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現代アートとは?

ZOZOTOWNの創業者、前澤友作氏がバスキアの絵を123億円で落札、と聞いて驚いた人も多いのではないのでしょうか。アートって途方もなく高い・・・。

ジャン=ミシェル・バスキア《無題(1982年)》

 アートという単語は最近、よく聞きます。書店では美術だけではなくビジネスやハウツー本のコーナーにも「アート×××」といったタイトルの本が平積みになっている。なんとなくイメージが良く便利だから使用されるのでしょうか。しかし改めて問われると「アートとは何か」は曖昧です。例えば芸術、美術とどう違うのか、単に英語で表記しているだけなのか、それとも意味の違いがあるのか。
 辞書的な定義では芸術・美術、さらには技術、人工的施策、策略などの意味が提示されます。英語のartの語源はラテン語のarsに由来し、古代の技芸全般、何かを作る技術といった広い意味から発しているからです。日本語では「技・わざ」に近いのかもしれません。
 現代アートと言われる場合の「現代」はコンテンポラリー・contemporaryで「同時代的」の意味です。注意すべきなのは、モダン・modernも現代的といった意味で使われますが、「モダンアート」の場合の「モダン」は「近代」に該当し、およそ1860年から1970年ころ、日本では明治から昭和の半ば過ぎまでの美術を指します。
 それでは現代のアート、美術にはどういう特徴があるのでしょうか。
 簡単には説明し尽くせませんが、
1.芸術との違い
2.アートの面白さ
3.ビジネス面
について考えてみます。このことで輪郭がつかめると思います。

1.アートと芸術の違い
 現代アートとは広義には1950年代以降、世界の覇者となったアメリカを中心に世界を席巻したポップアートや抽象表現主義、フルクサスなど多様なスタイルを持つトレンドです。狭義には現在により近い1980年代、あるいは1990年代以降の作品を指します。特徴として、
*破壊性。既存の価値観を破壊する。例として「美」の概念を覆す
*形式の多様性。絵画・彫刻等に限らず、オブジェ、パフォーマンス、イベント、ビデオアート、その他のメディアミックスなど極めて自由
*オリジナリティにこだわりつつも、パロディ、コピー、盗用を必ずしも否定しない
*イデオロギー性・思想性。なんらかの主張を伴っている
などがあります。
 欧州に代わって経済だけでなく文化でも世界の中心となったアメリカの芸術であり、さらにはグローバル化に伴ってアジア、オセアニア、アフリカを含む全世界的な芸術に変化しつつあると言えます。それまでの「芸術」が「美」を表現することを目的としたのと異なり、「アート」は特定の範囲を持ちません。
 西洋の歴史においては、アリストテレスが提起した「ミメーシス」(模倣)が芸術の基本コンセプトでした。一神教であるキリスト教とある種の理想主義であるプラトンの思想を背景に、芸術は「美」を体現していました。唯一の神の元で「美」は「真」や「善」とも一致する究極の価値なのです。

古代ギリシャ彫刻『ミロノヴィーナス』(ルーブル美術館所蔵)
真=善=美の体現

 十九世紀以降、科学の進展によって科学的真理がキリスト教の神に代わり、宗教が体現していた至高の価値は芸術へと代替されます。しかし科学技術の進展に伴い、科学への信頼も損なわれ、科学的真理の一元主義は限界を迎え、価値観の多様化に対応する必要が出てきました。それが現代アートです。さらに覇権国家であるアメリカの凋落が次第に明らかになり、文明の中心が太平洋を渡って再びユーラシアに戻りつつある現代、アートがこれまでとは異なった次元へと変化していく可能性もあります。

