【批評】法の奴隷が生み出す交通のバグ
右側を占拠する遅い車と利権と化した取締システムの欺瞞
日本の道路を走っていると、日常的に極めて理不尽な光景に遭遇する。
登坂車線や2~3車線が存在する幹線道路において、右側の追い越し車線を法定速度ピッタリ、あるいはそれをわずかに超える程度の速度でダラダラと走り続け、車列の先頭を占拠する車だ。
後ろに長蛇の列ができようが、急いでいる後続車が迫ろうが、彼らは一切譲ろうとしない。自分の後ろでどれほど交通の円滑が阻害されていようが気づかないのか、あるいは「自分は制限速度を守っている正義の側だ」とでも言いたげな厚顔無恥な態度で居座り続ける。
結果として、ストレスを極限まで溜め込んだ後続車は、登坂車線や左側の走行車線から強引に追い抜くという「強硬手段」に出ざるを得なくなる。
だが、この構造において真に責められるべきは、強引に追い抜かざるを得なくなった側なのだろうか。今回は、交通の円滑を完全に無視する無神経なドライバーと、それを傘に着て金儲けに走る国家の取締システムについて冷徹に批評する。
1. 「交通の円滑」と「現行法」の決定的な乖離
本来、道路というインフラは「交通の円滑な流れを実現し、社会的な移動効率を最大化する」ために存在する。しかし、現行の道路交通法はその実態からあまりにもかけ離れた「矛盾の塊」と化している。
例えば、自転車に対する法改正や取り締まりのあり方を見ればその歪みは明白だ。 自転車を安全に追い越す際、「黄色線をはみ出さず、かつ2〜3メートルの十分な側方間隔を空ける」という要求は、日本の狭隘な道路事情においては物理的に不可能なケースが圧倒的多数を占める。
この理屈を厳密に適用するならば、自動車は前方を走る自転車の速度(時速15〜20km程度)に延々と付き合い続け、後方には大渋滞を作り出さなければならないことになる。警察車両が目前にいる時だけは摘発を恐れて全員がカタツムリのような速度で追従するが、警察がいなくなれば誰もが現実的な回避策をとる。
1車線道路の黄色実線(はみ出し禁止)区間や、右側車線を塞ぐ低速車に対しても全く同じ構図が成り立つ。 遠方へ向かう者、急ぎの用件を抱える者が、ルールを盾にして流れを停滞させる一台の車のために莫大な時間をドブに捨て続ける理屈など存在しない。譲る気のない車を前にした時、左側からの追い越しや黄色線を越えての回避行動は、交通の停滞を打破するための「現場におけるやむを得ない最適化」なのだ。
「50km/h制限の道路を50km/hピッタリで走り続ければ全てが正しい」という思考停止は、道路本来の目的である「円滑な移動」を害していることに他ならない。現場では70km/h前後での流れが形成されている区間などごまんとあり、その現実を無視して「数字上の法規」だけを盾に居直る態度は、周囲への想像力を欠いた極めて罪深い行為である。
2. 金儲け主義と化し、権力を笠に着る組織の欺瞞
では、なぜこのような不合理な状況が放置され、むしろ強行突破を余儀なくされた側ばかりが摘発されるのか。 その理由は、取り締まる側である警察組織が「交通の安全と円滑」ではなく、「効率的な点数稼ぎと反則金回収」を最優先するシステムへと落ちぶれているからだ。
彼らの取り締まりロジックには、明確な「都合」が存在する。
環境による取り締まりの偏り 天候が悪い雨の日にはパトロールの姿は劇的に減少し、事故リスクが高まる悪天候時よりも、晴天時の見通しの良い下り坂や直線道路など、取り締まりが容易で「違反を仕掛けやすい場所」にネズミ捕りを設置する。
摘発の容易性の優先 右側車線をブロックして渋滞の原因を作っている「通行帯違反」の車を注意・指導するよりも、痺れを切らして速度を上げた車や左から抜いた車を速度違反や追い越し方法違反で捕まえる方が、警察にとっては遥かに手間がかからず、確実に実績(金)になる。
国民の安全を守るための組織ではなく、国家の集金システムとして機能するその姿は、まさに権力の忠実な走卒と言わざるを得ない。
近頃、神奈川県警をはじめとする全国の警察組織において、不当逮捕や交通反則切符の不当交付、あるいは書類捏造といった不祥事が相次いで発覚している。これらは単なる個人的なミスではなく、「取り締まる側が絶対的に正しく、国民は従うべきだ」という慢心と、実績至上主義が生み出した構造的な敗北である。彼ら自身が過去の失敗から猛省し、不当な権力行使を改めない限り、国民からの信頼が戻ることは永久にない。
結論:不条理なルールに踊らされないための視座
制限速度という「一律の数字」だけを信奉し、バックミラーすら見ずに追いつかれた後続車に道を譲らないドライバー。そして、そうした停滞の原因を放置し、流れを良くしようとした側から理不尽に反則金をむしり取る取り締まりシステム。
この両者が噛み合うことで、日本の道路は「安全」からほど遠い、ストレスと不条理に満ちた空間へと変貌している。
「ルールだから遵守する」という思考停止は、時に全体の利益や安全を著しく損なう。 我々はこの理不尽な構造を冷徹に見極め、無神経な低速車を「リスク」として冷静に回避しつつ、不当な摘発システムの罠に陥らないための自衛策を講じなければならない。
正義の面をかぶった無神経さと利権と化した取り締まり。その双方の欺瞞を見抜き、矛盾に満ちた道路環境の中で賢くサバイバーとして生き残ることこそが、今の時代に求められる現実的な立ち回りなのだ。
