最後の祈り #3つのお題に空想のひらめきを
約1100字・ショートショート
もしもあなたが、冬の夕暮れの砂浜で、砂色のコートを着た不思議な男に出会ったら。
そして男が、掌に乗るくらいの小さな貝殻を差し出してきたら。
どうか、怖がらずに受け取って、耳を当ててみてください。
そこには、海が預かった「届かなかった明日」が眠っているかもしれません。
かつて、一人の女性がその男から淡い桜色の巻貝を受け取りました。
彼女が愛した人は、ある日突然、波の向こう側へと旅立ってしまったのです。
男は言いました。
「あなたの連れ合いのものです。事故のあった海域から三キロ。ようやく、この個体が彼の声を拾いました」
彼女が震える手で貝殻を耳に当てました。
「ねえ、言って。あなたが最後に私に残したかった言葉を」
彼女が囁くと、潮騒の向こうから聞き慣れたあの人の声が聞こえてきました。
「明日の朝ごはんは、フレンチトーストがいいな。卵に一晩浸した、ふわふわのやつ」
それは、最後の祈りでも遺言でもなく、涙が出るほどありふれた、けれどもう二度と叶わない日常でした。
彼は明日も彼女が隣にいて、一緒に朝食を食べることを一分一秒も疑わずに、この言葉を海に預けたのです。
さよならを言う暇があるなら、「明日何を食べようか」と笑い合いたい。
彼女は冷え切った貝殻を抱きしめました。
「わかった。明日、作るね。とっておきの、ふわふわなやつ」
けれど、どれほど彼女が願っても、そのフレンチトーストを彼に食べさせてあげることはできません。
返事を聞いてくれるはずの彼は、もう、貝殻の冷たさの中にしかいないのです。
想像してください。
今、あなたの隣にいる人は、どんな顔をしていますか?
さっき交わした言葉は、どんな内容でしたか?
「また明日」
「あとでね」
「おやすみ」
そんな何気ない一言が、もしも貝殻に閉じ込められた最後の言葉になったとしたら、あなたはそれを後悔せずに抱きしめられますか。
彼女は今、キッチンで一人、フレンチトーストを焼いています。
甘いメープルの香りに包まれながら、隣に誰もいない食卓で。
彼女が今、何よりも欲しいのは、目の前で「おいしいね」と笑ってくれる、彼の体温だけなのです。
どうか、今あなたの隣にいる人の、その手の温もりを確かめてください。
明日も一緒にいられることは、決して当たり前の権利ではありません。
だから。
次にあなたが大切な人と食事をするときは、たっぷりのメープルをかけてあげてください。
そして、「美味しいね」という言葉を、貝殻に預ける前に、ちゃんと相手の耳に届けてあげてください。

