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釣り人語源考 大混乱「イシモチ」

釣りをしない一般の方はあまりピンと来ないかもしれないが、釣り人ならば「イシモチには2種類ある」と、聞いたことがあるだろう。

外洋に面した漁港などで、夜にライトゲームをすると釣れてしまう「うっかり君」を我々は、「キンギョ」と呼んでリリースしている。
この小魚は「ネンブツダイ」と「クロホシイシモチ」のどちらかであるのがほとんど。
磯に住むネンブツダイは、他の魚と混泳する性質があるためだ。
この可愛らしくも憎らしい小魚たちを「イシモチ」と呼んでいる。

筆者が四国へ大遠征してやっと釣ったネンブツダイ
一応メモリアルフィッシュ

もう一つのイシモチは、ニベ科の魚のうち、手頃な釣りでゲット可能なシログチ属の「シログチ」や、ニベ属の「ニベ」の中型サイズ、ニベ属の「コイチ」などなど。
手軽に食用にする少し小型のニベの仲間の魚を、関東では「イシモチ」とざっくり呼んでいる感じだ。

西日本はグチで関東はイシモチ
と言われてるけど…

この2つの全く違う科の魚が、なぜ同じイシモチなのかというのは、両種共に頭部に大きな「耳石」を持っているからだ。
ネンブツダイを試しに丸ごと素揚げにして食べてみると、頭部にガリっとくる大きい石が2つあって、とても丸ごとペロリとはいかず頭部は切りすて一択だ。
ニベ科の方も大きな耳石があって、幕末の尾張藩主、徳川慶勝がニベ科の耳石を使って、刀の柄や鞘に漆に散りばめ、装飾に使用した日本刀を所有していた事が知られている。

尾張徳川家14代徳川慶勝が作らせた大小拵え
「石首魚石入蠟色塗刀拵・脇指拵」と呼ばれる逸品

テンジクダイ科スジイシモチ属「ネンブツダイ」の語源は、マウスブリーダーである本種のオスが卵を口の中で育成している様子を「念仏」や「念仏踊り」にたとえたものとされる。
ネンブツダイにそっくりなクロホシイシモチもスジイシモチ属で、同属の他の種も釣り人にとっては全部「キンギョ」だ。

おなじみ空也上人像
稚魚が親魚の口内で育成している様子を「念仏」とたとえている

「テンジクダイ」の方はツマグロイシモチ属で、地方名「ねぶと」として瀬戸内海地方のスーパーでよく売られている小魚だ。
なぜ「テンジクダイ」と標準和名が付けられたのかは不明で、この魚の地方名にはテンジク関連の名前は全く存在せず、多くの人が「現代のおそらく明治時代で当時の学者が命名したのだろう」と言っている。

「ねぶと」ことテンジクダイ
広島県福山市の人はネブトの南蛮漬けをアホほど食うよw

本当に「テンジクダイ」の名前の由来は不明だ。
おそらく誰かは分からないが、明治か大正の近年の魚学者が「イシモチという名前は混乱の元であるのでテンジクダイ科にしよう」と思って命名したのだろう。
「念仏」からの、「仏教 → インド = 天竺」の連想ではないだろうか。

植物学者の牧野富太郎博士は、科名に直接植物名を付けると、それがその科を代表するような誤解を生んでしまうので、科名は植物名とは違う名前が良いと提唱した。
例えば「アブラナ科」にはダイコンやらワサビやらナズナがあるが、その花の形態を最も分かりやすく表す名前として「じゅうじばな科」という名前を提唱した。
しかし現代では、科名は典型属に由来しなければならないとされているのでアブラナ科となっている。

しかしながらテンジクダイ科は、ネンブツダイ・テンジクダイ・〇〇イシモチ・△△テンジクダイと、名前が大混乱で非常にまぎらわしい。
更には近年、DNA解析の手法により種の近縁関係が正確に分かるようになった。そのため「スズキはスズキ目ではない」という事態になってしまった。
富太郎先生の慧眼の示す通りにしておけば良かったのに…。


