、お昼寝用のタオルケット。
いつもの手触り、うちの柔軟剤の香り。
突然環境が変わって内心動揺しているだろうに、長男と次男がグズらずお昼寝できたのは、このタオルケットのお陰だったんじゃないかと、今は思っている。

それに比べて…
私がゴミ袋4つに詰め込んできたものは。

子ども2人分の衣類
私の衣類
腹帯と抱っこ紐
メイク・ヘアケア用品
アイロン
目に入ったおむつ数枚とおしりふきケース
母子手帳ケース3つ


どんな言い訳なら、成り立つだろうか…

激情していたから?
何が必要かを冷静に考えられなかったから?
足りないものはあとから買えばいいと思ったから?

…違う。

きっと、そうゆうことじゃないよね。


あの時、あの状況で、あの短時間で、
夫が誰をどれだけ想って、行動したのか、ということ。


子どもたちを連れて家出する身重の私のために、
そこまでさせる自分を責めながら、
辛くて泣きながら、

自分が持っている最大量の愛情を車に積み込んでくれた、ということ。


あれから18年を経て、
今になってやっと、
” それ ” が別の意味を持っていたことに気づいた。

子煩悩だからできたんじゃなかった。
私を止められなくて投げやりになったんでもない。

まいちゃんの想いのままに行動させてあげたい
まいちゃんの気の済むように過ごさせてあげたい
まいちゃんが少しでもゆっくりできるように
子どもたちのことで困らないように…
居心地がいいように…


” 必要だと思ったもの ” を選んだあと
無言で車に積み込んでいた、
まだ若い夫の後ろ姿を、
今目を閉じて、思い出している。


義母からのメール


母と弟のアパートでの居候生活、3日目のこと。

子どもに不慣れな独身の弟ながらも、
長男と一緒にお風呂に入ってくれたり、おもちゃで遊んでいる様子をそばで見守ってくれていて、新鮮で微笑ましい光景だった。
私が母に今後について相談する時間が必要だったので、その静かなフォローが助かっていた。

子どもたちも、あまり積極的に絡んでこない ” にぃにぃ ” におもちゃを見せてみたり、「それなぁに?」と聞いてみたり、それぞれが少しずつこの環境に慣れようとしていたように思う。


家出して、一晩明けた翌日の夕方から夜にかけて、
義母からは何度も着信が入っていた。
義母と話す心の準備ができていなかった私は、一度も電話に出ていなかった。

だって。
” 何を言われるか分からない ”
罵られたり、怒鳴られるんじゃないか、という懸念。
もう話さないままの離婚でもいいとすら思っていた。


そんな3日目の夜、義母から、1通の長い長いメールを受信した。


予め言っておくと、義母はメールで文章を書くことに全く慣れていない。
メールは元々嫌いで、何でも口頭や電話で伝えるほうが早くて正確だと思ってきた人だ。

その長い長いメールには、こんな言葉が綴られていた。

当時主流のケータイはこんな感じでした😌 ピコピコ ガラケー👆


『まいちゃん、まず、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。《夫》から聞きました、私のせいで…』

まさか、謝罪の言葉から始まるなんて、思ってもみなかった。

負けん気が強い義母。
若い頃は男相手でも取っ組み合いのケンカしてた、なんてよく笑いながら話していた。
その義母から、こんなに弱り切った言葉が紡がれるなんて…

・〇〇がとにかくかわいくて、母親みたいな気持ちで、独占欲が強かった
・まいちゃんをないがしろにしていた
・まいちゃんの育児を奪うようなことをした
・昨日家族会議をして、お父さん《義父》からも
「まいちゃんの初めての育児の理想もあるだろうに、よってたかって邪魔をしている、いいかげんにしろ」と怒られた
・《夫》もまいちゃんと子どもたちが出て行ってから荒れて落ち込んで見ていられない
・《夫》は知らなかったことが多くて、正直に話して怒鳴られた
・これからは絶対に気を付けるから帰ってきてほしい
・もしこのまま《夫》からまいちゃんと子どもたちがいなくなったら、生きていかれない
・ちゃんと謝りたい
・本当に反省している
・ごめんね ごめんね


