一曲駄文 #6|岡崎体育「鴨川等間隔」
この曲には悔しいかな共感しかない。
固有名詞を置き換えればそのまま自分の体験談になってしまうかと錯覚するほどに。
自分という陰キャがかつて陽キャに対して抱いていたカオスな感情を明文化してくれたようなこの曲を聴くと、悪い意味の甘酸っぱさが胃から込み上げてくる。
「鴨川等間隔」
タイトルからして、あの光景を思い浮かべる人も多いはずだ。
京都河原町あたりの鴨川沿い。
等しく間隔を空けて座るカップルたちを少し冷めた目線で眺める。
それとは対照的に何の抑揚もない、むしろやや鬱屈とした自身の日常。
学生生活と社会への巣立ちの狭間にあるモヤモヤ。
それらをない混ぜにした複雑な感情を様々な妄想で昇華してしまいたい気分。
そんなこんながこの一曲に凝縮されている。
あの等間隔は自然発生的なものなのか、
それとも暗黙の了解なのか。
カップル内でパーソナルなイチャがあるだろうから、ある程度の間隔を空けるのは理解できるとして、何故にそんなに綺麗に並ぶのだろうか。
京都だし何かの結界的な?
どちらにせよ、あの等間隔の中に入るには、それなりの資格が必要な気がしてしいて、自分にはその資格が無いことを突きつけられる。
昔、その資格を持たずに結界内に飛び込んでみたことがある。カップルの視界に入っても認識されないような平凡な男二人組で。
意外にもすんなりと等間隔の一員になることに成功した。
そこから見える、いかにも京都らしい夕暮れ時の山々、夕陽に光る水面、川がせせらぐ音。
なるほどカップルが佇むにはこの上ない環境だ。
だがその環境を楽しむのはカップルだけでなくてもいいではないか。そう鼓舞しなから自分たちもその空気を堪能していたが、それも長持ちしなかった。
両隣がカップル、対岸もカップル、背を通り過ぎてゆくカップルカップル。
オセロなら何度もひっくり返される猛攻。そして、程なくしてひっくり返り、にわかに退散する凡夫二人組。
モロに結界に弾かれてしまったC級妖怪。
岡崎体育の曲よろしく、橋の上から俯瞰しながら少し距離を取るほうが良かったのか。
けれどそうすると、歌詞にある通り「橋の上、見下ろしながら見下される」という被害妄想に苛まれるのだろう。
生きにくい性根をしているなぁと我ながら呆れるものだ。
カップル内の距離感。
カップル間の距離感。
その両方が安心するための距離感なのだろう。
その等間隔をロマンチックな風景として消費しているのが、あの鴨川だと思う。
だから美しいし、だから羨ましい。
もちろん、あの等間隔を形成している人たちはそんなことを考えていないのだろう。
ただ親しい人の横に座って、ただ他人と距離を取って、話しているだけだ。
だからこそ、それを眺めている側の立ち位置が、少しだけ露わになり、無資格を突きつけられる。
ラスサビ前の以下の歌詞で、この捻れに捻れた感情の落とし所が見事に言語化されているようで、腹にストンと落ちてきた。
〜別にどうしてほしいわけじゃない。ただそれくらいの許容や容赦を保てる心を育みたいぜ。〜
カップルのくっつき方も間隔の空け方もまるで磁石のよう。そう、彼ら彼女らの正体はマグネットマンだったのだ。

そんな妄想をしながら今日も川原で一人、心を育んでいるが一向に芽が出る気配は無い。