さまざまな魚名の由来を調査してきたが、段々と難解な魚名が多くなってきた…これまで蓄積してきた知見を活用して「イシモチ」と呼ばれる魚達を解明していこう。

さて『和漢三才図会』の「江海有鱗」(49巻)に掲載される「すみやきたひ」(烏頬魚)を見てみよう。

『和漢三才図会』すみやきたひ

(読み下し文)
鳥頰魚すみやきたひ
俗に云う、須美夜木太比(すみやきたひ)
按ずるに、鳥頰魚は形鱗共に「古伊知こいち魚」似て、しこうして微に赤光を帯ぶ。
頰に黒紋有りて、「墨引」如く。大者は七八寸。肉は白く脆い。淡く甘美なり。夏秋に多く出ず。

『和漢三才図会』

(現代語訳)
案ずるに、スミヤキダイは形や鱗はコイチに似て、わずかに赤色をおびて光る。頬に墨を引いたような黒紋があり、「墨引」(受刑者)のようである。
大きいものは7、8寸。肉は白く、脆い。淡く甘美である。
夏秋に多く出る。

この説明を読むかぎり、スミヤキダイとは「ネンブツダイ」&「オオスジイシモチ」であるのは間違いない。
顔に黒い筋が入り、特徴的だ。

「オオスジイシモチ」
釣り人はネンブツダイとあんまり区別してない
全部イシモチかキンギョなんです

釣り人が夜に釣れた海キンギョをヘッドライトで照らすと、ネンブツダイは虹色、オオスジイシモチは赤く光る。
ネンブツダイは最大12㎝、平均8㎝と言われる。
長さが「7,8寸」というのが実際より大きすぎる気がするが、「1寸 = 3.03㎝」と決まったのは明治時代である。参考までに明治尺では「7,8寸 = 21.2~24.2㎝」となる。こんな大きなネンブツダイはいない。
『本草綱目』をはじめとした中華の本草書はおそらく古代からの整合性を重視して「1周尺 = 21.9㎝」という単位で記述しているのではないかと研究しているので、周尺では「7,8寸 = 15~17.5㎝」である。でもまだチョイ大きい。

しかし唯一この『和漢三才図会』では、クジラ(海鰌)の大きさの記述を研究すると日本古来の「あた」を採用していると思われる。
1咫を「約18.5㎝」だとすると、「7,8寸 = 13~14.8㎝」となり、「約18㎝」だとすると「7,8寸 = 12.6㎝~14.4㎝」だ。
ネンブツダイの最大としてはピッタリなのではないだろうか。

「炭焼き」を職業とする人々の顔が、常日頃から炭で真っ黒になって面白いので、顔や眼の付近が黒い模様の魚を「スミヤキ」と呼ぶ。
そして「烏頬」または「墨引」というのは日本の刑罰で、顔に刺青を入れられた者の蔑称である。要するに「スミヤキ」は彼ら受刑者の隠語なのだ。
さまざまな魚が種類を越えてスミヤキと呼ばれていたので、江戸時代の本草家や考証家、そして現代の魚類学者は非常に混乱しているようだ。
「イシダイ」や「シマイサキ」「コトヒキ」、「クロシビカマス」、「クロホシフエダイ」など、現代にまで地方名にスミヤキが残る魚は多い。
しかし明治の魚学者たちが、差別的なスミヤキという言葉を必死に消していったのだろうと思っている。

『和漢三才図会』を著した寺島良安先生をはじめ、江戸時代では、ネンブツダイなどテンジクダイ科と、ニベの仲間を「大きな耳石を持つ」として同じグループだと考えたのだろう。
これが混乱の原因のひとつである。
筆者の『水族志』の研究で、宮崎県のサーフで釣れる怪魚「オオニベ」の本当の名前は「イシナギ」であった。
このイシナギの地方名の中に「スミヤキ」があるのだが、この地方名は本来オオニベの事を指していたのだろう。
『水族志』の記述には、この怪魚の他に黒くて比較的小さいサイズも居るとされる。この魚は「クログチ」だろう。
クログチが元々スミヤキという地方名を持っていたと考えるとスッキリする。

