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【小説】こきあけのペンダント 2


出会い


今田の滑落事故から、さかのぼること3年。

杉本は主に木工機械の整備と中古機械の販売を手掛ける三代目のひとり社長である。二代目の父親が事故にあい、早々に引退してしまったため一手に引き受けることになったのが27歳の冬だった。
それまでは父子で家業を営んでいたのだが、親父は極めて「あぶなっかしい」人間で、何度も殺されかかったことがある。
危ないといってもサイコパス的なものではなく、いつも
「でぇーじょーぶやさ、でぇーじょーぶやさ」※1
と言って三段積みにしている中古機械がグラグラして倒れてきそうなのもお構いなし。杉本はいつも工場のホイストで吊り上げられて、高いところのモノを取りにいかされていた。
終いには切れかかっているワイヤーで機械を吊り上げ、案の定切れて落下。
「ブチッ、ドゴッ」
「あリャアア、ゲバしたらああ」※2
そんな仕事ぶりであるからして、今まで無事でいられた方がどうかしている。結局、親父はあるとき倒れかかってきた機械に足をはさまれ、それ以来思うように歩けなくなったため、若くして引退した。
そんな親父でも、さすがに不憫に思った杉本だが、いつ殺されてもおかしくない状況からすれば、独り身の自営業は彼の性に合っていた。
親父とやっていたときは経営もかつかつで、借金の返済すら危うい状況も度々であったのだが、経営を引き継ぐと彼はすぐに長年積もり積もった資産をバッサリ売却、不要な経費を整理しまくった。彼は機械屋のくせに重たいものが大嫌いだったのだ。すると、数年で徐々にだが利益が出るようになってきた。
機械いじりも好きだったし、何より彼は天性の耳のよさを持っていた。
その能力は他人の工場に入っただけで機械の不調のみならず、その会社の品質レベルまでおおよその見当をつけることができた。
切れない刃物の音は不愉快以外の何物でもなく、そんな音が鳴り響く工場の製品レベルが高いはずがなかった。
この能力は間違いなく母親の遺伝である。
杉本マシンがここまでやってこれたのも、彼女の存在なしにはありえなかった。母の言うことなどまるで聞かない、どうしようもない親父だったが、彼女の収入に手を付けることは決してなかったと思う。そのおかげで杉本はスキー競技も続けることができたし、生活に困ることもなかった。
音楽の教員であった母が、何故あんな親父と結婚したのか未だに全く意味不明である。

※1 「でぇーじょーぶやさ」 飛騨弁。大丈夫だよの意。
※2 「ゲバした」 飛騨弁。失敗したの意。ゲバルトではない。もちろん左卜全とひまわりキティーズ「老人と子供のポルカ」でもない。

一方、今田は大工をやっていた。
在来工法の木造住宅を手掛けているのだが、親方は今時珍しい職人気質の棟梁で、地元の人間にも一目置かれる存在だった。
親方は杉本マシンの親父の仕事ぶりが気に入らなかったため、今まであまり相手にはしてこなかったのだが、息子に代替わりしたタイミングで付き合いを始めることになった。そんなとき、親方は電動工具の修理をしてもらうよう、杉本マシンに今田を出向かせたことが、ふたりの出会いとなった。

