目も耳も届かない世界で──私が“目と耳を借りて生きる”理由
あなたは、目も耳も使えなかったら──日常はどう変わると思いますか?
誰かに声をかけられても気づけない。信号の色も分からない。
でも、そんな世界でも「一緒にいてくれる存在」がいれば、生きていける。
これは、そんな私の“目と耳のかわり”になってくれる人たちとの、リアルな日々の記録です。
①盲ろう者として、私が感じた“孤独”と“気づき”
─ 支援を知らなかったあの頃
私が「盲ろう者」として生きていることを、まだ多くの人は知らないかもしれない。 「見えにくくて、まったく聞こえない」──そんな状態で、日々を過ごしている。
でも、盲ろうの世界に入る前、私は支援についても、自分の状態についても、本当に何も知らなかった。
ぽつん、と。
あるイベントに参加したときのこと。 参加者全員に、通訳・介助員が一人ずつついていた。 でも、私はひとりだった。
「みんな、こんなふうに支援を受けてるんだ」 「え、これが“普通”だったんだ」
その時、初めて知った。
②「支援=恥ずかしい」からの変化
─ 自立へのこだわりと、支援を受け入れるまで
実は、それまでも何度か、病院で手話通訳者の支援を受けたことがある。 でもそれは「たまに」だけで、「できる限り自分でやるのが当然」だと思っていた。
だから、“支援を受ける”という選択肢が、こんなにも“当たり前”に存在していることに驚いたし、少し寂しくも感じた。
盲ろうの世界に入って、私の中で変わったことがある。
「支援は恥ずかしいことじゃない」 「助けてもらっていい」
そう思えるようになるまでには、時間がかかった。 でも今では、ようやくその言葉を素直に受け止められるようになった。
③盲ろうの世界は「暗い」だけじゃない
─ 感覚とつながりが生む、新しい発見
盲ろうという存在は、視覚障害者や聴覚障害者に比べて数が圧倒的に少ない。 だからこそ、まだまだ知られていないことも多い。
でも、この世界は「大変そう」「暗そう」ってだけじゃない。 実際に入ってみて、私は思った。
盲ろうの世界って、知れば知るほどおもしろい。
感覚の使い方、伝え方、人とのつながり── 不便なこともあるけど、それ以上に創造的で、温かくて、豊かなものがあった。
④通訳・介助員という存在
─ 私の“目と耳”になってくれた人たち
あの日、私は支援センターにメールを送った。 手が震えて、何度も書いては消して、 ようやくたった一通のメールを送信した。
その出来事があったから、今の私はここにいる。
支援は、特別な人のものじゃない。 「必要になったら使っていいんだよ」──そう言われた気がした。
実際に私がどんなふうに支援と出会い、 どう気持ちが変わっていったのか。
支援って、なんだろう?
誰にも言えなかった心の中のことを── この先、有料部分でお話しします。
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