床屋
(3500文字くらい)
・デペイズマン
・デカルコマニー
・渡辺省亭
PCの周りを整理していたら、紙の資料の隅にこんなメモが残されていた。
どっから見ても私の字だ。だが、何のことやらさっぱり分からない。
資料は職場の議事録で、日付が2024年6月19日と記されている。
そんなに古い話ではないのに全く思い出せない。
メモをするとメモがどこにいったのか分からなくなる、というのは古典的なジョークだが、私くらいの上級者ともなればメモってある内容すら理解できないという残念な事態に陥る。
こういう場合、何でもかんでも、すぐに検索して調べようとする人がいるのだが、かえって調べない方が妄想が膨らんで面白くなる可能性のある案件というものがある。
前に確か、伊丹十三のエッセイだったと思うのだが、種を抜いたオリーブの中に込められている赤ピーマンみたいな奴は、一体どうやって込めているのだろう、という疑問を吹聴していたら、その噂がオリーブ工場の耳に入り、「是非とも工場見学にきてください」というオファー?を受けた。
ところが伊丹氏は、どうやったら赤ピーマンがあんな風に詰め込まれるのか想像する方が楽しいので、丁重にお断りした、という話を読んだ。
この感覚、すごく共感するのですよ。
もの凄い機械があって、一秒間に何十個もできちゃうのかもしれないし、もしかしたらパートさんが一個一個手作業で込めているのかもしれない。そんな妄想をめぐらせると、答えはちょっと知りたくないなーと思いませんか?
このエッセイ、読んだのなんて多分高校生くらいの時分だったと思うのだが、今でもよく覚えている。ついさっきのことはすぐに忘れるくせに。
なので、デペイズマンも渡辺省亭も調べずに、とりあえずほかっておいた。
どうせキン肉マンの超人か、町内の爺様に決まっているのだが。
ところが、思いがけずして記憶が蘇った。
何故かというと、その日は床屋に行く予定だったからだ。
床屋は緊張感が伴う。
何故かというと、喉元とか瞼に刃物を突き付けられるからだ。
そんな状況は人質になるか、床屋に行くかの完全2択なのだ。
サルバドール・ダリというスペインの画家がいて、私は長らくこの画家の大ファンなのであるが、絵画の他にもヘンな映画を残している。
それが、1929年にフランスで公開された「アンダルシアの犬」である。
この21分間の無声映画、絶対に観ない観ない方がよい。
いきなりカミソリで目玉をサックリやられるシーンがあるからだ。
ん?なんだか前回の「痛すぎる話」のようになってきやがったぞ。
これを若いころに観て以来、床屋に行くたびに「アンダルシアの犬」のような目に合うのではないかという恐怖が、常につきまとっている。
そう。切られるんじゃないかという恐怖が。

そうだ、そうなのだ。「デペイズマン」とか「デカルコマニー」という言葉は、ダリとかエルンストが分類される「シュルレアリスム」一派の技法なのであった。
たまたま見ていた「日曜美術館」で聞きなれない単語が出てきたので、慌ててそこらの紙にメモッておいたのだ。床屋とシュルレアリスムの類まれなる共通点が脳ミソのシナプスを結合させた。
そして「渡辺省亭」は町内の爺様ではなかった。
幕末生まれで明治大正に活躍した日本画家。画集買ってみたら、あーこれ人気でるわ、と思った。(人気出た後で言っても何の説得力もありませんが)
赤色の使い方が特徴的で、鳥とか人物とか、あどけない表情でかわいい。日本画がとても現代的(というかほぼ萌え)になっているな、という素人のつたない感想です。
それで、床屋の話。
いつもの床屋に行くと、もう十数年通っている店であるので違和感はない。
何せ私が違和感を感ぜずに入ることができるのは、ホームセンターと酒屋と床屋くらいなものなのだ。
自宅から十数キロ離れた場所にあるこの床屋は、比較的安価な割に仕事が丁寧なので、遠いのだけどずっと通っている。
そしてオーダーも通い始めてから一貫して「丸刈り」であるからして店の方も心得たものだ。
「五の三のマル」
などと、そんな言い回しがあるものかと感心したのも過去の話だ。
