ライブラリ・ガーディアン(書斎の守護者) #風まかせ文芸部
約5000字・ファンタジー・ラブストーリー
僕の職業は市立図書館の司書。特技はあらゆる資料を日本十進分類法(NDC)で正確に分類できること。それは僕が世界を理解するための唯一の地図であり、精神の秩序そのものだ。
なんてことを考えてる僕はオタク気質の、いわゆる陰キャだ。
僕の毎日の楽しみは、利用者の目を気にしながらカウンターにいるミサキさんをこっそり見つめることだった。
彼女は、文学(900番台)の棚の光のようにキラキラしていた。その横顔を見つめるのが、日々の分類作業で疲弊した仕事の、唯一の癒しだった。
仕事を終えて帰宅して、僕が一番リラックスできる場所は、祖父から受け継いだ自宅三階の書斎だった。
そこは図書館とは違い、僕自身の私的な知的宇宙だった。誰にも邪魔されない、僕だけのパーソナルスペース。
ある日のこと。
開館直前の図書館に黒ずくめの男が現れた。彼の革靴が、大理石の床を不規則なリズムで踏みつけ、静寂を破る鋭い音を響かせた。
「神崎ヒロト様ですね」
「なんですか?」
知らない人にいきなり名前を呼ばれて驚いた。男は僕の声を無視して言葉を続けた。
「お父様、神崎タケシ様は先月亡くなられましたね。享年58歳。場所は千葉県木更津市。信号のない交差点で起きた不幸な事故でした」
息が喉の奥に張りついた。若年性健忘症を患っていた父は、ある日、何も言わずに旅に出たまま帰ってこなかった。
「私はあなたの家に眠る書斎の秘密を生前のお父様から知らされていた者です。もし、自分の身に何かあれば、ヒロト様に書斎の秘密を伝えるようにと」
「書斎の秘密?」
「あなたの家の書斎、あの壁掛け時計は長針がいつも5分遅れていますね。そして、あなたは毎朝、出勤前にあの書斎の『星図の欠けた地球儀』を必ず右に三回まわしてから家を出る。理由は、そうしないと、なんだか落ち着かないから」
それは、父しか知らない僕の個人的なルーティンだった。背中を冷たい汗が音もなく滑り落ちていく。
「信憑性の担保はできたかと。神崎ヒロト様。あなたはライブラリ・ガーディアン(書斎の守護者)の後継者です。あなたの能力は『アーカーシャ・ダイブ』。書斎に存在する本の記録を現実世界に具現化、あるいは改変する力です」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
驚きと混乱を隠すために、サンドの富澤さんみたいなリアクションになってしまった。
「あなたの能力を狙う存在、『アカシック・シェイパー』が接触してきます。彼らは書斎の情報を奪い、世界を改変しようとします」
アーカーシャ・ダイブ(情報操作能力)の次はアカシック・シェイパー(記録を支配する者)か。そういうアニメけっこう好きだけど、リアルにいたら不審者でしかない。
「ファンタジーの本をお探しですか? 心当たりはありませんが」
誰か早くこの変な男をつまみ出してくれ。
「あなたの運命は、あなたの書斎とともにある。アーカーシャ・ダイブを使って、アカシック・シェイパーから書斎を守ってください。それが、亡きお父様の願いです」
「厨二病かよ」
僕のツッコミを無視して言いたいことを言い終えた男は、踵を返して図書館から去っていった。
ミサキさんがカウンター越しに僕を心配そうに見つめていた。
「神崎さん、さっきの人はなに?」
僕は混乱しているのを隠して、作り笑顔で答えた。
「ああ、おかしなレファレンスに絡まれただけ。大丈夫」
その夜、僕は書斎にいた。あの男の話を信じたわけじゃなかったけど、とりあえず試してみることにした。
……血が騒いだわけではない。決して。
本棚から、『究極のオムライスの作り方(料理:596番)』を取り出し、厨二病っぽくポーズを決める。
「アーカーシャ・ダイブ。この本の知識を僕に与えろ!」
……静寂が書斎を包む。
そりゃそうだ、と恥ずかしくなった瞬間、本がまるで内側から燃えるように強烈な光を放ち、ページの情報が僕の中に流れ込んだ。
