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詩的な日記 ⌈こころの目線」

障害者という言葉は
障害を負った人のことをいう。
ここまでは、一般の目線。

これから先は
わたしのこころの目線で語ろう。

障害の程度をはかることなんてできない。
おおまかに区切られるだけ。

身体、知的であれば
周りからのサポートを得るために
相手に障害の程度をわかりやすく伝えるために
障害の程度をおおまかに区切る必要かと思う。

しかし、精神に障害を負ったとき
その障害をどう推し量るのだろう。

もしも、その人がサポートなしで
学ぶことができ
覚えることができ
身に付けることができ
表現することができ
誰かと心が通えあうことができ
誰かの役に立つことができ
そして、お金をもらえることができ
そのお金で暮らすことができるのなら

その場合、精神において
何に障害があるといえるのだろう。

社会とその人を隔てている障害は、
一体何になるのだろう。

その人の日常を妨げているものは、
一体何になるのだろう。

過去に起きたこと。
過去にしてきたこと。
それらのことで判断され、決められた障害。
いまもなお、変更されない。
失われた時間。

社会とその人を隔てている障害は、
一体何になるのだろう。

その人の日常を妨げているものは、
一体何になるのだろう。

違和感を感じる。

なぜ、寛解なの。
なぜ、完治がないの。

その根本さに
違和感を感じる。

それが、わたしのこころの目線。

わたしのこころの目線は
決して、一般の目線に合わせたりしない。











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よたろう 障害があったとしても、一般と変わらないところの方がおおいです。ただし、症状がでると休みが必要です。そのなかで、明るい未来を過ごしたいし、働きつづけたいと身の振り方を手探りで考えつづける、よたろうです。そんな、記事をサポートしてくださる方、同じ思いの方、よろしくお願い致します。