10年後に寝たきりと言われて。家族が壊れかけた日に見つけた、私だけの「抗い方」|身体についてのひとりごと|10年後に寝たきり|家族の再生 |抗う|等身大の言葉
この記事は、病気になったことをきっかけに、私自身と家族の「心と生活の健康」について
考えるようになった記録です。
最近、家族と穏やかな時間を
過ごしていると、
ふと “あの日” のことを
思い出す。
みんな少しずつ疲れていって、家の空気もピリピリしていく。
でも、自分のことで精一杯
だった私は、
それを真正面から見るのが
怖かった。
「気づかなければ…
知らなければ、私は
傷つかなくて済む」
そんな勝手な理由で、
大事なサインから目をそらしていたのかもしれない。
家族が壊れかけた日ーー
いちばん逃げていたのは、
たぶん私。
今日はそんな愚かな私の話を、少しだけ聞いてほしい。
■ 嘘だろ…なんで私が?
私が病気になった時、目の前が真っ暗になった。
嘘だろ?なんで私が…?
頭の中を医師の言う
「10年で
確実に寝たきりになる」
「もしくは
亡くなる可能性も…」
という言葉が
ぐるぐる駆け巡る。
医師は続けてこう言う。
「薬は今のところ1種類だけ。
それも効果があるのは
20%だけです」
は?薬が1つ?
20%しか効かない?
そんなの“お守り代わり”に
飲めってこと?
ふざけんなよ…病院でお守り
渡される患者なんてどこに
いるんだ。
淡々とした医者の顔に、私は
心の中で叫んでいた。
お前がなれよ、この病気に…と。
会計も薬局も、どうやって
終えたか記憶はない。
■ 荒れていく私と、壊れていく日常
それから私は大いに荒れた。
私が自由に動けるのは後10年
なんでしょ?
アンタたちはいいよね?
年寄りになるまで
生きられるんだから。
私なんて…私なんて…。
毎日、動かない身体を
酷使しても終わらない家事。
思う通りにならない足。
思う通りにならない3人の幼児。
子ども達の前では笑顔で
いなきゃいけない。
無理やり笑う毎日に、心はすぐ悲鳴をあげた。
ある日、家事をしていたら
突然涙が流れた。
最初は理由すら
分からなかった。
それが徐々に酷くなり、
子ども達が寝た後は
黙々と新聞紙を引き裂く毎日。
深夜帰宅する旦那に八つ当たりの日々。
「離婚する!」
「若い子がいいんだろ!」
そんな暴言ばかりの妻に
よく耐えたと思う。
旦那よ…すまぬ。
■ 『うつ』という診断と、家族の無言の支え
遂に母と妹に連れて行かれ、精神科を受診。
診断は「軽度のうつ病」。
薬をもらい、少し落ち着いた。
でも根本は治らない。
私は定期的に爆発し、家出を
繰り返した。
旦那は急に仕事を休んで
家事育児。
私が帰ってきても文句も
言わず、ご飯とお風呂を
勧めてくれた。
その気遣いに気づく余裕も
なかった。
■ 転機は、息子のひと言
そんなある日のこと。
三男が突然言った。
「母ちゃんは保育園にお迎え
来ないで」
理由を聞く前に長男が
詰め寄る。
「なんでだよ!?」
三男は泣きながら叫んだ。
「だって!歩き方が変だから!恥ずかしいんだもん!」
その瞬間、長男が激昂した。
「どこが恥ずかしいんだよ!
母ちゃんは沢山頑張ってる!
俺は恥ずかしいなんて
思ったことない!」
次男は隣で唇を噛みしめ、
震えていた。
三人それぞれの涙。
私はその光景を見ながら
思った。
このままじゃ駄目だ。
このままじゃ家族が壊れる。
そこで私は決意した。
もう二度と、病気なんかに
負けない。
動けなくなるなら、
なればいい。
その時まで見るに堪えない姿
でも、動き続けてやる。
障害者になったことは不幸
じゃない。
だって私はこの身体で息子達に教えられる。
どんな障害があっても、
がむしゃらに抗えば、
その努力は自分を裏切らない——
その姿を見せられるから。
――終わり――
あれから月日が流れ、今の私の身体はまた少し変化しています。
「抗う」ことで必死だったあの頃を経て、今はふらつく足元と一緒に、少しだけゆっくり歩くことを覚えました。
身体は言うことを聞いてくれないけれど、この身体があったからこそ見えた景色があります。
正直、今も答えは出ていません。
病気と向き合うとき、
あなたなら「受け入れる」
でしょうか。
それとも「抗う」でしょうか。
よければ、あなたの考えを
聞かせてください。
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