正しい国家の終わり方

 村が燃える光景を、フィレーナは呆然と眺めているしかなかった。爆散した瓦礫が、家々の壁に誰のものかすら定かでない肉片と共に生々しく突き刺さっている。

 暗がりにおいても、鮮やかな紅が認識できたのは、村を包む炎に照らされていたからだ。地面には無数の死体が転がっている。

 まだ13歳のフィレーナにとって、その凄惨な光景はショックなどという生ぬるい言葉で片付けられるものではなかった。
 あらゆる臓腑を捻り潰されるような、脳みそをぐちゃぐちゃにされるような、そんな衝撃を受けた。父親の頭が瞬時に爆ぜた音、紅蓮の炎に包まれ、苦しみながら慟哭を響かせる母親の声が、フィレーナの耳から離れない。

 それでも、村の子供の中で一番の年長だったフィレーナは気丈に振る舞っていた。小さな子供たちを抱きしめ、全員が泣き喚く中涙すら流さず歯軋りする。

 そして恐怖を悟られないように震えを帯びる腕を抱え込み、抵抗を続ける村人を一方的に嬲っている男たちに憎悪の視線を送った。

 やがて大人の村人が全滅の憂き目を見た時、フィレーナは子供たちを庇うように立ちはだかる。

 男達は信徒を名乗る黒装束の集団で、眼以外を隠して不気味な雰囲気を醸し出していた。そんな男達に臆することなく、フィレーナは一歩前に出て問いかける。

「どうして……どうしてこんなことをするのですか!」

 フィレーナは涙を振り撒きながら、絞り出すように告げる。

「どうして? 愚問だな。我らは皇王の名において悪を裁いているだけにすぎぬ」

 他の信徒とは明らかに違う存在感を持つ一人の男がフィレーナの元に近寄ってくる。

 男の声は抑揚がなく、さも当然のように言い放った。そして見下すような目には、一切の温度が失われていた。

 皇王の名において庶民を処刑する、そんなのが日常茶飯事になっているからだ。今回もまた、自らの責務を全うする一つの行動に過ぎなかった。

 しかし辺境の地でそれを知らずに生きてきたフィレーナは、心のどこかで無駄だと分かっていても、反論を続ける。

「善良な村人を一方的に殺し尽くして、貴方達の方が余程悪です!」

 フィレーナは怒りを露わにして言い放つ。それに対して、男は鼻で笑うのみだった。

「なんと喚こうがこれから死ぬ者に何を説こうと意味がないことは分かっているゆえ、無駄に憤怒を表したりはせぬがな。我らに反逆したのだから、当然の仕儀だった。それは理解してもらえるだろうか?」

 子供だからと軽侮の口調を隠そうともしない。フィレーナがその態度に苛立ちを覚えることはなかったが、両親がいわれもない罪をでっち上げられた事実には怒り心頭だった。

「反逆って……お父さんもお母さんも、貴方達が無茶な要求を押し通そうとしてきたから弁明しただけでしょう!」

 フィレーナは拳に力を込めながら、臆せず一歩踏み出しながら告げる。

 信徒たちは突然我が物顔でやってきたと思えば、追加の年貢徴収と多額の献金を要求してきたのだ。

 それは決して豊かな暮らしを送れているわけではない村人にとって、致命的とも言える支出であった。

「敬虔なるロースメイティアの民ならば、この程度の苦難容易く乗り越えられるはずだ。お前たちは怠惰によってそれをハナから怠ろうとしておるのだ。これを悪と定義して何が悪いと申す?」

 純粋な声音で飄々と告げてくる頭領格の一人の様子を見て、そしてそれに同調するように小さく笑い声を上げる信徒たちを見て、フィレーナは何を言っても意味がないのだとようやく悟る。

 最初から命乞いをしたいわけではなかったが、隙を見て自分以外の子供達だけでも逃がそうと思っていた。しかしそれを見越したように信徒達は退路を封鎖する。
 逃げられると不都合だとでも言いたげなほど迅速な包囲だった。フィレーナは自らの無力を呪う。
 自分にみんなを助けられる力があれば、こんなことにはならなかったのに。そんな悔恨の念で、膝から崩れ落ちそうになる。
 それでもまだ立っていられたのは、まだ子供たちは殺されていないから。フィレーナの思考は、自分を犠牲にしてでも子供たちを逃がそうという方向にシフトしていた。未だかつてないほどに脳を働かせていると、

「そこまでだ」

 絶望的な状況で、月に重なりながら現れた一人の男に、フィレーナの目が途端に釘付けになった。
 星のように光り輝いて見えるのは、ピンチに現れた救世主だと期待したい思いが先んじてのものだろうか、とフィレーナは固唾を飲み込む。

「何者だ!」

 予想外の闖入者の登場に、信徒たちの目が見開かれた。フィレーナの目の前に着地した男は、にこやかに微笑んでみせる。
 ふわりと穏やかな風が舞い、フィレーナの瞳にその輝かしい立ち姿が映る。その口元から、感嘆が漏れた。
 瞠目して狼狽を露わにする信徒だったが、単独と見て即座に冷静を取り戻す。

「トワ、とでも名乗っておこうかな」

「知らない名前だな」

「しがない流浪の旅人さ」

「どこかの貴人かと思ったが、そうでないのなら容赦は要らぬな」

 突然の登場に動揺を露わにした男達だったが、トワと名乗る人物がただの人間だと分かり、再び余裕な空気を取り戻す。

「一応忠告しておくが、引っ込んでおく方が賢明だと思うが?」

 今なら見逃してやるぞ、と言わんばかりに言い放つ。

「余計な忠告だよ。それにしても君たち、ロースメイティアの信徒を名乗るなら、もう少しマシな振る舞いをしたらどうだい?」

 逆撫でするような呆れ声に、フィレーナの血の気が引く。わざわざ危険に身を投げ出して、たくさんいる敵を煽ったのだから。
 どうしてそんなことができるのだろう、とフィレーナは思ってしまう。相当な強さを持っていなければできない振る舞いだった。

「なんだその口の聞き方は! 余程死にたいようだな。お前たち、あいつを殺れ」

「まったく、短慮で粗暴なことこの上ない。ロースメイティアの信徒はもっと高貴な振る舞いを心がけるべきだと思うよ」

「余計なお世話だ!」

「君たちの狼藉は到底看過されるべきものではない。だから僕は容赦なく君たちを殺させてもらう」

 魔法を行使する信徒だったが、その攻勢がトワを貫くことはない。

「なっ!」

 傍から見ると何か能力を使っているようには窺えず、のらりくらりと躱しているようにしか見えなかった。

「ど、どうして当たらぬ!」

「君たちならもう気づいているはずだよ」

 そして次の瞬間、眩い光がトワを包み込む。 

「ま、まさか」

 見えずとも、その顔が青ざめたのが分かる。

「気づいたようだね」

 トワは極めて穏やかな表情で微笑んだ。

「衛霊の加護だな⁉︎ 貴様、衛霊術師か!」

「ご名答」

「なぜその娘と同様、それほどまでに恵まれた衛霊の加護を持っている!」

 衛霊術師はその名の通り、衛霊の加護によって魔法を自在に操る能力者。
 とりわけこの世界では希少とされ、滅多にお目にかかることができない存在だった。現在この国に衛霊術師は二人しかいない。
 衛霊の加護というものは、選ばれし者にしか許されない恵みだった。

「ふん、これから死ぬ君たちにそれを言う義理はないね」

「くっ、なぜ流浪の旅人なぞがその力を持っている……! 我らも運が悪い。こんな偶然に命を脅かされるとは!」

「これを偶然と思う時点で、君たちは愚か者だよ」

 トワは鼻で笑う。直後、聖なる光が信徒達を包み込み、一斉に苦しみ出す。
 衛霊術は様々な衛霊の力を借りるものだが、衛霊とは外敵から守ってくれる不思議な精霊。加害者に倒して敏感なためか、特に邪悪な存在に効果を示す。
 ゆえに、効果覿面なのは明白だった。
 あれほどまでに圧倒的な戦力を誇っていた邪悪な信徒を一網打尽にする光景に、フィレーナは唖然とする。

「それは……単なる衛霊術などではない……! もっと高位な、人間を超越した力……。それはまさか……!」

 苦痛に顔を歪める男は、何かに気づいたようだった。

「おっと、その先は言わないで欲しいな」

 次の瞬間、頭領の男は意識を失い倒れ込んだ。

「極力苦しまないように、と思ったけど。そんな温情は余計かな。善良な市民を一方的に殺したのだから、逆にもっと苦しむべきだった」

 歯を食いしばって耐えるような様子が、けたたましい悲鳴へとシフトする。この世の苦しみ全てを一瞬一瞬に凝縮されているような感覚に、悲鳴は長くと保たなかった。
 次の瞬間、一人残らず息絶える。
 未だ村の至るところに燃え盛っていた炎も一瞬にして消えると、トワはようやく一息ついた。

「さて」

 トワは大きく息を吐き、手の埃をパッパッと払った。

「ひっ……」

 子供特有の高音の悲鳴がトワの罪悪感を掻き立てる。一人、一番年上の女の子だけは恐怖をその目に宿すことなく、じっと視線を送っていた。
 そこに何か意思が介在しているわけでもなく、ひたすらに様子を窺っている印象にすぎなかった。

「怖がらせてしまったよね。ごめんな」

 トワは真っ直ぐに視線を向けることを憚られ、虚空に目を逸らしながら心ばかりの謝罪を述べる。そしてトワは、少女へと向き直る。反射的に少女の身体が強張り、表情が固くなった。

「そう警戒せずとも、僕に君たちを害するつもりはない。そこだけは安心してくれると嬉しいかな」

「わ、分かってるんです。貴方が私たちを助けてくれたことは。でも身体が勝手に警戒してしまって……」

 フィレーナは自分でも理解していながら、足の震えが止まらず必死に治めようと試みる。その姿勢を見てか、トワは微笑んで優しく告げる。

「この惨状を目の前にして、冷静にしていろっていう方が無理な話さ。僕が君の立場なら、きっと泣き喚いているだろう。君は強いね」

「強くなんか……。私、何もできませんでした。お父さんもお母さんも、死んじゃって。これからどうやって生きていけばいいのか分からないんです」

 幼くして人生の指針を奪い取られ、底なしの絶望に駆られているのがトワの目にも容易に見てとれる。それでもただその事実に悲嘆するのではなく、どうにかしたいと思う堅固な想いをトワは感じた。
 そしてその芯には“復讐心”が纏っていることも。

「君のご両親を復活させる方法があるかもしれない。そのためには君が強くならないといけない」

「え?」

 フィレーナの口から、虚を突かれたような声が自然に飛び出した。

「本当にお父さんとお母さんを生き返らせることができるんですか?」

 フィレーナはきょとんとしてするしかない。

 胡散臭い、そう感じてしまったのだ。助けてくれたとはいえ、この人が悪い人でないと言い切ることは不可能だ。半信半疑で、私は問いかけた。

「ああ。でもそのためには強くならないといけない」

 至って真面目な口調で、トワは真っ直ぐ告げる。

「強く?」

 私は強くなることを最初から放棄してしまっていた。
 私は弱い。
 だから自分には何もできないのだと思い込んでいた。

「どうすれば強くなれますか……?」

 自分でも驚くほどスッとその言葉が口から紡ぎ出される。自分のような悲しい目に遭う人を助けたい、その想いが心の中で発光していて、気づくと私はそれに呼応していた。

「僕の弟子になる気はないかい?」

「弟子……ですか?」

「そう。君には類い稀なる衛霊の加護がある」

「……衛霊の加護?」

 私は首を傾げた。

「その力があれば、この惨状を二度と引き起こさずに済むかもしれないんだ」

 私の心の身体が小さく跳ねる。

「今僕が消した忌々しい信徒は残念ながらまだまだ沢山いてね。目的のためなら手段を選ばない、この国を巣食う悪なんだ」

 トワさんから告げられた事実に頭がクラっとした。

「僕は奴らを滅ぼしたい」

 嘘をついているとは思えない、ひたすらにまっすぐな言葉で、絶対に成し遂げたいという信念が宿った口ぶりだった。私はその目を見て生唾を飲み込む。
 私からお父さんとお母さんを奪った人たちは、この国に沢山残っている。つまり同じ目に遭う人が、これから出るかもしれないのだ。
「それを手伝ってほしい、とまでは言わないし、強制するつもりはない。君が君の周りの人を守れるように、僕に君を鍛えさせて欲しいんだ」
 その言葉には重みがあって、本気で解決しようと思っていることが伝わってくる。
 一人でそれを成し遂げようとしていることに、尊敬の念を抱かざるを得ない。私がこの提案を拒否しても、また同じような目にあったらこの人に迷惑をかけるかもしれない。
 弱さを受け入れるとは、そういうことだ。
 この人についていけば、私は強くなれる。そんな確信があった。

 ……だけど私がこの人についていってしまったら、この子達はどうなるの?

 少し離れた場所でこちらを見つめる子供達は、一様に不安そうな表情を浮かべている。私が付いて行ったら、この子達は死んでしまうだろう。壊滅したこの町で生きていくのは難しい。どこかに移るしかないだろう。
 縁も何もない状態で幼い子供が食い扶持を得るのは、あまりに難易度が高い。
 私がいれば、なんとかなるという保証があるわけではないけれど。
 ここでこの人についていくことは、子供たちを見捨てると同義だと思った。
 本心から言えば、お父さんとお母さんを生き返らせることができるのなら、取り巻く環境なんて意に介さず飛びつきたい。でも、その選択を選んでしまう私を、私自身は許せなかった。
 両親と同じくらい、村の子供たちも大切な存在だから。どちらかを捨てるなんていう決断は、絶対に選びたくはなかった。それにお父さんもお母さんも、子供達を見捨ててまで可能性が未知数な『復活』という方法に縋ってしまったら、きっと怒られる。
 だから私は、その提案を断ることにした。

「でもこの子達を置いていくわけにはいきません」
 キッパリと告げる。
 私一人ですら、どうすれば良いのか分からないのに。
 けれどみんなも連れていって欲しい、それを言うのはあまりに傲慢だと思う。流浪の旅人と名乗っていたから、決してお金を持っていると言うわけでもないだろう。子供達全員を養うのは難しいし、旅の邪魔にもなってしまう。
 そんな私の心中を理解してか、トワさんはフッと微笑みかけてくれた。

「君は優しい子だね。もちろん、このまま子供達を放置しておくつもりはなかった。彼らは近くの街にある孤児院で預かって貰うつもりさ。勿論、冷遇なんてされないように僕の方から孤児院にお金を出すよ。こう見えて、それなりにお金を持っているんだ」

 トワさんは控えめに笑った。孤児が一般的にどのような扱いを受けるのか、私は知らない。村に孤児なんて一人もいないし、両親を亡くした子がいれば、互助の精神で誰かが受け入れる。そんな優しい人がたくさんいる村だった。
 だからこそ、このまま弱さを受け入れて悲嘆に暮れる自分の姿は、どうしても見たくなかった。 
 あれだけの能力を持っている人なんだ。きっと、凄い人なんだろう。

「話だけでも聞く気にはなったかい?」

「はい!」

 この人についていこう、私は迷いを吹っ切ってそう決めた。







「さて、何から話せばいいかな」

 トワさんは、少し離れた場所にある見慣れないお屋敷に私を連れてきた。周囲は静寂に包まれており、カラスの鳴き声が木霊している。
 しかしこれくらい大きなお屋敷であれば、集落の一つや二つが近くにあるはずで、人間の鼓動が全く感じられないのを感じて不気味に思った。

 なんでこんなところにお屋敷があるのだろうとか、こんなところでどうやって暮らしているのだろうとか、使用人なんかの姿も見えないのに、どうやってこんなに綺麗にお屋敷を整備しているのだろうか、などと考えてしまう。どうも浮世離れというか、トワさんを不思議に思わずにはいられなかった。もしかしたら錯乱した私が生み出した幻想なのかもしれない、とか。自分では流浪の旅人と名乗っていたけど、あれは偽の仮面だったらしい。

「あの、まずはどうして辺境の村にあんな恐ろしい人達がやってきたのかを知りたいです」

 それが一番聞きたいことだった。
 もちろん助けてくれたのは、たまたま居合わせたからというだけなのかもしれない。でも口ぶりを見る限り、何か理由を知っていると思った。

「奴らの狙いは村じゃないんだ」

「村じゃない?」

 なら何を狙ったと言うのだろうか。

「こんなことを言うのも酷いとは思うけど、資源も豊かな農地もない辺境の村に、信徒にとっての利用価値は無い。奴らの狙いは君だ」

「わ、私?」

 私は想像からあまりにかけ離れた回答に、思わず目眩を覚える。
 私が何かしたというのだろうか。
 頭を全力で回転させて、心当たりを思い返す。もしかしたら、何か重大なことをやらかしてしまっていたのか、と。
 でも記憶の限りでは、平和な日々しか残っていなかった。
 何か気がかりな出来事すらもこれといってなかったし、頭の中にますます疑問符が募っていく。

「あの時にも言ったけど、君には衛霊術師としての才能がある。有り余るほどにね。もともと衛霊の加護を受けている人間はほとんどいない。いや、衛霊の加護というのは寡少なれど万人が例外なく得ているものだから、少し表現が間違っているかな。その加護がある一点を超えると自由に使役する資格が与えられるイメージで、それを超える人間が少ない、といった方が正しいかな」

「さきほども仰ってましたが、そもそも衛霊って何なんですか?」

 私が知っている前提で話していたようだが、そもそも私は衛霊という存在を聞いたことがなかった。都会では常識なのだろうかと置いてけぼりな気分である。その加護に恵まれている、なんて言われてもイメージが湧かない。

「おっと、そうだったか。……子供たちは今回の一件で全員火傷を負っていたよね」

「はい」

「でも君は全くの無傷だ。これは偶然だと思うかい?」

 トワさんは視線を下げて一瞬の思案に耽ったのち、そう問いかけてくる。確かに命に別状はなかったけれど、子供達に関しては軽い火傷とはとても言えない症状だった。
 中には腕が黒ずんでいたり、皮膚が爛れている子もいた。

「いえ、幸運だとは感じませんでした」

 ここで幸運だった、なんて口にしたら私は最低な人間だ。むしろ自分だけ無傷だったのは不公平だとすら思ってしまう。そんな中で、火の粉を少なからず受けていた私は全くといっていいほど火傷がなかった。身体に当たる前に消失した感覚もあり、単に運が良かったでは片付けられない何かがあるとは思っていた。

「それは衛霊の加護があったからだ。衛霊は人間を守護する精霊だ。加護が少ない人間は怪我もしやすいし、病気にもなりやすい。でも君はきっと怪我とは無縁の生活を送ってきたんだろうね」

 この人の言う通り、私は怪我という怪我を負った記憶はない。暇さえあれば外で遊んでいたし、しょっちゅう危険を冒してきた。
 にも関わらず、一度も怪我したことがないというのは、これまで疑問に思わなかっただけでむしろおかしいことだったのだろう。
 でも……。
 私はグッと拳を握る。
 衛霊が守ってくれる存在だというのなら、どうしてもお父さんとお母さんを、みんなを助けてくれなかったの? 
 まるで想像のつかない存在を、私は責める。
 理不尽で身勝手な考え方だとも思う。だけどそう思わずにはいられなかった。

「衛霊術師としての才能が欲しかったから、信徒たちは君を襲ったんだ」

「でもあの人たちは要求を拒否したから村を襲ったって……」

 あの人たちの言い分を鵜呑みにするつもりはかけらもなかったけれど、何か事情があった方が多少は納得できるかもしれないと、淡い期待は微かにあった。あったところで許せることではないけれど、一方的な理不尽がどうしても頭で理解できなかったのだ。

「無茶な要求を拒否させることで、村を滅ぼすせめてもの大義名分を得ようとしたんだ」

「酷い……」

 自分の中に燻っていた無念さが、胸臆で音を立てた。

「まったく杜撰にも程があるとは思うけどね」

 呆れたようにトワさんは肩をすくめる。

「奴らにとっては親を殺せば拠り所を失い従順になる、とでも考えていたのかもしれないが、子供を前にして親を殺し尽くす行為がどれほど愚かなのか、性根が曲がりきった奴らには理解できないんだ」

 トワさんは今までの温厚な口ぶりとは打って変わり、語勢を強めて糾弾した。

「衛霊術は行使が難しい。だから若くして衛霊術を使いこなせるものはほとんどいないんだ。そして基本的に衛霊術師として覚醒した後の人間を意のままに操ることは困難を極める。だから使い方を理解する前に、洗脳しようと考えたのだろうね」