謎の「D社のミッチー」とコードネームで呼ばれる釣り人が釣った
150㎝の「怪魚オオニベ」コイツはすげえな

そして『和漢三才図会』の「古伊知魚こいち」を見てみよう。
筆者はこの短い記述の中に、二種類の魚が潜んでいるような気がするのだ。

『和漢三才図会』「コイチ」

(読み下し文)
古伊知魚 こいち 正字未詳
按ずるに、古伊知こいちの状は「くち」に似て、鱗は而してくちより巨なり。口はくちより長なり。
又、烏頬魚すみやきだいに似て大きさ5,6寸。尺余りに至る。
秋月に出ず。
肉は白く脆く、味はよしならず。最下品なり。

『和漢三才図会』

「コイチ」と言う魚は、ニベ科ニベ属の小型の黄色っぽいニベで、主に瀬戸内海で捕獲され賞味される。
「コイチ」の名前の由来は通説というものすら無く、全く知られていない。
大きさは最大45㎝だが流通しているのは約30㎝である。
まあ形状はグチそのもの。鱗は確かにグチより大きい気がする。口も長いと言われればそうかも。
食べれば美味しい。

黄色いヒレの「コイチ」
瀬戸内の魚である。

しかし次の「また」から始まる文章は、違う魚を記しているような気がする。
烏頬魚すみやきだい(ネンブツダイ)に似て、大きさ5,6寸。尺余りに至る。」
これはコイチとしたら小さすぎる。
ネンブツダイに似て、5,6寸(9~11㎝)だというのは「テンジクダイ」の事ではないだろうか。
尺余り(約20㎝)に至るのは別種かコイチかも。
秋月に獲れて味はあんまり良くないというのもコイチではない。これはテンジクダイだろう。
広島県備後地方や岡山県ではテンジクダイは「ネブト」と呼んでとてもよく食べられている。主にから揚げだ。
しかし生ではマズイとも聞く。生で食べたことないけども。

「ネブト」や「メブト」は「目太」で、「食べると耳石がガリっとする」様子が「眼が硬く太い」とされたことに由来する。
「イシカベリ」「イシガネリ」「イシガシラ」は耳石のこと。
「メンパチ」「メンパチジャコ」は「眼が硬いジャコ」だろう。
もしかしたらこのテンジクダイの名前は、かつて「コイチ」だったかもしれない。
「頭に小石を持つ小魚」という事で「コイシ」が訛って「コイチ」。
それが同じ仲間だとされて、ニベの仲間のほうもコイチと呼ばれたのではないか。


では『大和本草』の「石首魚くち」を調べよう。

『大和本草』の「クチ」

(読み下し文)
石首魚(クチ)
下品なり。夏月に味は可なり。
頭に碁石の如くなる小石、二つあり。故に石首と名づく。
西土にてはグチと云う。小なるをクチと云う。大きなるをにべと云う。
ニベは4,5尺~6,7尺あり。赤色なり。鱗は大なり。
首の石は刀・脇差の目貫に用いて良し。
ニベは腸中にある「白鰾みづぶくろ」をにかわとすること、『本草綱目』に見えたり。これを「にべ」と云う。
乾たるを「ショウ」と云う。『本草綱目』に載す。

『大和本草』クチ

ちっちゃい時は「くち」で、大きくなると「ぐち」と呼ぶという事らしい。へ~~~~! 西日本ではどうやら出世魚のような扱いだったようだ。
で、デカい奴が「ニベ」と呼ぶ。
「4,5尺」は周尺だと「87.6㎝~109.5㎝」となる。
このサイズは「ホンニベ」のことではないだろうか。
そして「6,7尺」、、、周尺で「131.4㎝~153.3㎝」という怪物のようなニベは「オオニベ」のことだろう。
オオニベは赤っぽい。そして鱗がバカでかい。

そして「ニベ」の語源が、このニベのうきぶくろを煮たものを「ふえ」というからである。…というのが江戸時代の考証学の先生たちの説である。
しかし小野蘭山先生が職人たちに聞くと、「魚のうきぶくろではにかわとして使ってない。鹿の膠を使う。」と答えていて(『本草綱目啓蒙』に記述ありとのこと)、先生方は困惑していた事が分かる。
平安時代に書かれた『延喜式』や『倭名類聚抄』でも、すでに「昔このニベという魚のうきぶくろから膠を作ったから」という語源説が述べられている。という事は、すでに平安時代ではもう、魚膠は作られなくなっていたのではないか。
しかし、もしかしたら小さなグチでは強い膠にならないだけのかもしれない。ホンニベやオオニベのうきぶくろで作った膠なら、工芸品の製作に最適な、強度と使いやすさを併せ持つ膠が得られるのかもしれない。
ただオオニベの漁獲量が確保できなくなり、鹿の膠が生産に適していったのではないか。

