見出し画像

【小説】こきあけのペンダント 5


蒼太とユーリの決意


亨が不慮の事故で亡くなったという知らせを聞いたのは、11月も終わりの月曜日だった。
和井田の親方に聞くところによると、亨は自宅の屋根に一人で登っていたらしい。彼はここ飛騨に来てから、使われなくなった別荘を格安で借りて一人で住んでいたのだ。
薪ストーブの煙突掃除をしていたらしく、屋根にはススが散らばり、掃除用のブラシが転がっていた。
杉本も何度となく押しかけ、飲んだくれるのに囲んだ薪ストーブの煙突である。恐らく、掃除を終えた亨は屋根を降りようと、軒先に向かって歩いていた。母屋の屋根の先には、物置小屋の屋根が続いており、そこには透明樹脂の波板が張られていた。波板は劣化しており、彼はそれを踏み抜いて落下したというのだ。
大工のことだから、屋根に登ることなど日常のはずであった。
仕事の時間になっても現れない亨を心配した親方は、兄弟子に様子を見に行かせたのだが、すでに事切れていた。

杉本は混乱した。
混乱した挙句、何か現実味がなく、悲しくもなく、思考が停止した。
葬儀の際、棺桶の中の亨の顔を見ても別段何の感情も湧かず、ただただ思考が停止していた。
それから数日間仕事もせずボーっとしていると、亨の父親から連絡が入って、彼のスキーを引き取ってほしいと頼まれた。恐らく和井田の親方の計らいだ。
亨の自宅にゆくと、両親は不在であったが亨の姉の舞が遺品の整理をしているところであった。亨は若干ミニマリストであったので、かさばるものと言えば山とスキーの道具くらいだった。大工道具は恐らく和井田の職人たちに引き継がれるのだろう。
舞とは初対面の杉本は、一通りの挨拶を済ませると以外なことを聞かれた。

「弟は、山でどんな滑りをしていたのですか」
「あいつは・・・すごく速かったですよ。山の大斜面でいつもブッ飛んでいましたね。なんていうか、彗星みたいでした。パウダーから飛び出して飛んでいる時なんか・・・彗星の尾を引いているみたいで・・・自分にはない度胸っていうか、ホントかっこよかったですよ。ホント残念です。でもこの板・・・あ、ごめんなさい」
急に、堰を切ったように涙があふれてきた。それはもう、どうにも手の施しようがないほどに。
「弟とは最近疎遠になっていたのですが・・・バックカントリーでとても頼りになる人を見つけたと言っていました。杉本さん、あなただったのですね」
「亨とは、散々滑りました」
「でも山で死ななくてよかったかな」
「正直死にそうになったこともありましたけどね」
「改めて、またいろいろ聞かせてください」
「全然。でもこれ、本当に持って行っちゃっていいんですか」
「私もスキーはやるんです。でも私、テレマークはやらないし、ちょっと大きすぎるんで・・・だったら杉本さんに使ってもらった方が弟も喜ぶと思います」
それから彼のものであった山道具やスキーの道具を引き取ったのだが、どういう訳か一番大事なものが一つ足りなかった。
スパチュラV2が無い。
片方はあの日確かに、険悪な蛇出谷に飛んで流れていった。そしてもう片方はケガして乗鞍スカイラインを下る際も、最後まで履いていたはずだ。
「あいつ、捨てちまったのかなあ」

帰り際、杉本は亨が落下したという屋根に梯子がかかっているのを見つけたので、様子を見に登ってみた。
屋根の上に顔を出すと、確かに波板はギザギザに割れて穴が開いており、そこから落ちたことは疑いようのない事実であった。
だが、あいつが、亨がそんな他愛もない理由で死ななければならなかったことに納得がゆかなかった。
梯子の一番上まで登ると、屋根のはるか向こうの西側には、霊峰白山がうっすらと見えている。冬のはじまりらしく、澄んだ空気のおかげでピークには雪が被っていることが確認できた。しかし何か、得体のしれない恐怖を感じた。