携帯の小さな長方形の画面には、
絵文字なんかはもちろんなく、
改行もままならず、
誤字脱字や誤変換がいくつもあって。

それがより一層、
慣れないメールを1文字ずつ一生懸命打って、
『ごめんなさい』を伝えようとしている義母の姿を連想させた。


義母の、孫への気持ち、息子への気持ちが、理解できた。
私へ向けてきた言動に後悔しているって、許してほしいって、まっすぐ伝わってきた。


「おかん…ごめん。 私、帰ろうと思うよ」

読み終わった私は、涙を拭いながら、母に携帯を渡した。
感受性が高くて涙もろい母も、色んな想いが込み上げたのか、読みながら泣いていた。

「うん。うん。それが一番だよ…よかったねぇ」

母もまた、娘と孫たちの本来の幸せを切に願ってくれていた。


家に帰るのは2日後と決めて、夫にメールで伝えた。
「明後日の夕方に帰るから、お祝いしよう」


2日後は、長男の5歳の誕生日だった。
家族みずいらずで祝ってあげたいと思った。


帰宅前夜


帰宅前日は、弟が回転寿司に連れて行ってくれた。
母と弟と、私と長男と次男。
このメンバーでご飯を食べたのは、今になってもまだこの時だけだったなぁと、振り返って思う。


子どもたちのおもちゃを、夫が入れてくれたケースや箱に元通りおさめる。
5日間で母や弟が買ってくれたおもちゃと雑貨も丁寧にしまう。
来た時にはゴミ袋に乱雑に詰め込まれていた衣類も、1枚ずつたたんで袋に入れていく。
3袋に縮小できた。

整然とまとまっていくおもちゃや荷物を見ながら、
母と弟は、少し寂しそうだった。

「〇〇くんの誕生日だからって分かるんだけど、もうちょっと一緒にいたいと思っちゃうよね、やっぱり」

次男を膝にのせて、長男の頭を撫でながら、母がポツリとこぼした。
その声がかすかに震えていることに気づく。

私は、親不孝だ。

父にも母にも、満足に孫の顔を見せていなかった。

” 隣 ” の存在に遠慮して、ごくたまにしか遊びに来なかった両親。
私は私で、両親と義母の ” 間に立つ ” ことを億劫に感じていた。
主張の強い義母と、謙虚な母との間に立つと、いつもいたたまれなかったからだ。
だけど、そんなことを差し引いても、もっと両親の元へ孫たちを連れて行ってあげるべきだったんだ。

帰宅前夜、5人みんなで布団を並べて眠った。


父の想い


帰宅当日、父がまた3時間かけて、母のアパートまで迎えに来てくれた。
たまたま母が休みだったので、お世話になったお礼を伝えて、見送ってもらえた。

「ばぁちゃん、またね、バイバイ」
長男も照れくさそうにお別れを伝えた。
「バイバーイ」次男はあどけなく笑っていた。

寂しさが勝ったのか、また涙ぐむ母。
「また来てね。ばぁちゃんまってるね。ばぁちゃんもあそびにいかせてね」

「よし! ばぁちゃんが名残惜しくなるからもう行こうか!」
父が両手をパンッと合わせる。
出発だ。


うちの車が角を曲がって見えなくなるまで、母はその場でずっと手を振っていた。


「まいにさ、ちょっと見てほしいものがあるんだよね」
実家まであと10分くらいのある町に差し掛かったとき、父が言った。
「ん? いいけど…」
父は交差点を実家とは違う方向へ曲がって、5分ほど走ったあたりの民家の敷地に入って車を停めた。

「…じゃーん! どう思う?」
150坪ほどの敷地の中に、2階建ての築20年くらいの一軒家が建っていた。
人は住んでいない様子だったが、荒れてはいなかった。

「どうって?」
父の質問の意味が分からなかった私は、聞き返した。
「いや~、まいと子どもたちが住むのにどうかなぁと思ったんだよね」

「いや…たぶん離婚しない流れになるってさっき説明したよね?」

「うん、ま、そうだよな!ハッハ!
いいのいいの、ちょっと見てほしかっただけだからさ。
じゃ、行こうか!」

父は、この5日間で、家を探してくれていたようだった。
家出直後、母のアパートに送ってもらう道中の私の様子から、おそらくほぼ離婚すると見込んでの行動だったんだろう。