古代の中華帝国では、一旦干し魚に加工したものを水やスープで戻したものを料理で使うのが伝統的な食べ方だ。
うきぶくろを干したものをスープにした料理は現在でも高級料理である。
筆者はこの「うきぶくろ料理」の原点は「チョウザメ」ではないかと推理している。
オオニベの干物とは書いてあるが、たぶん「うきぶくろの干物」の事だろう。それを「ショウ」と呼んだのではないか。
現代ではショウは「ふか」と訓すとなっている。フカの語源はチョウザメに由来すると、筆者は思うのである。

高級中華料理に使われる「干魚肚」

ところで『大和本草』に記載される別の魚をちょっと見てほしい。
「アラ」という魚だ。
筆者は2種類の魚が記されているような気がするのである。

『大和本草』アラ

(読み下し文)
アラ
鯛に似て、鯛より横狭く、長し。所々黄黒色マダラなり。
また、「大口魚たら」に似たり。長さ1,2尺。3尺に至る。
口ひろく、頭大なり。味よくして、鯛に似たり。冬春多し。
病人、これを食うこと妨げ無し。
若水(稲生若水)云う、「アラは”敏魚”なるべし。くりやの人、以って下品となす。乾たるは産後の血暈ちめまいを治す。
能く血をおさむ。和流の外醫そとくすし(外科・怪我などを専門とする医師のこと)、婦人科にこれを用いる。

『大和本草』アラ

『水族志』を筆者が研究した結果、「敏魚」という『本草綱目』に記載される謎の怪魚は「標準和名オオニベ」で、かつては「イシナギ」と日本で呼ばれた…と判明している。
「鯛に似て、鯛より横狭く、長し。所々黄黒色マダラなり。」という特徴を持つ魚の方はニベの仲間という事。この名前がアラという。
そして「タラに似て、21.9㎝~43.8㎝、大きくて65.7㎝。口が大きく頭も大きい、美味しい魚」というのが「アラ」(ペルカ目アラ科)だ。ちゃんこ鍋の方ね。

ちゃんこ鍋で有名な「アラ」
顔が尖っていて身体はスズキっぽい

「クエ・マハタ老成魚」の九州の地方名である「あら」はここでは関係なし。
「稲生若水」先生は京都の医者であるが、加賀金沢藩の殿様に迎えられて、金沢で『庶物類纂しょぶつるいさん』という大巻の本草書を編纂した人物である。その人が「敏魚の正体はアラである」と記述しているとのこと。


最後に『和漢三才図会』の「鮸」を調べよう。

『和漢三才図会』「鮸」

(読み下し文)
鮸 くち・にべ 石首魚 江魚 黄花魚 石頭
和名 仁倍 一に云う、久智

『本草綱目』は鮸の状、白魚の如くにして、扁身・弱骨・細鱗。
色は黄で、金の如し。水を出でると能く鳴く。
夜見れば光あり。
首に白石が二枚あり、みがけば玉の如し。

『和漢三才図会』鮸

「鮸」という魚は、「くち」と「にべ」のふたつの読み方があると説明する。
『本草綱目』では「白魚ハクギョ」というのは「ニゴイ属支那大陸分布種」(ニゴイの名前は江戸時代では「ミゴイ」が一般的名称)のことである。
「鮸はニゴイに似ている」と李時珍先生は言っている。

