月うさぎのパン屋 #3つのお題に空想のひらめきを
約2000字・童話
銀河のはしっこ、星くずが川のように流れる静かな場所に、僕の店はあります。
古びた看板には、おいしそうなクロワッサンを抱えたウサギの絵。
そこは宇宙で一番いい匂いがする場所、「月うさぎのパン屋さん」です。
僕はエプロンの紐を「きゅっ」と力いっぱい結びました。
肩にかついだ大きな木製のめん棒は、まだ僕の体には少し重いけど、これを持つと「今日も頑張ろう」という気持ちになります。
「店長! 今日の月は一段とおいしそうですね。バターをたっぷり塗って、今すぐオーブンに入れたくなるような最高の色です!」
隣で、白いヒゲをたくわえた店長がふんふんと鼻を鳴らしました。
「ピコ、月を焼く時はな、誰かを照らしたいという気持ちが大切なんだ」
今夜は十五夜。
あたり一面に、焼きたてのトーストとはちみつを混ぜたような、たまらなく幸せな匂いが広がっています。
いつか店長みたいに、たった一人で完璧な満月を焼き上げる。
それが僕の夢でした。
しかし、新月の夜。異変は唐突に訪れました。
僕が工房で次のパンを準備していた時のことです。窓の外で不気味な紫色の雲が渦を巻き始めました。
暗黒星雲の嵐です。それは光を飲み込み、すべてを凍らせる宇宙の災厄でした。
「ピコ、伏せろ!」
店長の叫びと同時に、ものすごい衝撃が店を襲いました。
「ああっ、イースト菌が!」
僕が手を伸ばした瞬間、天井の大きな柱がドーンと崩れてきました。店長はとっさに僕を突き飛ばし、自分の背中でその重い柱を受け止めました。
「ぐあっ……!」
店長が倒れ込みました。
嵐が去った後の工房は、窓から冷たい風が吹き込んで、店長は痛む右腕をおさえて動けなくなっていました。
「店長! しっかりしてください!」
「……すまない、ピコ。腕が動かない。これでは、月を焼くことができない……」
外を見ると、夜空は真っ暗なままでした。
月を作る職人が倒れたら、世界から光が消えてしまう。
「僕がやります。店長!」
震える声で僕はそう言いました。
「ピコ、お前ならできる。頼んだぞ」
僕は一人、大きなボウルに向き合いました。
銀河の粉に、星の雫と魔法のイースト菌を混ぜ合わせます。
「よいしょ、よいしょ!」
必死に生地をこねる僕の額から、汗が小さな星となって飛び散ります。
数日後、真っ暗だった夜空に、針のように細く光る三日月が現れました。
「焼けた! 僕の月が、空に届いたんだ!」
近所の星たちも集まって応援してくれました。「頑張れピコ」「もう少しだね!」
三日月は少しずつ太って、美しい半月へと成長していきました。
「もっと大きく、もっと輝かせなきゃ! 店長みたいに完璧にやらなきゃ!」
早く立派な月を焼いて、認められたい。
焦った僕はオーブンの火を一気に強めてしまいました。
「あ、しまった!」
気がついた時には、全てが手遅れでした。
鼻をつくような焦げた臭いがしました。
急いでオーブンを開けると、いびつな石炭の塊が転がっていました。
「ああ、やっちゃった……」
集まっていた星たちも、「なんだ、失敗か」「やっぱりピコには無理だったんだ」と、ため息を吐きながら去っていきます。
僕は自分の無力さに打ちひしがれが、冷たい床で声を上げて泣きました。
その時です。足元に、ひときわ小さな光が差しこみました。
顔を上げると、以前に僕が練習で焼いた、不恰好な三日月パンを大切そうに抱えた、迷子星の子供が立っていました。
「ピコ、泣かないで。このパン、形は変だけど、すっごく温かいよ。これがあったから、僕は暗い道も怖くなかったんだよ」
その言葉が、凍てついた僕の心に、小さな火を灯しました。
そうか。僕は完璧な月を焼くことばかり考えて、誰かを照らしたいという一番大切な気持ちを忘れていたんだ。
僕は立ち上がりました。
煤だらけの手でエプロンをもう一度「きゅっ」と結び直します。
僕は残された最後の粉を手に取りました。
今度はゆっくりと、慈しむように生地をこね始めます。
「温かくなれ。みんなを、優しく照らせ」
僕の願いが、オーブンに不思議な魔法の火を灯しました。汗と涙が混じり合って、生地がドキドキと脈打つように輝き始めます。
「いっけええええ!」
暗闇の中から、黄金色の光が爆発するようにあふれ出しました。
チーン! という清らかな音と共に、暗闇の中から黄金色の光が爆発しました。
オーブンから出てきたのは、これまでのどんな月よりも神々しくて、焼きたてのパンのように温かい満月でした。
月はふわりと空へ昇っていき、夜空の真ん中で光り輝きました。
翌朝、怪我が治った店長は、僕の肩にそっと手を置いてくれました。
「ピコ、合格だ。お前はもう、一人前の月職人だよ」
店長が差し出したのは、僕の名前が刻まれた、銀色に輝く、めん棒でした。
僕はそれを大切に抱きしめて、誇らしく顔を上げました。
今夜もまた、夜空には甘いはちみつの香りが漂っています。
「店長、今日は昨日よりもっと、みんなが笑顔になる月を焼きましょう!」
世界で一番温かい光が、暗い道を歩く誰かの足元を、優しく照らしますように。
僕はそんな祈りをこめて、今夜も月を焼いています。