ドカ雪の降る2月の夕方、今田は街中にある杉本マシンの戸を叩いた。
この雪の降りようでは明日の朝はゆきまたじ※3からだな。
靴についた雪を払い落とし、工場のドアを開けると機械油と鉄のにおいで充満している。蛍光灯の明かりは薄暗く、鉄骨の工場は古びているものの、整理整頓が行き届いている先に、ザーと何かを研磨している音がする。寒い。息が白い。表の気温はマイナス5度だが建屋の中もさほど変わらないのではないか。
「すみません」
声をかけると機械のすきまから杉本の顔がのぞく。
「おう、和井田技建の、えーっと」
「今田です」
「ああ聞いてるよ。そこに置いといてよ、モーター焼けたんだろ?」
見ると、杉本は平日の日中にもかかわらず何とスキー板の滑走面を機械で研磨していた。しかもそのストーンマシン※4と思わしき怪しい機械は明らかに木工機械ベースの改造品だ。何やってんのこの人。日中から何遊んでんだよ仕事しろよ。
さらに怪しいのがもう一人、うしろにいた。
「こんにちはー」
と無愛想に言うその人は、黒のニット帽から流れる髪が青く染めたロングヘアーで、小顔なのだが盛り盛りメイクで、何だかよく分からない顔面の女の人がコートのポケットに両手を突っ込んで斜に構えつっ立ていた。
とりあえず・・・社交辞令として杉本さんが研磨中の板を観察しに行った。げ、テレマークスキー※5だ。これは確実にロクな人間ではない。
それでも今田はスキーヤーの性で鑑定をしに近くまで寄ってみた。
「ヴェクターグライドですね。センター幅何ミリですか?」
「ああ、107ミリって・・・あれ今田さん、スキーやるの?」
「テレマークやってます」
「えーっマジか、バックカントリーは?」
「始めたばかりで。ゲレンデだけですけど。山はまだ」
「いーじゃん!明日行こうよ乗鞍大雪渓。明日行かなくていつ行くの!ユーリ、お前も行こうぜ」
「わたし、あんたみたいにヒマじゃないから。今田・・・さん?はっきり断っていいのよ。この人ロクな人じゃないから」
この人たち、どういう関係?って、明日も平日なんですけど。
「いいか今田君、まずズル休みがバレないようにするには」
えーっ、いきなりそういう話なんですか、俺雪山登る道具とか持ってないんだけど、そういう話じゃないような。
「俺が誘ったってバレたら和井田の親方仕事くれなくなるだろうが」
ほ、保身ですか?
「ハラ痛だ」
杉本さんは俺の腹部を指さしてそう言い放った。
「は、はらいたっすか?」
「そうだ。下手に熱出たとか言ったら病院行けとか言われるだろう。ハラ痛くらいが丁度いいんだよ。ちょっと下痢気味でって感じで。別に心配するほどじゃないんだけど、下痢してる奴なんか誰だって仕事場に呼びたくないだろう。それとな、顔面日焼けしたらバレるから、こってり日焼け止めを塗っておけ」
「どんだけ塗りゃいいんすかね」
「バカ殿くらいだ」

結局、強引にそうしろと言われて翌日ズル休みをすることになった。
案の定ロクな人間ではなかった。

※3 ゆきまたじ 飛騨弁。雪かきのこと。
※4 ストーンマシン スキーの滑走面を整えるチューンナップの機械。
※5 テレマークスキー 一般的なアルペンスキーへのアンチテーゼを心に秘めるカルト民が使用する特殊なスキー。かかとが固定されておらず、前後のバランスを取るのが難しいため、独特の滑り方(テレマークターン)をしなければならない。ノルディックジャンプ競技の着地後の姿勢を表す名として広く認知されているものの、過去に一度絶滅した経緯がある。その後復活するも、ふたたび現在競技人口は減少の一途をたどっている。

翌朝、雪は止んで星が出ていた。
6時に迎えにゆくと言われたので、一抹の不安を抱えながら杉本さんを待っていると、闇の中から黒くていかにもガラの悪そうなハイエースがやってきた。金色で旭日旗が描いてありそうな雰囲気だったが、幸いなことに杉本マシンの文字が白抜きで書いてあるだけだった。
「おいす。予想通りだ。今日は絶対いいぞおー」
「大丈夫ですかねえ、俺ゲレンデ滑る道具しか持ってないんですよ」
「大丈夫なこともあれば、ダメなこともある」
そんな、身も蓋もない。
今田の不安をよそに、ハイエースは東に向かう。
明るくなるにつれて山並みが錆色に染まり、空は・・・いつも思うのだが鰻のかば焼きの裏っ側の皮の青に似ている。天気の良い時はいつもこうだ。
クルマはほおのきスキー場を越え、平湯トンネルを越えると笠ヶ岳の絶景が迫ってきた。車内のスピーカーからは杉本さんの趣味なのか、延々とデスメタルが流れている。
「何でテレマーク始めたんですか」
「ああ、ずっとアルペンスキーでレースやってたんだよね。スラローム(回転競技)が好きで、結構速かったんだよ。でも、何か出口のないどんづまりみたいな精神状態でさ。その頃仕事もうまくいってなかったこともあって。それで、もう疲れちゃって、止めようかと思ってた時に見ちゃったんだよ。何だか変なテンションで雄叫び上げながら滑ってるテレマーカーを」
「たまにいますよね、変な人」
杉本は大柄でがっしりとした体格をしている。スラローム競技はGS(ジャイアントスラローム)やダウンヒルといったスピード系に比べて陸上でいう短距離走的要素が多い。得意なわけである。
「それで、この人は一体何やってんだろうって。俺のやってることと一つも共通点がないんだよ。同じスキーなのに、何だかすげえ自由な感じがしたんだよね、その人」
「それで始めたんですか」
「そう。やってみたらこんなんなった。今田君は・・・下の名は?」
「亨です」
「亨でいい?亨は?」
「大体同じようなもんです。ただ俺は、スピード系でした」