そして、もしかしたら。
父はそれを望んでいたのかもしれないな、と今は思う。

これからは遠慮なく孫たちに会えるようになると、期待で胸が膨らんでいたのかもしれない。

実家に着いてお礼を言って別れたとき、往復6時間の長距離運転の疲れもあってか、父の言葉にはいつもの覇気がないように感じた。

「じゃあな! 《夫》くんによろしくな! まいもしっかりね」
長男と次男の頭をガシガシッと撫でて、大きく手を振りながら見送ってくれた。

きっと、ガッカリさせてしまったんだろうな…。

この時の父とのやり取りは、今でも苦い。
” じぃちゃん ” の淡い期待をかき消してしまったんだと、やるせない気持ちを呼び起こされるから。


ただいま


家に着いたのは、夕暮れ時だった。
車庫にバック駐車する聞き慣れたエンジン音で、すぐに夫が玄関から走り出てきた。

エンジンを止めて、運転席のドアを開ける。

「おかえり、まいちゃん。…身体は大丈夫?」

横に立って、スッと手を差し出す夫。
私の顔をのぞいた、少しこけた心配げな表情。
その手のひらに右手を載せて、「よっ」とゆっくり車を降りる。

妊娠して出産するまでに毎回23キロ増える私は、まだ5ヶ月とはいっても、人様の8ヶ月くらいのお腹の大きさだった。
「うん、ゆっくりさせてもらってたから。大丈夫」

「パパ~!ただいま~!」
5日ぶりのパパに興奮気味の長男が、” 素の笑顔 ” で夫に抱きついていた。
「よしよし!いい子にできた?ママのいうこと聞けた?」
「うん!」

「パ~パ~!」
次男も満開の笑顔で夫にしがみついていた。
「よし!荷物いれたら遊ぼうか!おいで!」

「まいちゃんはもうソファに座ってて、ほら、足元気を付けてね」
私と子どもたちを家に入れた後、夫は車の荷物をすべて降ろしてくれていた。

その間、5日ぶりの家の中をぐるっと見まわした私は、義母のメールにあった『《夫》が荒れていて…』という言葉の意味が解った気がしていた。

なんというか…家の中は殺伐としていた。
私たちが帰ってくる前にある程度は元に戻したんだと思う、だけど。

家具や物の位置、在りようが違う…?

きっと、私と子どもたちを失うかもしれない恐怖と、連日向き合っていたんだろう。

自分を責めて、責めて、責めて。
食事も日常生活もままならなくて。
物に当たるしかなくて。

この5日間の夫はまさに ” 異様 ” だったんだろうと想像できた。


冷蔵庫の中身はどれも信用できなくなっていたので、夕飯は家族みずいらずで外食に出かけた。
無邪気にじゃれる次男と、嬉しそうにずっとニコニコ顔の長男。
夫も自然とよく笑い、食べさせながらしきりに子どもたちのほっぺや髪に触れていた。

チラッ…チラッ…

子どもたちの相手をしながら頻繁に私へ視線を移しては、安堵の表情を浮かべる。

『いる。ちゃんといる。
まいちゃんが帰ってきてくれた!』

その幸せを噛みしめて泣きそうだったんだと、その晩に聞いた。


夫からは、一皮むけたような、肝が据わったような
” 落ち着き ” を感じた。

家族会議で知った色んな事実が、一度は夫を打ちのめしたんだろう。

知らなかった…
気づいてあげられなかった…
うまくやれているんだと慢心していた…
何年もまいちゃんに我慢させていた…
親を責めて、自分を責め尽くして、
そうゆう全部が、夫の心を喰い荒らしたんだろう。


『明後日の夕方に帰るから、お祝いしよう』

帰宅を知らせる私からのメールに立ち上がって飛び跳ねて、
その時に覚悟を決めたんだと、夫は言った。

全部のエネルギーをプラスに切り替えた。
これからは100%まいちゃんの味方になるんだって、心に誓った。

以来夫は、ずっとそれを遂行している。


ホールケーキを買って、家に帰った。
ろうそくは5本。
チョコのプレートには
『〇〇くん、おたんじょうびおめでとう』

わずか5日前には、この食卓に両の手のひらを叩きつけて叫び散らかしていたとは思えないほど、やわらかで穏やかな雰囲気に包まれていた。

「ハッピバースデートゥーユー♪」
私と夫が歌って、
次男は元気にパチパチと手を叩いて、
長男が勢いよくろうそくの火を吹き消した。

火が消えて部屋がふっと暗くなったとき、
私の心のダムは初めて
石ころではない ” 何か ” で満たされた気がした。


「〇〇、5歳の誕生日おめでとう! おかえり!!」
夫がわしゃわしゃと長男の頭を撫でまわす。
次男もまねしてお兄ちゃんの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃした。