気がつくと台所に立ち、僕の手は思考を介さずに、究極のオムライスを作り上げていた。
その味は、僕が知るどんな料理よりも情報的に正しく完璧なものだった。
マジかよ。本当にできるなんて……。
突然の空腹に襲われ、ペロリとオムライスをたいらげた。完璧な卵と米の調和だった。
その日から平凡な司書だった僕の生活は一変した。今までできなかったことが、できるようになった。
何度かアーカーシャ・ダイブを使って、わかったことがある。この能力を使うと本に書かれた文字や写真、イラストが消えて白紙になる。そして疲れる。とにかく腹が減る。情報量が多い時は激しい頭痛に襲われる。
知識を一気に取り込むことの代償なのだろう。
タダでズルはできないということか。
「神崎さん、顔色が悪いよ? 大丈夫?」
ミサキさんが声をかけてくれた。
「大丈夫、ちょっと寝不足で。情報整理に追われて」
「そう? 勉強頑張りすぎじゃない?」
「そんなことないけど」
「最近、頼もしくなった気がする。レファレンス対応もすごく早くなったし」
「そうかな?」
ミサキさんに褒められたことで僕の疲弊した心臓が満たされていく。
ああ、やっぱり僕は彼女が好きだ。
そしてある日の夜、アカシック・シェイパーと名乗る男が書斎に現れた。
奴は祖父の古い日記帳に手を伸ばしていた。
「その手を放せ!」
僕は叫び、棚から『古代ギリシャの戦闘術(200番台)』を手に取った。
「アーカーシャ・ダイブ! 本の知識を身体能力に変換しろ!」
本が血のように紅い光を放ち、敏捷性と筋力を得た僕はアカシック・シェイパーを突き飛ばした。
奴の手からこぼれ落ちた祖父の日記帳を掴むと、奪われないように胸に抱えた。
壁に叩きつけられ、口から血を流した男がふらりと立ち上がった。
「お前の祖父の情報など、ただの足がかりだ。必要なのは、お前が持っている情報だ」
「僕が持っている情報?」
「なあ、ライブラリ・ガーディアン。その力を使い続ければ記憶が消えていくことを知っているか」
「記憶が……消える?」
もしそうだとすれば、父は若年性健忘症などではなく、能力を使いすぎて色々なことを忘れてしまったということだろうか。
「知らなかったのか。記憶をなくすのが怖ければ、今すぐその力を手放せ」
「ぐっ……!」
忘れてしまう。そう思って一番先に浮かんだのがミサキさんの顔だった。彼女を忘れるのが怖かった。
僕の迷いを感じたのか男が乾いた笑い声をあげた。
「その意思の弱さでライブラリ・ガーディアンとはな」
男は窓枠に足をかけた。
「次はコスモス・オリジン(世界の原典)をいただく」
そう言って男は、闇に溶けるように消えた。
安堵すると同時に激しい頭痛に襲われ、僕はその場にへたりこんだ。
能力を使わなければ書斎は守れない。でも能力を使えばミサキさんのことを忘れてしまう。
いや、それよりも。
僕は言いようのない恐怖に襲われた。
これまでアーカーシャ・ダイブを何度も使ったことで、僕は何を忘れてしまったのだろうか。
何を忘れたかを思い出せなかった。
思わず僕は日本十進分類法(NDC)の分類記号を暗唱した。そして、番号のところどころの記憶がポッカリと抜け落ちていることに気がついた。
こんなこと、今まで一度もなかった。虫食いのように僕の記憶は消えてしまっていたのだ。
次の日、アカシック・シェイパーが狙ったのは、書斎ではなくミサキさんだった。
携帯が鳴った。非通知だった。
「図書館の娘の『存在』を写真の中にデータとして格納した。彼女を現実に戻したければ、コスモス・オリジンを差し出せ。場所は廃墟となった旧市庁舎の屋上だ。拒否すれば、彼女の存在は完全に消滅する」
コスモス・オリジンなんて本は、書斎のどこにもなかった。それが本ではないとしたら、と書斎を見渡して目に止まったのは、『星図の欠けた地球儀』。奴が欲しいのはこれだと直感でわかった。
だったらなぜ、奴はこの地球儀を最初から狙わずに祖父の日記帳を狙ったんだ……?