「どうしてそこまで私を……」

 理由は理解できたけど、村を滅ぼすほど執着する理由があるのだろうか。

「衛霊術師は信徒の中でも選ばれた人間の象徴とされていてね。それはロースメイティア皇王家が代々衛霊術師だから、この国では特に重んじられている存在ということになる。信徒が村を襲ったのは、君を聖女として旗頭にするためだ」

「なおさら村を滅ぼす必要なんてないじゃないですか……!」

 もしお父さんやお母さんが人質に取られたとしても、私一人があの人たちに従うことで全てが丸く収まるのなら、私は喜んで身を差し出したと思う。

でもそうなったら、二人とも私を心配して何かしら抵抗を示していただろう。

「信徒には普通の人間の常識は当てはまらないからね。最近はロースメイティア教の拡大が停滞していて、奴らも焦っていたんだ。信徒たちの間にも派閥というものがあるからね。各々が権益を得るために必死で強引に推し進めている。聖女を他の派閥に奪われるわけにはいかなかったから、あんな強引な手口を使ったんだ。もしくは……」

「もしくは?」

「いや、なんでもないよ。これはあまりに身勝手すぎるからね」

 トワさんは言い淀んで、しばらく瞑目してしまった。ただ、沈黙のせいか色々考えてしまい、これまでの話から一番嫌な想像が脳裏に浮かんできてしまう。

「……つまり私が衛霊の加護に恵まれているから、みんなが死んでしまう羽目になったんですよね?」

 それを私はつい尋ねてしまう。

「……」

 トワさんはそれに肯定も否定もしてくれない。私がいたからみんなが死んでしまった。その事実が重く心にのしかかってきてしまう。
 みんなが死んでしまうくらいなら、そんな加護は要らなかった。

「……いえ、それが事実でもここで自暴自棄になって全てを投げ出してしまう方が嫌なので、業として背負います」

 私は拳を強く握る。

「気に病むことはない。悪いのは全て横暴な信徒たちだ。君は一切悪くないんだよ」

 そんな私を見て、トワさんはしまったという様子で視線を彷徨わせた後、私の肩を優しく掴んだ。

「いいえ。私が強ければ、もっと早く衛霊術師として目覚めていれば、こんなことにはなっていなかったと思います。思えばこれまでの人生、気づくチャンスはいくらでもあったはずなんです」

 私は口元をキュッと結び、一拍置く。

「それを怠ったのは他でもない私自身。だから私、強くなります。もうあんな光景、二度と目の前で見たくないですから」

「……君は強いね。その歳でそこまで成熟した精神を持っていれば、きっと大丈夫だ。君なら世界最強の衛霊術師になれる」

 トワさんは深く頷いた。

「それに言っただろう? 君のご両親を生き返らせることができるかもしれない、と」

 それを忘れたわけではない。私は二人を生き返らせるために、強くなろうと決意したのだから。
 一度両親を失ったという事実は未来永劫消えることはない。そして二度目がない保証だってどこにも無いのだ。

「はい。私、そのためにトワさんに付いていきます」

 私は絶対に折れない、という意思を視線に乗せて、トワさんをしっかりと見据える。

「……ああ」

 少し切なげに見えたのは、私の気のせいだろうか。

「でもトワさんはどうしてそこまでしてくれるんですか?」

「そうだね。僕にももちろん打算がある」

「……打算」

「僕自身がロースメイティア教に悪感情を持っていてね。有体に言えば滅ぼしたいと思っている」

 強い言葉に、心がキュッとする。

「これに関しては一朝一夕に達成できることではないし、信徒にも善良な人間は沢山いる。長期的には、あるべき姿に戻したいんだ」

 あるべき姿、とはなんだろうか。

「今は宗教国家としての本分を忘れ、他国にまで刃を向けんとしている。これに歯止めをかけたいんだ。保護しないとまた信徒に狙われるだろうからね。君に強くなってもらって、信徒に襲われても対処できるようになって欲しい。まあ正直な胸の内を明かすなら、悪い信徒を滅ぼす手伝いをしてもらいたいところだけど、無理強いをするつもりはない。手を血で染める必要はないからね」

 完全な慈善の精神から私を受け入れているわけではない、そう分かって逆に安心した。あまりに虫のいい話だと、半信半疑になっていた自分もいたからだ。
 トワさんにもロースメイティア教に危害を加えられ、大切なものを失った経験があるのかもしれない。
 それを追及するような無粋な真似はしないけれど、自分と同じ強い感情を持っていることは感じ取れた。







 神聖ロースメイティア皇王国。

 バンクール大陸南西に世界最大の版図を築き上げた大国である。

 その名前から分かる通り、皇王を現人神として崇める宗教国家で、皇王は世襲で前任者の長子が選ばれる。
 前皇王・ルグダナが崩御し、それに連なる皇子・皇女は全員夭折か、泥沼の権力争いで命を落とした。
 現皇王オトハ・スプラナク・フォン・ロースメイティアただ一人を除いて。
 その全身は謎に包まれており、賢人会と呼ばれる最高意思決定機関に属する僅かな人間しかその姿を見たことは無いという。
 中には血筋が途絶えたことを賢人会が隠しているのではないか、とまことしやかに囁かれた時期もあった。だがそんな声はいつの間にか一切聞こえなくなった。
 見せしめとして、緘口令という表現が生易しい程の惨い処罰を受けた者がいると広まったのである。
 連座を恐れた国民はいつしか誰もその話題を会話に上げなくなったという。
 皇王家と賢人会によって抑圧された国、それが神聖ロースメイティア皇王国だった。
 だが、なぜそこまでの信仰を集めているのか。
 その信心深さの根源は、長き歴史のあるロースメイティア皇王家が、過去幾度となく悪を打ち滅ぼして世界を救ってきたっていう伝承にある。かなり誇張されて後世に伝わっている部分が多分にあるものの、全くのデタラメという訳でもない。 過去の皇王がことごとく悪を討ち果たしてその地を平和にした実際の出来事が、大袈裟に描かれ伝説となったのだ。そうした内容がいくつも綴られた聖書は、信徒にとってのバイブルになっている。

 ロースメイティア教の教えには、「悪を裁く」という要素が根底にある。ロースメイティア皇王家は代々、『皇王家の秘宝』と呼ばれる悪を判別する宝物を受け継いでいるからだ。強い衛霊の加護を持つ者に適合する性質を持っている。秘宝に適合した者には、瞳を通して悪を見つける力を持つのだ。実際、その能力に、衛霊の力に救われた者は数えきれない程存在する。

 故に、ロースメイティア皇王家は尊敬を一身に集めたのだ。

 だがいつしか信徒が、その能力を免罪符に、自分が悪だと認識したもの全てを反逆者として罰を与えるようになった。

 信徒らの狼藉は過激で枚挙にいとまがなく、民衆が逆らっただけで罪が着せるようにすらなった。

 信徒とは単なる信仰の徒ではなく、然るべき洗礼を受けるとともに、戦闘演習をはじめとする過酷な訓練をこなした者にのみ与えられる称号のようなものだった。
 普通の国家で「兵士」に相当する存在だ。
 そして演習を乗り越えた信徒には治安維持の名目で特権が与えられ、各地を偉そうに闊歩している。
 地獄を乗り越えたからこそ、一般の民衆を見下す者も多いのだ。
 神聖ロースメイティア皇王国はいわゆる徴兵制を敷いてはおらず、あくまで立候補制だからだ。 無論それだけでは信徒は十分に集まらないため、孤児を引き入れたり、勧誘活動を積極的に行うことで兵を確保している。
 それゆえに、信徒たちの間では兵役に就かない者たちを陰で責め立てる、そんな風潮が根付いていた。

「なんだかいびつな関係、ですね」

「うん。信徒たちは国民を守ろうなんて思っちゃいないんだ。だからだろうね。信徒に独善的な人間が多いのは。悪を自分で定義づけ、身勝手な正義を強権的に振りかざすことで悦に浸っている」

 トワは肩を竦めた。

「師匠がロースメイティア教を疎む理由もうなづけますね」

「あまつさえ君を攫い旗頭に据えようとまでしたんだ。あるべき姿から逸脱しているのは日を見るより明らかだ。だからこれ以上、増長なんてさせちゃいけない。世界のバランスすら崩しかねないからね」

 トワは遠い目で虚空に視線をやる。その胸中には複雑な心境が渦巻いていた。

「私、何も知りませんでした。この国がどんな国なのか、どんな現状にあるか、知ろうとも思いませんでした」

「無理もない。ここは王都からも遠い辺境だ。国への帰属意識なんて、持つ必要もないよ。知らなくてよかったことの方が多いくらいだろう?」

「それはトワさんが悪い情報ばっか言うからじゃないですか? きっといいところもたくさんあるはずですよ」

「そう言ってくれると有難い限りだけどね」

 トワは力無く微笑んだ。

「どうしてありがたく思うんですか?」

 フィレーナはその反応を見て、眉を顰めながら告げる。

「……僕も元々は王都にいたんだ。衛霊術師はただでさえ貴重な存在だからね。良いように使われるのに嫌気が差したんだよ」

 一瞬しまったと言う表情を見せた後、苦笑いで答えて見せた。

(……失言?)

 フィレーナは何か重大な真実がその言葉に隠されているような気がしたものの、誰にでも言いたくないことの一つや二つある。

 ここで追及するのは、きっと良くないことだ。フィレーナはそう自分を戒めた。少し話を逸らしてしまった自覚がトワの胸を覆う。
 フィレーナは違和感を胸にしまい、納得顔で頷いた。

「こんな大きな屋敷に住んでいるくらいですから、相当な功績を立てられたんですね」

「……そんなことは無いよ。というか僕の話はいいんだ。そろそろ衛霊術師になるための訓練を始めようか」

 トワは無理やり話を切り上げるべく、パンパンと手を二度叩いて空気をリセットしようとする。

「はいっ」

 フィレーナはトワの思惑通りに背筋をピンと伸ばし、元気よく返事を響かせる。トワは自分の事情にこれ以上突っ込まれるのは避けたかったので、ホッと胸を撫で下ろすばかりだった。

「まず、衛霊術師としての心得を二つ、伝えておく。一つ目は無闇に人前で使用し、その能力を誇示してはいけない。なぜか分かるかい?」

 トワは指を二本掲げながらフィレーナに尋ねる。

「狙われてしまうから、でしょうか?」

「それもあるね。敵対なんてされたらたまったもんじゃない。それでも、大規模な捕獲部隊なんて編成されたら、いくら衛霊術師としても捕えられてしまう」

「衛霊術にも弱点があるということですね」

 フィレーナは察しよく答える。

「そうだね。今回は君がまだ力の使い方どころかその自覚すらないと知っていたから、信徒たちは他の派閥に取られる前になるべく早く君を手に入れようと試みたんだ」

「なるほど……」

 フィレーナは納得顔でうなづく。

「でも、本質はそこじゃない」

 端的に言えば、今回襲ってきた信徒は焦っていたのだ。そのおかげで、トワ一人で蹴散らすことができた。
 もし万の軍勢なんて率いてこられたら、どうにか逃げ延びる術を模索するしかない。でも今いる屋敷は絶対に安全だという安心が心の中にはあった。
 万一見つかっても、闖入者の察知は衛霊の加護によりすぐ分かる。
 それに、トワには別の拠点もある。そこに逃げ込めば、命の危険に晒されることもない。

 そのためトワはある程度楽観的に見ていた。

「本質?」

「そうだな、衛兵をイメージしたら分かりやすいだろう。衛兵が張ってる場所は近づきにくいと思わないかい? 何の力も持たない人間ならば尚更ね。たとえ悪いことをしてなくても、自然と身体が遠ざけてしまう」

 トワは例を上げながら説明する。
 例えば皇都の衛兵はそれなりに練度の高い魔術師だから、多少腕っ節に自信のある程度の一般人には到底対抗できない。

だからこそ、表立って楯突く人間もそうそういない。

「うちの村にも衛兵は居ましたけど、幼い頃から顔見知りで両親とも仲が良かったようですから、頻繁に家にきては、お父さんと酒を酌み交わしていました。だからいまいちピンとこないです」

 規模の小さい村とあっては、全員が顔見知りで犯罪が起こる素地なんてない。全員が助け合って生きてきたのだ。それゆえに、フィレーナは首を傾げるしかない。
 それだけ平和だったからこそ、外敵に対する備えが無かった。
 もっとも、魔術師や手練の剣士など、信徒は一人一人が尋常でなく強い。だから備えがあったとしても跳ね除けることは困難を極めた。

「君の村は全員が家族のようなものだったんだろうね。でも、普通の街は悪さを企む人間が必ずいる。そのために衛兵はいるんだ」

 家族、という表現に、トワ自身が羨ましさとやるせなさが入り混じった複雑な感情に駆られる。

 今回、フィレーナ自身が悪意を全身に浴びる機会を被った。人間の醜さを、認めざるを得ない。トワはそれを冷酷に突きつけた。

「……考えが足りませんでした」

 フィレーナはしゅんとして視線を下げる。

「でも衛兵はまだいいさ。彼らは明確に正義の下動いている。待遇に不満があったって、国家権力に楯突く能力は持ち合わせていないからね。だが衛霊術師はどうだい? 衛霊術師が正義だなんて、誰も証明できない。衛霊術は最強の力だ。何者にも太刀打ちはできない。その力を見た多くの人間に畏怖を植え付けるだろう。でも畏怖とは恐怖とほとんど同義だ。そんな力を持った人間が近くにいたら、無意識に遠ざけてしまう」

「普通の人間じゃ到底敵わない、ということですか?」

「ああ。人智を超えた力というのは、そういうものなんだ。魔法なんかじゃ太刀打ちできない。そういう力だってことを、まず理解してほしい」

 トワは神妙な表情で肯定した。劇物は取扱に細心の注意を払う必要がある。衛霊術とはそういう力だった。

「はい。無闇に人前で使うことは絶対にしません」

 フィレーナはやや強張った表情で、コクコクと頷く。

「うん。でも人前で戦わないといけない時はたくさんある。だからまずは魔術も教える。衛霊術師に魔術を扱えない人間は居ないからね」

 衛霊術師自体のサンプル数が極端に少ないため断言はできないが、トワにはその確信があった。

「分かりました。使えるように頑張ります」

 フィレーナは拳を握った。

「そして二つ目だ。自分のためでは無く、他人のために行使しなさい。これは言わなくても理解できるね?」

「師匠が私を助けてくれたように、誰かを助けるために衛霊術を使えと、そういうことですよね」

 元々そのつもりだ、とフィレーナは鷹揚に頷く。

「そう。そもそも衛霊の力を自分のために使う必要はないだろう? 衛霊がその身を守ってくれているからね。衛霊術師はそのせいか、普通の人間よりも寿命が長い。特に先天的な加護持ちはね」

「先天的? 後天的に獲得する場合もある……ってことですか?」

 それなら誰でも衛霊術師になれる、ということではないのだろうか。もしそうなら、自分に固執する必要はないはずだから、何か特殊な条件があるのだろうか、とフィレーナは考え込んだ。

「あっ……と。話しすぎたね。忘れてくれ」

 珍しくトワが動揺を瞳に纏わせる。どういうことなのか尋ねたかったが、以前と同じようにグッと飲み込み、追及することはしなかった。

「分かりました。二つの心得、肝に銘じます」

 握った拳を心臓の前に据えて、瞑目しながら答えた。

「よし。とりあえず座学はこれくらいにしておこうか。きっと実際に試してみたほうが、イメージはずっと鮮明になる」

「はいっ!」

 快活な返事に、トワは柔和な笑みで応えた。







 魔法には火・水・風・土の基本属性がある。その基本から派生した形で、様々な魔法が世の中には存在する。複数の属性を持っている人間であれば、それらを掛け合わせて強力な魔法を生み出す者もいる。ただその属性とは先天的なもので、適性がなければ扱うことはできない。

 そもそも魔法を使える人間は限られていて、魔法を自在に使いこなせる人間すらごく僅かなのだ。そのため魔術師というのは希少価値のある存在とされている。

「……私の村を焼いたのは、火の魔法ですよね?」

「……有り体に言えばそうだね。でも信徒たちは四つの属性持ち全員がいた。火に忌避感を抱くな、というのは無理があると思うけど」

 フィレーナの目には、村が焼き尽くされる光景が色濃く残っている。それゆえに、火に強烈な抵抗感を覚えるのも無理はなかった。ただそこに重々しい怨嗟の念がこもっているかというとそうではなく、魔法自体への抵抗感とは程遠い印象をトワは受けた。

「いえ、すみません。私はどの属性に適性があるんですか?」

 フィレーナはハッとして頭を下げる。

「衛霊の加護があれば、四つの属性を使いこなすことができるさ。まあ全てを習得するのには莫大な時間を要す。だから今回は、一つの属性を極める方向でいこう。もしこの先他の属性を使いたいということがあれば、自分で試行錯誤するといいよ」

「分かりました。でもどれを極めればいいんでしょうか」

「初心者でも覚えやすいのは水だろうね」

 実際のところ、人によって覚えやすい魔法というのは異なる。だがトワがあえて水魔法を勧めたのは、フィレーナが火に恐怖を覚えているように見えたからだ。恐怖を払拭するには、対抗手段を持てばいい。そう単純な話でもないが、対抗手段を持つことである程度恐怖感が薄れるはずだ。火に対しては、水が効果的な相性を示す。
 この世界にはしばしばこのように言われる。

──火は風によって強さを増し、風は大地を巻き上げる。大地は水を吸収し、水は火を消し止める。

 一般的に相性とされているのが、この言葉の通りだ。火は風に強く、風は土に強く、土は水に強く、水は火に強いという構造。使い方次第によっていくらでも挽回できるため、この相性というのはあくまで参考程度ではある。
 ただ、火が水に強いというのは一番イメージがつきやすいだろう。
 水魔法は水を発出するだけでなく、湖や海の水を自在に操ったり、雲を誘導して雨を降らせることができる。極めることで対象を一瞬で凍りつかせたり、氷の矢で貫くこと、雪を降らせることだってできる。
 特に農作物を適切に育てるため、雨を降らせることができるのは非常に重宝される。
 村に一人水属性の適性持ちがいれば、村中を狂気にも思えるほどの祝福が飛び交う。村を挙げて宴が催され、三日三晩踊り狂う。それほどまでに、水魔法は有用で汎用性の高いものでもあった。
 しかしその一方で意図的に洪水を起こす犯行が各地で観測されることがある。
 無論それができるのは魔法の練度が相当高くなければできないので、悪意による犯行というのはそこまで多くはない。
 とはいえ、放火とは違い人為的と判断できる材料が薄いのが、各国にとって小さくない悩みの種になっていた。
 もっとも、火属性には「危険」というイメージが定着していることもあり、半ば免許制になっている。
 火属性の魔術師だけは、生まれた時に出生報告が義務付けられ、成人前に試験を受けて通過したものしか使うことが許されない。火属性に関しては人間が単独で使うことは困難を極め、触媒となる鉱石が必要になってくるのだ。無論国はそれらを市場に回すことを禁止し、許可を得た者のみが手にできるよう計らっている。

 一方で神聖ロースメイティア皇王国はむしろ火はその殺傷能力の高さゆえに脅しの道具としても役立つからと習得を推奨したりしているので、トワは改めて狂った国だとため息をつくばかりだった。

「まず水魔法を使うためには、水との調和が不可欠になる。

「水との調和、ですか?」

「うん。身体の中にあるマナの流れ、その全てに神経を研ぎ澄ませ、外にある実体の水と繋ぎ合わせるんだ」

「なるほど?」

 フィレーナはいまいちピンとこない様子である。

「実体の水とは、大気中にある水分、空に浮かぶ雲、川を流れる水、土を潤わせる水気、植物が根から吸い上げた水。そういったあらゆるものを指している。まずは身近な水を思い浮かべてみるといいよ」

「やってみます」

 そうすることで、自分の中にある水属性の権能が発出する。

「瞑目して、深呼吸だ」

 フィレーナはその声に従って、大きく深呼吸をする。

「そうだ。すごいな、一回目だというのに目に見える段階までくるなんて」

 トワがフィレーナの様子を見守っていると、身体の周りにいくつもの小さな水球が浮かび上がってくる。しかし、それは重力に従って地面に落ちた。

 でも普通はどんなに進んでもイメージを掴むくらいで、目に見えるレベルになるまでは少なくとも一週間はかかる。魔法の属性を持っていても、それを使えるようになるのは簡単ではないのだ。