『本草綱目』の「白魚」
ニゴイ属のチャイナ種のいずれかである
日本の固有種「ニゴイ」

そして『和漢三才図会』は「色は黄色で、金の如し」と言っている。
これはちょっとニベやグチではない。明らかにキグチやコイチの事だ。
しかしコイチはすでに記述されている。『和漢三才図会』のコイチはやっぱりテンジクダイだろう。
「水を出ると能く鳴く」はその通り。
「夜見ると光る」はネンブツダイっぽい記述だ。もしかしたら「ホタルジャコ」かもだ。発光器官があって光る。
「首に白石があり、磨けば玉のよう」
ニベと混乱してしまうが、テンジクダイの耳石も玉のようになる。

(読み下し文)続き
秋に至り、して「冠鳧カンフ」になす。これすなわち「野鴨」のとさかの有るものなり。

『和漢三才図会』鮸

古代の本草書には、「○○ は ×× に変身する」という民間の伝承がとてもよく記述されている。
「ニベが秋になると冠鳧という鳥に変身する。」という『本草綱目』の伝承は全くの俗説だが、おそらくこの冠鳧という鳥が「たまたまニベ(もしくはニゴイ属かもしれん)を捕まえたが、大きすぎて吐き出す」姿を見て、古代の中華の人が言い出したんだろう。
カモの仲間でトサカ(冠羽)を持つのは「キンクロハジロ」と「ウミアイサ」ぐらいしかいない。
「鳧」は「かも」と「けり」と2つの読み方があり、「ケリ」という鳥はチドリの仲間である。
魚をよく捕獲するウミアイサが冠鳧なのではないだろうか。

「ウミアイサ」

にべ、腹中の「白鰾にべ」、膠を作るべし。(仁倍にべ

『和漢三才図会』鮸

寺島良安先生は、ニベの語源説で「うきぶくろ」の事を「にべ」と呼び、これで膠を作ったからだ。という。
徒然草つれづれぐさ』を執筆した兼好法師は、「魚のニベが髭にくっついて嫌だなあ」と嘆いている。脂やコラーゲンを「にべ」というのだろう。

毎歳四月、自ら海洋つむより来たり。
そのこえいかづちのごとし。
海人、竹筒を以って海底を探り、そのこえを聞きてすまわち網を下ろし流れをち之を取る。
澄ますに淡水をもってすれば、圉圉ギョギョとして力無し。
薴菜ジュンサイと合わせあつものを作る。胃を開き気をす。

『和漢三才図会』鮸

(『本草綱目』の伝説によれば)毎年四月になると、海の彼方からやってくる。その鳴き声は雷のようである。海人は竹筒を使って海底のニベの鳴き声を聞いて群れの位置を把握し、網を下ろして群れの行先を断ち切って一網打尽にする。(と言っている)

さすがにこれは伝説。
でも超デカい「シナオオニベ」の大軍団が、かつて古代の大陸沿岸に押し寄せていたのかもしれない。乱獲によって太古の中華帝国はいろいろな生物を絶滅寸前まで追い詰めている。
「海人が魚の聲を聞いて網を下す」という記述は、同じく『和漢三才図会』の「勒魚」という謎の怪魚の捕獲方法と同じである。
もしかしたら李時珍先生が間違えたのかもしれない。筆者は『本草綱目』の勒魚は「イッカク」であると推理している。そして良安先生が勒魚を比定したのは「ソトイワシ」だろうと結論づけた。
真水にオオニベを活けると、おとなしくなるようだ。
日本だと「マダコを真水に入れて弱らせる」という言説が有名だが、そんなことをわざわざする人はいない。眉間を〆てクーラーに放り込むよね。

ジュンサイと一緒に料理して、「煮凝り」を作ると言っている。
これはうきぶくろなのか魚肉なのかワカランな…これもうきぶくろの干物だと思うんだけど。
豊富なコラーゲンで胃が活発となって「気が益す」という。

鮝ち魚
鮸の乾たるものを「鮝ち」と名づく。諸魚のひものも皆、鮝というもその美は鮸に及ばず。故にひとり専称を得る。

『和漢三才図会』鮸

「鮝ち魚」の読み方が分からない。
元々色んな魚の干物が「鮝ち」と呼ばれていて、たぶん「塩に漬けて干す」という工程を指す大和言葉があったと思われる。
が、やがてニベのうきぶくろの干物だけがこの名前となって、やがて時代と共に呼び名が分からなくなってしまった。