2.アートの面白さ
 アートは自由です。そして歴史的評価の審査網を通過していないため、玉石混交であり、大部分は消え去るものです。それにも拘わらずなぜ現代アートに価値があるのでしょうか。
 それは現代アートが私たちの同時代の作品であるためです。
 私たちにしかわからない現代の様相にアーティストたちが感応し表現したものです。わかりにくかったとしてもそこにあるのは現代なのです。わかりやすい作品だけがいい作品ではありません。
 西洋ではギリシャ・ローマ以来、ルネサンスを経て様々に展開してきた伝統的な美の規範が失われ、東洋でもインド、中国、そして日本などにおいて独自に育まれていた美的な価値観が西洋化、近代化の過程で大きく変容してしまいました。結果として「なんでもあり」の状態となり、ゴミ同然の作品が山積です。ですがその中に必ずすばらしい作品があるはずです。
 また、新しいファクターとしてアートが「作品」という「モノ」ではなく、制作者と鑑賞者の関係性、つまり「コト」に移行しつつあることがあります。
 ビジネス面で、「モノ」消費から「コト」消費が優勢になりつつあるのと同様、今後ますます、参加型、インタラクティブなどクリエイターとユーザーが結びつく形でのアートが盛んになり、さらにはユーザー同士が交流し、コミケのような「沼」を形成し、推し活のような形でのファンダムも増えていくと予測されます。インターネットによって情報のやりとりが容易になり、NFTや仮想空間のような新しい枠組みが誕生、作品のデジタル化やAIの活用によって制作環境も激変しつつあり、ここにビジネスチャンスもあるでしょう。サブスクリプション・サービスが伸長しているように、作品を購入してもらうのではなく、サービス、場といった関係性が重要になっています。作品の評価にもこうした好き嫌いの面が強く影響してくるでしょう。

3.アートのビジネス性
 日本のアート市場は極めて貧弱です。表面的な理由としては、教育において「アート」が重要視されていないこと、コレクターや批評家の層が薄いことなどが挙げられますが、歴史的には書画や茶道具、花器などが代表するように日本にもコレクターの文化は存在するので現代アートに関しても潜在的な可能性はあります。例えばフィギュアをオブジェと捉え、アートと考えればここには大きな市場があり、村上隆の成功はこうした境界領域に軸足を置いたことにあるとも言えます。野心的なアーティストであればアニメやキャラクター、ゲームやエンタテイメントといった隣接領域でのマネタイズにも関心を示すかもしれません。特に若い世代や海外からの旅行者には没入型、体験型のアートが人気であり、チームラボのような成功例もあります。
 まったく別の観点ですが、最近ではアートの自由の発想を自己啓発やビジネススキルに応用するようなハウツー本も多数、出版されています。PDCAサイクルのようにすべてをロジックで説明しようとするこれまでのスキルで行き詰った際、直感的で非論理的な発想が必要、との揺り戻しからでしょう。特段、難しいことではありません。さらには医療や介護のジャンルでも、ケアの一環としてアートを利用、患者を理解するためのコミュニケ―ションの手段としたり、リラクゼーションの一環に資することができます。あるいは施設利用者の参加を促し、治療や介護のコンテンツとして利用する場合もあるでしょう。
 自由であることによってアートは社会的な関係を拡大し、単なるデコレーションの範囲を超え、さまざまなジャンルにおいて事業性が出ていると言えます。

岡本太郎《太陽の塔》 吹田市・万博記念公園

「創造の場」としての現代アート・・・まとめとして
 このように現代アートは評価が定まり美術館に収蔵される芸術とは異なり、無限の可能性を秘めていますが、評価基準が定まっていないことで「難しい」という印象につながっている面もあるかと思います。アートは一義的な文化遺産ではなく、投資対象、町おこしやイベントの題材、エンタテイメント施設の出し物でもあり、政治的主張やビジネスノウハウにも利用されます。こうした多面性が面白いところです。
 ですが、一番重要な点はアートが価値を創造することです。単なる物体でもないし、空想的な観念でもありません。モノではなくコト、現象なのです。人と物、人と人、あるいは物と物、これらを結び付ける場、関係を成立させる関係性なのです。クリエイティビティとは一部の天才に宿るひらめきだけではありません。そうした形もありですが、むしろ異物との触れ合いが引き起こす葛藤だと考えるのが良いでしょう。
 ですので、アートは××である、○○であるべき、といった決めつけから離れ、自由であることは必須です。
 一方、ただなにをしても良いというのではなく、価値の創造を目指すべきものと思います。これまでにない何かを現す。外部的なもの、表現の臨界に達し、ただならぬ何かに触れ、感じさせるモノ、コト。かつてなら「神」とか「真理」、「善」または「悟り」などと呼ばれていたコトに近い。こうした領域ではただ一つの正解はありません。あるとすれば信念です。そういう意味で、アートは現代の宗教なのかもしれません。ただし教義も救済もありません。あるのは先人たちが試行した無数の行程、プロセスとそれが示してくれるわずかな道標です。
 それゆえ、アートは面白い。怖く、深いし、先行きは見えない。だからこそ生涯を賭す意味もあると思います。


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