 ただ、一度イメージが掴めればあとは反復していくことで身体を慣らし、平時でなくても安定して魔法を使えるようになってくる。

「えと、まだ使えるような感覚はないです」

 少し不甲斐なさそうな様子で肩を落とす。

「そりゃあ、一日二日で習得できるようなものじゃないからね。魔法属性を持っていても、生涯使えない、なんて人も少なくない。だから一発でここまでできるのは、本当にすごいことだよ」

 トワはフィレーナの才能をべた褒めする。言葉で少し説明しただけで実体の水を精製できる人間は、滅多に存在しないのだ。

「えへへ、ほんとですか?」

 フィレーナは照れ臭そうにはにかむ。トワにとっても嘘偽りのない賞賛の言葉だった。

(魔法は問題無さそうだな。思った以上に才能がありそうだ)

「まずはこれを反復して、自分の意思で動かせるようにするんだ。まあフィレーナならすぐにできそうだね」

「分かりました!」

 フィレーナは快活な声を響かせる。

 トワはこの飲み込みの早さであれば、習得までそう時間は掛からないだろうな、と薄く笑った。







 頭上には控えめな虹が掛かっている。近くの水源から持ってきた大量の水が、屋敷を丸洗いしているのだ。
 フィレーナは最初から屋敷が埃まみれなのが気になっていたようだった。
 発生させた大量の水によって、煤のように黒ずんでいた屋敷がみるみるうちに綺麗になっていく。

 魔法という概念を説明してからちょうど十日。 
 フィレーナは目まぐるしい成長速度で魔法を完全に習得してしまった。

 魔法学校で教える汎用魔法の全てを完璧に使いこなし、トワは感嘆の吐息を漏らすばかりである。

 普通の人間が二年かける魔法学校でのプログラムを、たった十日という短期間で完遂してしまったのだ。

 しかもトワが実際にやって示すのではなく、イメージを言葉で伝えるだけで次々と使いこなし、完璧に習得した。

「魔法についてはこれくらいでいいかな。汎用魔法だけでも十分に戦うことはできる。もしこれ以上やりたいなら、自分で考えてくれ」

 自分ではもう教えることはない、と言わんばかりにトワは訓練を打ち切った。

「ではついに衛霊術、ですか?」

 期待と不安の入り混じった表情をフィレーナは向けてくる。

「そうだね。衛霊術は魔法とは比べ物にならないくらい難しい。それを自覚して、根気強くやっていこう」

「大丈夫ですよ。覚悟の上ですから」

 トワ自身、フィレーナの覚悟を甘く見ていたわけでは決してないが、そこには確かな熱がこもっていた。

「衛霊っていうのは実体としてのイメージはつきにくいと思うけど、使役するためには密接な繋がりが不可欠になる。だからイメージがすごく重要なんだ」

 衛霊術は魔法とは違って自分の中にある魔力に働きかけるのではなく、自分を包む衛霊という存在の力を借りるものだった。

「衛霊ってどういう存在なんですか?」

「言葉として表現するのはちょっと無理かな。だから、実際に目に見える形で見てもらうことにするよ」

 衛霊は超自然的な存在であり、想像力を働かせてイメージしろというのがそもそも難しい話だった。

 トワはリラックスした様子で瞑目する。

「我は衛霊の加護を得るものなり。この身の安寧と引き換えに力を貸したまえ。さすれば父祖の恩寵をも授からん」

 詠唱の直後、トワが眩い光をその身から放つ。そして近くを走っていた数匹の魔物を包んだと思えば、次の瞬間跡形もなく消し去ってしまった。

「やっぱりすごい……」

 フィレーナがどこか恍惚とした表情で虚ろに呟く。衛霊術とは、血すら弾けず、骨の灰すらも残らないほどの威力を備えた、文字通り存在ごと消し飛ばす禁術なのだ。

「僕は詠唱が無いと衛霊術を使うことができなくてね。不器用なのか、衛霊に信頼されてないのか、全く不便な限りさ」

「でも、はい。イメージは掴めました。それが衛霊さん、なんですね。確かにこれは言葉で表現できる代物では無い気がします」

 清流のように不純物を含有せず。

 海のクラゲよりも眩い光を放ち。

 夕陽を反射する水面のように神秘的で。

 生まれたての赤ん坊のように無垢な風貌を携え。

 人魚のような妖艶さを備え。

 真っ暗な洞窟に差し込む一筋の光のように圧倒的な存在感。

 眼前に顕在した時の霊妙さは、見惚れてしまうほど。

 そしてそれはすなわち、人間との強い結びつきが可視化された証左でもある。

 トワは信頼とか軽く口にしていたが、もっと高尚な次元の概念を創り出す必要がある、そう考えさせられてしまうような存在だった。

「彼らは明確な意思のもと動いている。こちらの呼びかけに応じ、実体化するんだ。結びつきが強ければ強いほど、使役者の思うがままに利用できる。おそらく君ならば、頭の中でイメージするだけで思い通りになるはずさ」

 衛霊は外部からの衝撃を吸収し、エネルギーとして溜め込んでいる。

 それを放出することで発揮できる力なのだ。だから無限の力ではない。

 とはいえ、人間とは生涯を通じて、怪我や病気などによって身体に様々な種類の毒を蓄積するものだ。全く怪我も病気も負わず障害を全うできる人間など存在しないのだ。

 それゆえに衛霊とは通常、人間が生涯を通してとても使いきれないほどのエネルギーを溜め込んでいる。
 だから枯渇とは無縁の代物だった。
 人間という存在の矮小さゆえと言えるかもしれない。

「やってみます」

 フィレーナは鮮明に瞼に焼き付いた光景を反芻し、小さく息を吐く。目に見えないはずの衛霊という存在を、形として認識すること。
 それが、衛霊術師としての第一歩だった。 
 数分、数時間にも感じられるような長い沈黙ののち、唐突に衛霊が一つ視認できたと思えば、連鎖するように次々と光り輝き始める。

「……まさかこれほどだなんて」

 トワは反射的に口を半開きにし、宙に浮かぶ衛霊を見つめる。魔法を覚える時に見せた適応力とは、また別の次元のはずだった。
 にも関わらず、トワが一度見せただけでその存在を明確に認識している。
 衛霊の一つ一つと濃密に結合せしめ、トワのそれとは明らかに力強さが異なる領域へ既に至っている。それはトワを軽く凌駕するほどの衛霊の加護に恵まれていることを示していた。

 もはや才能などという言葉で片付けられるようなものではない。フィレーナが世界に愛されているのだという事実を、鳥肌を覚える程にトワはその身体へ刻み込まれた。
 畏怖にも似た感情に身体を震わせながら、トワはしばらくその様子を見守る。
 そうしていると、体力が限界を迎えたのか額に脂汗を滲ませたフィレーナは、一斉に衛霊との結合を解き、その場にへたり込んだ。

「ご、ごめんなさい。なんか急に眩暈が」

「身体に力が入りすぎなんだ。必要以上に踏ん張ると、体力だって大きく消耗する。今なんて世界の衛霊全てを自分の加護にしそうな勢いだったからね」

「ま、まさかぁ。冗談ですよね?」

 あながち間違ってもない、などと告げることをトワは控え、苦笑で応えた。今の表現は大袈裟だとしても、この広大な森全体の加護を我が物にせんとする勢いがあったのは確かである。

「でも、うん。すごいよ、フィレーナは。初めて衛霊術を学んだとは思えないくらい、吸収力というか、才能に優れている」

 どんな言葉を用いても陳腐になりそうな気がして、トワは歯切れの悪い言葉で褒めちぎるしかない。

「師匠の教え方が上手いんですよ」

「僕は何もしてないさ。やって見せて、アドバイスをちょこっと授けただけさ。あとは全部君の力だ」

「えへ……師匠は褒めるのがお上手ですね」

 フィレーナはくだけた表情で照れて見せる。トワはその様子をただ微笑ましく見ているだけだと思いきや、そうではなかった。
 そこには打算的な色があって、弛緩した空気には似つかないもので、フィレーナは思わずトワの顔を覗き込んだ。

「師匠、どうかしましたか?」

「あ、いいや。なんでもないさ。さあ、この調子でどんどん行くぞ。今のイメージを忘れず、力の制御をしつつ自在に使えるよう頑張ろう」

「はいっ!」

 気を取り直して、と微かにぎこちなさを残した笑みでトワが告げると、フィレーナは応じるようにキリッと表情を改め、背筋をピンと伸ばした。







「明日はヒルガルムに行こうか」

「え、きゅ、急にどうしたんですか!?」

 私はいきなりの提案に吃ってしまう。少し恥ずかしくなって、口をモニョモニョとして誤魔化した。
 ヒルガルムとは、私が生まれ育ったコルク村で生き残った子供達が暮らしている町である。トワさんの計らいで何不自由なく暮らしていると聞いたし、みんなからの楽しげなメッセージが書かれた手紙を貰っていた。
 来るたびに頬がほころんでしまうのは、みんなが下手だけど味のある私の似顔絵を書いて送ってくれるから。
 それを見て、トワさんはいつも微笑ましげに眺めてくるので、少しむず痒さを感じていた。

「だって子供達のことが心配なんだろう? 安全で不自由なく暮らしてるとはいっても、彼らは子供だ。寂しい思いをしてるかもしれない。君はお姉ちゃんなんだろう?」

「……はい」

 図星だった。幼い頃からずっと世話をしてきたから。離れ離れになるのは寂しい。きっと、私の方が寂しいと思ってるかもしれない。
 子供って意外と逞しくて、意思が強いのだ。でも、私はそんな寂しさを表に出したつもりはなかった。
 離れていても、私が頑張ればみんなを守れるから。そんな私の気持ちを、トワさんは多分慮ってくれた。その優しさに触れ、私の心が暖かみを帯びる。

「ここからヒルガルムまでは馬車で半日かかるから、泊まりになると思う。そのつもりで準備して欲しいな」

「分かりました! 楽しみです!」

 家族を失った私にとって、子供達の健在は心の支えになっている。私がトワさんの下でお世話になり始めてから、たった二ヶ月という短い期間にもかかわらず、五年くらい会っていない気分だった。子供達はみんな一緒に育ったから、兄弟みたいなもので。
 だから、私が一番寂しいのだと思う。こんなこと、子供達には言えない。きっと揶揄われてしまう。
 翌日が楽しみで、その夜私は寝付けなかった。 
 一睡もできなかったわけじゃないけど、一晩中ずっと宙を浮遊しているような感覚だった。

 寝不足のまま馬車に乗り込んだら、ちょうど心地の良い塩梅で揺れるので、私はすぐに寝ついてしまう。私が楽しみで眠れなかったと知ったら、トワさんは子供っぽく思うだろうか。そうだとしたら、少し恥ずかしいな。
 そんな恥ずかしさよりも眠気は強烈なものだった。到着直前にハッと目を覚ました時には既に手遅れだった。薄目でトワさんの方に目を向けると、運悪くこちらを向いていて、目がバッチリ合ってしまった。

 あるいは馬車に乗っている間ずっとこちらの様子を眺めていたのかもしれないと思うと、赤面を隠せない。だらしない寝顔を見られたと思って顔を覆った。

 熟睡している時なんて、特に碌な顔をしていない。こんなことならもっと早く寝れば良かったと思ったけれど、寝付きの悪さを見越して早くベッドに入っていたのを思い出し、呆れからくるため息を漏らした。

「お、見えてきたよ。あれがヒルガルムだ」

 眼前には街の中心に大きな時計塔が聳える街が見えてくる。

「大きい街ですね」

「そうでもないよ。神聖ロースメイティア皇王国では五番目くらいの規模かな。紅茶の茶葉で有名なんだ」

 紅茶はトワさんと出会って初めて飲んだ飲み物だ。名前だけは聞いたことがあったけど、嗜好品の一つなのもあって村にはなかなか流通することはなく、口にする機会には恵まれなかった。

「へぇ〜そうなんですね! 紅茶って、いつも飲んでいるのはもしかしてヒルガルム産だったりするんですか?」

「その通り。いい茶葉を出すお店がたくさんあってね」

 トワさんの淹れる紅茶は、絶品なのだ。なぜそんなに淹れるのが上手いのだろう、と不思議に思っていたけど、紅茶に精通していたことが分かって、納得した。

「それに起因してか、オシャレなお店も多いんだ。観光客も国内外からたくさん訪れていて、経済がよく回っている。だから比較的裕福な街なんだ」

「だから綺麗な街並みなんですね」

 他を知っているわけではないけれど、少なくとも道中で見た町にはこれほど綺麗な街並みは無かった。

「極め付けに王都から離れているから、厄介な信徒だって少数派でね。おかげで治安もすこぶる良い。子供達が育つには最適だと思ったんだ」

 後半に行くに従い饒舌になっていくトワさんだったが、治安がとてもいいと聞いてとても安心した。

 もし町の治安が良くなくて、孤児院から出ることすら許されないとなれば、きっと窮屈だから。守衛の確認を受けて、無事私たちは街に入ることを許された。守衛がやけに畏まった様子だったけれど、衛霊術師とはそういうものなのだろう。別に自分を敬って欲しいという気持ちがあるわけではない。
 ただ、師匠が凄い人なんだと肌で感じることができて、充足感が胸を覆っていたのは確かだった。

 街の中心部から少し外れた閑静な住宅街の一角に、孤児院はあった。国の財政が悪かったり、政情が不安定だったりすると、孤児院は補助金をあてにできなくなり、赤字経営に陥ってしまうという。そして国民が貧困に喘ぐようになると、身を寄せる孤児が増え、やがて飽和して受け入れが難しくなる。
 ただヒルガルムの孤児院は、トワさんの資金的な援助もあって財政的には健全であり、院長も信頼できる人間が務めているという。

 孤児院の門構えは想像より大きく、私は思わず生唾を飲み込んだ。トワさんは一切の躊躇なく孤児院の扉を開けて中に入っていく。

「やあ、フーリエ。お邪魔するよ」

「これはこれはお久しゅうございまする。しかし突然ですな。一言あればお迎えにあがったものを」

 老紳士といった風貌で、突然の来訪に少なからず驚いている様子だった。それでも動揺が言葉に乗るようなことは決してなく、柔和な笑みで私たちを迎え入れてくれる。

「そんなことしたらフーリエは過度にもてなそうとするだろう?」

 どのような間柄なのだろう。つい気になってしまったが、少し離れたところからこちらを見つめる瞳に気づいて、私はそちらに目を向ける。

「あ、フィーナ姉じゃん!」

 親しみのこもった呼び名に、懐かしさを感じる。真っ先に駆け寄ってきたのは、ブラットという十二歳の男の子。
 私を除けばコルク村で最年長の子供になる。元気いっぱいな印象は全く鳴りをひそめず、寂しさとは無縁の生活を送っていると一瞬で分かった。 
 そのことに、ひとまずホッとする。
 ゾロゾロと後ろからやってきた子供達は来客に最初は緊張した面持ちだったようだが、私の顔を確認すると表情が一気に綻んで歩み寄ってきた。 
 一番下の子はまだ二歳にもならない幼児で、どうやら別の部屋で寝息を立てているようだった。

「おい、お前」

「なんだい?」

 ブラットがトワさんにぶっきらぼうな態度で睨みつけるのを見て、私は顔面蒼白になってしまう。幸いにもトワさんに気分を害した様子はないが、自分たちを助けてくれ、その上寝食に困らない環境を用意してくれた人に対してする態度ではない。

「ブラット!」

 私は思わず声を荒げてしまう。自分でも出したことのないような、ドスの効いた、とまでは行かないけれど、迫力が乗った声だったと思う。だからブラットもギョッとして視線を彷徨わせるばかりだった。

「いいんだ、フィレーナ。ブラット、話があるんだろう?」

 トワさんは私を宥めようとしたけど、どうしてそんな寛大に振る舞えるのだろう、と疑問に思わずにはいられない。

「あ、うん」

 私の怒鳴り声で毒気が抜かれたのか、普段の年相応のあどけなさを帯びた声で頷く。トワさんが言うのだから、とそれ以上言葉を発することは控え、私は一歩下がって見守ることにした。

「ほら、なんでも言ってくれ。今の生活に不満かい?」

「違う」

「それならいいんだ。なら他に何か気になることがあるのかい?」

「そうだ」

「君たちには不自由はさせたくない。なんでも言ってくれ」

「俺たちのことはいいんだ。何も困ることなんてないし、フーリエも良くしてくれる。そのことについてあんたには感謝してる。これ以上望んだらバチが当たる。言いたいのはそのことじゃない。フィーナ姉のことだ」

 ブラットはこちらを一瞥して、再びトワさんに鋭い眼光を向ける。

「私?」

 思わず声を上げてしまう。一体私がなんだというのだろうか。ブラットは私が不自由な生活を送っているとでも思っているのかもしれない。そんなことは全く無いから安心して、と告げようとしたが、ブラットはトワさんと距離を詰めて背伸びしながら顔を近づけていた。

「あんた、フィーナ姉に変なことさせてないだろうな?」

「変なこと?」

「そうだ。無理やり働かせたり、意地悪したりしてないだろうな!?」

「なんてこと言うの! 失礼よ。謝りなさい!」

 トワさんにとって、謂れもない誹りだろう。トワさんが心変わりして、孤児院への援助を打ち切られたって、文句は言えないような酷い言葉。

 勿論、ブラットが私の身を案じての言葉であることも分かっている。たとえブラットが心配するような仕打ちを私が受けていたとしても、子供達を恵まれた環境に置いておけるのならば、喜んで受け入れているはずだ。

 でも、これは軽率な言動だ。

 十二歳とまだまだ幼いとは言っても、この孤児院では一番の年長で、トワさんがどれほどの援助をしているのか知っている様子だった。それを知ってなお、トワさんに酷い言葉を投げかけると言うことは、他の子供達の立場をも脅かすものになるということを、ブラットは理解していない。それはお兄ちゃんとして、グッと堪えなきゃいけない。

「だっておかしいだろ! なんでフィーナ姉だけこいつと一緒にいなきゃいけないんだ。俺たちと一緒に居た方が絶対にいいだろ!?」

 私の強い語気にも怯まず、それでもブラットは捲し立てる。やっぱり子供達は寂しかったのだ。 
 表に出さないだけで、みんな親を失ったり、自惚れかもしれないけど姉代わりで相手をしてきた私が別の場所で暮らしていて、寂しくないわけがない。
 年長の自分が感情的になってしまったことを悔いつつ、膝を曲げてブラットと視線の位置を合わせる。

「いい? ブラット。あなたの心配は嬉しい。でもね、私はトワさんからたくさんのものを貰ってるし、大切なことを教えてくれてる」

「大切なことってなんだよ!」

「今は言えない。でもそれはブラットたちを守ることにもなるし、そうするべきだと私も思ってることなの。苦しい思いなんて一切してない。あなた達と一緒で、与えられてばかり。だからね、私たちをこんなにも良くしてくれているトワさんをそんな風に言ったらダメよ。お兄ちゃんなんだから、分かるわね?」

 その言葉に、ブラットじゃ下唇を噛んだ。

「分かる、分かるけど。でもフィーナ姉が背負う必要ないだろ!俺だってもう子供じゃない。なんならフィーナ姉の代わりに、俺がみんなのために戦って見せるよ!」

「気持ちは嬉しいわ。でもブラットも見たでしょう? 村を襲ったのは生半可な力では太刀打ちできない。トワさんが私を連れて行ったのは、ひとえに魔法の才能があるから。この力があれば、みんなを守れる」

「……俺だって魔法くらい」

 そう強がって見せるけれど、ブラットに魔法の才能は無い。剣の才能はあると思う。これだけ強い思いがあれば、将来的には高名な剣の先生の下で学ぶことだって叶うだろう。だけどブラットはまだ一二歳に過ぎないのだ。みんなを守るという責務は、これから私が背負っていく。

「あまりお姉ちゃんを困らせちゃいけないよ」

 あれほど無礼な態度で接し続けてきたブラットに対して、トワさんは一切態度を変えることはない。本当なら苛立ちを声に乗せていてもおかしくはないはずなのに。

 トワさんもまだ若いはずなのに、こうも大人っぽい姿を見せられてしまうと、自分の幼さみたいなものを突きつけられたような気がして、少し嫌気が差す。

「……なら俺も連れてってくれ」

 捻り出すように発した言葉は、そんなものだった。

「お姉ちゃんを守りたい気持ちはわかるさ。でもお姉ちゃんも言っていたけど、今魔法の訓練の最中なんだ。僕はそれなりに有名な魔術師でね。君たちを守るための力を、お姉ちゃんが身につけられるように、全力を尽くす所存だよ」

