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【小説】こきあけのペンダント 4


ゴスワラの精霊


「おい、今田、いーまーだー」
「あ、はい」
「何ボーッと遠くを見てるんだよ、大丈夫かお前」
和井田の親方に注意をされた。
今日は高台の一角で住宅の建前だ。建前とは、日本の木造建築で柱とか梁とか構造材を組み上げるシンボリックな工程だ。
屋根がかかるまで構造材を濡らすようなことがあってはならないので、天気と相談しながら一気に組み上げるのが建前だ。
もちろんその日も好天に恵まれた気持ちの良い日だった。
建前は施主にとっても記念すべき日である。そのため、大工も正装である印半纏(しるしばんてん)のいで立ちだ。背紋に「技」の一文字のみが記された和井田技建の半纏。濃紺に染め上げられたシンプルなデザインには好感が持てる。
クレーンで玉掛けされた部材が下ろされ、仕口や継手といった木組みを次々と組んでゆく大工たち。桁や梁などの横向きの部材は、ふたりで両側に立って、呼吸を合わせながら「かけや」と呼ばれる大きな木槌で叩き、建物の骨格となる部材を組み込んで行く。周囲に檜や松の清々しい香りが立ち込める。
和井田技建の大工は皆優秀だ。
誰が、何を、どのタイミングで行うのかは打合せなどせずとも、淡々と、滞りなく進んで行く。
「何やってんだよ!」とか「そっちじゃねえこっちだ!」などど罵声が飛んでいる現場は威勢があって、かえって良く見えなくもないものだが、正直それは二流三流の連中がやることだ。
ここの連中は違う。
親方、いや、和井田棟梁は必要最小限の指示しか出さない。大工同士のやりとりも、殆どが目くばせや身振りで済んでいる。考えてみれば当然で、大工仕事は高所作業が多い。二階建ての、幅4寸ばかりの梁の上を地下足袋で歩き回ることなどしょっちゅうなのだから、そんなときに罵声など浴びせられてはたまったものではない。
安全作業のための、チームワークでもあるのだ。
地上では施主の夫婦が見学に訪れていた。
大工たちの身のこなしや無駄のない動きにみとれているようであった。
まだ生まれたばかりで、父親のだっこ紐に収まっている赤ん坊が、彼らの動きを不思議そうな目でじっと見ていた。

「今田、一か所穴あけ忘れてっとこあんだよ。お前、下に降りて鑿(のみ)でちょちょっと掘ってきてくれ。なんか最近、危なっかしいんだよお前」
「あ、すみません。桁の込み栓の穴ですね、掘ってきます」
「ったくよう。ボーっとしやがって」
そう。自分でも集中できないのは分かっている。それというのも、高台に建てているこの家の梁の上に立ってみると、あの乗鞍が一望できてしまうのだ。
今日は、5月の14日か。もうV字シュートから上の、森林限界を超えて開けた斜面も尾根筋の雪はなくなってきている。その下のV字も多分滑れる状態ではないだろう。あと数週間で雪は完全になくなり、Vの字すら目視することはできなくなる。そうなれば次に拝めるのは、早くても11月の降雪を待たなければならない。

「今田、そこに桁下ろしておいたから、頼むわ」
「わかりました」
開け忘れた穴の墨付けをし、五分の鑿を桁材に打ち込んで行く。
カッカッカッ。痛え。
1か月前、蛇出谷に滑落した際に痛めた肩がまだ痛む。
玄能を振り上げるたびに痛む右肩が、後悔を呼び覚ます。
クソッ、あの時V字シュートとは関係のない蛇出谷など覗くべきではなかった。しかも大事なスパチュラV2まで失ってしまった。あの板、もはや入手は困難だろう。別の板に乗り換えるか?いや、あの板の代わりなどある訳がない。

ならば回収するか。

出来るのかそんなことが。
遭難者の遺体だってそう簡単には見つからないという。
五色ヶ原の山奥の、よく分からない谷を遡行して探す?
いや、あのエリアは立ち入り禁止だったはずだ。ガイドと同行しなければ入ることすら許されない場所だ。だが考えてみれば、冬はよくて夏はダメだなんて変な話だ。もしかしたら冬だってダメなのかもしれない。V字シュートを滑り降りたら県の条例違反?そんときゃ間違って迷い込んだ風で誤魔化すしかないだろう。
だが仮にガイドと入山したとして、何て説明すりゃいいんだ。落としたスキーを探しに蛇出谷を遡行したい?
そんなバカげたことに付き合ってくれる人なんていないだろう。

