見出し画像

君のままで変わればいい〜『仮面ライダーアギト』総括〜

今年は仮面ライダー生誕55周年、そして『仮面ライダーアギト』放送開始から25周年である。
世間では明日に公開される『アギト 超能力戦争』の話題で賑わっているようだが、あんな同窓会映画なんぞどうでもいい。
『仮面ライダーアギト』の話をさせてください。


三人の仮面ライダー

本作は三つのヒーロー番組が並行して進み、徐々に交差していく特異な構成をとっている。ギャバンインフィニティはこれやろうとして滑ってる…?

①津上翔一/仮面ライダーアギト

既に仮面ライダーである男。序盤はキャラが定まりきっていない印象を受けるが、それが記憶喪失ゆえに自分の輪郭が掴めていない男として絶妙に機能していた。テレビ番組が生き物であるゆえに出せたリアリティだろう。
本能に刻まれた戦いの美学。第2話での暴走描写から、あの美しいカウンター戦法は翔一の意識ではなく本能による反射で戦っていることがわかる(第3話で理性の変身が可能になるが前作クウガほど親切な作りではないため分かりにくい)。
信じてもらえない正体。変身前が2.5枚目なヒーローは東映版『スパイダーマン』等の前例があるが、正体を明かしても翔一くんがそんなはずないと一蹴される展開は斬新。この日常の空気に溶け込みすぎるヒーローという構図は、後の仮面ライダーキバ等にも引き継がれることとなる。

②氷川誠/仮面ライダーG3(G3-X)

仮面ライダーになろうとする男。
今だけを見て突っ走る傍観者。彼は基本的に物語の核心からは蚊帳の外にいる。ただの人間であり、アンノウンとの因縁も薄い。しかし、過去や未来に囚われず、目の前の不条理に飛び込んでいくからこそ、彼は仮面ライダーなのだ。
その勇気はふだん嫌味な北條透に「貴方もまたアギトだ」と言わしめるほど。ライト層が彼を一番主人公らしく感じるのは、その愚直なまでの今を生きる姿にあるのではないだろうか?

③葦原涼/仮面ライダーギルス

仮面ライダーになってしまった男。
アギトよりも強いが、そんな力など現代社会においては何の役にも立たない呪いである。彼は善意で動くが、それがことごとく裏目に出る。いっぺんに酷い目に遭いすぎた反動か、悩み多き他の二人に対し、諦観しきっているため妙に精神が安定している。
弱みを見せることは殆どないが「変心」という意味での成長は彼が一番顕著なのではないだろうか。死に場所を探すための戦いをしていた葦原の最終決戦での言葉(後述)が全てを表しているのではないか。


​喪失、そして戦い

本作の登場人物の多くは、何かしら大きな喪失を抱えた者たちである。

①自分自身を投げ出すアギトたち

 翔一と葦原は守るべき自分自身の形を一度失っている。​自分自身が「空っぽ」だからこそ、他人のために戦う際にブレーキがかからない。
その自己犠牲の危うさが中盤までの彼らの強さであり、悲しみでもある。
​第35話から登場する4人目の仮面ライダー・アナザーアギト/木野薫についても話さねばならない。元々正義を愛し命の重みを知る男であったが、弟を喪ったことでブレーキが壊れ、アギトの業を一人で背負おうとする。
あかつき号での「自分の人生を狭くするのは他人ではなく自分自身なんだよ」という名言が見事にブーメランになっているのが皮肉である。
弟の右腕を移植しており、真島や葦原を殺害しようとする際、常にその腕が疼くことで致命傷を与えるに至れない。木野はそれを弟の意思のせいにしているが、実際は彼自身の奥底に残る理性が最後のブレーキをかけている。  

②​津上翔一と風谷真魚の共依存

翔一は真魚を妹のように扱っているが、深層心理では姉・雪菜を喪った痛みを抱えており、無意識に姉という存在を求めている。第3話で真魚に助けを求めて抱きつく描写はその象徴である。
真魚もまた父を喪っており、真相解明のために自らの超能力を警察の捜査に貸し出す。彼女は翔一にとっての帰る場所だが、家事や炊事を全て翔一に委ねている。この役割の捻れが、物語の後半で大きな意味を持つこととなる。


スピードを殺す物全て、振り落とせ!!