「……」

 その言葉を受けても、まだブラットは納得いかない様子だった。

「大丈夫さ、お姉ちゃんに危険が及ぶことは絶対にない。自分で言うのもなんだけど、僕は強い。心配する気持ちは分かるけど、もし危機が迫ってきたら、その全てを僕が薙ぎ払って見せる。だから心配無用さ」

「……あんたが強いのは理解してる。フィーナ姉が悲しい思いをしなくて済むなら、それでいい」

 ブラットはあの日のトワさんの勇姿を見ていた。
 忘れているはずもない。

「いい子だ。でも心配なのは分かるからね。お姉ちゃんを支えたい気持ちがあるのなら、ヒルガルム一の剣術師の門戸を叩くといい。推薦状は適当に見繕っておく。お姉ちゃんが帰ってくる時まで、全力で取り組むんだ。死ぬ気で努力すれば。お姉ちゃんも他の子供たちも、君の力で守れるようになる。できるね?」

 失礼な態度を許してくれるばかりか、トワさんはハードルの高い剣術道場の門戸を叩く権利すらくれた。トワさんの言葉に、ブラットの顔がパッと輝く。

「……おう! どんなにしんどくだって、お茶の子さいさいだ!」

「そんな言葉どこで覚えてきたの……」

 私は眉根を下げながら、気合十分のブラットを前にして、親心のようなものを抱えて息を吐いた。

「ごめんなさい、トワさん。ブラットは本当はいい子なんです」

 三時間ほど滞在してから、私たちは孤児院を後にした。
 この短時間で、トワさんはすっかり子供達の心を射止めてしまった。ブラットだけは対抗心をメラメラ燃やしていて、お兄ちゃん的立場を奪われたように感じてか、嫉妬の炎が瞳に映っていた。 
 それは先ほどまでの敵意とはかけ離れていて、ひとまず安心した。

「はは。子どもらしくて良いじゃないか。謝る必要はないよ。あれだけやる気に満ち溢れていれば、いずれ君を守ってくれるさ」

 ブラットの成長を確信しているような口ぶりだけど、私はブラットに守ってもらう気はさらさらなかった。

「私、守ってもらうつもりはないです」

 冗談半分にムッとした顔を向けてしまう。トワさんが私にそう決意させたのだから。苛立ちとは無縁の顔だけれど、まだまだ子供のブラットを当てにするようなことは絶対にしたくなかった。

「物事に絶対は存在しないんだ。君がどれだけ衛霊術師として優れた才覚を持っていようと、いずれ危機がその身に及ぶかもしれない」

「でもその時はトワさんが守ってくれると信じてますから」

 頼ってしまうのは申し訳ないと思いつつも、私はトワさんの目指す未来を手伝うつもりだった。 
 平和になるその時まで、私はトワさんの隣で共に戦う。

「僕はいつまでも君のそばにいるわけにはいかないからね」

 そんな私の決意とは裏腹に、トワさんはそんなことを言う。

「それはどういう」

 尋ねて、かぶりを振る。私はまだ衛霊術師としても、人間としても半人前だ。
 みんなを守ると豪語しても、今の自分では叶わない。いずれ自分の力で全てを守る必要がある、そう言いたかったのだろう。

 でも、私はそれを少し嫌だな、と感じてしまう。

 別に守って欲しいとか、弱気な意味ではなくて。

 単純に、短いけれど濃密な時間を一緒に過ごしてきて、トワさんが本当に私のことを考えてくれているのを知った。そして誰よりも頼りになる人だということも。
 だから、できればこれからもずっと一緒にいたい。
 私がみんなのお姉ちゃんなのなら、トワさんがみんなのお兄ちゃんになってくれたら嬉しい。
 でもそんなのはわがままだと自覚している。この気持ちは、そっと心にしまっておくべきだと判断した。

「フィレーナ。子供達に会えて満足したかい?」

「もちろんです。みんな元気でしたし、トワさんが仰っていた通り良くしてもらっているようで安心しました」

「そりゃ良かった。また明日から修行の再開だ」

「はいっ!」







「そろそろ実戦に移ろうか」

「実戦って魔物と戦うということでしょうか?」

「そうだね。ただ森に生息しているような弱い魔物じゃ意味がない」

「弱くはないと思いますけど……」

 実際、この森に生息する魔物のレベルは高い。 
 魔法を使えなかったり、満足に剣を振えない人間がひとたび立ち入れば、格好の餌になるだけである。

 だからロースメイティアにおいては危険な森だと認識されている。そのためこの森で人間と出会うことはまず無い。

 弱いというのは当然、衛霊術師から見ての話だ。魔物を凌ぐ魔獣、知性を持った高位存在がこの世には存在する。

 魔獣は身体全体に特殊な皮膚を纏っており、衛霊術でも愚直に戦うだけでは倒せない。そうした魔獣が人間の居住区に現れることはごくたまにあるものの、天災レベルの確率である。
 そもそもの個体数が少ないことも関係しているが、各国は魔獣に備えて襲撃用の対策を用意しているため、それによって街が阿鼻叫喚の渦に巻き込まれるということは過去ほとんどなかった。

「魔獣の討伐をするため、地下ダンジョンに潜るんだ」

「地下ダンジョン?」

 この魔獣は基本的に人里から遠く離れた山岳地帯や、広域に張り巡らされた洞窟、通常ダンジョンの奥深くに生息している。

 山岳地帯については行き帰りの移動だけで一ヶ月は見なければいけないため、労力や補給面であまりに過酷である。そういった苦難を実戦の一部と考えればむしろ良い試練になるとも言えるが、トワは既に現時点でフィレーナにそうした負荷に必要性の一切を感じてはいなかった。
 過酷な道のりを踏破する体力だとか、険しい崖に相対しても恐怖を押さえつけられる胆力だとか、そういった根性論的な鍛錬がもたらす恩恵に預かる必要がないほどに、超越した存在に到達しようとしていたからだ。
 心身の疲弊など、もはや矮小な懸念だった。
 フィレーナが望めば、衛霊がその身を守ってくれる。 
 自由自在に使いこなせるようになるまで、三ヶ月も掛からなかった。トワは魔法の習得速度を見るにその境地に至るまでさほど時間は掛からないと構えていたから、驚きを喉奥に抑え込みながら飄々と振る舞えた。

 地下ダンジョンはやたら通気性が良かったり、視界が開けていたりと特に人間が潜りやすい環境が整っているおり、初心者向けと目されている。

 どういうカラクリなのかは解明されてないものの、上層にはあまり強い魔物はおらず、また攻撃性の高い魔物も多くない。

 だからこそ、普通の人間にとっては気軽に実践経験を積むのにもってこいの場所になっているのだ。

 深層まで潜ると危険が格段に増える。人間にとって行動しやすいということは、すなわち魔獣の格好の住処になっている可能性が高い。

 そのことは周知の事実にもなっており、魔物の生息地となっている現状が、魔獣の地上進出を拒んでいるとも言える。
 いずれにせよ、劣悪な環境でない地下ダンジョンの深層に踏み入れ、魔獣を討伐するのがトワの狙いとなっていた。
 ただロースメイティア国内のダンジョンは国によって管理されており、一般の人間の立ち入りには許可が必要となる。
 信徒の実戦訓練に使わることが多く、魔物の死骸からは様々な道具に利用できる素材が収集できるため、信徒によってそれが行われることがある。中には掘削して拡張し、鉱物資源の調査を行ったりもしている。
 そのため、国内のダンジョンでは面倒な手続きを経る必要があり、踏み入れることのできる区域も指定される。
 つまり深層部に行く許可は滅多に降りないということだ。
 さらに好きな時に入れるわけでもないので、手続きを踏めばあとは自由というようなものでもない。 
 だが隣国・ミストレア王国であればそうした制約は一切ない。
 幸いなことに、トワとフィレーナが住む屋敷は隣国との国境からそう遠くない。
 ただ近年のロースメイティア教の勢力拡大で公然と領土が削られていることに反発を示しており、両国の関係は悪化の一途を辿っている。
 そのため街に入るには門をくぐり審査を受ける必要があるものの、四方を壁で囲まれているわけでもなく、実際は入る方法など無限に存在するため、意味をあまりなしていないのが現状だ。

 とはいえ、宿泊の際には入国した際の証明書を見せる必要があり、不法入国者による街での長期滞在は難しい。そのあたりは全くの無対策というわけでもなかった。

 ただダンジョンについては国に管理されているわけでもなく、立ち入りに制限があるわけでもないため、自由に出入りができるのだ。ミストレアではダンジョンが冒険者の狩場になっている。

 魔物は先述の通り素材が採集でき、それをギルドと呼ばれる冒険者連合で買取してもらうことで金銭にも変換できるし、凶暴な魔物もいないため初心者向けの訓練場所のような位置付けである。

 誤って深層に行かないようにミストレアでは分厚い塀によって完全に深層への通路が閉ざされているというから、安全性はお墨付きだった。

 二人は準備に一日を割いたのち、ダンジョンに向けて出発する。深層に挑むとなれば複雑な構造のために遭難の恐れもある。

 衛霊術師ならば抜け出すのは容易く、万が一にも出てこれないということはまずないが、深層は未だ解明されていないことも多く、念には念をということで過剰なくらいに道具を揃えていた。

 早朝に出立し、昼前には入り口に到着した。

「他にも人がいるんですね」

「腕試しに来る人は結構多いんだよ」

 トワは慣れた様子でさっさと入り口へ入っていく。フィレーナは慌ててその後を追った。

 トワの話す通り、浅い層に生息する魔物は強くなく、襲ってくる魔物に視線を向けることなく難なく対処し、どんどん先へ進む。

 そして公式に開かれた最深部に到達すると、そこには話の通り分厚い壁が行く手を阻んでいた。

「この先はどうやって進むんですか?」

「こうしたダンジョンって、完全に封鎖されてるわけじゃないんだ。どこもそうだけど、人が通れるくらいの大きさの通路が設けられているんだ。そういった通路は大体手前に隠されていたりする」

 そう言って、トワは側面の壁を手当たり次第調べていく。

「あった」

 トワは衛霊術を使って壁に嵌め込まれていた蓋を取り外す。その蓋は完全に壁の一部のように擬態しており、フィレーナは蓋が外れたのを見て目を丸くした。

 すると人一人が余裕を持って通れるくらいの通路が現れる。

「わっ……。気づきませんでした」

「よし、先に進もうか」

 トワは躊躇いなく通路に足を踏み入れる。かなり薄暗い中を、衛霊の光に先導してもらっているようだった。ダンジョンの奥とあって酸素が薄いかといえば、そうでもなくむしろ快適な空間である。少し進めば広い通路が見えてきた。

 そこにはこれまでのダンジョンとは明らかに違う異様な空気が流れていた。獰猛な魔物の双眸が二人を睨みつけ、荒い息を漏らしている。
 それに気後れするような二人ではない。襲ってくれば容易に跳ね返せるのは戦わずとも明らかだった。
 しかし実力差を正しく測れない魔物は、様子を窺うのも数秒程度に、本能の赴くまま二人へ襲いかかった。
 トワが反応するまでもなく、フィレーナは魔物を跡形もなく葬り去る。

「流石だね」

「当然です」

 フィレーナは胸を張ることもなく、淡々と前を向いていた。その魔物の末路を見てか、他の魔物はすっかり大人しくなっていった。そして二人の視界を離れると、ドスドスという足音とともに逃げていく。
 しかし魔獣は魔物とは似て非なるもの。
 言葉は通じないが、知性を持った行動をする。ある程度進んだところで、明らかに「魔獣」と呼べる存在と邂逅した。

「モールド・ラゴンだ」

「モールド・ラゴン?」

 初めて聞いた名前に、フィレーナは首を傾げる。

「視界に入った敵性存在を全て石化させる凶暴なモグラだね」

「こ、怖いですね」

「物理的に石化させるわけじゃない。足を鈍重にさせるんだ。目が合ったら石化、だなんて卑怯じゃないか」

「卑怯って。魔獣に戦の心得を説いてますか?」

 フィレーナの言葉に、トワは苦笑を浮かべた。

「ほら、そんなよそ見してていいのか?」

 刹那、突如として俊敏な動きを見せたモールド・ラゴンが、鋭利な爪でフィレーナを襲う。意外にギリギリのタイミングだったからか、フィレーナは胸に手を当てて冷や汗をかいていた。

「びっくりしました」

「僕らはもう奴の結界に入ってるんだ。衛霊術師でも、普段の半分くらいの速さでしか動けないだろうね」

「それを先に言ってください!」

 思った以上に行動が制限され、フィレーナは戸惑っている。

 トワはこのダンジョンにモールド・ラゴンが棲息していることを分かっていた。自分にディスアドバンテージがある環境で如何に戦うか、トワはフィレーナにそれを考える機会として欲しかったのだ。
 普通の環境で魔獣と戦ったところで、おそらくフィレーナは簡単に倒してしまうだろうから。  
 それでもトワはフィレーナから余裕を感じる。 
 強力でない衛霊術のみを使っているから、側からはギリギリの戦いを演じているように見えるだけだ。
 実際は、トワがハンデとして低級から中級の衛霊術のみを使って戦うように言い聞かせていた。
 強力な衛霊術は多くの衛霊に力を借りて強大なパワーを発揮するが、その分生命力の消耗も激しい。
 一人前の衛霊術師には必要な時に必要なだけの衛霊術を選び行使する判断力も大切な要素だった。
 初級の衛霊術で代表的なものは、目に見える物。
 衛霊の力を借りれば敵を業火で焼いたり、凍り付かせて身動きを封じることなど、魔法で出来ることはほぼ代用できる。
 中級の衛霊術で代表的なのは、視界錯乱など外面に対する妨害や、イメージさえはっきりしていれば無から必要なものを生み出したりすることだろう。これらは汎用性が非常に高い。

 上級まで行くと、臓器破裂や気管封鎖、全身炭化といった耳にしたら震え上がるような圧倒的な能力となってくる。

 上級を使う機会など、人生において必要ないとトワは思っていた。同時に使わせたくないという思いもあった。

 フィレーナは基本的に初級衛霊術で戦っており、執拗に足元を狙いながら、時折疎かになった頭部に攻勢を仕掛け、ダメージを与えている。

 クレバーな戦い方を自分で考えて編み出し、完璧に実行している。トワは素直に感心していた。

 ただ、モールド・ラゴンもさすがは魔獣と目されるだけあり、致命傷を負うことなく反撃を続けていた。その攻撃は何発かフィレーナに当たっているようだが、衛霊の加護で脅威の防御力を誇るフィレーナは一切意に介さない様子だった。
 そしてついに、フィレーナはモールド・ラゴンの分厚く硬い皮膚を深々と切り裂くことに成功する。
 そこを足がかりに傷口を一瞬で広げ、モールド・ラゴンは痛みに咆哮を響かせた。
 普通の人間なら鼓膜が破れているだろうが、フィレーナもトワも平然としている。

 モールド・ラゴンは大量の出血で抵抗する気力を失ったのか、気を失ってしまう。

 血が吹き出しているのを見ても動揺していないのを見ると、フィレーナはもう感覚が麻痺しているのだとトワは感じ取った。

 モールド・ラゴンはフィレーナのトドメの一刺しで呻き声とともに絶命し、静寂がダンジョンを包み込む。

「師匠、倒しました!」

 無邪気な笑顔に、トワは思わず顔を引き攣らせる。魔獣とはいえ生き物を殺すことに一切の抵抗を持っていない。

 自身の境遇が大きく影響しているのだろうとトワは確信するものの、それを抜きにしても異様な光景だった。

「よくやったね。素材を採集し、死体を処理したら帰ろう」

 魔獣はかなりの確率で「素材」と呼ばれる様々な道具に流用できる部材を遺す。役所や教会に持って行くと、高値で買い取ってもらえるのだ。

 また、魔獣は魔物や人間と同様で腐乱したら感染症源の温床になるため、処理が必要だ。それも衛霊術を用いれば容易に済ませられる。

 ものの数分でトワは処理を完了し、手際の良さにフィレーナは感心していた。そうして帰途に着いたところで、異変に気づく。
 帰り道に一切魔物がいないのだ。全くいないというわけではないが、異様な少なさであった。逃げたにしても、全く魔物の影が見当たらないということはまず無い。
 そしてトワは一つの考えにたどり着く。

「拙いな。深層の魔物が浅い層に流出したかもしれない」

「そ、それって」

「初級者に強力な魔物が襲い掛かっているかもしれない。早く行こう」

「は、はい」

 トワは未だかつて無い焦りと共に全速力で深層を抜けて行く。フィレーナが付いてきているか確認する暇すらもなかった。

 そして四人組の冒険者と見られる男女が魔物と相対しているのを視認する。

「くっ、次から次へとキリがない!」

「どうしてこんな強い魔物がこんなところにいるのよ!」

「わからないけど、戦うしかないだろ!」

 魔物は一つの出入り口からしか逃げ出していないようで、四人組は軽く見て五十匹はいる魔物と対峙していた。数匹の魔物が死体となって辺りに散っているため、この四人がどうにか足止めしているのだろうと見て、トワはひとまず安堵を覚えた。
 自分の浅慮によって、初級者が大勢虐殺されているという最悪の光景は辛うじて回避できたのだ。

「フィレーナ、やれるね。この数だ。制限は設けない。全力で衛霊術を行使して構わないよ。全力でやってくれ」

「はいっ!」

 冷静さを取り戻したトワはフィレーナに魔物の対処を任せ、四人組の下へ駆け寄った。

「君たち、大丈夫かい?」

 トワは憂わしげな声で話しかける。

「えっ?」

 突然現れた二人に、そして神速で動き回り、次々と強力な魔物を葬り去る様子を見て、四人組は呆けた様子だった。

「あの、あなた方は?」

「名乗るほどの者じゃない。それより、他の冒険者はどうしている?」

「俺たちが足止めしている間にみんな逃しました。どうやら俺たちが中で一番強いパーティーだったみたいなので」

「よく時間を稼いでくれた。後でお礼をさせてくれ」

「い、いいですよ! そもそも俺たちも助けてもらった方だし」

「これは僕が引き起こしてしまったものだからね」

 話し込んでいると、トワは背後に迫る二つの影を認識する。
 もちろん、気づいていた。でも、動こうとしない。これはトワにとって、自戒の意味があった。

 フィレーナの特訓という名目とはいえ、あろうことか出入り口を放置して深層を進んでしまった。

 そのせいで大量の魔物が穴を広げて出ていったのだ。なんとか死人は出なかったとはいえ、自らの浅慮を呪った。

 トワは四人組を衛霊術で精製した風で二人を遠ざけ、あえてそこに立ったままの状態を貫く。

「なにをしてるんですか? 師匠!」

 二匹の魔物がトワを襲うことはない。辛うじてフィレーナによって回避させられたのだ。しかし、これまでに聞いたことがないほどの怒りを孕み、そして震えていた。

「いま、ワザと襲われようとしましたよね!? なんでですか!」

「衛霊の加護があるから、死にはしないさ」

 確かに、この魔物は一般的には非常に強い部類に入るから、痛みは多少感じるだろうとトワは他人事のように思う。
 しかしただそれだけだ。トワはなぜ怒られているのか分からなかった。
 万が一にも死ぬはずがないのだから。
 フィレーナもトワが死ぬなどとは毛ほども思っていないはずである。
 フィレーナは呆然とするトワを見て、ムスッとした表情で詰め寄る。目尻には涙が浮かんでいた。

「死にはしない? そういうことじゃないんです! 死なないから大丈夫だなんてそんなこと思えるはずないじゃないですか!」

 フィレーナもトワも、自分が傷つくことには無頓着だった。
 それは衛霊の加護が強く働いてきたから。だが他人が傷つく可能性は違う。
 その可能性と対面した途端、フィレーナは途轍もない不安に駆られ、どうしようもない怒りを覚えたのだ。

 トワが「死ぬかもしれない」と心配しての激昂だったのではなく、「死という概念を軽く見ている」こと、そして「死なないと過信している」ことに怒ったのだ。

 フィレーナは両親を亡くしてから日も浅く、人が簡単に命を散らしていく光景を目の当たりにしたばかりだ。

 トワを「師匠」として心から慕っていることから、フィレーナとてその実力を疑ったことは一度もないし、避けようとしなかった結果であることは明白だった。死を軽く見ている、その事実に怒るのも無理はなかった。

