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短編小説『溜め息オークション』


溜め息オークション

町外れの古びた劇場は、今夜も満員だった。
赤いカーテンの向こうでは、拍子木が打ち鳴らされる。

この場所は、涙も笑顔も価値を失った時代に、最後に残った市場だった。
人の心の残響――溜め息だけが、まだ金で取引されていた。
客席には、愛を失った老人も、未来を買い戻したい若者も、虚ろな目をした富豪も座っている。
欲望に熱を帯びた吐息が、会場の空気を曇らせていた。

「次の出品は――“初恋を失った溜め息”」

ガラス瓶に封じられた白い靄が持ち込まれると、場内がざわめいた。
蓋を開ければ、胸を締め付ける甘苦しい気配が漂う。
その重さに値が跳ね上がり、競り落とされた瞬間、観客たちは羨望の吐息をもらした。

続いて登場するのは“百万の借金を背負った溜め息”。
ずしりと響く音がして、会場の空気までも暗く沈む。
落札者は笑っていた。
「この重みこそ酒の肴になる」

次々に並ぶ瓶の数々は、どれも濃密な人生の欠片。
吐き出された一瞬を、金で買い取る奇妙な市場だった。

やがて司会者が、舞台袖を示す。
「本日の特別出品――」

僕は胸に抱いた瓶をそっと差し出す。
足を踏み出す直前、ほんの少し迷いがよぎった。
あの日の吐息を手放すのは、母との朝をもう一度失うようで怖かった。
けれど、あの温もりを独り占めするより、誰かの救いになるのなら――そう思った。

中で揺れているのは、柔らかな霞。
そこからは光の粒子のような温もりがこぼれていた。

「“幸せな溜め息”でございます」

場内が息を呑んだ。
病室の窓辺で生まれたものだった。
母の手を握り、無事に朝日を迎えられた時、僕がこぼした小さな吐息。

「……いくらだ」
「出せ、いくらでも」

怒号のように数字が飛び交う。
涙を浮かべながら札を掲げる者、歯を食いしばる者。
誰もが欲していたのは、重みではなく、救いだった。

やがて競り落としたのは、痩せた老婦人だった。
彼女は長い間、伴侶を失って孤独に暮らしていると噂されていた。
瓶を胸に抱きしめた瞬間、その瞳に遠い朝の光を思い出すような輝きが宿り、固く結ばれていた口元がかすかにほころんだ。

落札の鐘が鳴る。
舞台を降りたとき、胸の中には不思議な軽さがあった。
あの日の吐息は手放したのではなく、誰かと分かち合えたのだ。
背を押すように、遠くで母の声が「行ってらっしゃい」と響いた気がした。


あとがき

風まかせ文芸部お題「溜め息」に参加させていただきました。

普段は“風”のモチーフを必ずどこかに忍ばせるのですが、今回は「溜め息って、そもそも小さな風じゃないか?」とふと思ったんです。
胸から漏れ出す空気が、人の心を映す“残響”になる――そう考えた瞬間、この物語の市場のイメージが立ち上がりました。

「ため息までも商品になる世界」と聞くとどこか滑稽にも思えますが、よくよく考えると、僕らは日々SNSに吐き出した一言や、写真一枚を“価値”として交換していますよね。
その延長線上に「溜め息オークション」があっても不思議じゃないかもしれません。

今回特に書きたかったのは、“重さ”ではなく“救い”としての吐息。
幸せな瞬間を誰かと分かち合うことが、どれほど力になるのか――最後の老婦人の笑顔に、それを託しました。

少しでも読んでくださった方の胸に、ふっと温かい吐息が残れば嬉しいです。


宣伝パート

オークションに出すものがもし「スキ」「フォロー」「コメント」だったら、僕は全部まとめて大盤振る舞いしたいところです。
でもここでは逆に、読んでくださった皆さんからいただけたら、それが最高の“幸せな溜め息”になります。

連載中の『配達員ろること2号』も、日々あちこちを走り回りながら奇妙な案件やら不思議な事件やらを運んでおります。
今回の市場に出品されていてもおかしくない“ため息”が、そちらにもきっと隠れていますので、よければ覗いてみてください。

そしてXでは、フードデリバリーの日常から、ちょっと変わった小説ネタ、AIイラストまで、吐息のように気ままに流しています。
こちらもフォローしてもらえると、風に乗って新しい物語が届くかもしれません。

※本作はフィクションです。

登場する人物・団体・地名・出来事などは実在のものとは関係ありません。また、一部の描写は実在するX(旧Twitter)ユーザーの投稿や活動に着想を得ていますが、特定の個人・団体との関連性はなく、内容は創作に基づいて構成されています。

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