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私の夢は、息子の夢の隣を歩くこと

夢は、親が叶えてあげるもの
ではない。
それでも、隣を歩くことは 
できる。



4歳の息子が口にした、大きすぎる夢

長男が4歳の頃、ある日突然、「僕は大きくなったら
お医者さんになる!」
と言い出した。

立派な夢だね。素晴らしいね。
親として、そう言って喜ぶべき場面である。

けれど私は、その言葉を聞いた
瞬間、嬉しさより先に胸の奥がざわついた。

この子は本当に“自分の夢”を
選んでいるのだろうか。
それとも、私の病気が選択肢を狭めているのでは
ないだろうか。

理由を聞いて、
その不安は確信に変わった。

「お母さんの病気を治すためにお医者さんになりたい」

キラキラした瞳でそういう長男を前に、
私は素直に喜ぶことが
できなかった。



ADHDの診断、そして親としての覚悟

小学生になった長男は、ADHDと診断された。

それでも、夢を諦める気配は
なかった。
むしろ、あの頃よりも強く、
前を向いているように見えた。

だから、私は決めた。
『できる限りの応援をしよう』と。

病気があるから夢を諦める。
そんな選択を、
この子にさせたくなかった。

私自身が、病気を理由に、
息子の未来を狭める存在には
なりたくなかった。



頭を下げることも、親の役目だと思った

勉強や生活のことで、衝突は
数え切れないほどあった。

それでも、親としてできることを考えたとき、
私は困っている現状を伝え、
頭を下げることを選んだ。

縁がつながった教育学部の
大学生に、家庭教師を
お願いした。

快く引き受けてくれただけで
なく、次男・三男の勉強まで
見てくれた。

息子たちにはこう伝えた。

「勉強について、私ができる
ことはここまで。
あとは自分で考えて、頑張ってほしい」



医師・療育・学校とつないだ支援の糸

病院では、診察のたびに
伝えた。
「この子は将来、お医者さんになりたいと言っています」

落ち着いて授業を受ける方法。
忘れ物を減らす工夫。
人の気持ちを理解しにくい部分への支援。

担当医と何度も話し合い、
投薬だけでなく、療育へと
つながることができた。

試行錯誤を繰り返しながら、
長男は中学生になった。



転機となった、理解ある担任との出会い

中学1年の担任は、
とても理解のある先生だった。

この出会いが、
長男の転機だったと思う。
本人の努力と先生の熱心な指導に支えられ、
成績は上がり、忘れ物も減り、少しずつ友達もできた。

「学校が楽しい」

その言葉を聞いた時、胸の奥で、何かがほどけた気がした。



無理だと言われた進学校へ

高校受験では、
親も、先生も、友人も、
担当医ですら「厳しいだろう」と思っていた。

それでも長男は、
第一希望の進学校に合格した。しかも優秀クラスへの
配属だった。

努力が、確かに実を結んだ瞬間だった。



夢は、形を変えて続いていく

高校では一生の友達とも言える
仲間に出会った。

その友人の助言をきっかけに、長男の夢は
『医者』から
『新薬開発の研究者へ』と
形を変えた。

それでも、根っこは
変わらなかった。

「お母さんの病気を治したい」

後から聞くと、その友人は
わざわざ調べて
「研究者の方が合ってるかも
しれない」
と伝えてくれたらしい。



叶えたのは、夢そのものではなく

大学受験では一浪を経験したが、無事に合格。
現在は大学院進学も決まって
いる。

これまで私がしてきたことは、困り感を伝え、頭を下げたことくらいだ。

夢に向かう我が子に、
親ができることは、
ほんのわずかかもしれない。

それでも、
悩み、迷いながら隣を歩いて
来た時間は、
決して無駄ではなかったと
信じている。



「ありがとう」と言われた日

最近、長男がこんな言葉を
くれた。
「母ちゃんの病気があるから、俺には夢ができた。ありがとう」

未来がどうなるかは、
分からない。
けれど一つだけ、確かなことがある。

夢の形が変わっても、歩幅が
変わっても。

私の夢は、
息子の夢の隣を歩き続けることだ。

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