 「死なないのだから大丈夫」という発言も、許せなかった。

 確かに死ぬ可能性は限りなく低いのかもしれない。だが衛霊とて完全に、自由に自分のコントロール下におけるものなのか、フィレーナはまだ疑問を抱えていた。

 それはフィレーナ自身の未熟さもあるが、あくまで自分とは独立した別の存在であり、気まぐれでコントロール下から外れてしまうことだって全く想定できないことでは無いのだ。

 だからこそ、フィレーナは捲し立てるように怒鳴りつけた。

「ごめんね。そんなに怒るとは思わなかったよ。あまりに考え無しだった。反省するよ」

 トワは気まずくなって反省の弁を述べ、視線を逸らすことしかできない。フィレーナは無言で抱きついて、沈黙に身を委ねていた。
 そうしていること、数分。

「あの、すごかったです。やられたと思いました」

 蚊帳の外だった四人組の冒険者パーティーの一人が、恐る恐るといった様子で声をかける。フィレーナは身体を離すと距離をとって背中を向けた。

「ああ、自慢の弟子だからね」

「あなた方は一体何者なんですか?」

 メガネをクイっと上げたおかっぱの少年にそう問いかけられ、トワは曖昧な微笑で答える。

「しがない魔術師だよ」

「いや、今のはどうみても魔法じゃ」

「ここで見たことは忘れて欲しいかな。口止め料も兼ねて御礼として何か欲しいものをなんでも言ってくれ」

「いえ、欲しいものはそこまでないです。そもそも何もしてないですし。むしろ助けてもらった御礼にこちらが何かをするべきでは?」

 理路整然と告げる少年に、トワは苦笑する。理由も詳しく話していないのもあって、四人にとっては助けてもらった側の気分が拭えず、不完全燃焼な心理状態だった。

「さっきも言ったけど、これは僕のせいでね。今日は弟子の訓練のために深層へ魔獣を討伐しに向かっていたんだけど、その途中で通った通路を塞がずにそのまま放置してきてしまったんだ。応急的にでも塞いでおけばよかったのに、それを怠ったのは僕の不徳の致すところだ」

「……」

「さあ、なんでも欲しいものを言って欲しい。大抵のものなら贈れるはずだよ。それともお金が欲しいかい?」

「僕たち、そんなにお金に困っているように見えますか?」

 最初に自分たちが一番強いパーティーだったと言ったように、身なりは全員しっかりとしたものだった。

 魔法でエンチャントされた衣服や、質の高い武器など見れば相当な品であるとすぐにわかるものばかり身につけていた。バカにした意図はなかったが、トワはしまったと思い口許を真っ直ぐに切り結ぶ。

「すまない。バカにしたつもりはなかったんだ。でも困ったな、欲しいものは本当にないのかい?」

「少なくとも僕にはありません。それに、欲しいものは苦労して手に入れるべきだと、ろ両親から教えられてきましたから」

「わ、私にもありません!」

 気弱そうな少女が勇気を振り絞りながら声を上げる。

 先ほどルノアと呼ばれていた少女のはずだ。魔術師がよく身にまとうマントを身につけており、魔術師なのは一目瞭然だった。

「本当かい? 流されなくてもいいんだよ」

「ほ、本当です。むしろ私は貴方に魔法を教えて貰いたいです。あれだけの力を持っている子を弟子にしているんですよね?」

 トワは痛いところを突かれたと、歯軋りを響かせた。トワはフィレーナにとってあくまで衛霊術師としての師匠であり、魔法については専門外だった。

「ぐ……」

「そうです。僕たちはいいので、ルノアに稽古をつけてくれませんか?」

「彼女じゃ君たちのパーティーには物足りないと?」

「そうではないです。多分魔法の才能なら、僕らどころか国内でも上位に入るものを秘めてると思っています。でも今の実力はせいぜい中級の上位くらい。もったいないと思っていたんです」

「ほんと、ルノアは努力の仕方が間違ってるのよね」

「僕も同じ意見だ。ルノアは指導者がいれば飛躍できる」

「みんな……」

 ルノアは感激からか目尻に涙を浮かべていたが、トワの心中はそれどころではない。むしろ心臓がバクバクである。
 何せ、トワは魔法を使うことができないのだ。 
 フィレーナに教えた時も、ただ基礎的な知識と心持ちを伝えただけに過ぎない。

 才能がないのなら、それでいいとも思っていた。

 しかし、フィレーナには衛霊術師としての才能ほどではないが、魔法の才にも恵まれている。

 勝手に育ってしまった、トワはそんな感覚を持っており、育てたのは自分だと言い張るつもりは毛頭なかった。

「……ちなみに属性は?」

「水です」

「……フィレーナ、できるかい?」

 トワはそれを聞いて胸を撫で下ろした。水魔法なら、フィレーナで十分教師役が務まるはずだ。 
 どうにか話をうまく持っていけると確信する。

「……何をですか?」

 まだシクシクと泣いているフィレーナに申し訳ないと思いつつも、トワは手綱を渡そうと試みる。

「ルノアに魔法を教えてみないか、ということだよ」

「……どうして私がやるんですか? 師匠が教えればいいじゃないですか。そもそも彼女はそれを望んでいるはずです」

「それは違うよ。君は魔法の技術に長けている。それはとても素晴らしいことだ。そして人に教えることは、さらに自分を成長させることに繋がる」

「……本当ですか?」

「ああ。座学と一緒さ。人に教えることは、自分の実力を見直すことにも繋がる。魔法で対処できる場面が多ければ多いほどいいからね」

 トワが何度も言っているように、今回のような緊急の場合を除き、衛霊術は人前では使うのが好ましい。
 だから魔法の技術に更なる成長を促すことで、魔法だけでも問題なく切り抜けられる場面を作り出していくべきだとトワは思っていた。

「……分かりました。でも一つ、いつでもいいので私の言う事を聞いてください」

「ああ、わかったよ。なんでも聞こう」

「約束ですからね!」

「えと、私はフィレーナさん? に魔法を教えてもらえるって事ですか?」

「そうだよ。もちろん僕が影から補助はするけどね」

「やった……!」

 ルノアは小さくガッツポーズをした。

「でもこれだけじゃ御礼とは言えないな。3人は何かして欲しいことはある?」

「じゃあルノアについていってもいいですか?」

「魔法は一人で手一杯だぞ」

「魔法の適性があるのこのパーティでルノアだけですから」

「じゃあなんのためについてくるんだ?」

「そろそろ休暇が欲しいと思ってたところなんです。特に最近はずっとダンジョンに潜ってましたから。ギルドもランク維持のためにクエスト受注を常にしろとうるさいんですよ」

 ロースメイティアにはギルドというものは存在しないが、ミストレアにはそのシステムが構築されていた。そしてそこにはランク制度というものがあり、各々が鎬を削っている。

「やめていいのかい?」

「ルノアが成長すれば僕らのパーティーは無条件で昇格できると思うので大丈夫です」

「それじゃあ打算があったみたいに聞こえるでしょ! せっかくいい話にまとまってたのに!」

 赤髪の少女がキツイ口調で少年を詰める。少年はしどろもどろになって視線を彷徨わせていた。

「まあ休暇は大事だろうからウチで休んでいくといいさ。ロースメイティアだけど大丈夫かい?」

「げっ、ロースメイティアなのね……」

 やはりロースメイティアという存在は、他国の人間にはよく思われていないのだな、とトワは感じた。

「来たいなら来てもいいし、来たくなければ他の御礼を考えてくれ。ウチはちょっとばかし広くてね。それなりに快適に過ごせると思うよ。それに辺境だから君たちが思うほど厄介な信徒やら変なしがらみがあったりもしない」

「じゃあありがたくお邪魔させて貰います。僕もロースメイティアには興味を持っていたのでちょうど良い機会です」

「ちょ、勝手に決めないでよ」

「じゃあ帰りますか?」

「……行く」

 渋々という印象を受けるには少々即答すぎたようにも感じられた。

 トワとしても自分が招いた危険であったから、望むものを提供しなければ心がすまなかったので、結局大したことではなかったとはいえ、多少は心がスッとする感覚を覚えていた。







 ダンジョン内でのトラブルもあって、その日のうちに帰るのを断念し、近くにある街へとやってきた。

 トワとフィレーナは四人の住処に泊まることになったので、入国も何とか誤魔化して野営を回避できた。四人は酷く疲弊していたせいか、食事も摂ることなく寝落ちしてしまった。

 翌朝、すっかり元気になった四人とともに出立し、屋敷へ向かって国境を越えた。

「僕はポールと言います」

「私はリンネよ」

 おかっぱの少年と、赤髪の少女が自己紹介をする。先ほどの話の流れから、トワの名前は聞き取っていたようだ。

トワが改めて名乗ろうとすると、「トワよね」とリンネがフランクで確かめてきて、トワは肯定の意をこめた柔和な笑みで頷いた。歳も同じくらいだと判断したのだろう、とトワは理解する。

「僕はルーベック」

「あんたはなんかちょっとキャラ被りだから黙ってなさい」

「いつも思うけど僕への扱いが酷すぎない!?」

 ルーベックは先程の会話にあまり参加していなかった金髪碧眼の少年である。イケメンだがいまいち頼りない感じを受けて、それが二人の態度を助長しているのだろうとトワは感じた。

 あとキャラ被りというのは口調が似通っているからだろう。

 ルノアとフィレーナが談笑するのを見て、友人ができたように思えてトワは勝手に兄心のようなものを胸に宿していた。

「そろそろ着くよ」

「そろそろ着くって、ここ森の中だけど!?」

 リンネが辺りを見回して、眉根を寄せている。 
 こんな森の中に住んでいるなんて、というようなトーンではなく、嘘を付くな、と糾弾するようなニュアンスを含んだ喫驚が上がる。それは他の三人も同様で、徐々に表情に翳りが生じていく。

「そう怪訝に思わずとも、見ればわかるよ。ほら」

 深い森林の中、突然開けたと思うと巨大な屋敷が現れる。

「え、こんなところに屋敷があるなんておかしいわ! もしかしてここ迷宮だったりしない?」

「しないよ。ここが私たちの家」

 フィレーナがにこやかに告げているのを見て、三人ホッとは胸を撫で下ろしたようだった。

「こんな大きな屋敷、初めて入るわ」

「リンネはいいところのお嬢様ではないんだね」

「いいところのお嬢様、っていうのはあまり否定しないわ」

「口はこんなに悪いんですけどね」

「ポールは黙ってなさい」

 そう言って、リンネはポールの唇を摘んで黙らせる。リンネは気は強そうなのだが、言動や行動の節々からお嬢様、というような空気感をトワは感じていたのだ。

「私はまあいわゆる貴族の娘でね。でもどうにも貴族の振る舞いみたいなのが性に合わなくって」

 リンネは苦笑を浮かべている。

「見れば分かると思うよ」

 揶揄うようなルーベックの声。

「絞められたいのかしら」

「絞めながら言わないでくれる?」

 揶揄うようなルーベックの首を、リンネはガッと掴んで持ち上げた。見かけによらず怪力なんだな、とトワは苦笑する。

「でもそれなら大きな屋敷に行く機会くらいあったんじゃないか?」

「もちろんなかった訳ではないけど、ウチは子爵家だから。そんな大貴族との付き合いなんて滅多にないわ。むしろ他の男爵家やら子爵家やら、同格くらいの家の子息とお見合いさせられるなんてのが多くて辟易していたのよ」

「なるほどね。そりゃあ合わないわけだ」

「なんか含みを感じるわね」

「はは、気のせいだよ」

 そんな会話に興じているうちに、屋敷の前にたどり着く。
 一日しか経過していないのに、なんだか懐かしさを感じるのは、国境を越えたからだろうか、とトワは思う。

「部屋は沢山あるから、好きな部屋を選んでいいよ」

 トワ一人の時は埃が舞って全く人の整理した痕跡のなかった部屋も、フィレーナが来てからは綺麗に生まれ変わり、いつ誰が来ても大丈夫なくらいになっていた。

「じゃあ遠慮なくそうさせてもらうわね」

「僕はこだわりはないので適当な部屋を選びますね」

 二人はそういって屋敷の奥へずんずんと進んでいく。ルーベックもその背中を追った。

「でも驚きました」

「こんな森の中にあるとは思わないよね」

 ルノアが後ろから歩み寄ってくる。ずっとフィレーナと話しており、初めて出会って数時間にも関わらず親友のような空気感になっていた。

「いえ、そうではないんです。フィーナからトワさんのことを色々聞きました。トワさんは私たちとそんなに変わらないのに、凄腕の魔術師だって」

「ははは」

 魔法を全く使えないトワはその言葉に苦笑いを浮かべるしかなかった。

「本当にありがとうございます。こんな機会、夢にも思ってませんでした。フィーナとも仲良くなれましたし、二人と出会えてよかったです」

「まだ魔法の指導もしていないだろう? 上達できたら、改めてその言葉をフィーナに伝えてくれ」

「分かりました!」

「師匠、ルノアは私と一緒の部屋で寝泊まりしますね」

 ルノアはフィーナに手を引かれて仲睦まじい様子で階段を上がっていく。

 トワは小さく息を吐いて、屋敷の外に出た。

「しばらく衛霊術の訓練は中断だな」

 トワとしても、誰かの目がある中で衛霊術は使いたくない。それに魔法の指導がフィレーナにとって得に働くのは間違いないし、しばらくはのんびりしようとトワは思った。







 フィレーナは自分なりに腐心し、どう教えるか試行錯誤していた。それこそ夜遅くまで徹夜で勉強するくらいに。

 座学を苦もなくこなすフィレーナだったが、この力の入れようにはトワも目を見張るばかりである。

 突貫工事的な魔法習得だったため、フィレーナ自身もまだ未熟な部分が多くあることを自覚していた。

 人に教えるということは、それすなわち自分の見過ごしてきた「粗」を見直すことが不可欠になってくる。

 ルノアもその意気を汲んでか目の色を変えており、いい相乗効果だとトワは感心していた。

 自分で考えてわからない部分はトワに聞いてくる。トワは理論的な部分については網羅していたが、ルノアを見る感じだと、理論的な部分はほぼ完璧に理解している。

 それを魔法として出力するところに課題があった。

 つまり、感覚的なところが足りていなかったのだ。

 上級魔法の使い手は少ない。
 ミストレアはさほど大きな街ではないから、レベルの高い魔術師というのは限られている。その上いたとしてもギルドを組んでいる限り魔術師同士はライバルであり、指導などもってのほかというのが一般的な考えである

 指導を請おうとすればかなりの大金を積まなければならないし、いくら比較的裕福なパーティーといえどそこまで資金が潤沢でもなかった。

 つまり、等級の高い魔法を目の前で見て、そのやり方を理論的に伝え、イメージを明確にする。 
 これがルノアの足りなかったものだった。
 だからこそ、その機会を得たルノアは瞬く間に急成長していった。
 弟子の成長を目の当たりにして、フィレーナの心は純粋な喜びに満ち溢れている様子だった。

 フィレーナは年長者としてずっと村の子供達の世話をしていたから、人に何かを教えるのにはすこぶる向いていたのだろうか。トワはそんなことを考えながら、二人の成長を見守っていた。







「フィーナはどうしてトワさんと暮らしてるの?」

 部屋にはオレンジ色の灯りが灯っていて、落ち着いた雰囲気を醸していた。
 寝巻に着替えたフィレーナとルノアの二人は、少し声量を抑えながら。ベッドに腰掛けて歓談を楽しんでいる。
 初めて話した時から意気投合して、短い期間で十年来の幼馴染のような距離感にすらなっていた。
 それゆえか、ずっと気になっていたことをルノアはついに尋ねた。

「んー、難しいなぁ」

「あっ、ごめんね。言いたくなければ言わなくていいの。ただ気になって」

 ルノアは慌てた様子で謝るが、フィーナは一切気分を害してはおらず、むしろ積極的に話したいとすら思っていた。

「別に言いたくないとかそういうわけじゃなくって、出会い方が結構特殊でね」

「特殊って……強引にとかじゃないよね?」

「ふふ、それはないよ。そもそも師匠がそんな強引な感じに見える?」

「ううん、全く。でももしかしたらあの仮面の裏に違う本性があるんじゃないか、なんて思っちゃって」

 本気で思っているようには到底思えない声の様子だったが、冗談半分にも聞こえない言葉だった。

 ルノアの脳内に「無理矢理手籠にされた」自分の姿が浮かんでいるのかと思い、フィレーナは気恥ずかしそうにしながら告げる。

「ルノア、意外とませてる?」

「そんなことないよ! もー、フィーナの意地悪」

「心配してくれてありがとう。でもそれは絶対にないから安心してほしいな。私は自分の意思でここにいる」

 その言葉を体現するように強い瞳を見て、ルノアは思わず魅入ってしまう。

 フィレーナの言葉は嘘偽りない本心であり、トワの衛霊術師としての凄さは疑う余地もなければ、真摯に自分と向き合ってくれる姿勢と真剣な表情は決して嘘でないと確信している。

 最初から清廉さに期待していないというのもあるが、ルノアのいう通り仮面をかぶっていて、その下に好ましくない本性があるとしても、フィレーナは受け入れられる自信があった。

「それならよかった。ごめんね、言いにくい話を聞いちゃって」

「別に言いたくないわけじゃないから、せっかくだし話そうかな」

「いいの?」

「もちろん。でもロマンチックとは程遠いかも」

「師弟、って関係だもんね。恋人って距離感にも見えないし」

「えっとね、まず最初はね……」

 フィレーナは言葉を選んでゆっくりと話し始める。

「私はもともとここから北東にある小さな村で暮らしていたの。みんな穏やかで、慎ましく暮らしていた。村の全員が家族同然な感じで」

「素敵だね。私はミストレアの王都出身だから、近所の繋がりとかは希薄だったかも」

「都会人だ。羨ましいなぁ、私、一度も都会には行ったことないし、この前お邪魔させてもらった街が人生で経験した一番大きな街かも」

「ええっ!? それは……うん、なんて言えばいいのかな」

「田舎者って素直に言えばいいのに」

「私そんな性格悪くないよ! ごめん、なんかイメージつかなくて」

 フィレーナとしても、都会暮らしに憧れが無いかと言えば嘘になる。

「そうだよね。生まれ育ったのが本当に小さな村だから、そこが私の全てだった。そういう事情もあって、私は世間知らずでね。師匠も色々教えてくれるけど、ロースメイティアは普通の国じゃないらしいから、常識が本当に正しいのかわからないし、よければルノアに色々教えてほしいな」

「もちろんだよ! そうなると私がフィーナの師匠ってことになるね」

「ふふふ、ルノアが師匠ってなんかおかしいね」

「もーおかしくないよ!」

 私だって教えられるもん!と頬を膨らませて反論する。フィーナはコロコロと笑っていた。

「話が逸れちゃったね。それで、私ってちょっと特別な体質らしくて」

「特別な体質?」

 ルノアが首を傾げて、思案に至る。衛霊術のことについては極力伏せながら話すつもりだったため、要領のえない話し方に極力ならないよう、しっかりと思考を組み立てながら話そうと試みていた。

 ルノアならば言ったところで絶対に自分の、トワの敵になることは無いと言い切れる自信はあったが、フィレーナにトワの言いつけを破るつもりはなかった。

「うん。それが結構ロースメイティアにとっては危険みたいで。私は標的になってしまったの」

 話の流れが一気に怪しい方向にシフトして、ルノアの表情が一転険しげに遷移する。

「……身柄を狙われた、ってこと? あっ、でもそこをトワさんに助けてもらったってことだよね! わーかっこいいね!」

 よかったー、と胸を撫で下ろすルノアを前に、フィレーナは複雑な感情に駆られてしまう。

「……私はもともと生け取りにするつもりだったみたいで。その代わりにお父さんとお母さんが、村のみんなが殺されてしまったの」

「えっ……」

 ルノアは時が停止したかのように固まる。それほど衝撃的な事実だった。そして心が受け止めきれなかったのか、瞳から大粒の涙が自然に溢れる。

「あっ……泣か、泣かないでよぉ!」

 フィレーナはルノアの予想外の反応にしどろもどろになってしまい、ルノアの前を右往左往するばかりだった。
 結局落ち着くまで背中を撫でるしかなく、その間にルノアが自分の境遇を聞いて涙してくれた事実に心が温まるのを感じた。

(そっか、私もう一人じゃないんだ。師匠がいる。ルノアがいる)