ひとしきりみんなで大笑いしたあと、
私は夫の顔を見て、笑顔で言った。


「 ただいま! 」


第2話「家出」——家族の原点 《後編》  END


📛 あとがき📛

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました🙂‍↕️
長かったですよね、お疲れさまでした🥺
自分でも執筆しながら ” やばい、終わらない ” と焦っていました。
後編がこんなに長くなる予定ではなかったんです。
でも、いざ当時と静かに向き合ったら、信じられないくらいアレもコレも思い出してしまって、長い間忘れていたはずのこともフラッシュバックしてしまい、心の変化の一因として書かないと繋がらないような気がしました。
そして、noteと読んでくださるみなさまのおかげさまです。
言葉として吐き出したことで、ごちゃっとしたままの過去を、心を、整理できました。
涙も鼻水も想いも言葉も、全部振り絞ったと言い切れます🫶

もしかして、気にしてくださっている方もいるかもしれません…
義母・義実家とのその後の関係性ですが、安心していただきたいと思います、あれから、非常に良好です😇
この「家出」は今からザッと18年くらい前の出来事なんです。
当時は同じ敷地内の隣同士でしたが、今では同じ建物の中で上下で暮らしています。
玄関・風呂・キッチン・トイレすべて別で、建物内の外階段で繋がっている2世帯、といった形でしょうか。
私は義両親のことを『ママ・パパ』と呼んでいて、本当に、たくさんお世話になってきたし、感謝してもしきれないと思っています。
子どもはうちの4人の他に、義妹もそれぞれ2人ずついて、一緒に住んでいたりすぐ近くに住んでいます。
ママ・パパの孫は全部で8人。
それぞれの誕生会、イベント、BBQ、夏には直径5mのプールを用意してくれたり。
大きくなってからは学校やバイトや遊びの送迎など、仕事で忙しい親たちの代わりに奔走してくれています。
私も、「ママごめーん、おねがーーい💦」と頼ることも多いです。
それぞれの子どもたちにとっても、親・きょうだい・いとこ・おじ・おば・祖父・祖母と日々顔を合わせる環境で生まれ育っているので、コミュニケーション能力がとても高いと思います。
環境が人をつくるとするなら、とても恵まれていると今は心から思えています。
ママ・パパ共に60代半ばなのでまだまだ元気ですが、そうじゃなくなってきたら、積極的にサポートしたいなと思っています。
今はまだお世話になりっぱなしですが…😅


そんなこんなで、前編・後編と長きに渡った「家出」はこれで完結とさせていただきました。
拙い文章を読み進めていただき、感謝しております✨

次回のお話からは、絶対にもっと短くすると誓います🤚

なので、またのぞいていただけると嬉しいです🙂‍↕️

📛 ご説明📛
この「愛され最低妻のやり直し記」は、夫の愛情に対して長い間傲慢だった私が、23年分の “ 見ようとしなかった愛 ” を見直す記録です。
過去の一部分ずつを切り取って、私の鈍感さや愚かさも隠さずに、事実のままに書いていこうと思っています。
そして、夫への感謝の種まきを始めています。

📍Threads | 感謝の種まき報告を発信中

Threadsでは、『第1話 窓の日』以降の日々の中で、実際に夫に感謝の種まきをしていることのご報告を兼ねて、ゆるりと発信しております。
ささやかな日常を織り交ぜつつ、飾らず、自分らしい言葉で向き合っていきたいなと思っています。
ゆっくりな歩みですが、交流を楽しみながら続けています。
Threadsでもフォローいただけましたら、飛び跳ねて喜びます🤭❤️‍🔥

💎 令和7年12月 現在 💎


今後ともよろしくお願いします🙂‍↕️


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