長い安房トンネルを越えて飛騨から信州へと入った。
相変わらず車内はデスメタルの、あ゛ーとか、う゛ーとかいう気味の悪い声で充満しており、いい加減頭が痛くなってきた。
「あの、何でこういうの聞いてるんですか」
「いや、自然の成り行きでね。その、おふくろが聞いてたから」
亨は飛び上がった。
「お母さんバンドやってるんですか?!」
「いや、高校の音楽の先生」
「全く意味分からないっす」
杉本はハンドルを握りながら姿勢を正した。
「いやね、俺のおふくろ、あるときスゲエ荒れてる高校に異動になったんだよ。これ聞いた話なんだけど、ワルばっかで誰も音楽の授業なんて聞いてなかったらしいんだよね。それで、これじゃイカンと思って暴挙に出た」
「暴挙?」
「そう。メタリカって大御所の有名なバンドあるだろ?その時すげえ流行ってたんだよ。それで彼らの代表曲にONEって曲があるんだけど、これって戦争で兵士がさ、地雷踏んで手足もバラバラ、目も口も耳も吹っ飛ばされたんだけど生きて帰ってきちゃってさ。神様お願いだから俺を助けてくれって曲なんだな。で、よりによってそんな曲をおふくろは、ピアノアレンジして授業中に思いっきり弾いて歌ってみせたんだよ」
「その曲知ってます。ジョニーは戦場に行った、のオマージュですよ」
「おお、よく知ってんな。それで最初は誰も気がつかなかったんだけど、途中からオイ、これってって、好きな連中が気がつき始めた。英語の歌詞と和訳が書いてあるプリントもご丁寧に配ってたらしくって、最後はみんな「Oh please God,Help me!」って叫んだんだってさ。伝説の授業だよ」
「すごいですね」
「それからワルにも一目置かれるようになって、まがりなりにも授業ができるようになった。まあ、それで終わってりゃよかったんだけど。なんかそれからメタルにはまっちゃってさ。結局デスメタルまでいっちゃったのよ。家で真面目にシャウトの練習とかさ、パワーメタルとスラッシュメタルの違い云々とかあれ、止めてほしかったよなー」
杉本は肩をすぼめて言った。
「それ、世間一般のお母さんの話とだいぶ違いますね」
「ああ。それと、おふくろ異常な才能があってさ。地震が起こる10秒前くらいに突然騒ぎ出すんだよ。地震だ地震だって。緊急地震速報の気持ち悪い音が鳴る前に言うんだよ。で、本当に地震が来る」
「何ですかそれ、予知能力ですか」
「いや、何か気持ち悪い音か何かを察知するらしい。でも何の役にも立たねえ。どのみち分かるの直前なんだからさあ」
「杉本さんは分からないんですか」
「まあ・・・似たような感覚はあるかもな」

老朽化したトンネルをいくつもくぐり、Mt.乗鞍スノーリゾートに着くころには8時を回ろうとしていた。空はすっかり晴れ渡っている。
「亨、親方に電話だ」
「うわっ、忘れてました」
今田はあわててハイエースの中でスマホを取り出した。今日はズル休みをしなければならないのだ。
トゥルルルルルル・トゥルルルルルル・ガチャ
「はあい、和井田技建ですが」
親方のデカい声がスマホから漏れ出て車内に響き渡る。
「あ、今田です、親方すみません、ちょっと体調が・・・」
「あー?何だ、腹でも痛えのか」
「あ、いや」
プッと杉本さんが笑いをこらえている。
「オメーそこ家かあ、音がなんかヘンだぞ」
「すみません、いやちょっと」
「まあいいや、今日はどうせ雪またじで仕事になんねーから。休んどけ」
「すみません」
ガチャ。
「だはははは!バレてんじゃねーかよ」
「バレてますよねー」
「まあいいや、いこうぜ」
まあいいってさ、あんたはいいだろうけど。ハライタ作戦大失敗じゃん。

スキー場で回数券を買い、リフトを何本か乗り継いで、終点までたどり着いた。
標高2000メートル。空気が冷たい。ザックを背負う我々は、一般のゲレンデスキーヤーやボーダーにじろじろと見られる。ああ、こいつらはバックカントリースキーをしにゆくのだ。いいなあ、でも命を大切にしろよ、と言われてるみたいだ。あるいは迷惑だから止めろと思われてるかもしれない。
でもちょっと特別な気分だ。ゲレンデスキーとは違うプラスアルファの高揚感が確かにある。しかしここからさらに標高をプラス1000メートル、自分の足で登らなければならない。
「シール※6、これ使えよ。さすがに今日は要るだろ」
杉本さんに投げてよこされたシールはずっしりと重く、かなり幅が広そうだった。
ためしに貼ってみると、シールの幅が広すぎてスキーの両側から糊面がはみ出ている。通常シールの幅は、自身のスキーに合わせてカットするものなのだ。
「だいぶはみ出してますけど」
特にセンターのあたりは両側2センチほどはみ出している。それはそうだ。亨の板はアルペン時代のレーシングモデルにテレマーク用のビンディングを付け替えたものなのだ。新雪用のファットスキーに合わせてカットされた杉本のシールが合うはずがない。
「なんかビロビロしてて気持ち悪いな」
「海の変な生き物みたいですね」
「でもそれが一番幅せまいやつなんだよ。あきらめてそのまま登るべし」