「おーい、いつまでかかってんだ」
「あ、すみません、もうできます」

その日、無事に棟木まで上げ終わり、シートをかけて仕舞うことができた。
明日は上棟式だ。

俺はその晩、五色ヶ原について改めて調べてみた。
適当なサイトをあてどもなく見ていると、五色ヶ原のガイド紹介と称したページに行き着いた。顔写真とプロフィールがひとりづつ載っている。
なるほど、こういう人と入山しなければならないのか。
特に詳しく見るでもなく、適当にスクロールしていったところで、もの凄い違和感を感じた。何か青く染めた長い髪の、とてもガイドという職業には似つかわしくない人物が異物混入しているのを発見した。
「え、あれ、この人確か杉本さんと一緒にいた」
あれは杉本さんと初めて会った日、工場にいた女性だ。
名は森下ユーリ、まさしくその人であった。

翌日俺は、上棟式も上の空で、昼になると五色ヶ原の事務所に電話をしてみた。
森下さんは非番だったので、連絡を取りたいと言うと、あからさまに怪しがられた。まあ当然だ。スキーを回収しに行きたいとか変な事情を話すわけにもゆかず、苦し紛れに「杉本蒼太さんという人の紹介で」
と言うと
「杉本ぉぉ?あんた蒼太の知り合いか」
「そうです」
「なんだそうか、早く言ってよ。携帯の番号言うよ、いい」
あっさりと森下さんの連絡先を教えてもらえた。
ごめん、杉本さん。

それから数日後、俺は高山の観光地である古い町並みからほど近いカフェで森下さんと会うことができた。あいにくの雨。
窓際のカウンター席で先に座って待っていると、まばらな観光客に交じってひときわ目立つ黒いワンピースに八ツ墓村のような深くつばの下がった黒い帽子。そこから流れ出す青いロングヘアーが黒い傘をさしてやってきた。
うわ、止めときゃよかったかな俺。
彼女が店に入ってくると、あら久しぶりーとか言って帽子を取ると、これまた青いカラコンにつけまつげ、指先は天の川のようなネイルにギョッとさせられた。まるでコスプレをしていないコスプレイヤーだ。
森下さんは柄に似合わず深煎りのケニアAAをブラックで、俺も同じものを注文した。
昼下がりの雨模様の中、少々肌寒くも湿度の高い店内で、俺は事情を話しはじめた。雨足が強くなってくる。

「何で蒼太に言わないのよ」
「いや、これは俺の問題なんです。散々迷惑もかけているし、この前に至っては命まで助けてもらっちゃって。あんまり俺のわがまま言うのも申し訳ないんですよ」
「別に、そんな迷惑だなんて思ってないと思うんだけど」
「まあ、多分杉本さんのことだからそう思いますよ。でも」
「でも?」
森下さんはコーヒーを口に運びながら鋭い目で俺を見ている。この人、見かけによらずスゲーまともそうだ。そりゃそうか、じゃなきゃお客の安全を担保するガイドなんかできないよな。
「あの、森下さん」
「ユーリでいいわよ」
「ではユーリさん、俺、今まで山に行くの杉本さんとばっかりで。いつも安心して行けたんですよね。もちろんお互い気を使うことなんて無かったと思うし、この先も頼りにしてるんです。でも何というか、山に限らず俺の人生って、いつも誰かについていってるばかりで」
「一人でやってみたくなったと」
「そうです」
彼女は俺が撮ったV字シュートの写真を指先でスクロールしながら言った。
「何でこのシュートじゃなきゃいけないのよ」
「いや、何か呪われちゃったみたいで」
「は?何言ってんの」
「まあそれは冗談ですけどね。俺の中で、もうここ以外ありえないんです。実際こんなとこ滑ったって面白いかどうかなんて怪しいもんじゃないですか。何というか、もはや義務みたいなものです」
「義務?あはははっ、アンタ面白いね。いいよ、板探すのは手伝ってあげる。大事なものなんでしょ。でも期待しない方がいいよ。多分見つからないから」
「ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。
ユーリさんはスマホのV字の写真をさっきからずっと眺めている。よく見ればスクロールする指や手の甲が擦り傷だらけだ。何故だろう。
「それにしてもさ、このシュートの上の真っ白な斜面って、なんだか上を向いている女の顔に見えない?これが目でしょ、これが鼻」
「確かにそう見えてきました」
「で、その下のV字は女の首筋から下がっているペンダントチェーン」
「そんな風に見たことはなかったです」
「さらにその下は・・・丸黒尾根というオフショルに隠された胸の谷間ってわけ」
ユーリさんはニコっとしながら俺の目を見る。
「えっ、え」
「だから、あんたたちはブイ、ブイって言ってるけど、Yなのよ本当は」
「はあ、なるほど」
「だから、ここの名前は今後ペンダントと呼ぶことにします」
「強引ですね。でもいい名前です。ところでユーリさん、杉本さんとはどういう関係なんですか」
「どーいうってアンタ。ただの後輩よ。レースやってた時の」
「でも、思いっきりタメ口じゃないですか」
「いいのよ。わたしのがスキー上手いんだから」