 憐れむのではなく、寄り添ってくれた。一緒に悲しんでくれた。そのことがフィレーナはたまらなく嬉しかった。 

「ぐすっ、ごめんね、そんな辛いことがあったなんて思わなかった」

 ルノアは気軽に尋ねたことを心の底から悔いていた。辛い記憶をわざわざ呼び起こしてしまった罪悪感に駆られてしまった。

「いいの。そこを師匠に助けてもらって、今の私がある。そのおかげで、ルノアとも出会えた。全然辛いだけじゃないの」

「……ほんと?」

「本心だよ。もちろん悲しいのが消えることは無い。でも、二人と出会えなかった未来も、私は想像しにくいから。今いる私があるべき私だって、そう受け入れることにしたの」

「……フィーナは強いね。私はおどおどしがちで周りに不安を伝播させてばかりだし、家柄がいいわけでもないし、魔法はフィーナに教えてもらって上達したけど、一人じゃ何にもできないの。何にも取り柄がなくて、のうのうと生きてきた私じゃ」

 ルノアは自らが紡いだ自嘲の言葉に浸り、不甲斐なさに拳を強く握る。

「そんなことない」

 フィレーナは俯くルノアの肩を抱いて、背中を撫でた。

「えっ?」

「ルノアはすごく素敵な女の子だよ。きっと師匠もそう言うと思う」

 その言葉を聞いて、ルノアははにかむ。自分を卑下する気持ちが無くなったわけではない。それでも、救われた気持ちにはなっていた。

「……ありがとう、フィーナ」

「フィレーナの言う通りだよ」

 しんみりとした空気が流れる中、唐突に部屋の扉が開いたと思えば、トワがそこに立っていた。神妙な面持ちで、その言葉には本心がこもっている。

「えっ、師匠!?」

「ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだけど、僕の声が聞こえたから。それに、ルノアの内面に翳りがあるのなら、僕も何か役立てないかなと思ったんだ」

 トワとしても、色々考えて踏み切った登場だった。弟子の弟子は、もはや自分の弟子も同然だと思ったのだ。

 だからこそ、しっかり自分の言葉で伝えようと思った。

「トワさん、ありがとうございます。素敵な女の子だなんて、言われたの初めてです」

「流石にそれは嘘じゃないか? パーティーの3人も素敵だって、そう言ってくれるだろう?」

「いえ、でも魔法に関しては私のポテンシャルをずっと認めてくれていたみたいで、練習にはつきっきりで付き合ってくれました」

「あいつら、ルノアをパーティーメンバーとしてしか見てなかったな? 内面に寄り添ってあげようって思わなかったのか。これは後で釘を刺しておかないとな」

 トワはやや強い口調で呆れたようにこめかみを抑える。

「ふふっ、いいんですか? 私以外と性悪かもしれませんよ?」

「性悪な女の子は友達のために泣いたりなんてできないよ」

「師匠、いいこと言いますね!」

「なんか台無しになるツッコミだなぁ」

「ふふ、二人とも、ありがとうございます。なんか憑き物が取れた感覚です。私、頑張りますね」

 その言葉に嘘は一切帯びておらず、晴れやかな表情で二人に笑いかけていた。





「トワさん、おはようございます。早いですね」

「ああ、ルノア。おはよう。ルノアこそこんな時間に起きるなんて珍しいじゃないか」

 早朝の庭でトワが日課の精神統一をやっていると、ルノアが感心しながら声をかけてきた。朝が早いと鳥の甲高い鳴き声や、肌を刺激する少し冷気、地平線から昇ってくる陽の光に浸食されつつある薄暗い青空が、毎日少しずつすり減っていく光景が、精神を洗ってくれる。

「ちょっと眠りが浅くて」

 ルノアは目をこすりながら、控えめな欠伸を見せる。トワは二人の空間に踏み入ってしまった時に多少なりとも浅慮と自分を戒めたが、結果的にルノアは精神的に強くなった。
 自惚れだと思わないこともないが、トワ自身にはフィレーナとの絆の形成を後押しできたという自負がある。

「昨日フィレーナの話を聞いたからかい?」

「それもあると思うんですけど、色々な感情がごちゃ混ぜになってて」

 フィレーナの身辺の事情を知り、相当なショックを受けた。ルノアが都会の一般的な家庭に生まれ、不自由というのをあまり感じてこなかったというのもある。
 境遇を自分に置き換えて、フィレーナと同じように強く心を持てるとはどうしても思わなかった。
 決して憐れんでのものではなく、友人としてそばにいたいと強く思わされた。
 はたからではそう見えないけれど、絶対に心がすり減っているて、強がっているのだと確信しているから。

「フィーナから色々話を聞きました」

「うん、そうみたいだね」

 身の上について話してはいけない、などとトワは制限していない。それについて咎めるつもりは一切なかった。

 衛霊術に関することは気軽に他人に話してはいけないという言いつけは覚えていたのか、衛霊術については伏せていたようだった。

「もちろん特殊な体質っていうのを詮索するつもりはないんです。でもロースメイティアの良くない話も聞きました。命を狙われているって。そんな身の上を知っていながら、このまま一介のパーティーメンバーとして活動し続けるのは、私にはどうしてもできないんです」

 衛霊の加護というのは、ロースメイティア以外ではあまり一般的なものではない。国の上層部が意図的にそうしているのだ。教育においても、衛霊という言葉は出てこない。

 なぜなら、衛霊の加護が魔法を軽く凌ぐ強力な権能だと広く知られれば、有志が徒党を組み国家転覆を図ってもなんらおかしくはないからだ。

 それほどまでに強い影響力を持っていると、彼らは理解している。

 だから他国において、衛霊術の本質は謎に包まれている。どれくらいの強さなのか、どういった能力なのか、知る者は多くない。

 一方でロースメイティアはそもそもが衛霊術師を神聖視する宗教国家だ。代々皇王をその「長」として祀りあげてきた。
 そのため、衛霊術師の凄さについては、ロースメイティアではむしろ誇張されて広まっている。

 だからこそ、衛霊術をはっきりと知らない周辺地域の人々は関心を抱いた。
 ロースメイティアが近年勢威を拡大し、根強い信仰をもたらして事実上の併吞を可能にしているのは、衛霊術がいかにすごく、人々の危機をことごとく救ってきたかを広めているからだ。

 それにより、ロースメイティアは「完全なる正義」を標榜し、「正しき人は救われる」という信念が浸透することになった。

「知ったからには、放って置けないと?」

「フィーナの力になりたいんです。友達として、そばにいたいんです」

 ミストレアの人間は衛霊術の本質について知らない。だからこそ、ルノアも偏見なく受け入れられるとトワは思った。

 しかし身に降りかかる火の粉に耐えられるだろうか。
 そんな想いから、トワはルノアに尋ねる。

「ずっとフィレーナと一緒にいたら、いつかルノアの身に危険が及ぶかもしれない。それでもいいのかい?」

「はい。私なら大丈夫です」

 フィレーナがいつか自分の下から離れていく、違う道を歩んでいくと確定している未来において、友人のルノアの存在は不可欠だとトワは思った。

 だからこそ、今置かれている状況を正しく知っておく必要がある。

 フィレーナの心が挫けそうな時、寄り添ってあげられるのは孤児院の子供たちではない。真の友人こそ、その立場に相応しい。

 だから、トワは話すことにした。

 ロースメイティアについて。

 衛霊術について。

 どうしてフィレーナが狙われているのか。

 フィレーナが知っている範囲ならば、話しても構わないと思ったのだ。

「わかった。なら話すよ。ルノアは衛霊術って知ってるかい?」

「えと、名前くらいは。でも見たこともないですし、どんなのかイメージが湧きません」

「この前ダンジョンで使っていた魔法、あれは魔法ではなく衛霊術なんだ」

「確かに見たことのない魔法だったので、私の知らないすごい魔法なんだと思ってました」

「それは世界でも数えるほどしかいない能力でね。あらゆる魔法を超越する権能なんだ。例えば拮抗する二つの軍があって、そこに衛霊術師が一人加わるだけでバランスは一気に崩れる」

「そんな力を、フィーナが持ってしまったんですね。でもそんな力があるなら、見に降りかかる危機は振り払えるんじゃ……」

「衛霊術を使うためには、訓練が必要かなんだ。それこそ、ルノアのように実際に目にしてイメージを掴まないとまず使えない。稀に自分で会得する者もいるけど、そんなのは滅多に現れない」

「なるほど……」

「ロースメイティアの賢人会は長らく対立していて、フィレーナの衛霊術師としての才能を欲したんだ。フィレーナの置かれた状況は決して安泰ではないんだ」

「だからトワさんがフィーナを守ってくれているんですね」

 頼もしい、というような羨望の眼差しでトワを見る。

 トワは苦笑いを浮かべて答える。

「守れているかは分からないけどね。フィレーナはきっと、もう僕よりも上を行っている。だから本当はもう守る必要なんてないんだ」

 そう。

 フィーナはもうすでに、トワの実力を超越していた。

 実際に戦闘をしたら、経験値の差でまだトワの方が優勢かもしれない。しかしフィレーナの加護の量ははっきり言って異常な値だ。

 今後さらに経験を積んだら、トワでは太刀打ちができないほどのクラスになる。その日はもうすぐそこに迫っていた。

 ゆえにトワは、もう頃合いだと思っていた。

「だから僕はもう、フィーナを送り出そうと思っている」

 トワがフィレーナを含めた他の誰にも伝えていなかった意思。フィレーナとの決別の時を、明確に定めたのだ。

「……離れ離れになるってことですか?」

「そうだね。もう彼女は僕の助けが必要なほど軟弱ではない」

「……離れる必要なんて、どこにあるんですか? 一緒に居ればいいじゃないですか」

 一緒に居ることは難しいことではない。しかしトワを取り巻く事情が、それを許さなかった。トワの悲願が、それとは相反するものだったのだ。

「僕は所詮師匠だ。家族でも、ましてや恋人でもない」

「フィーナは絶対にトワさんを家族同然に思っていますよ」

「ははは。そう言ってくれるのは嬉しいけどね、僕は彼女のそばにいちゃいけないんだ」

「どうして……」

「なんにせよ、これは喜ばしいことなんだ。自分の身を自分で守れるようになったからね。もちろん、いきなりほっぽり出すつもりもないから、必要な金銭的な援助はできる限りするつもりだよ」

 本当に喜ばしいと思っているのだろうか、ルノアがそう思うほどに、トワの笑みは切なげだった。

「……それはトワさんの本心なんですか?」

「本心? おかしなことを聞くね。これは紛れもなく本心だよ。フィレーナは自分の家族、孤児院の子供達を守るために衛霊術を身につけたんだ」

 最初に出会った時、トワはフィレーナに「両親を復活させる方法があるかもしれない」と言った。しかしその根拠はどこにもない。

 あれはフィレーナを無理にでも連れ出して、衛霊術師として独り立ちし、自分の身を確実に守れるよう、ロースメイティアの魔の手に掴まれないよう、正しく育成するための方便にすぎなかった。

 その事実を言ったらきっと幻滅されるだろう、とトワは覚悟していた。

 しかしそれでよかった。ずっと嘘をつき続けるのは、トワにとっても気持ちのいいことではなかったから。

「……トワさんの意思が固いことは分かりました。でも、時々は会いに行ってくださいね?」

「うん、善処するよ。でもフィレーナにはこれから、たくさんの苦難があると思うんだ。だから君がそばにいて、一緒にその苦しみを分かち合ってあげてほしい。頼めるかい?」

「もちろんです。でもパーティーを抜けるって言ったらみんな怒りますよね。私が魔術師として成長することで、パーティーのランクが上がることを期待して送り出してくれたんですから……」

「ならいっそのこと、パーティーにフィレーナを入れてしまえばいいじゃないか。きっと賑やかになるさ」

 孤児院の皆を引き連れて、ミストレアに居を構える。それで全てが丸く収まるだろう、トワはそう確信していた。

「それは妙案ですね。フィーナが入ればきっと楽しくなります」

 そんな未来を思い浮かべてか、ルノアは目尻を下げていた。

「だからフィレーナをよろしく頼むよ。僕も草葉の陰から見守っているから」

「もっと堂々としててくださいよ!」

「はは」

 ずっと胸にしていた「嘘」を初めて他人に共有できて、トワの心は少しだけ軽くなっていた。







「フィレーナ、君はもう衛霊術師として一人前になった。そろそろ免許皆伝に近いところまできている」

「本当ですか、師匠!?」

 フィレーナの驚きの声がこだまする。本来ならば免許皆伝、というにはあまりに早すぎるところだが、フィレーナはトワの予想を遥かに上回るスピードで急成長した。

 しかし、まだ「近い」という段階でしかない。トワは一つ、重要な条件を課すことにしていた。

「うん。でも正式な免許皆伝には、聖杖を手に入れる必要があるんだ」

「聖杖?」

 怪訝そうに首を傾げる。

 フィレーナは聖杖という存在を知らなかった。

「聖杖とは、文字通り聖なる杖。衛霊術師だけが手にできる伝説の杖だよ。これを手にする、それが最後の試練になる」

「師匠の様子を見ると、簡単に手に入るものではなさそうですね」

 ため息、というほど深くはないが、眉を曇らせて微かな不安を露わにする。

 最終試練とあって身構えているのか、その肩には力が入っているようだった。

「もちろん。最後の試練というくらいだから、過酷な道のりになる。まず聖杖がある場所まで苦難が待っているし、たどり着いたとしても聖杖に認められなければならない」

「聖杖に認められるって、もしかして自我でもあるんですか?」

 自我とはすなわち、聖杖が自ら語りかけ、挑戦者を試すような生物同然の代物なのか、ということだ。

 しかし、認めるとは言っても実力を見せつけて「お前の力は本物だ。この我を連れていくが良い」と言わしめることが条件ではない。

 そもそも、無機物に喋ることなどできないのだ。

 無論曰くつきで、他の無機物とは明白に一線を画した存在であることは、疑いようもない。

「正しく言えば、ある条件を満たした者だけが手に収められるもの、だね。資格がない者が持とうとすると、強い力で弾かれてしまう」

「その資格が私にあるんでしょうか?」

「今のフィレーナならあると思うよ。僕が認めた最高の弟子なんだから」

「最高の弟子だなんて照れますね」

 えへへと少しねっとりとしたにへら笑いを浮かべ、照れを露わにする。

「ただ持ってくる必要はないよ。聖杖を持っていても、特段衛霊術の力が増幅するわけでもないからね。ただ「手で持てる」ことが衛霊術師として一人前になった証になる」

「だから認められるっていう表現なんですね」

 納得顔で頷く。

 衛霊の加護が小さい場合に、杖によって一箇所に集めて放出することができるという代物だ。

 だがほぼ無限の加護を誇るフィレーナには必要ない。先天的に得た加護が無くなるということはまずあり得ないのだ。

「ただ一人で行け、なんて過酷なことは言わないよ。場所だって伝えても途中で迷いそうだからね」

 聖杖がある場所は、ロースメイティア東部の要衝・クロアスカの北、フーベル峡谷を超えた先にある国内最大のダンジョンの最深部がある。

 そんな場所を口頭で伝えたり、地図で場所を示すだけでは、絶対に辿り着けない。

 そもそも、ロースメイティアに点在するダンジョンは、全て入るのが許可制となっており、フィレーナ単独で侵入することはまず不可能だ。門番を強引に排除するのも得策とは言い難い。

 そして一番の難関が、最深部へのルートだ。

 迷路のように複雑な経路であることもさることながら、精神の間が待ち受けている。そんな過酷な道のりを一人で踏破せよというのはあまりに酷だろう。ゆえにトワは可能な限り助言を施す腹積りであった。

「師匠って私を甘やかしがちですよね」

 ジト目でトワを見つめるも、声音は決して不満げというわけではなく、照れ隠しに近いものだった。

「まあ可愛い可愛い弟子だからね」

 それをトワは真っ向から受け止め、揶揄うように肯定する。

「あの、私もそれ連れてって欲しいです」

「えっ、ルノア!?」

 弛緩しかけた空気を、ルノアの登場が引き締める。

「トワさん、私は言いましたよね。フィーナのそばにいる、どんな危険があっても覚悟できてるって」

 それは明らかな「確認」だった。

 もう一緒に行くのは確定していて、その台詞はただの意思表示にすぎない。それほどの固い意志が瞳に帯びていた。

「別にダメとは言っていないだろう? 着いてきたいのなら止めはしないよ。ルノアがいれば謎解きも捗るかもしれないしね」

「あはは、断られると思って」

「師匠、ルノアを危険に晒すつもりですか?」

「本人が行きたいと言っているんだよ。他でもない君の身を案じてね。突き放すのなら、僕はその意思も尊重するけど」

「フィーナ、お願い。私も連れて行って」

 ルノアは計算してか捨てられた子犬のようなつぶらな瞳で訴えかける。思わず一歩後退り視線を逸らすも、ルノアは視線を外さなかった。

「はぁ。わかったよ、ルノア。その代わり危ない時は私に構わず逃げるんだよ?」

「うん、分かってる」

「全然分かってない声だよ、それ」

 ついに折れたフィレーナは、ルノアってこんなに頑固な子だったんだと新たな一面に触れ、ため息を吐くばかりだった。







 ちょうど休暇を楽しんでいたポール、リンネ、ルーベックに屋敷の留守を任せた。ルノアが飛躍するために必要な訓練のためというと、疑いもなく受け入れた。

 そもそも誰も来はしないので留守居役を設ける必要などないのだが、便宜上任せたというだけである。

 ダンジョンの入り口までは馬車で五日ほどかかる。

 ダンジョンは信徒の訓練施設でもあり、入り口までの経路はそれなりに道も整備されていた。

 とはいえ渓谷は道幅も狭く、ひとたび運転ミスがあれば奈落の底に転落する。

 そのため信徒の正規軍が通る時は風系統の適性を持つ魔術師が万が一落ちた時に浮遊させるために随行している。

 衛霊術は落ちようとすると衛霊が集まって道を作り、落ちないように作用する。そのため落ちる心配はまずない。

 そして最大の難関であるダンジョンに入るための門番をどう処理するかであるが。

「お、思った以上に厳重なんですね」

 ルノアが驚くのも無理はない。隙を見て侵入するなどできそうもないほど、厳重な門で閉ざされていたからだ。

 門番の詰所がすぐそばにあり、トワは窓をトントンと二度叩き、門番を呼ぶ。
 詰所は意外に広く、快適な空間であった。
 休息をとっていたのか、気怠げに目尻を下げた男が窓を開ける。
 これだけ堅固な門があるからこそ、常に見張る必要もないのだろう。
 開門にも門番のみが知る手順を踏まなければいけないという。

「許可証はありますかな?」

「持ってはいないが、トワと名乗れば分かるだろうか?」

「ああ、話は聞いております。どうぞお入りください」

 門番はトワと名乗っただけで理解を示し、表情を引き締めて開門の準備に移る。しっかりと話が通っていたことにトワは安堵を覚えた。

「やけにすんなりと入れましたね。許可が必要とか、門番がいるとか聞いていたので、どんな方法を採るのかドキドキしていました」

「こう見えて人脈はあってね。ロースメイティアの知り合いに許可を出してもらうよう軍部に掛け合ってもらったんだ」

 トワとしては正直使いたくはなかったのだが、今回ばかりは使わざるを得なかった。
 知り合いも軍部と特別仲がいいわけでもなく、素性のはっきりしない人間に許可証を発行するには骨が折れる。

 そしてトワが何か問題を起こせば、その知り合いも罪に問われることになるのだ。だから本当は気が進まなかった。

 賄賂を渡せば可能性はあるが、ここにいる人間は腐っても信徒だ。

 門番職自体は信徒の中でも落ちこぼれが左遷される場所だが、許可証無しに開閉すれば厳罰が下ると教育されている。

 それこそ、終身刑の可能性も示唆するほどだった。そのあたりは徹底されているのが、カルト国家らしい厳格な部分というべきか。

「なんだかミストレアのダンジョンとは雰囲気が違いますね」

「他の冒険者がいないってこともあるだろうけど、ここは国内最難関のダンジョンだから比べ物にならないよ。ほら、早速出てきた」

 そう言ってトワが指差した先には、魔物でも最強クラスに目されるブルーブラッドスネークがいた。

 しかもダンジョンの特殊な環境によって亜種になっており、全身が固い皮膚で構成されている。剣や魔法ではなかなか貫けないほどに強固だ。

「ここってまだ入り口近くですよね。ここでもうそんな強い魔物が出るなんて」

 ルノアの様子に怯えなどはなく、フィレーナはもうすでに動きを見せた瞬間仕留められる体勢に切り替っていた。

 さすがは僕の弟子だ、とトワが感心していると、ブルーブラッドスネークはフィレーナに襲いかかる。

 フィレーナは水の膜で攻撃を防ぎ、氷の矢で固い皮膚をいとも簡単に貫いた。水属性の極地である氷魔法は、トワがアドバイスして習得に至ったものではなく、自分で考え、工夫して身につけたものだった。

