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短編小説『約束の駅、笑い行き』


約束の駅、笑い行き

楽屋の鏡の前で、イチノセがネタ帳を開いていた。
ページの端には、雑に丸めた付箋がいくつも貼られている。

「なあハヤシ、俺のネタ帳、どう思う?」
「爆発寸前の中学生の日記やな」

イチノセが眉をひそめる。
「ひどい言いようやな。“風船の行方は心の迷子”とか、詩的やろ?」
「詩的というか、病的やな」

笑いながらも、俺はネタ帳をめくる指を止めた。
そこには、“約束の駅”というタイトルがあった。

「お前、これ書いたんか?」
「せや。“風船の行方”と“月の鏡”の続編や」
「世界観つながってんのかよ」

イチノセはペットボトルの水を一口飲んで、小さく息をついた。
「なあ、ハヤシ。俺らの漫才って、どこまで届くと思う?」
「なんや急に」
「風船みたいにさ、どっか遠くまで飛んでいくんちゃうかって思うんや」
「……お前、今日は詩人モードやな」

その時、舞台袖からスタッフの声が聞こえた。
「ネジ曲がりさん、出番でーす!」

イチノセが立ち上がる。
「よっしゃ、行こか。“笑い行き”発車や!」
「誰が車掌やねん」

***

ステージに立つと、ライトが目の奥まで突き刺さった。
眩しさの中で、観客のざわめきが波のように押し寄せてくる。
俺は深呼吸をひとつして、いつもの声を出した。

「どうもー、《ネジ曲がり》ですー!」

拍手が一斉に広がる。
イチノセが一歩前に出て、俺を見る。――始まった。

「この前、お前が書いたネタ帳見ててんけどな」
「どやった?」
「“風船の行方は心の迷子”って書いてあった」
「ええこと書くやろ?」
「中学生のポエムか!」

最初の笑いが弾ける。
いい調子だ。イチノセの口角が少し上がる。

「じゃあ“月の鏡に映る俺の顔”は?」
「スキンケアのCMか!」
「ニキビで顔がクレーターなってます、いうてな」
「やっぱり思春期の中学生やないか!」

客席がドッと沸く。
ライトが揺れた気がした。

イチノセがふと真顔になる。
「いやな、俺、ネタに“感情”を入れよう思ってん」
「お、ついに感情が芽生えたか。遅咲きAIかお前は」

笑いの中に、少しだけ静けさが混ざる。
イチノセは一拍置いて、言葉を継いだ。

「ちゃうねん、聞いて。“笑い”も“詩”も、感情の共有やろ?」
「たしかにな、人が笑うのも泣くのも心動かされた時やしな」
「せやろ? つまり俺らの漫才も、“風船”みたいに感情を飛ばす芸や!」
「飛ばしすぎやねん! お前の感情いつも成層圏で迷子や!」

客席が再び爆発した。
その笑いの音に、俺の鼓動が少しだけ追いついていく。

「でもな、風船って、飛んでったあと、どこ行くんやろな」
「だいたい木に引っかかるか、落ちるかやろ」
「ロマンないな! 俺は雲超えて月まで届くと思ってる」
「そんな飛ばんやろ」
「じゃあ、成層圏くらいにしとく?」
「やっぱり成層圏で迷子やないかい!」

笑いが重なって、ステージの床まで震える。
イチノセはもう止まらない。

「ほんで山超えて、海越えて、気づいたらファンタジーや」
「そうそう、“転生したら剣でした”…その剣、脆そうやな!ってやかましいわ!」
「ほんで海渡って、知らん国の子どもが拾うんや」
「国際ボランティアか!」
「その子が笑ったら、俺らの漫才も成功や!」
「規模でかすぎるやろ!」

客席の笑いが波打つ。
その中で、イチノセはまるで詩人のように言葉を落とした。

「ほな、月が映る湖、“月の鏡”くらいにしとく?」
「詩的やけど、風船どっから湖まで旅すんねん!」
「風に乗って。たぶん“約束の駅”で一回乗り換える」
「お前のポエム、時刻表でもあるんか!」