7月。俺はユーリさんと五色ヶ原に入山した。
彼女は鍵のかかったゲートを開けて、ジムニーシエラを入山禁止エリアに侵入させた。
林道はところどころ荒れた箇所があり、道をふさぐ倒木を手でどかしながら1時間ほどかけて岩魚見小屋までたどりついた。
この地が規制によりガイドの同行なしに入山できなくなる前も、一部の物好きしか訪れることはなかったであろう。
今でこそ秘境と呼ばれている五色ヶ原だが、昭和初期までは大丹生道、赤川道、そして何と蛇出道なる登山道その他多数存在していたということだ。だがそれらは今や1つも存在しない。日ごろ見慣れている乗鞍西面・・・つまり飛騨側のいつも見ている乗鞍はいつの間にか謎のエリアと化してしまった。
その理由のひとつは旧日本軍、陸軍航空本部が航空エンジンの高地実験施設を行うため、軍用道路として建設した現乗鞍スカイラインの存在である。この道路により戦後「乗鞍コロナ観測所」などの科学的知見に関する研究目的から必要不可欠なものとなった功績は大きい。だがその後、観光地化された乗鞍岳はクルマで3000m峰までアクセスできる安易な山へと化してしまった。
それが幸か不幸か乗鞍の、特に飛騨側西面は人を寄せ付けぬエリアに回帰してしまった。皮肉なことに五色ヶ原の秘境とは、他の地を開拓することによって生まれてしまった副産物なのかもしれない。
とは言え、ここは3方を尾根に囲まれた極めてアクセスの悪いエリアであることに変わりはない。長大な袋小路なのである。ならばやはり、今も昔も基本的には物好きだけが跋扈する、ピークだけ観光地化されども裾野は人知れず静かに存在する秘境であったのかもしれない。
俺とユーリさんは岩魚見小屋にジムニーと、置き土産を置いて蛇出谷へ向かった。

谷の水量は多くなかった。
水の流れを頼りに平たんなシラビソ林をかき分け進むと、急に谷を挟む両脇の巨岩がそそり立ち、迫ってきた。岩は鉛のような銀色がまだら模様になって、様々な表情を描いている。表面についた苔が悠久の時を物語っており、上の方には無数の根を表面に食い込ませてた木が岩を食い物にするかのように、はびこっていた。
「ゴスワラよ」
「ゴス、ワラ?」
「そう。この岩は乗鞍が火山活動をしていた時に流れてきた溶岩の塊。この溶岩台地を覆う無数の、この岩のことを地元のひとはゴスワラって呼んでいるの」
青い髪のユーリさんが語る言葉を聞いていると、まるでファンタジーの世界にいるようだ。
「すごい眺めですね」
「でしょ。でもあなた、スキーを探しにきたのよね」
「そうでした。絶対見つけます」
ユーリさんと俺は時折立ち止まりながらスパチュラV2を、それこそ目を皿のようにして探しまわった。
だが標高を上げるにつれ、オオシラビソ、ブナ、ミズナラなどで構成される原生林の樹海は昼なお暗く、岩や大木の影になっているところまで全て確認することは事実上困難であった。
「これは、きびしいですね」
「あんたが諦めてどうするのよ、せっかく連れてきたんだから結果を出しなさい」
「・・・はい」
それから4時間ほど、くまなく探しながら登り続けると、森林限界を超え、視界が開けたザレ場の先に岩壁が現れた。忘れていた太陽光がまぶしい。
「多分この岩壁の上だと思います、自分が滑落して止まったのは」
「止まってよかったわねえ」
「奇跡ですよ、止まらなかったら死んでたかもしれません」
「でも、もうこの上には板ないよね。その、目の前の崖から落ちて行ったんでしょ?」
「多分・・・。杉本さんもざっと確認してくれたのですが、上には無かったみたいです」
俺とユーリさんは一応、登れそうなところを登って壁の上に出てみたが、板は無かった。
「下りながらもう一度さがそ。板は上から滑り落ちて行ったのだから、上から見て探した方が見つけやすいよ」
見つかるのか?見つかるわけがない。こんな谷、雪崩も起これば落石もしょっちゅうだろう。見つかったとしても原形をとどめていないかもしれない。でも、諦めてはいけない。諦めたら、その時点で全てが終わる。
その時、カッカッカチッと乾いた音が背後から聞こえてきた。
「ラクよ!左の尾根に登って」
慌てて這松をつかみ、尾根に数メートル登った直後、ボーリングの球のような大きさの岩が何個も、もの凄い勢いで眼下を落ちて行った。
「うわ、危ね」
「ふう、気がついてよかった、気を付けましょ」
その時、登った斜面から下方に目をやると、木々の中に一瞬太陽光を反射する光が見えたような気がした。
「あ、ユーリさんあれ」
「え、なに、ちょっと、キラッとしたのあるよ、もしかして」
「行きましょう」