杉本は戦慄した。

背後に、あいつの視線を感じる。
亨と丸黒山で一瞬だけ目撃した、あの死神のようなV字シュートが雪を纏って出現しており、俺の背中を睨んでいるのではなかろうか。もしかすると、亨はそれに気をとられていて・・・
杉本は振り返ることができなかった。
まさか、まさか、そんなことが事実だとすれば、間接的にではあるが亨はV字シュートの仕業によって死んだことになる。
振り返って見てみたい衝動にかられた。だが、恐ろしさがそれに勝った。固まったまま、正面を向いて梯子を降りるより外はなかった。嫌な汗と、気味の悪い震えが止まらなかった。降りたところで振り返ると、周辺の住宅に隠れて何も見えなかった。
あれは、本当に死神なのかもしれない。

それから杉本は、工場の一角の趣味のエリアに自分のスキーに加えて亨の板を並べた。
彼の板は自身の機械でチューンナップをしていたのだが、その後の使用で傷んでいる板はリペアし、ワックスをかけて最高の状態にしてやった。
相変わらずスパチュラV2だけは、どこにいったのか謎のままだったが、せめてもの、はなむけであった。
亨は、俺と出会わなければ死なずに済んでいたのか?
いや、V字シュートに気をとられて屋根から落ちたなんて、憶測の域を出ないではないか。

冬になり、平地にも雪が舞い、本格的なスキーシーズンになっても杉本は滑りに行かなかった。
毎日、亨の遺した板を見ながら、油にまみれて仕事に明け暮れていた。
年が明け、ドカ雪が降る日も、彼はついにスキーを手に取ることはなく、自問自答の日々が続いていた。

そして2月。
丁度杉本が亨に初めて出会った時と、同じような大雪の冷え込んだ夕方、工場の外に停まる一台のクルマの音が聞こえた。
直4エンジン、バルブの開閉音からしてDOHCだ。排気量は1.3か1.5くらい。
スイフト?いやこのあっけらかんとして遠慮のない感じは・・・ジムニーシエラだ。
杉本マシンの工場のドアを開いたのは、森下ユーリだった。
「よお蒼太、元気?って、あーそんな感じじゃなさそうか」
「久しぶりだな。何、板削んの?」
「滑りいった?」
「・・・」
「いきゃいいのにさ。その亨クンの板で」
「はあ?余計なお世話だ。お前何しに来たんだよ」
「いやさ、んー。ちょっと、飲みいかない?仕事もういいでしょ」

杉本はユーリのクルマに乗せられた。そうしようと言われたからクルマに乗った。何か、どうでもよかったし、何かを期待したわけではない。亨が死んでからというもの完全に惰性で生きていると言ってよかった。
街中にあるユーリの自宅にクルマを停めると、そこから飲み屋を求めて歩き始めた。寒い。道はガチガチに凍った氷の塊の上に新雪が降り注いでおり、足をとられた。街の寒さと山の寒さは異質のものだ。山の方が寒いに決まっているのだが、覚悟が出来ている分の違いは大きい。
「何飲む」
マウンテンハードウエアのダウンジャケットは真っ白だ。その背中に彼女の青くて長い髪が揺れる。ジャケットと同じ白のニットキャップから下に露出している横顔は、ウインタースポーツをしている人間らしく荒れ気味の肌だ。
「そうだな。そこ右いったとこにワインバーがあるよ。そこにしよう」
「あら、めずらしいじゃん。ワインなんて」