笑いの後、ほんの少しだけ空気が静まる。
イチノセがマイクの前で、低く言った。

「ほら、人生も似てるやん。人はみんな“約束の駅”で誰かを待っとる」
「青春ドラマの見すぎや!」
「俺も昔、約束の駅で待っとったことある」
「元カノの萌ちゃんか?」
「いや、風船や」
「会えるか!」

客席が爆発した。
けど、イチノセの目はその笑いの向こう――どこか遠くを見ていた。

「でもな、信じてたら帰ってくるんや。“風船が『ただいま』って言うて」
「怖いわ!」
「その風船が月の光に照らされて、鏡みたいに俺を映したんや」
「ホラーやんけ!」
「“お前、まだ夢見てんのか”って言われた気がしてな……」
「誰やねん! 風船の霊か!」

客席がざわめき、笑いと静寂が交互に揺れる。
イチノセは一拍置いて、まっすぐ前を見た。

「でもその時思ったんや。――夢って、風船と似てるなって」
「ほう、どう似てんねん」
「掴みすぎたら割れる。でも離したら、どっか行く」
「うまいこと言うたな」
「せやろ? でも俺は、まだ手ぇ離してへん」
「何の話やねん」
「漫才の夢や」
「急に真面目か!」

笑いが少し落ち着く。
イチノセの声が穏やかに響く。

「つまりな、俺らの漫才も――風船みたいに飛ばしたいんや」
「観客に届くようにな」
「せや。“笑いの風に乗って”」
「ええこと言うな」
「で、もしスベっても、“月の鏡”が映してくれる」
「どういうフォローや!」
「失敗も輝きに変わるんや」
「ポエムやなぁ」
「それが俺らの“約束の駅”や」
「駅で締めるな!」
「次の停車は――笑い行き!」
「乗客置いてけぼり! って、もうええわ!ありがとうございました!」

拍手が爆発した。
ライトが落ち、俺たちはゆっくりと頭を下げる。
光の向こうに、確かに笑顔があった。

***

楽屋に戻ると、二人で缶コーヒーを開けた。
シュッという音が、拍手の余韻みたいに続く。

「なあハヤシ」
「ん?」
「風船、届いたかな」
「どこにや」
「観客の誰かの心に」
「……届いてたやろ。少なくとも成層圏までは」

イチノセが笑う。
「せやな。“笑い行き”やからな」
「運転手、ブレーキ効かんけどな」
「それがネジ曲がりや」

俺たちは笑い合った。
その笑いは、さっきのステージの続きみたいに、
ゆっくりと夜の廊下に溶けていった。

――遠くで風船が弾けるような音がした気がした。


あとがき

3つのお題に空想のひらめきを、に参加させていただきました。
お題は「風船の行方」「月の鏡」「約束の駅」。

最初はリオの物語で書こうと思っていたんですが、
ふと「ネジ曲がりの二人でも三題いけるんちゃうか?」と思いついて、
勢いのまま筆を取りました(笑)。

結果、いつにも増してイチノセの“ポエム節”が炸裂。
まさに“詩人芸人”の真骨頂でした(笑)。

みかんさんのお題は、まさに「空想にひらめきを」と言う名の通り、
どこか幻想的で、詩的な余韻を残すものが多い。
そんなロマンチストなイチノセとは、相性抜群でした。

そして今回は、ハヤシもただツッコむだけでなく、
イチノセの空想を少しだけ“肯定する”役割にしています。
彼なりに、相方の夢を受け止めている。
そこに二人の関係の「成層圏みたいな優しさ」がある気がしました。

結果として――
“ポエティック漫才”シリーズの集大成のような一本になったと思います。

風船のように笑いを飛ばして、
どこかの誰かに届いていたら嬉しいです。


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※本作はフィクションです。

登場する人物・団体・地名・出来事などは実在のものとは関係ありません。
また、一部の描写は実在するXユーザーの投稿や活動に着想を得ていますが、
特定の個人・団体との関連性はなく、内容は創作に基づいて構成されています。

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