白き者を以って佳となす。もし風にあらわすずんば、すなわち紅色に変し味を失うなり。炙り食う(甘く平)

『和漢三才図会』鮸

干物が風にさらされると紅色に変色して劣化するとな?
そんなことある?
普通の魚の丸干しが紅色になることはない。だからこそ「うきぶくろの干物」であると断定したんだ。「白鰾」と記述してあるからね。
そして骨だらけで身を食べることが出来ないソトイワシが、干物になると「勒鮝」として食べられるという。これはソトイワシのうきぶくろを干物にして食用とした事の証拠ではないか。
しかし干物加工に失敗すると、紅色に変色して味が無くなるなんて、なにか特別なことがニベのうきぶくろにあるのだろうか。

能くうりを消して水となし、宿食を消し暴下痢を治す。
甜瓜まくわうりなまなる者に、その鮝の骨を用いてへたの上に挿さば、一夜にして便すなわち熟す。

『和漢三才図会』鮸

瓜は消化が悪いと考えられたのか、鮝の効能は「宿食」(消化不良のこと)を消して酷い下痢を治すそうな。
そしてだ。
熟していないマクワウリのヘタにニベの干物の骨を刺すと、一夜にして完熟するとされる。
この話も勒魚の干物の話で登場している。
筆者はこれを「媚薬」の隠語ではないかと推理している。
良安先生は隠語に気付かず、素直に『本草綱目』が述べる効能のひとつとして紹介している。医療の事を記述する本草書に、おばあちゃんの知恵袋みたいなことなんか記述する訳がないんだ。
「白鰾」のような最高級のコラーゲンを女性が摂取すると、お肌がプルプルとなって見た目が若返り、男性がそれを見て発情。
女性はお肌と発情する男を見て自信を取り戻し、まんざらでもなくなってOK。
古今東西、男女関係はただ単純なものである。

△(ここから良安先生の解釈となる)
按ずるに、くちは四時ともにこれ有り。
ほぼ鮒に類し、形長く狭く、色は淡い黄白。
鰭は長く鱗は細かく、尾は岐無し。肉脆く、脂少なし。
その大きさ、5~7寸。
九月に盛りとなす。この時、味甚だよしなり。

『和漢三才図会』鮸

はたしてこの良安先生が按ずる「くち」はニベやグチの事なのだろうか。
このフナに類した形の、11㎝~15㎝の小魚はやはり「ネンブツダイ」のことではないだろうか。『大和本草』では「小型がクチと呼ばれる」と言っているし。
『本草綱目』のニベやグチの記述はそのまま素直に書いてはいるが、鮸の異名の「石首魚」と聞いて、やっぱりネンブツダイだと比定しておられるのでは。
ニベやグチだとするならミゴイに似ていて鱗は大きく25㎝~40㎝で脂は多くて能く鳴く魚だと書くはずだ。
「鮸・久知・くち」と、「グチ・ニベ」は別の魚ということだ。

阿古 (名義、未だつまびらかならず)
冬月、鮸の大者、俗に呼ぶ「阿古あこ」と曰う。
阿古、甚だこれを賞味す。

『和漢三才図会』鮸

「アコ」は『水族志』では「標準和名キジハタ」の事である。
元々は「アコウダイ」が「緋魚」「赤魚あかを」であり、その俗名が「阿古」であると、寺島良安先生ご本人が『和漢三才図会』で解説している。
その阿古(アコウダイ)が、乱獲によって関東では希少種となってしまい、その代用魚として「播磨の赤魚」ことキジハタが「アコウ」と呼ばれ高級魚とされた。
『和漢三才図会』では「藻魚もうお」の大者を「阿古乎あこを」と呼ぶと解説してある。藻魚はこの本では確定してないがおそらくタケノコメバルだろう。そして間違いなく阿古乎はアコウ。

しかしこの大者のネンブツダイとは何だ?。それも阿古だと言う。
阿古という全く別の魚がいたのだろうか。
それとも「アコウダイ」はネンブツダイの大者であると考えたのか。
さすがに余りにも突拍子もないので、アコではなく「アラ」の間違いではないだろうか。
本人がアコウダイを「阿古」としているのに普通ありえない。
怪魚オオニベの名称は「イシナギ」か「アラ」と呼ばれていた。
そして「小型がクチで、大者はグチだ」とも言っている。
「鯼」の訓が「ぐち」という説もある。
おそらく「標準和名ニベ」が「ぐち」のことで、その一種が阿古かもしれない。これはちょっと分からない。
本当に古文書の魚の名前は難解でよく分からない。