※6 シール スキーを履いたまま斜面を登るためのシート状の道具。スキーのソール全面に糊で貼り付け、滑り止めとする。

海洋生物を使った登高が始まった。
悪いことに登り始めがいきなり凄い急斜面で、杉本さんは斜登高ジグザグにスイスイ登ってゆくのだが、こっちははみ出たシールのおかげでエッジが全く効かず、というかエッジどころか大きく丸い面取りがなされているような状態なので、スキーをちょっとでも横に向けるだけでズルズル滑ってコケる。
「おーい、大丈夫かあ」
大丈夫なわけないでしょ。登り始めて100メートルくらいでもう汗だくである。だんだん腹が立ってきた。なんだこりゃ。
散々コケて、それでも登れないので、亨はスキーを外して手で持って登り始めた。今度は足が雪にはまり込む。はみ出たシールの糊がグローブにまとわりつく。
「ぬおおおおお」
スキーでこんな苦労をしたことがない。というか、こんな超絶イライラは滅多にないぞ。この、努力がものの見事に、豪快にカラ回りする感じは生まれて初めてだ。
苦行。
そうだ、まさしくこれは苦行だ!
それでも何とか最初の急登を這いずり上がると杉本さんが待ちくたびれてヒマそうに立っていた。息が切れて、もう全ての体力を使い果たしたかのようだ。だがまだ全行程の10分の1も進んでいないだろう。何ということだ。だが。
「ほら、ピークが見える」
「えっ」
見れば、まだ距離はあるものの真っ白な峰々が目に映った。
それは、見たことのないものだった。
いつも街から見ていた乗鞍とは、全然違うものだった。
飛騨側から見るのと信州側から見るのとで違うのは当然として、何というか、地上から見るのとは異なる神々しさに驚愕した。
そこから先は比較的緩やかな斜面が続き、海洋生物でも何とか登ることができた。
位ヶ原まで登り、森林限界を超えると、いよいよそこは別世界であった。
雪の白と空の青だけの世界。
万年雪があると言われている広大な大雪渓を左手に見ながら県境である稜線まで登り、そこからようやく乗鞍の最高峰、剣ヶ峰3026mに登頂すると、不思議な感覚に陥った。

そこには、何も無かった。

音も無ければ、何かの気配も無く、つまりは無であった。
もちろん時折吹き付ける風の音もあれば、見渡すかぎりの雄大な景色と背後には権現池。だがそういうことではなく、地球の大気圏の頂点に晒される感覚があった。
他にはいくらでも高い峰があるのは分かっている。それでも見渡す限り周りには何もない、高さで言えば、さいはての地で暴露されているこの場所に、何か意味のあるものは皆無であった。
「おい、どうした」
「いや、なんか・・・すごいですね」
「山岳信仰ってのがあるだろ。そういうものが生まれる理由が分かるよな」
杉本さんはシールを剥がしはじめた。
亨もそれにならった。
「いいか、滑り方なんて無いんだ。好きなように滑りゃあいい。ただ・・・遠慮したら後悔する。全力で表現しろ。いくぞ。フオーッツ」
大雪渓に飛び込んでいった杉本さんは野人のようだった。
解き放たれた本能があふれた滑りに圧倒されるも、亨もそれに続いた。
雪は締まっていた。新雪ではあるのだが蹴散らすような粉雪ではなく、異常に密度の高い粒子がスキー場ではあり得ない手ごたえを返してきた。
これが3000mの雪なのか。気が付けばどんどんスピードが上がってゆく。
ただ周りの景色が大きすぎてスピードの感覚が掴めない。その代わりに地平線がゆっくりと上昇して自身が沈んでゆく感覚がある。すごい、すごい。
杉本さんがこちらを確認するために途中で停止している。
俺は止まりたくなかった。そのままロングターンで脇を滑りぬける。
「おおーっっ、速ええなあーっ」
杉本さんの声がドップラー効果で音が低くなるのを感じた。

どこまでも、どこまでも、滑り続けたかった。
俺はこの乗鞍で、一体何を求めて加速しつづけているのだろうか。
追い求めた先に、何もないことは分かっている。
ただ、この大いなるスピードへの欲求を押し殺すことは不可能だ。
これは、人類が大空を自由に飛び回る夢と、同じなのではなかろうか。
本能に逆らって生きること。

悪いけど、そいつは無理な相談だ。

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