第34話における真魚と翔一のやりとりは、本作の核心を突くものである。

「翔一くん、人の居場所を守るために戦ってきたのに何で自分のためには戦えないのよ?」
「自分のため?」
「そうだよ。人のためにはあんなに勇敢だったじゃない。なら自分のためにも勇気を出しなよ!最初から怖がってちゃ、勝てるものも勝てないって!自分のためにも戦いなよ!よく分からないけど、それが人を守るってことになるんじゃない?」

第34話 呼び逢う魂

このセリフの真意を正確に捉えている者は少ない。
翔一はあかつき号事件の元凶である水のエルに敗北し、記憶はなくとも身体が刻んでいた根源的な恐怖によって戦意を喪失する。体力が回復してもなお恐怖に震える翔一に対し、真魚は彼が手塩にかけて育てた家庭菜園の野菜で弁当を作り、差し出した。
これまで家事のすべてを翔一に丸投げしていた真魚が、慣れない作業で指に切り傷を作ってまで、自分のために弁当を用意してくれた。その姿を見て、翔一は初めて「自分の居場所を守ってくれる存在」を認識する。ここでようやく、彼は守るべき対象である「皆」の中に、自分自身を含めることができたのである。
真魚のセリフは決して利己主義の肯定ではない。むしろ「他者のためという言葉を盾にして、自分自身の問題から逃げるな」という『鉄人タイガーセブン』最終回を思わせる厳しい叱咤であり、戦う当事者としての覚悟を促すものである。
これによりライダー16号・アギトは完成したのだ。


動き出してる未来を止められない

アギトはあかつき号事件の関係者だけがなるものではない。アンノウンに惨殺される人々を見れば、アギトという存在が人類全体の種としての進化であることがわかる。闇の青年(テオス)は、人間が自分の想定した枠を超えていくことを強く嫌悪した。第43話から45話にかけてアギトたちは力を奪われるが、その力は持ち主の元へ帰ろうとしていた。第46話で神を殴り飛ばした翔一によって三人のアギトは復活し、神は敗北し撤退する。
アギトが生まれ続ける未来はもう誰にも止められない。神が全人類の抹殺を企てたことで、アギトの第二部である第47~51話は神とアギトの戦いではなく、全人類が当事者となる物語へと変貌する。
アギトとして生きる権利を奪う事は神にも、そして日本政府にも許されないのである。
ところで本作の神様、こいつがまあ可愛いヤツなのだ。初めて自らの手でアギト候補を殺した際の痛みが消えず、以降は怪人に殺戮を丸投げし、最終的な抹殺計画も特定の星座の人間を自殺させるという遠回しな手段を選んだ。
火遊びを覚えた子供を許せないが、愛する子供たちを一度に殺めることには苦痛を感じる。その矛盾に満ちた姿は、神が自分に似せて人間を作ったという説に説得力を与える。
人間が素晴らしいのは、その創造主であるあんたが素晴らしいからだよ!!!


君のままで変わればいい

本作が貫き通したメッセージは、この一言に集約される。起きてしまった悲劇、失ってしまった大切なもの、そして本人の意思とは無関係に変質してしまった肉体。それらは決して元通りにはならないし、失われた時間は二度と戻らない。
変えられない過酷な現実にいつまでも駄々をこねて抵抗し続けるのではなく、その現実と折り合いをつけ、どう向き合って生きていくか。それこそがアギトという物語が提示し続けた救いである。
津上翔一は、自分の中に宿った恐ろしいはずの力を「この力がなければ死んでいた」「アギトになっても楽しいことがたくさんあった」と肯定的に捉え直した。過去の呪縛ではなく、今ここにある生の喜びを優先したのである。
木野薫は、かつての罪悪感からくる狂信的な使命感を捨て、死の間際に医者として真島に、アギトとして翔一と葦原に未来を託し、戦いの中で一人の人間として華々しく散った。
氷川誠は、超越者たちの戦いの中でただの人間のまま神の使徒に食らいつき、己の限界を知ったまま戦う最弱無敵の仮面ライダーへと至った。
そして、絶望の淵で常に死に場所を探し求めていたかのような葦原涼が、最終回で見せた「俺は不死身だ!」という力強い宣言。彼が過酷な運命をねじ伏せ、生きる喜びを勝ち取った証である。
​肉体が超越的な存在へと至る「アギト」になることは、種としての変化、すなわち変身でしかない。
しかしその力に呑まれず、あるいは力のなさに絶望せず、自らの意志で誰かのために、そして自分のために立ち上がる「仮面ライダー」になることは、精神の変“心”である。
たとえ世界が、あるいは自分自身がどれほど変わってしまったとしても、本質的な「君」を失う必要はない。そのままで、変わりゆく未来を受け入れ、歩き出せばいい。仮面ライダーアギトが描き切ったのは、超越的な神話ではなく、どこまでも泥臭く、それでいて気高い人間の再起と自由意志の物語だったのである。


最後に

​仮面ライダーアギトは本当に奥が深い。今回は四人の仮面ライダーに話題を絞ったため、語りきれなかった魅力がまだまだ沢山ある。
負けてしまった翔一のifである沢木哲也の存在、小沢澄子が持つ開発者としての狂気と矜恃、白倉Pも愛した『特捜最前線』を彷彿とさせる北條透と河野刑事のコンビ、美杉太一が榊亜紀に見た「母」の面影。さらに昭和ライダーやクウガにも引けを取らないケレン味溢れるマシンアクション、銃が決定打にならないからこそ際立つ一撃必殺の刀剣、パトランプやフィルターを駆使した独自の演出論など、枚挙に暇がない。
要はするに「私の一番好きな仮面ライダーはアギトである」ということだけ分かってくれればいい。

いいなと思ったら応援しよう!