 一拍遅れ、ルノアがそれを援護するように上級の水魔法・水槍(アクアランス)で背後を突く。

 するとブルーブラッドスネークは咆哮を上げ、その場でバランスを崩す。

 追い討ちをかけるように二人が再び魔法を放つと、呻き声とともに意識を失った。抜かりなく絶命させ、何食わぬ顔でフィレーナは先へ進もうと二人を促した。

 ルノアはパーティーを組んでダンジョンに挑んでいるだけあって、全く問題なく戦えていた。

 心配したことが失礼だったか、とトワは評価を見直しつつ、二人に任せていれば問題ないと判断し肩の力を抜く。

 そこからは大きな問題もなく、通路を進んでいく。

 とはいえトワが進路を理解しているだけで、普通の人間が立ち入れば一瞬で迷子になるだろう。信徒が訓練でやってきて、迷ってそのまま行方不明という例も度々あった。だからこのダンジョンに挑むことを厭う者は多い。

「それで師匠、精神の間って言ってましたけど、具体的にどんなことをするんですか?」

「それは人によって違うっていうのが正しいね。心に関係するものになる。例えば君の持つ後悔と向き合ったり、これから起こるかもしれない悲惨な未来を見るかもしれない」

「……少し怖いですね」

「それって私はどうなんですか?」

 ルノアがトワに問いかける。

 最深部に辿り着くために精神の間を抜けることが必要条件ならば、自分も同じように挑戦が必要なのではないかと思ったのだ。

 表情に不安が滲み出ているが、そうだとしても引く気は全くないという意思が透けていた。

「フィレーナと一緒に部屋に入れば、問題はないよ。試練をクリアしないものが聖杖に触れると問答無用で強い力で弾かれてしまうから、絶対に近づいちゃダメだけどね」

「分かりました」

 少しホッとした様子で胸を撫で下ろす。これは聖杖を持つ資格を確認する場なのだ。

「師匠は?」

「僕は一度クリアしているから、素通りできる」

「あっ、そうですよね。一人前の衛霊術師がみんな通る道ってことなんですもんね」

 ハッとして納得顔で頷く。みんな通る道、というのは語弊があるが、そこをトワは否定しなかった。

「よし、着いたね。僕は先に行ってるから、心を強く持って頑張ってくれ」

「はいっ、頑張ります!」

 自信満々といった様子で、緊張による固さなどは感じられなかった。それにトワは安心を覚えつつ、踵を返し先へ進んだ。

 トワが精神の間を抜けたのを確認すると、二人は同時に唾を飲み込み、同時に足を踏み入れた。

 そして次の瞬間、二人の体がリープする。妙な浮遊感と共に、異空間に飛ばされる感覚を覚える。

 景色が入れ替わると、フィレーナにとって見覚えのある光景が現れた。

「フィーナ、ここは?」

「ここは……。私が生まれ育った村だと思う」

 私は動悸を覚える。

 どうしてだろう。

 青々と晴れ渡る空、鳥のさえずり、爽やかな風、透徹な川のせせらぎ、穏やかな魔物の鳴き声。

 どれもが私の心を落ち着かせてくれるはずで、生まれ故郷にこんな不安な気持ちを抱くとは思っていなかった。

 あるいはこれが全て失われた景色だと理解しているからだろうか。

 いや、これが「過去」の景色だと分かっているからだ。

 視界にはあるはずのない家々が立ち並んでいて、知った顔もいくつか見渡せる。これは「過去」なのだ。

 私は立ちくらみのような感覚に襲われてしまう。

「フィーナ、大丈夫?」

 ルノアが私の顔を覗き込んで、憂わしげな瞳を向けてくる。

「いや、ごめんね。ちょっと気分が悪くなって」

「それならちょっと休もうか?」

「大丈夫。心配いらないよ」

「そう? でも休みたければいつでも言ってね」

「ありがとう、ルノア。この先に私の家があるから、とりあえずそこに行こう」

 私はルノアを先導して、揚々と進んでいく。空元気に見えないだろうか。心が苦しいのは変わらない。これが現実でないのは分かっているから。

 街の中に入ると、みんなの顔がしっかりと認識できた。

 でも誰一人こちらに目を向けない。家の中に両親がいるのではないか、そう期待を胸にドアを開けるも、その姿はない。

「誰もいないね」

「そうだね」

 でも生活感はある。温もりが残っている。その事実だけで、少し温かい気持ちが心に流れ込んできた。

「ここにいないとすれば、多分あそこだと思う」

「あそこ?」

「ミレイユの丘。お母さんのお気に入りだった場所なの」

 村の外れにある緩やかな丘には無数の花が咲き誇っていて、村がよく見下ろせる場所だった。

「お父さん、お母さん」

 二人が立っている。そこで息をしている。笑い合っている。それだけで私はたまらなく心を締め付けられた。

 会話ができなくてもいい。無惨にも殺されて、息をしなくなってしまった二人が、今こうして生きている姿を見せてくれている。

 その事実だけで良かった。

 でも、二人は私の声に気づいたようにこちらを向く。

「あら、フィーナ。子供達と世話をしに行ったんじゃなかったの? その子は友達? 見ない顔ね」

 二人とも、私もルノアも見えているようだった。ルノアが誰なのか答える余裕もなく、私は思わず問いかける。

「二人とも私が見えるの?」

「何をおかしなこと言ってるの。当たり前でしょう? おかしなフィーナね。それで、その子は?」

「あ、えと。この子はルノアっていうの……私の親友」

「あら、同い年の子なんて、村にいなかったわよね。ルノアちゃん? フィーナとはどうやって知り合ったの? ミストレアだなんて、連絡を取るのにも大変でしょうに」

 この村には文通一つとっても、週に一度くる行商人に渡し、それを届けてもらうくらいしか手段がない。

ましてや他国になど、まず送ろうとはならない。

「最近知り合って、すっかり意気投合しちゃって」

 私は濁しながら答えることしかできない。

 ただお母さんはそこに疑念や違和感を抱くような様子もなく、矢継ぎ早にルノアへ尋ねていく。

「ルノアちゃんはどこから来たのかしら」

「えっと、ミストレアから」

「隣の国から来たの! あらあら、それは大変だったわね。どうしてこんな辺鄙な村に?」

「なりゆきでといいますか、彷徨っていたら偶然たどりついてしまったといいますか……」

 自分がなぜここにいるか、ルノアが説明に困るのも当然で、上手い理由は私も思いつかなかった。

「あら、そうなの? つまり行く当てがない、ってことよね? だったらウチに来ればいいわ。だってフィーナの親友なのでしょう? いいわよね、お父さん」

「勿論。フィーナと仲のいい友人なんて初めてだからね。歓迎するよ」

 私は幼い頃から歳下の子供たちの世話ばかりで、同い年の子と遊ぶことがなかった。というより、同い年が一人もいなかった。

「もしかしてこれまで野宿でもしてた? おやつがやけに減るの早いと思ったけど、フィーナが持ち出していたのね」

「持ち出してない! それはお母さんが食べ過ぎなだけでしょ、もー」

 お母さんはふくよかな体格で、お菓子作りが大好きだった。お母さんが作るクッキーやマフィンは絶品で、いつもたくさん作っては、お腹いっぱい食べていた。

「うふふ、そうだったかしらね」

 思わず突っ込むと、お母さんはコロコロと愉快げに笑った。なんだか日常が帰ってきた気がして、愛おしく感じてしまう。

「私、心配かけたよね」

「当たり前だろう? 目を話すとすぐにどこか消えてしまう。行き先を告げることもないから、お父さんがどれだけ探し回ったことか」

 お父さんは呆れたように笑う。

 私は目を離せば、一人で近くの森やら川やらに出かけて行って、その度にお父さんに心配をかけた。

 魔物に襲われることもあった。

 でも今ならわかる。

 ケガがなかったのは、衛霊の加護があったおかげだって。それが無ければ、私は何度も何度もお父さんに悲しい思いをさせていたはずだ。

「あはは、ごめんなさい」

「でも子どもは親に心配をさせるためにいるんだよ」

 心配を肯定、いやむしろ喜ばしく思っているほどの言葉を投げかけてくる。私は思わず呆けた返事で応えてしまう。

「え?」

「どんな瞬間だって、お父さんもお母さんもフィーナのことが一番心配なんだ。目の前に至って、鳥の魔物に攫われてしまうかもしれない。川遊びをしていて、溺れてしまうかもしれない。いつか親元を離れて、都会に行ってしまうかもしれない。お父さんは心労でいつも倒れそうだ」

 愚痴とは程遠い口調。苦笑いには実感がこもっていたけれど、反面幸せそうにも見えた。

「でも、フィーナ。心配するってことは、愛してるってことなんだよ。心配できなくなったら、それは親が親で無くなったも同義だから。フィーナはそれでいいんだ。これからもお父さんをいっぱい心配させてくれ」

「うん……うん」

 でも、お父さんはもう帰ってこないのだ。もう心配をかけることすらできない。私はその事実に打ちひしがれそうになる。

「もしお父さんがいなくなっても、フィーナのことを天国で心配しているよ。フィーナの幸せを、一番に願っているからね」

 そんな私の心中を見透かすように、お父さんは優しく微笑みかけてきた。

「あらお父さん、地獄かもしれないわよ?」

「冗談キツいよ、お母さん」

 それについては、まったく笑えなかった。天国に行けていればいいなという願望ではなく、きっとお父さんは天国に行っているはずだと確信めいたものがあった。

「そんな暗い顔をしてどうしたんだい、フィーナ」

「え? 暗い顔なんて……」

「親は騙せないわよ。さっきからフィーナじゃないみたい。ふとした瞬間に表情が翳って、心配になるわ。何か悩みでもあるの?」

 きっとここで逃げてと言っても、所詮夢だから未来を回避することはできない。それは絶対なのだと、認識として強制的に植え込まれていた。

 今を変えても未来を変えることはできない。

 変えようとすれば、別のきっかけで同じ結末を辿ることになる。結果は確定しているのだ、と。

 だから今を変えるのではなく、今の二人としっかり言葉を交わした上で、心残りを消して円満にお別れをする。
 その一点に絞ることにした。

「私、二人に聞きたいことがあるの」

「なに? 改まって」

「なんだい?」

「私、二人が大好きだよ」

「はは、なら両想いだ」

 お父さんは茶化すように笑う。私の心も知らないで、とムッとすることはなく、いつも通りのお父さんだとむしろ喜びを感じた。

「それはこれからも、私が死ぬまで変わらない。でも、二人は絶対に私より先に死んでしまう」

「お父さんもお母さんも、それを願ってるよ。子供より後に死にたい親なんていない」

「でも死んじゃったらとても悲しいの。辛いの。なんとか前向きに生きようとしたけど、やっぱり二人のことが忘れられなかった」

「なんだか実感がこもってるね。僕らが死んでしまう夢でも見たかい?」

 夢ならばどれほど良かっただろう。でも夢だと思ってくれているのなら、ここで本音を吐露したって疑念を抱かれる心配はないよね。

「うん。すごく辛かった。脳裏に焼きついて離れないの。ねえお父さん、お母さん。私どうすればいい?」

「そうだね。引きずるな、っていう方が無理がある。立場を変えたら、とても冷静ではいられない。でもね、お別れをしたら顔も声も長くは覚えていられない。人間の脳はそうやってできてるんだ。僕も親を亡くした時は辛かった。悲しかった。でも乗り越えた」

「どうやって乗り越えたの?」

「それは他に大切なものができたからさ」

 お母さんが代わりに答えると、お父さんはうんうんと深く頷く。

「大切なもの?」

「フィーナ。他でもない君だよ。二人は僕にとってかけがえのない宝物さ。フィーナが幸せなら、僕らはもう他に何もいらない。辛い記憶だって、それ以上の幸せで塗り替えられるからね。フィーナもそんな大切なものを見つければいい。もしかしたら、もう見つけているのかもしれない」

 深く考えずとも「大切なもの」が頭に思い浮かぶ。師匠とルノア。お父さんとお母さんを亡くしてから出会った二人。

 いや、言い方は最低だけれど、両親や村のみんなを亡くさなければ、絶対に出会うことのなかった存在。

 微かにでも僥倖と思うのは、間違っているだろうか。

「うん……私にもできたよ」

「それなら、もうフィーナは既に私たちの死をとっくに乗り越えているんじゃないか?」

「え?」

 私は思う。孤児院の子供たちをずっと守っていきたいと思っていた。

 もう二度と、身近な存在を失いたくないから。

 それが薄れたことは一度としてない。

 けど、それはもう私の自己満足でしかないのかもしれない。

 みんなが私の庇護を必要としなくなる時は必ずくる。私が思うより、みんなはきっと弱くない。

 両親の死を乗り越えるため、それを人生の至上命題に掲げていた私は、その時どうしたいと思うだろうか。

 それが明確に浮かんできた。師匠とルノア。

 これからの未来を二人と一緒に歩んでいきたい。

 二人のために生きたい。

 根深かった復讐心も薄れているのに気づいた。

 心を占めていた復讐心よりも、宝物が占める割合の方が大きくなっていた。薄情な娘でごめんなさい、と心の中で謝罪する。

 師匠はロースメイティア教を滅ぼそうとしている。

 宗教を滅ぼすなんて、一生かかっても無理なことなのかもしれない。でも信徒たちは私の家族を、村のみんなを殺した。
 その怒りを忘れたつもりはない。
 できることなら、鉄槌を与えたい。
 そう思ってるし、そう思うべきだと私は思う。 
 師匠に手を貸すことが、せめてもの手向けになる。

 だから、私の目標はみんなの未練を晴らして、師匠やルノアと明るい未来を歩むこと。私はそんな道を歩いていきたい。

「ありがとう、二人とも。私、決心がついたよ」

「いい顔をしているね。まるでフィーナじゃないみたいだ」

 もう私は二人の知っているフィーナではないよ。心は無邪気とは程遠いし、怒りや復讐心も心に宿した。

「私は強く生きるよ。二人が育ててくれたこの身体で、これからも生きていく。絶対に忘れないよ」

 私が二人に決意を伝えると、徐々に視界が薄れていく。

 良かった。想いをしっかりと伝えられて。もう叶わないと思っていたお別れもできた。

 きっと私は、過去を超えられたんだ。

「ありがとうございます、師匠。こんな機会を作ってくれて」

「僕が作ったなんて言ったかな?」

「ううん、そんな感じがしただけです。そうじゃなくてもここに連れてきてくれたのは師匠だから」

「そうかい」

 私はもう大丈夫だ。過去になんて囚われない。明るく微笑むと、なぜか師匠は微妙な反応だった。







「よく一回でクリアできたね。流石は僕の弟子だ」

 師匠はそう言って、柔和に微笑む。褒められるのは悪い気がしない。

 それにしても、静謐な空間だと思った。

 洞窟とは思えないほど凹凸が乏しい壁に触れると、想像以上に冷えていて驚く。

 魔物が跋扈する中を通ってきていなければ、きっとダンジョン内だとは思えない。

 この場所に限らないけれど、どこから採光しているのか分からないほど、視界がクリアだった。

「師匠は一回でクリアできたんですか?」

「僕の場合は五回くらい挑戦したかな」

「ご、五回!?」

 私は驚いて後ずさる。

 私は師匠が完璧な衛霊術師だと信じて疑っていなかったから、人間的な弱さを持っているのだな、となんだか嬉しくなる。

「ほら、見てみて。あれが聖杖だ」

 その名の通り、木製の杖がそこにはあった。見た目は無骨で、そこまで特徴があるようにも見えない。

 ただ、オーラのようなものはひしひしと感じられ、手のひらが少し汗ばむのを感じる。

「あれを持つことができれば、私は一人前の衛霊術師として認められたってことなんですね」

「うん。ようやくここまで来れたね。フィレーナに資質がありすぎたせいで時間はあまりかからなかったけど」

 師匠は苦笑する。

 でも私は師匠と出会わなければ、多分ここまで衛霊術を使いこなせるようにはならなかったし、必要であれば所構わず行使するようになっていたと思う。そもそも衛霊術師になろうとも思っていなかったはずだ。

 最初に一番の原動力となっていた復讐心はだいぶ薄れてしまったけれど、大切なものを守りたいという気持ちは絶対に薄れない。だから私は、これからこの力を大切なものを守るために使っていく。

「時間としてはそうですけど、とても濃密な時間でした」

「それは同意するよ。これなら、どこに出しても恥ずかしくない」

「ふふ、なんだかお父さんみたいな台詞ですね」

 私はさっきまで目の前にいたお父さんの姿をトワさんに重ねてしまい、少し気恥ずかしさを覚える。

「師匠と父親なんて、きっとそんなに変わらないさ」

 師匠との出会いは、単に自分の力を見出せただけではない。誰よりも大切な人だってことを、試練で思い知った。

「さあ、聖杖を持ってみて」

 師匠が台座の前に私を促す。意を決し、私は聖杖に手を添えた。すると眩い光が視界を支配し、思わず私は目を閉じる。

 少し身構えていた「拒絶」が聖杖から向けられることはなく、極めて柔らかな感触とともに両手に収まった。

「やはり、俺の見込んだ通りだった」

「え?」

 急に耳を貫いた声は、聞いたことのない声音だった。

 付随する冷徹な笑いは、私の背筋を不快感と共に這う。

 声の主は、脳の片隅では分かっていた。

 でも認めたくない自分がいて、そちらに視線を向けることができない。

 代わりにルノアを見ると、すでに師匠の方に視線が釘付けになっており、額に汗が滲んでいるほどだった。

「フィレーナ、これで俺の悲願が叶う。礼を言うぞ」

 顔を認識している状況でも誰の声だろうと思うほど、これまでの師匠とは似ても似つかない低い声が耳に響く。口調、声のトーン、一人称、どれをとっても同一人物とはとても思えなかった。

 それでも現実から目を逸らしたままではいられないと意を決し、私は師匠の方を半目で見据える。

 そこにはいつもの優しい笑みを浮かべた師匠はおらず、その面影すらも墨で塗りつぶされていた。

 少しだけ期待する自分がいた。師匠ではなく、刺客が闖入してきたのではないかと。聖杖が自我を持って声を発したのではないかと。

 しかしそんな淡い期待は無惨にも打ち砕かれる。

「どうした、そんなに呆けて。褒めているんだぞ。喜ばないのか?」

 あの師匠とは思えないほど、嫌味のこもった言葉。

 それに喜べるはずもない。

 これはきっと、意図的に見せている。いつもの師匠が本質ではなかったとしても、今の師匠が本質とも思えない。

 いや、これはただの願望か。

 その推定は、私がそう思いたいだけで、現実から目を背けている。まずは冷静になって、状況を俯瞰することにした。

「師匠こそどうしたんですか? いつもと雰囲気が違いませんか?」

 あくまでいつもの姿勢を崩さず、動揺を表に出さないよう心がける。

 ルノアは冷静なままの私を見て瞠目していた。

 取り繕ってはいるものの、取り乱さない私に驚いているのだろう。

 師匠は私の言葉に返答することはなく、聖杖に目線を下げて告げる。

「その聖杖を持てることが一人前の衛霊術師である証になると俺は言った。もちろんその側面はあるが、俺はその杖を握れたことは一度もない」

「えっ?」

 一度も握れていない、とはどういうことだろうか。

 私はこの目で見た。圧倒的な力で敵を薙ぎ倒し、その度に眩いほどの加護を放っていた。そんな師匠が、一人前の衛霊術師ではない?