店はまだ早い時間だったがそこそこ人が入っており、にぎやかだった。
「こんばんは。あれ、杉本さんいらっしゃい」
艶のあるグレーのコックコートを纏った店主がカウンターに案内してくれた。このちょっと小太りで黒い眼鏡をかけた店主、若くして筋金入りのワインオタクなのだが面倒くさくないのがいい。客商売を心得ている。
「あの、何だっけ、裸のおねえちゃんがチャリで空飛んでるやつある」
「何やだ、裸のおねえちゃんって」
ユーリが笑って肩を叩く。
「あー、はい、グラディエーターですね。ありますよピノなら。少々お待ちください」
「ふーん。なんか面白そうだね。それにちょっと元気になった」
「ああ、久しぶりだな、この感じ」
店主は大きなワイングラスに少しだけ注ぐと杉本に確認を求め、その後二人分のグラスに赤色の液体を控えめに注ぎ入れた。
「お疲れさま」
ふたりはグラスを持ち上げ乾杯すると、香りが立ち上ってきた。
「あら、ラベルの割に優しい味わいね。ちょっとえぐみがアクセントかも」
「杉本さん、お連れさんのセンスいいですね。ベーコンとほうれん草のキッシュなんかが合うと思いますが」
「お願いしまーす」
「それで・・・おっとその前にありがとうな。礼をいうよ。俺を連れ出してくれて。何だか何も手に着かなくてさ。で、どうしたの。何の用」
「何の用はないでしょ」
ユーリは杉本がアルペン競技をやっていた頃、同じチームの後輩だった。
父親はいわゆるスキーバムでクライマー。そのためスロヴェニアのスキーヤーであるユーリ・フランコから名前を取ったということだ。よくもまあ女の子に男の名前をつけたものだ。兄のユージは同じ高校の1年後輩で、名はもちろんレジェンド、平山ユージからもらったものだ。田舎では相当目立つ風貌のユーリであるが、スキーの技術はチームでも1,2を争う腕前だった。
「蒼太さあ、知ってるかどうか分からないけど、わたし今、五色のガイドやってんだよ」
「ガイド?そんなコスプレみたいな髪でやれるのそんな仕事」
「結構外人受けいいんだよ。英語できるしね」
V字シュートを下った先の五色ヶ原。そういえばユーリはあのエリアがお気に入りで、コネを使ってしょっちゅう奥まで入り込んでいたな。
「でもさあ、日本人はみんなちゃんとした山の格好できてくれるんだよ。でも特に北米の人が多いかな、短パンとスウェットみたいな恰好できて、途中で雨とかザーザー降ってきちゃうわけ。最初はご機嫌なんだけど、カッパとか持ってなくてズブ濡れになっちゃうもんだから、そのうちファッキンとかガッデムとか言っちゃってさ、超おもしろいの」
「それ、面白いの?あんたらの責任じゃん」
ユーリはキッシュを口に放りこむと、明るい色のワインを口に運んだ。
「まあそうなんだけど。それでさ、去年の5月だったかな。五色に連れてってくれって、私を指名した人がいたんだよね」
「はあ、物好きもいるもんだな。五色のどこに連れてけって」

「蛇出谷よ」

一瞬、心臓が止まった。

「スパチュラ、みつけたんだよ」

「・・・亨のか」

亨があの日、落ちた蛇出谷。奇跡的に奴は無事だったが、片方外れて飛んで行ったスキー、スパチュラV2は回収できなかった。できなかったというか、亨を助けることだけで精一杯だったし、そこからさらに下って回収しようなどと、考えもしなかった。
「まさか、谷を遡行して板を回収しに行ったのか」
「そう。最初この人バカじゃないかと思った。見つかるわけないし、あんな谷誰も遡行した人いないんじゃないかなあ。なんか大昔は脇の尾根が蛇出道って名前の超キケンな登山道があったらしいけど、谷はさすがにねえ」
「で、行ったのかよ」
「うーん、私もあんまりお客さんをヘンなところに連れて行ったら怒られちゃうし、でも蒼太とも仲良さそうな人だったから困ったんだけど」
「行ったんだな」
「行ったわよ。上には黙って。でもさあ、亨クン蒼太には内緒にしてくれって言ってたんだよね。なんかさあ、思いつめた感じだったよ」
「あいつ、何で俺に言わなかったんだろう」
「蒼太に頼らず一人で挑戦したい、みたいなことを言ってた。スパチュラを回収して、あのペンダントに一人で向かうつもりだったのよ」
「ペンダント?」
あなた達が滑ろうとしていたあのV字シュート、亨クンに言われてずっと眺めていたら、なんだか女の人が上を向いている顔の首から下がっているペンダントチェーンみたいなんだよね。で、それ亨くんに言ったらさ。ホントだ、ペンダントだ、って。それからずっとペンダントって呼んでた」
ユーリは一息ついてローストビーフを注文した。
「ワインなくなっちゃったね」
「おう、もう一本だ。マスター、フォリス・ヴィンヤーズ持ってきて」
「はいはい。いいですけどちょっとペース早くないですか」
「あなた、そんなにワイン飲むひとだったっけ」
「亨の影響だな。それで、蛇出谷にスパチュラはあったのか」
「あったのよ」
「まじか」
「信じられなかった」