仁倍にべ 鮸に似て而して少し長く、灰青色。首に石有り。
その大者、六、七尺。腹中の白鰾はくひょう・しらふえを取り、以ってにかわす。物をつけるに、甚だ固し。
工匠及び弓人の必用の物とす。
けだし、『和名抄』に「仁倍にべ久知くちと一物」と爲すも、今は俗に別と爲す。

『和漢三才図会』鮸

この灰青色で少し長いという魚は、色からすると「クログチ」だ。
その大者で6~7尺(131.4㎝~153.3㎝)というのが怪魚オオニベ。
『水族志』でも、「イシナギ(オオニベの事)」に口が黒い小型がいると言っている。クログチの事だろう。
そして膠のことを言及している。
『倭名類聚抄』ではニベとクチは同一魚だとしているが、今(江戸時代初期)では別の魚であるという。

グチで最も美味しいとされる「クログチ」
黒っぽい色あいだが、光を反射すると青く見える
口の中が真っ黒だ。
瀬戸内の深い場所でジギングで釣れる

凡そ、かしらの中に石ある魚は、鯛・くち幾須吾きすご㕦魚たらなり。
皆、淋病を治す。(於久里加牟木利オクリカンキリと功を同じくす。)

『和漢三才図会』鮸

なんと魚の耳石には、淋病を治す効果があるとのこと。
「淋病」とはナイセリア属の菌に感染することで発症する性病である。
中華の医学書では、淋病性尿道炎となった男性が、その激しい痛みにより「ぽたぽた」としか排尿できない状態から、「淋」(雨の林の中で木々の葉からポタポタと雨がしたたり落ちる様子)と命名したようである。
魚の耳石は主に「炭酸カルシウム」で「リン酸カルシウム」も含有する。
その効能は筆者にはちょっとよく分からない。
於久里加牟木利オクリカンキリ」というのは、ラテン語「oculi cancri」に由来する、江戸時代にオランダ人から輸入していた医薬品で、「oculi = 眼」・「cancri = カニ」という意味だ。
ザリガニ類の胃石であり、脱皮時のカルシウム補給のために貯蔵しているという説が有力だ。
ザリガニの漢字表記は「蝲蛄」と書き、「蝲蛄らっこ石」と呼ばれていたが、ある人が間違って「蝦蛄しゃこ」と書いてしまい、「シャコの頭にある石がオクリカンキリだ」と間違った言説が広まって、『和漢三才図会』にそのまま記述されたようである。
「シャコの頭に石なんてないじゃん…海外のシャコにしか石が無いのかなぁ」と当時の人は思ったのだろうか。
のちに北海道や東北の一部に生息する日本在来種の二ホンザリガニから、胃石を取り出して出荷していた記録が残っている。


さて、とても難解であった「イシモチ」とよばれた魚たち。
歴史のなかでさまざまな名前が交錯して伝わってしまったようである。

筆者の推理では、平安時代ではクチとニベは区別しておらず、共に標準和名シログチや大きくなる仲間を指していたんだろう。
江戸時代、磯に住む小魚で耳石が大きい奴が「コイチ」または「イシモチ」と呼ばれ、そのうち小型のシログチ類も「コイチ・イシモチ」と呼ばれだした。そのため特定の地域では磯の小魚の方が「クチ」に入れ替わった。
そして40㎝くらいに成長しグーグーと大きく鳴くお馴染みの魚を「愚痴言ってるからグチ」に、80㎝くらいに大きくなるのを「ニベ」と区別したのではないだろうか。

一般の方には何言ってるかサッパリワカランと思う。でもまあ釣り人だったら分かるよね。
同じ魚がイシモチでもグチでもニベでも、全然ちがう魚がおなじイシモチでも、釣り人同士・魚屋さんで適当に通じれば、それでいい。

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