丸刈り(マルガリータと言ってはならない)なんか、自宅でバリカンでやりゃいいだろ、という意見もあるのだが、やはり床屋でカミソリを当ててもらった後の爽快感は自前ではできない。怖いんだけど。
あのカミソリというやつは、確実に髭だけではなく皮膚の角質をもこそげ取っている。なので、カミソリの技能というやつは、いかに皮膚の表面を心地よく「こそげ取る」かの技能なのであって、髭を残さずに刈り取る技能ではないのだ。髭なんてものは、よほどの剃りのこしが無ければよいのであって、私の知人の、とある濃髭氏は風呂場で右側を剃っているうちに左側が生えてき、左側を剃っているうちに右側が生えてくるものだから、キリがなくて困っていると言っていた。
所詮翌日にはザラッと生えてくるものなのだから、問われる技能はやはり皮膚をこそげ取る心地よさに尽きるのだ。
ここの頃合いを熟知しているカミソリ師はなかなかいない。
やたらとガリガリと刃を当てて、痛ェなあと思った直後に何かクリーム的なやつを塗ったくるパターンは絶対にダメだ。
これは完全に妄想の世界なので、理容師さん達の反感を食らうかもしれないのだが、ガリガリやられて痛ッてェなァと思った時には、実は顔中血まみれになっているのではないかと思っている。顔面がホラー映画のようになっていて、あえて隠蔽しているのではないのだろうか。
だって、髪をカットした後は、
「これでどうでしょうか」
とか言って鏡を見せてくれる癖に、カミソリを当てた直後に、
「これでどうでしょうか」
という床屋をみたことがない。シャンプー中の、
「痒いところはないですか」
の以前に、カミソリ中の、
「カミソリ痛くないですか」
と聞いて当然だと思うのだが、何かが根本的にどこかで間違っているような気がしてならない。
それであのクリームみたいなやつを塗ったくる。
あれは、恐らくは業界門外不出の劇薬止血剤なのだ。
(理容師の皆様、妄想なので本当にごめんなさい)
それで今まさに、私はマナ板の上の鯉のような状態で、眉毛の下にカミソリを当てられている。
そしてこの瞬間、あの、サルバドール・ダリの「アンダルシアの犬」を想起してしまうのだ。毎回毎回。
緊張の瞬間。このままスーっと白目を裂かれてしまうのか・・・
だが今日のカミソリ師の腕前は極上だ。
床屋はどういう訳か、男性がカットを主に担当し、女性がカミソリ専門で常駐している場合が多い。そして今回は女性のカミソリ師だ。
師は頃合いを熟知している。
痛くないどころか、優しい。
故に女性が専任するのであろうか。
この、極めて鋭利な刃物を瞼越しだというものの、目玉を裂こうと思えばいつでも可能な状況において緊張感を抱かせないこの技能は何なのだろうか。
私は基本的に人間が嫌いなので、滅多なことでは余計なおしゃべりをすることがないのだが、職人の技能とか、おいしいものとか、何か心を掴むものを感じた時には遠慮なく賛辞を贈ることにしている。そして、
「カミソリ、優しいですね」
思い切って言ってみた。
師はにこやかに喜んでくれた。
そしてその後、最後の仕上げでいつもと違う何かを顔に振りまいてくれた。
「これは・・・」
「サービスですよ。美白の」
「ビ、ビハク?」
この、草刈りで日焼けしたヒゲ面のおっさんの顔面に、丸刈りで全面毛穴の顔面に、今まさに美白溶液が含侵しようとしている!それはまさに。
ジャイアンが天女の羽衣を纏った図。
そんな絵柄を思い浮かべるのと同時に、なんだかなつかしい感じもした。
そういえばその昔、社教のイベントで美容院に無理やり連行され、地毛で日本髪を結い、ツノ隠しをかぶせられ白無垢を着せられて、あろうことか壇上に立たされたことがあった。
つまり、その、花嫁役をやらされた。
金のかけ方が、冗談ではございませんお奉行様というほどイカれてた。
そんなことが出来たのは、実はヘビメタだったおかげで髪の毛が異様に長い時代もあったからだ。
これはもはや黒歴史。
そんなことを書いてはならぬという理性を、デペイズマンという名の技法で巨大化された本能が襲いかかってきた。
ううむ、これは「床屋」第二弾を書かねばならぬのか・・・それだけはご勘弁を願いたい。