「どうやらこの岩の上ね」
板かどうかは木々が邪魔して目視できなかった。光の反射の元は恐らくこの巨大なゴスワラの上にある。スパチュラV2の表面はステンレス板だから太陽光を反射するはずだ。岩の高さは6~7mといったところか。
俺とユーリさんは巨岩の周囲を観察して、登れそうな「岩の弱点」を探しまわった。だが、そもそも急斜面の谷筋にブッ立っている岩の周囲を見回すだけで一苦労だ。しかも手の届きそうなところに手がかりはなく、どこもオーバーハング気味である。ただ3mほど上に大きな水平クラックが入っている箇所があり、その先は何とか登れなくもなさそうだ。
「亨クン、ちょっと肩貸しなさい」
「え、ユーリさん登るんですか」
「あたりまえでしょ、ほら、しゃがんで。もうちょっと右」
ユーリさんはトレッキングシューズを遠慮なく俺の肩に乗せて体重をかけた。
「いててててて」
「ガマンしろ」
いや、滑落したときの肩の怪我がまだ痛い。というか急斜面で足場が悪くて力が入らない。
「上げろー、おら上げろー」
「ぬああああー」
ユーリさん、なんだか急にドSになった。
「オイ、お前、今重いとか思っただろ」
「重いです、でもこれは純粋に筋肉の重さです」
「やかましい!もう少し上げろ」
うお、と声をだして全力で足を伸ばした次の瞬間、フッとユーリさんの体重が消えて俺の体が一瞬無重力状態になった。
見上げると、彼女はガバ(岩の掴みやすいところ)を両手で掴んでぶらさがっている。すると左足がヒョイと頭の位置まで上がって、踵をクラックの段差に引っ掛けると、それを支点に下半身を引き上げ、横一文字になってしまった。束ねた青い髪だけが下を向いて垂れ下がっている。
そしてぐっと体を引き付け「ああッ!」という声と共に左手を伸ばし、はるか上にある小さなホールドをデッドポイント※で捉えた。1回2回ほど、そのホールドの効きを確かめると、右手のマントルを返し※、右足を引き上げたかと思うとそのままスルスルと上まで登って見えなくなってしまった。
俺はあっけにとられて茫然とした。すげえ、すげえぞ。何だこの人。
「あったよー銀色のヘンな板ー」
ユーリさんの嬉しそうな声が、この蛇出谷に響き渡った。
その声を聴いた瞬間、全身に鳥肌が立って目頭が熱くなった。
マジか、見つかったのか、信じられない。状態は、傷んでないのか、それとも・・・
しばらくすると、細いロープに縛られた、スパチュラV2が降りてきた。
どこも、傷んでない。あの時のままだ。なんということだ。
「ロープほどいてー」
「はい」
ユーリさんはゴスワラの上から顔を出して、手を振りながら一発ウインクをかませてきた。そしてふたたびロープが上がってゆくと、今度は彼女自身がロープを使って懸垂下降で降りてきた。
ゴスワラの、苔むした岩の壁をターンターンと軽く蹴り、そのたび青い髪をフワッと舞い上げながら、軽やかに、優雅に下降してきた。
そしてスッと地上に降り立った彼女は、この巨大なゴスワラに宿る美しい精霊のようであった。
「あんた何ジロジロ見てんのよ」
「あ、いや」
「スパチュラ、苔の上でお行儀よく高山の方を向いていたわ。きっとあなたを待っていたのね」
「ユーリさん、本当にありがとう」
「お礼はペンダントを成功させてからにして頂戴」

一筋の涙が、俺の頬を伝って落ちた。


※デッドポイント  勢いをつけて次のホールドを取りに行く動作。失敗するとフォールする可能性が高い。
※マントルを返す  手首を返し、岩の上部へ体を押し上げる動作。

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