凶器の煌めき
誰もがもう二度と明けぬと信じていた永い夜が、終わった。
瞼の裏に、針で刺すような光の感触があった。それは希望の光などでは断じてない。暗闇に慣れきった網膜を焼こうとする、暴力的なまでの純粋な白。僕らの夜は、暖かな微睡みではなく、ただ凍てつくだけの暗黒だった。だから、この唐突な光は救いではあり得なかった、凶器で有った。
ゆっくりと、錆びついた機械のように瞼を押し上げる。
その瞬間、激痛が脳を貫いた。
「うっ……!」。
思わず腕で顔を覆う。久々の陽光は、もはや凶器そのものだった。容赦なく襲いかかり、鋭く目に突き刺さる。眼球が日に炙られるかのようだ。涙が滲み、視界が歪む。
心が凍てつく暗黒地獄から、魂ごと焼き尽くす灼熱地獄へ。
世界はただ、その相貌を変えただけだった。
どれほどの時間が経っただろう。痛みに歯を食いしばり、少しずつ、指の隙間から外の世界を覗く。光の暴力に目が慣れてきたとき、僕はついに腕を下ろし、己の立っている世界を直視した。
そして、息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、死だった。
一面の、死。
大地は焼け焦げ、灰と黒土がどこまでも続く、荒れ果てた砂漠と化していた。風に揺れる黄金の麦畑は、もうない。鳥たちが歌い、恋人たちが愛を囁き合った境界森林の面影も、どこにも見当たらない。かつてこの土地を彩っていた生命の絵の具は、すべて剥がれ落ちていた。
まるで、偉大な画家が遺した傑作が業火に焼かれ、その煤けたキャンバスだけが虚しく残されたかのようだった。僕たちが愛した世界は、もう、思い出の中にしか存在しない。
見えるのは、見渡す限り散乱する数えきれないほどの死骸だった。
焦げ臭い死。鉄錆の香りがする死。原型を留めぬほどに砕け散った機械の残骸。空を見上げたまま炭化した人影。何かを庇うように折り重なったまま、黒い彫像と化した親子。
想像しうるあらゆる終焉の形が、無秩序に、しかし圧倒的な物量でそこに転がっていた。それは巨大な墓場などという生易しいものではない。死そのものが、この大地の新たな構成要素になってしまったのだ。
僕はよろめき、膝をつきそうになるのを必死でこらえた。胃の腑から何かがせり上がってくる。これは夢だ。永い夜が見せた、最後の悪夢なのだ。そう思いたかった。だが、鼻腔を刺す死の匂いと、肌を焼く太陽の熱が、冷酷に現実を告げていた。
夜明けは、深淵なる大海原を干上がらせたのだ。
僕らが沈んでいた暗闇という海。その中では、互いの顔さえ見えず、ただすぐ側にある温もりだけを頼りに生きていた。海の底で何が起きているのか、どれほどのものが失われたのか、知る由もなかった。
そして今、太陽という無慈悲な光が、その海の水をすべて蒸発させ、それまで沈んで見えなかった真実を照らし出した。
人災。
誰かがそう呟くのが聞こえた。天が降らせた罰ではない。自然が起こした気まぐれでもない。我々と同じ、人の形をした何者かの意志が、この風景を創り出した。無残な死の原が、深淵の底からその醜悪な顔を現したのだ。
その言葉を噛みしめた瞬間、僕の足元の大地が、微かに震えた気がした。いや、違う。大地から、何かが流れ込んでくる。声なき声、形なき想い。この土地に刻み込まれた、記憶の断片が。
ふと顔を上げると、僕と同じように、多くの人々が呆然と立ち尽くしていた。
大地に突っ伏し、嗚咽を漏らす老婆。虚ろな目で一点を見つめ、微動だにしない若者。小さな子供の目を必死で覆い、自らは唇を噛みしめて涙をこらえる母親。俯き、この地獄から目を背けようとする者たち。
誰もが、奪われた世界の大きさに打ちのめされていた。
その中で、一人だけ違う空気を纏う少女がいた。僕とさほど年の変わらない、黒い髪の少女。彼女は泣きもせず、怯えもせず、ただまっすぐに前を見つめていた。その瞳は、絶望の淵にありながら、不思議なほど静かで、まるで夜明けの地平線のように澄んでいた。彼女もまた、この世界の惨状を、その小さな身体で受け止めようとしているようだった。
僕たちは、この地獄の中で迷子になった子供だった。
僕は導かれるように、そっと膝をつき、乾いた大地に手を触れた。
指先に触れたのは、ざらついた灰と、まだ微かに熱を帯びた土くれ。
その瞬間、奔流が僕の意識を飲み込んだ。
麦の穂がさわさわと風に歌う音。
夏の夜、境界森林を満たした虫の声と、交わされる愛の囁き。
広場で響き渡る、子供たちの甲高い笑い声。
収穫を祝い、酌み交わされる酒の味。人々の温かな手の感触。
それは、この土地が覚えていた記憶。ここで生きていた、名もなき人々の、幸福だった日々の残照。あまりに眩しく、あまりに美しい光景に、僕の目から涙が止めどなく溢れた。失われたものが、これほどまでに愛おしいものだったと、今更ながらに知った。
ビジョンは一転する。
空を裂く耳障りな警報。地平を埋め尽くす、無機質な鉄の軍勢。天から降り注ぐ、赤い閃光。熱線。衝撃。
人々の悲鳴が、僕自身の叫びとなって喉を震わせた。
絶望。怒り。嘆き。愛する者の名を呼ぶ声。最期の瞬間に抱いた、ありとあらゆる感情が、僕の魂に直接流れ込んでくる。これは、ここで死んでいった無数の魂が大地に遺した、最後の記憶。
僕は、彼らの死を追体験していた。
彼らの無念を、この身に受け継いでいた。
苦しくて、息ができない。だが、僕は目を逸らさなかった。忘れてはならない。この痛みを、この悲しみを、この愚かな人災の記憶を、決して風化させてはならない。
語り継ぐこと。それこそが、生き残ってしまった僕に課せられた、唯一の使命なのだと悟った。
どれくらいそうしていただろう。僕はゆっくりと立ち上がった。
陽光はまだ肌を焼き、世界は地獄のままだった。だが、もう痛みは感じなかった。あるいは、心の痛みが、肉体のそれを凌駕していたのかもしれない。
視線を上げると、あの黒髪の少女と目が合った。彼女は小さく頷いた。その瞳の奥に、僕と同じ種類の光が宿っているのが分かった。彼女もまた、何かを受け継いだのだ。
僕は一歩、前へ踏み出した。乾いた灰が、かさりと音を立てる。
どこへ向かうのか、何をすればいいのか、まだ何も分からない。それでも、歩き出さなければならなかった。
僕につられるように、呆然と立ち尽くしていた人々が、一人、また一人と、重い足を引きずり始める。泣きながら、迷いながら、それでも前へ。
僕たちの夜明けは、弔いの始まりだった。
そして、この大地に刻まれた記憶を背負って歩く、果てしない巡礼の始まりでもあった。
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