奴はコスモス・オリジンが地球儀だと知らなかったとしたら……。
僕は祖父の日記帳を取り出して開いた。白紙だった。いや全ての文字が消えていた。
奴も僕と同じ能力者なのか。
奴が手帳に触れた時に祖父の記した文字を、祖父の情報を奪った。そして知ったんだ。コスモス・オリジンが、この地球儀だということを。
『必要なのは、お前が持っている情報だ』
奴はそう言っていた。
情報とは、つまり、僕の記憶。
この星図の欠けた地球儀だけじゃ未完成なのだとしたら、僕の記憶が『コスモス・オリジン』を完成させる鍵となるはず。
きっとそれは、亡き父がアカシック・シェイパーから世界を守るために仕込んだ秘密の鍵。
僕は地球儀を手に取り、欠けた部分に意識を集中させた。
すると地球儀が強烈な銀色の光を放ち、失われたはずの真実の星図が具現化した。
これが『コスモス・オリジン(世界の原典)』。宇宙の全てを記録した設計図。
この地球儀を渡せば奴の望む世界に改変されてしまう。
しかし、地球儀を渡さなければ、ミサキさんは消えてしまう。
僕は地球儀を手に、旧市庁舎の屋上へ向かった。
アカシック・シェイパーがミサキさんの写真を握りしめ、嘲笑と共に僕を待っていた。
「さあ、その地球儀を渡せ」
僕は深呼吸した。
夜空の冷たさが、僕の心を吹き抜ける。
「お前なんかに地球儀は渡さない。絶対にだ!」
「本気か? ならば……」
奴が目を見開き、唇を痙攣させながらクシャリとミサキさんの写真を握り潰した。
間髪入れずに僕は叫んだ。
「アーカーシャ・ダイブ! コスモス・オリジンの知識で写真の中のミサキさんの存在を、この世界に再転写しろ! コストは僕の記憶、僕の能力、すべてを費やす!」
ミサキさんを取り戻すためなら、コスモス・オリジンも、僕の記憶も、アーカーシャ・ダイブもいらない!
完成された星図の地球儀が色を失い白く染まっていく。
コスモス・オリジンを触媒にして巨大な光が屋上を包んだ。
アカシック・シェイパーは僕の決断に驚愕した表情を浮かべたまま、光の波に飲み込まれて消えてしまった。
光が収まったとき、一人の女性が僕の目の前に立っていた。
「神崎さん!」
その人がいきなり放心状態の僕に抱きついてきた。
「助けてくれてありがとう」
「えっと、君は、誰?」
「……え?」
「どうして、泣いてるの?」
彼女は僕の瞳を見つめて、大きく目を見開き、何かに気づいたようだった。絶望と、深い悲しみがその瞳に広がる。
「私は、ミサキ」
「ミサ、キ……」
そうだ。彼女はミサキさんだ。
「そうよ。私はミサキ」
記憶と能力は消えてしまったはずなのに、彼女の名前だけは消えずに残っていた。
ミサキさんという名前と、その名前に付随する、愛しいという感情の情報。
「僕は、君が、好きだ」
「うん。知ってたよ」
彼女が僕の手を取り、ぎゅっと握った。
その瞬間、奇跡が起きた。
ミサキさんの体温をきっかけにして大量の情報が滝のように流れこんできた。
虫食い状態だった僕の記憶に分類記号が急速に再構築されていく。
情報の奔流が止まり、僕は全てを思い出した。
「ミサキさん!」
「なに?」
「ミサキさん、ミサキさん、ミサキさん!」
「どうしたの?」
「ミサキさん! 思い出した! あなたはミサキさんだ!」
くしゃりとミサキさんの顔が太陽のように綻び、「うん」と大きく頷いた。
「僕、ミサキさんとオムライスが食べたい」
ミサキさんは涙を拭い、笑った。
「うん。神崎さん。オムライス、一緒に食べよう」
これでこの物語はハッピーエンド。
僕の記憶がなぜ戻ったのか、本当の理由はわからない。
コスモス・オリジン(世界の原典)は、論理と知識の世界の設計図。それを完成させる最後のピースが、僕の情報(記憶)だった。
僕の虫食い状態で不完全な情報では世界が完成するはずがなく、その時、世界と僕の記憶の間になんらかのバグが発生したのだろう。
そして、そのバグを正したのは、ミサキさんの体温という情報だった。
ミサキさんと手を繋いで歩きながら、僕はそんなことを考えていた。
「神崎くん、どうしたの?」
「ああ、なんでもないよ」
誤魔化すように笑って、僕は呟く。
「つまり、愛の奇跡ってことかな」