散々飲んで、二人ともろれつが回らないほどだった。
「なにこのワイン、クリネ?超シルキーで超おいしい」
「バカかお前、ホントに英語しゃべれんのか?クリネじゃねえよ、クラインだよクライン」
「わかってますよん、でもも何んんで亨クン死んじゃったの」
「だからよお、あんな崖っぷちから落ちてへーきだった奴がさあ、何で屋根から落ちただけで死んじまうんだよ」
「ホントーあっけないよねえー」
「あいつさあ、超はえかったんだよ。彗星だよ彗星。赤い彗星のリョウってって、いつもブッ飛んでたね、アタマのネジねかったんじゃねーか」
俺もユーリも半泣きになって、くだを巻き始めると、マスターが迷惑そうな顔をし始めたので、店を出ることにした。

真っすぐに歩けなかった。
それからよく覚えていないのだが、寒くて震えながら目が覚めたら固いフローリングの床の上で寝ていたようだ。固いダンボールが体に乗っている。
ここはどこだ?俺は誰だ?喉が渇いた・・・水が飲みたい。今何時だ?あれ、スマホどこだ?
そう思って辺りを見渡すと、突然扉が開いてサディスティックな女が現れた。
「おい、いくぞ。もう昼だ」
聞き覚えのある声がして、脇腹を蹴とばされた。
「あぐっ」
どうやらユーリの家の廊下で気絶していたようだ。

痛むアタマをかかえながらジムニーに護送された。
「お前、あんだけ飲んで平気なの?」
「何があー、意味わかんないし」
目的地はスキーのチューンナップショップ「サンダースティール」だった。
杉本も数年前まではお世話になっていたこだわりの店だ。
扉を開くと、正面にはビニール袋に包まれて立てかけられているヴォラント・スパチュラV2の姿があった。そして「Ryo.I.」の自筆イニシャルは、まごうかたなく亨のものであった。
他のスキーが並ぶ中、その板は異様な存在感を放っていた。
センター125㎜の逆サイドカーブ、完全逆キャンバー、ステンレスキャップ。全てが逆張りで出来ている孤高のスキー板。
39歳の若さで事故死したエクストリームスポーツの先駆者、シェーン・マッコンキーが開発した狂気の板がそこにあった。

「蒼太か、久しぶりだな」
奥の作業場から雪焼けした顔のチューナー、スキーの職人が現れた。
「成瀬さん、御無沙汰してます」
「お前がチューンナップの機械なんか自作しやがるから、こちとら客が減って困ってんだよ。なあユーリ」
「ごめんごめん」
ユーリは両手を合われてごめんなさいの意思表示をした。彼女はここ数年サンダースティールから鞍替えして、杉本マシンでスキーの手入れをしているのだ。
「そのスパチュラ、聞いてるよ。お前の連れだったんだろ。残念だ」
「まさか、もう一度会えると思わなかったです。この板に」
「俺はな、持ち込まれた板を見りゃそいつがどんな滑りをしているのか分かるんだよ。こいつはクレイジーだ。気に入った、って思ってたんだけどな」
成瀬さんは封をといて、ソールに描かれたヴォラントの剣のアイコンを指でなぞった。
「引き取っていいですか?」
「もちろんだ。最高の仕上がりだ。もってけ」

亨は、本当に一人であのペンダントをやるつもりだったのだ。
この俺にも言わず、たったひとりで。
「ユーリ、ちょっとあの高台の公園に寄ってくれないか」
「なによ。どうせペンダントの様子でも見るんでしょ」
「ああ、ぶっ潰しにいかなきゃなんねーからな」
「ホント。困った人たちですこと」

亨の家で背後にあいつの視線を感じて以来、ずっと見るのを避けてきた。
それは、あの死神が恐ろしかったのが正直な理由だ。だが本当にそうだったのだろうか。
多分俺は、亨の死を認めたくなかったのだ。
あのペンダントは亨の死、そのものだったからだ。
あの場所で、何かがあった訳でも何でもない。ただ、恐るべき執念を持った対象にすぎなかったはずだ。

展望台に立つと、乗鞍は雲に隠れて見えなかった。
お前は、亨は、あのペンダントに一体何を求めていたのだろうか。

「蒼太、私も同行するよ」
「は?お前、死ぬかもしれねーぞ」
「あなたが先に飛び込むんでしょ?だったら私は大丈夫」
「だははは!じゃあ雪崩に埋まったら掘ってもらうわ」
「面倒くさいからそういうのは止めて」

恐らく、この湧き上がる衝動に何か意味のあることは見当たらない。
ならば、本能のなせる業なのか。

あるいは、ただの義務であるのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!