「強い衛霊の加護を持っている、すなわち衛霊に認められた者。そして強い正義感を持っている者。そして衛霊術の使役に殊更優れた者。それがその聖杖を手にできる者の条件だ。つまり心技体全てが揃っていなければならない」

「……」

「何が言いたいかわかるか?」

「師匠には欠けているものがある、と?」

「ふっ、察しがいい。さすがは我が弟子だ」

 全く嬉しくないのは、褒められている気が一切しないから。そしてその言葉に自虐が確かに帯びていたからだ。

「それで、欠けているものとはなんだと思う?」

「……」

 私は黙り込むしかない。

 衛霊の加護、その強さに関して疑いの余地もない。衛霊術の技量も私が握れたのだから、握れないはずがない。となれば残るのは一つだけということになる。私の緘黙した様子を見て、師匠は薄く笑った。

「正義感だ。見て分かるだろう? これが俺の本質だ。これまでお前たちに見せてきた態度は、作り物に過ぎない。しんどかったさ。信じさせるために聖人を演じるのはな」

 肩を竦ませながら、自虐と共に首を横に振る。

「……それで、何が言いたいんですか?」

 私は思わず強い口調で尋ねる。

この自虐は本心からの色を確かに含んではいたが、私は別の意図があるようにも感じられたのだ。

「疑問に思わなかったか? あんなタイミングで、なぜ俺が君を助けに来れたのか。なぜあのタイミングだったのか」

「たまたま通りがかったところを助けてくれた、話の流れだとそんなわけがないと言いたいんですよね? でも結果として私は師匠に救われました」

 私はあの時、師匠のことを紛れもない英雄だと思った。

 死と絶望の淵にいた私を救い出してくれた。

 そのことに違いなんてない。

 そもそもこんな話をすることに、どんな意図があるというのだろうか。私はジッと師匠の双眸を見つめる。

「いつまでもそんな甘さを持っていれば、いつか痛い目を見るぞ」

「あの日以上に痛い目なんて、起きるはずがありません。いえ、私が起こさせません」

「これからそんなことが言えないぐらいの事実を知らされると知らず呑気なものだ」

「えっ?」

 今までよりもさらに数段冷え込んだ言葉に、私は背筋が凍りつくような感覚に襲われた。それでも、私は師匠を信じている。どんな残酷な事実を知らされたとしても、私は確かに救われたのだ。







 本当に、呑気なものだ。俺がお前を助けたのは、お前の身に利用価値があると分かっていたからだ。

「あの日、俺は信徒どもが村に向かっているのを俺は察知していた。そして奴らが村を襲うのも分かっていた。いくらでも村人や君の両親を助けることだってできたはずだった。俺はあえてそれをしなかった。なぜだと思う?」

 俺は感情を殺し、淡々と情報を明かしていく。

 自分で話していて、思う。

 これは人間として最低の行為であると。

 救える命があって、それを救わない。

 その選択を選んだ自分は、最低だと理解している。

 それを責められても、何一つ言い返せない。

 しかしそんなことは、もはやどうでもよかった。

 最低の種明かしに、俺はフィレーナが怒り狂うと思っていた。

 いや、怒り狂うという表現は正しくない。

 第一、フィレーナは感情が先んじて手を出すような性格ではなかった。ゆえに、いかなる罵声や糾弾も覚悟の上だった。

 だがここまで話しても、フィレーナは歯軋り一つ響かせない。

 むしろ冷静にすら見える。俺はついに心が壊れてしまったのかとすら思った。

 自分の親が俺のせいで殺されたのだ。

 怒らない理由などどこにもない。俺は反応の薄さに不気味な感覚を覚えつつも回答を待つことなく答える。

「君をあの村から引き離すためさ。きっかけが無ければ君はきっと巣立とうとしなかっただろう」

「……」

 フィレーナは肯定しない。

「拠り所の抹消と絶望に復讐心、これらは君を動かす上で最適だった」

「私の心からそれを引き出すために……?」

「そうだ」

 俺は平坦な口調で肯定する。

「両親を生き返らせる方法がある、そんなのも君を説得するための方便にすぎなかった」

「……」

 フィレーナは絶句している。

 それもそうだろう。

 フィレーナは俺の「両親を救う手段がある」という口車に乗せられて、まんまと着いてきたのだから。

 それはこれまで、一番の依代となっていたはずだ。

「そもそもあんな森の中に、一人で広い屋敷を建てて住んでいるなんて、普通じゃありえない。一度もそんな風に疑問を抱かなかったのか?」

「……思いました。でも何か事情があるのだろうと」

「俺は君をずっと監視していたのさ。その時がくる日までね」

「……そんな」

 フィレーナは唇を震わせながら搾り出すように言葉を紡ぐ。

 フィレーナ、今どんな気持ちだ? 

 これが俺のやってきたことだ。

 このために、お前を育ててきた。

 俺のことを許せるはずがない。

 許せるのなら、お前はもう正常な心を失っている。

「……どうしてそんなことをしたんですか?」

「ふっ、今から分かるさ」

 当然無意味にこんな周到なシナリオを描くわけがない。

 俺は懐から一つのアクセサリーを取り出す。

 それをフィレーナに向けて放り投げた。反射的に抱え込んだフィレーナは、怪訝な瞳でアクセサリーを見つめている。

「……これは?」

「それは免許皆伝の証だ」

「免許皆伝?」

「名前の通り衛霊術師として一人前になった証だ」

 フィレーナは何を今更、どうして今この時にそれを渡すのか、という疑念を視線に乗せてこちらを見ている。

「それを握りしめて俺を見据えてみろ。その目に俺がどう映っている?」

「……何も映っていません」

「ふん、そんなはずがない。認めたくない気持ちは分かるがな」

「……」

 フィレーナは黙り込む。

 この期に及んで、俺の言っていることが真実だと信じたくないのだろうか。

 俺がお前にどんな酷いことをしてきたのか、分かるだろう? 

 そしてその目に映る靄が何を意味するかも、内心理解しているのだろう?

「分からないのなら教えてやる。それは俺が“悪”である証だ。皇王家の秘宝とは、悪を悪と認識する力を持つ者に付与するもの。ロースメイティア教の教えが『悪を裁き、民に平穏をもたらすべし』。すなわちこの秘宝があったからゆえの教えというわけだ」

 この秘宝は衛霊術師にしか持つことが許されない。

 衛霊術師でなければ、悪を悪と認識することはできないのだ。

 衛霊の加護が介在して初めて発動する。

 皇王家はこの「衛霊術師である」こと、「秘宝を受け継いでいる」ことで特殊性と優位性を保持し続けてきたのだ。

 そして巨大な宗教国家を築くまでになった。

「どうしてそんな秘宝を師匠が持っているんですか?」

「もう薄々気づいているんじゃないか? 俺の名前はオトハ・スプラナク・フォン・ロースメイティア。この神聖ロースメイティア皇王国の皇王だ」

 俺は真の見分を明かす。

 この俺こそが、皇王国唯一の正統なる血統者だ。

 あの無駄にデカい屋敷も、皇王家の財力があったおかげだ。

 信徒が献金の回収に力を注いでいるからこその潤った財政であり、褒められたものとは決して思えないが。

「師匠が……?」

 信じられないという表情を向ける。

「ロースメイティア教はすでにあるべき宗教の姿を完全に失っている。強引な布教、悪を裁くと言って気に入らない人間を殺す。そんなことあっちゃいけない。彼らの信仰の対象が俺なんだ。危険な信徒が存在するのは、俺が存在するからだ」

 立場から考えれば、俺はそれを止めるべきなのだ。

 だがそのための力を、俺は持っていない。ロースメイティア教が大きく版図を広げたのは、ここ最近になってからだ。

 先皇・ルグダナをはじめとする親族全員が死んだ。

 そして唯一生き残った若くて力のない俺が、今の皇王に据えられた。

 その結果、賢人会と呼ばれる意思決定議会の構成員が増長し、主権を完全に乗っ取られることとなる。

そして秘宝によって自分が悪と見做されることを忌避した賢人会の人間によって俺は遠ざけられるようになり、俺は皇宮を離れる羽目になる。

 それでも俺が今自由に動けているのは「自分では絶対に死ねない」からだ。

 衛霊の加護は死ぬ権利すら奪われる、ある意味呪いとも言えるもの。

 ロースメイティア皇王家の人間はそれを全員持っていて、老衰以外の死去手段を持ってはいなかった。

 その中で、俺が生まれる。

 俺は先天的に「衛霊の加護」を持っていなかった。

「俺が近くにいるだけで、死に頻する人間がいる」

「それはどういうことですか……?」

「俺は多くの身内の手にかけてきた」

「人から衛霊の加護を吸い取る」力があって、それによって多くの身内を失ってきた。

 幼く全く制御が効かなかった俺は、親族全てにあった衛霊の加護を根こそぎ奪い取ってしまった。

 その結果免疫力を著しく失った親族たちは、病気や怪我で呆気なく死んでしまった。それによって皇王家が力を失ってしまったのだ。

 その根本的な事実を伝えれば、優しいフィレーナは「それは仕方がない」と庇うような言葉をかけてくるかもしれない。

 だからその事実は伏せる。

 そうすれば、「理由もなく身内を殺す邪悪な人間」として誰よりも身内を大切に思うフィレーナの顰蹙を買えるから。

 今の皇王国が民に平穏をもたらすどころか、悪を裁くという免罪符を以て沢山の人間を苦しめている。

 いずれにせよ、その原因は俺が生まれたから。俺が親族の衛霊の加護を吸い取ってしまったから。

 全ては俺が存在するせいなのだ。

「だからフィレーナ、俺を殺してくれ。聖杖は秘宝を持つ者が持つと、自分が“悪”と認識した人間の加護を薙ぎ払うことができる。そうすれば、お前は俺を容易に殺せるだろう。いや、加護さえ薙ぎ払ってくれれば、俺はもう自分で死ぬことだってできる。あとは誰も見ていない場所でひっそりと死ぬさ」

 そのために俺を悪だと認識させなきゃならなかった。

 自分で死ねない俺が、衛霊の加護を持った他の人間に殺してもらうこと。

 衛霊術を使役できる人間を育てるだけでなく、明らかな悪感情を自分に対して抱かせること。これがこの国の行く先を修正するために、俺の描いた筋書きだった。

「俺は死ななければならない。そうするのが一番最善なんだ」

「絶対に嫌です」

 フィレーナは、俺の覚悟を間髪入れずに薙ぎ払う。

 自分の表情が曇るのが分かる。

 こんなに強情な子だっただろうか。

 俺は今、不都合な情報だけを厳選し濃縮して与えたつもりだ。これでもなお、俺に殺意を抱かないというのか。

「なぜ? 俺のことが憎いだろう?」

 俺は冷静を保ちながら尋ねる。

 今何を思っているのか、全く理解ができない。偽りなく語ったつもりだ。そこに保身も取り繕いも一切ない。その疑問を察したかのように、フィレーナは視線を斜め上にやって話し始める。

「本当は、憎く思わないといけないのかもしれません。でも実際に私のお父さんとお母さんを殺したのは師匠ではないし、師匠は多くの人々を助けるために、そうするのが最適だと、苦しみぬいた上での決断だったのは分かります」

「どうしてそう思う」

「だってさっきから、師匠が本当に苦しそうな顔をしているから。口では悪役のように振る舞っているけれど、全く演じきれていません」

 俺は反射的に手を自分の頬に据える。

 いや、そんなはずはない。俺は絶対に崩れない仮面をつけてきた。

 そのおかげで、「聖人」としてフィレーナから疑念を抱かれずに接してこられたのだ。

 その上で俺は弁解の余地もないほど、完全な悪行を試みた。

 全て意図的に仕組んだ上で。

 フィレーナは適当に言っているだけだろうと思い直し、再び俺は冷静さを取り戻す。

「それはお前の目が節穴なんだ。分かるさ、これまでの俺を重ねて、そう見えてしまっているだけなのは」

 人間が信じたくないものをどうにかして好意的に解釈しようとするものだ。それが心の底から「信じてきた」人間ならば、尚更である。

「師匠の言う通り、両親が生きていたら私はきっと自衛の手段を身につけようなんて思っていなかったはずなんです。両親がいなくなったからこそ、これ以上大切なものを失わないために力をつけようと思えたんです」

 俺の言葉を意に介さず、フィレーナは瞑目しながら自分の気持ちを語っていく。

「俺は君に自衛の手段を身につけさせようとして衛霊術を教えていたわけじゃない。全て俺の加護を解いてもらい、俺を殺させるためだ。俺はただひたすらに、君を利用するためだけに動いていた」

「ならどうして私に魔法なんか教えたんですか? 最短で私を望んだ展開にまで導くのなら、魔法なんて教え込む必要なんてなかったはずです。師匠は確かに、私がこの先生きていけるよう考えてくれていたんです」

 衛霊術は何者にも劣らない最強の能力だが、使役するには目立ちすぎる。

 たとえそれが人助けのためであったとしても、どこからか露見して身を狙われるなんてことは全く可能性の低いことではない。

 だから、衛霊術を気軽に使わせないために、魔法を教えた。

 国が滅びたとしても、信徒の残党がフィレーナを旗頭にし、新たな国家体制を築こうとする危険性を少しでも低減するためでもある。でもそれだって、確かに独善的な意図が含まれていた。

「そもそも、私は一度として、師匠を悪だと認識していません」

「は? その杖を通して、確かに俺が邪悪に靄がかっているだろう?」

「だから、私はそんなこと一度も言っていません」

 決して感情的ではない、静かな怒りがこもった声。

「……何を言っている」

 その杖で見たはずだ。

 俺は「悪」なのだと、否応なく認識したはずだ。

 もしそうでないのなら、何が悪かったと言うのか。

 これほどまでに嫌われるための行動をこなしてもなお、俺を悪として認識していない?

 それはおかしい。

 善悪を正しく認識できないほどに、心を壊しすぎてしまったのか。

 俺はそう解釈し、自らの計画に綻びがあったと後悔を胸に宿しかける。

「きっと何度も何度も自分を責めて、どうにかしようと足掻いたはずです」

 フィレーナはそんな言葉を言い放つ。

 何を根拠に、そんなことを言えるのか。

「違う。無力な俺にはこんなことしかできなかっただけだ。実力と身分が乖離したこんな愚かな俺では、一人でどうにかすることはできない。だから他人を巻き込んだ。フィレーナを、利用したんだ」

「皇王という立場にあっては、時に冷徹に振る舞うことだって肯定されるべきです。そうすることが、より大きなものを救うのなら。それが今この時ならば、私は師匠に利用されても構いませんし、利用されたいとも思います」

「狂ってる。そんな考え方、間違ってる」

「偶然皇王として生まれてしまった師匠が、全てを背負い込まされるのは、あまりにも酷だと思うんです。だから師匠。一人で抱え込まないでください」

「これは自分で招いた悲劇を、自分で尻拭いしているにすぎない。俺は皇王家の全員を手にかけたんだ。そして俺が家督を継ぐ以外の選択を奪った。そのせいで皇王家が弱体化して、賢人会の輩がこの国をここまで落ちぶらせた」

「優しい師匠が理由もなくそんなことするはずがありません」

 どこまでも真っすぐな瞳に一瞬気圧されかける。

 狂信徒のような危うさを孕んでいるわけでもなく、ただひたすらに澄んでいた。

 俺はフィレーナの両親のみならず、家族親族を全員殺したんだぞ。

 だと言うのに、どうしてまだそんな目ができるんだ。

 フィレーナの両親を犠牲にしても心を動かさずに済んだのは、家族を亡くすという事実に対し、異常なまでに麻痺があったからだ。

 それを責められるのならまだしも、庇われるのは理解ができない。

「俺が優しいのは、そう演じていたからだ。お前がそう思いたかったからだ! 俺の本質は、愚鈍で何の成果も出さず、汚い手段で人を利用し、あまつさえ多くの人間を手にかけ、大罪人にすぎない!」

「そんなこと、私は知りません!」

 突然、フィレーナは感情的に叫ぶ。

 俺はハッとして、その双眸に釘付けになった。

「自分のせいで国民が苦しむから。そんな理由で死のうとする人が、優しくないはずがないんです!」

 しかしフィレーナは、慈愛に満ちた表情と理知的な瞳で俺を射抜き、力強い言葉で揺さぶってくる。

 洞窟内深くなのに、爽やかな風が身体を揺らす感覚があった。

「……俺は、弱くて何にもできない。人の死を軽く見て、浅慮な行動を重ねてきた。平穏な民の生活を、揺るがしてきた。そんな俺が、生きていていいのか?」

「他の誰かが否定しても、私が肯定します」

「どうしてそこまで……」

 不思議で仕方がない。俺は絶対に許されない過ちをした。

 フィレーナはその被害者だ。

 直接的に両親を殺したのが俺でなくても、俺の存在が確実に関わっていることは疑いようもない。

「私、両親に会ったんです」

「ご両親に?」

「あの会話が私の記憶から呼び起こした空想のものであるというのは分かっています。でも、しっかりと二人とお別れができた。だから、師匠の独白を冷静に受け入れられたんだと思います。色々話すことができました。そして思ったんです。二人と一緒にこれからも人生を歩んでいきたい。師匠の成し遂げたいことに、寄り添っていきたいって。私はそれができると思っています」

 フィレーナは俺と、じっと静かに会話を聞いていたルノアに視線を向けて告げる。

「……過酷な道になるぞ。ロースメイティア教を滅ぼすなんて、どれだけ時間がかかるか分からない」

「覚悟の上です。私は確かに、師匠に救われたんです」

「……それは俺のセリフだ」

「一つ、聞いておきたいことがあったんです。聖杖を握れる条件って他にあるんじゃないんですか? 師匠に正義感が欠けているなんて、私には思えないので。後天的に得た衛霊の加護では、その聖杖が認めてくれないとか」

「……恐ろしいな。そこまで辿り着くとは。俺は家族や親族から加護を吸い取って、自分の力にした。今は制御ができるけど、幼い頃は制御すらままならなくて、近づけば奪い取ってしまうような、そんな状態だった。一気に奪うわけではなく、時間をかけて徐々に。だから自分でも気づかなかった」

「師匠は優しくて、正義感に溢れているって、私は信じていたので。絶対に何か事情があると思ったんです」

「……歯の浮くような言葉をよくもまぁ」

 俺はため息をつきながら、敵わないなと強く思うばかりだった。







 フィレーナは驚きの計画を考えつき、実行した。

 ロースメイティア教を滅ぼすというオトハの願いを汲み、あえて国を巻き込んでオトハとフィレーナの対立構造を作ろうとしたのだ。

 そのためにフィレーナはわざわざ敵である賢人会の前に姿を現し、直接宣戦布告の言葉を告げる。

 腐敗した信徒を一網打尽にするために、フィレーナは自分の身を旗印に革命軍を発足したのだ。

 目的は賢人会の排除である。

 オトハは皇王軍の頭として皇宮に座し、賢人会に味方する姿勢を見せた。

 賢人会を始めとする腐敗した信徒らは、それに胸を撫で下ろすとともに、既得権益を守るためにオトハに与して戦いを始める。

 しかしフィレーナ側革命軍は想定以上に規模が大きく、賢人会は唇を噛んで侮蔑の感情を革命軍に向けた。

 フィレーナの陣営構築と大軍編成を支えたのは、穏健派として急拡大に反発を示してきた皇王家の中核を抱き込み、フィレーナとオトハの描いたシナリオを共有したからだ。

 戦後のオトハの身柄安堵を取り付けた。

 元々反乱の機運はあったため、特に下っ端の信徒や教えに反発していた一般市民が集い、大軍を構成することができたのだ。

 そして戦後のシナリオとして、民を政治に参加させる共和制の国家体制を掲げた。

 皇王家は象徴として政治からは隔離した立場として存続させる意向を示す。

 これに対し賢人会は民を政治に参加させるとは愚かな!と徹底抗戦を敢行した。

 連携がガタガタな皇王軍は士気の高い革命軍に劣勢を強いられ、挙兵わずかひと月で皇宮は落ちる。

 賢人会の面々は全員が処刑され、腐敗した信徒も一掃されたことで、晴れて新国家の設立に漕ぎつけた。

「意外に反発が少なくて驚いたな」

 圧政を敷いてきた皇王家だ。

 その根幹をなしたオトハが生き残ってあまつさえ象徴としてあり続けるなど、民は許さないと思い込んでいた。

 オトハ自身も別にそれで構わないと思っていたし、追放されてこれまでのように森の奥でひっそりと暮らすのも悪くないと思っていた。

 あるいは心のどこかでそれを望んでいたのかもしれない。オトハはずっと自分を責めていた。皇王としての重責からの解放、皇王国が民に敷いてきた苦難、それを民が責めてくれるのならば本望だった。

「穏健派の方々が賢人会を潰すために協力していた、と積極的に広めてくれたおかげですね」

「俺はあのまま森の中で余生を過ごすものだと思っていたよ」

「む、まだ始まってすらいませんよ。師匠だからこそできることも沢山あります。師匠はこれから民を幸せにするために働くんです。いいですね?」

「そうだな。頑張ってみるよ」

 オトハの胸中は、穏やかそのものだった。

 これまで奪ってきた平和と豊かな暮らしを、取り戻すための新たな戦いが始まる。オトハの心は新たな世の中の到来に対する希望で満ち溢れていた。



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