「税金泥棒に腸が煮えくりかえる思いをしている」という話を立て続けに聞いた一日 : ケアは優しい働き者に押し付けずみんなで担うもの
試験が終わって急に時間ができたから、普段なかなか会えない友人たちにせっせと会っている。専業主婦だった頃のリズム感を思い出す。
あの頃は、「どうか一人にさせてください」と願いながらも、シンジ君ばりに勇気を振り絞ってフランス語で社交し、ふうっと息抜きに日本語コミュニティに逃げ込んでいた。でも今は、断るのも誘うのも誘いに応じるのも一瞬で、言語や文化の違いも随分シームレスになったなと思う。
気を遣わなすぎて、めちゃくちゃ外国人な顔をしているのに日本人に見えたり、全く日本語がわからない人に「ごめんごめん」なんて話しかけちゃったりする。
で、今日は日本人の先輩とお茶をした。
その方はフランスに来る前にも他国で暮らして懸命に働いていた努力家で、現地社会でも信頼を築いている。
つまりビジネスで成功しているのだ。
私はというと、わりと普通の生活を送っていたのに、ここ1年でなんだか予想外の方向にいろんなことが動き出していて、淡々と近況を報告していたら、目を白黒させていた。
それで、いま住んでいる家についてや今後の生活の選択肢について、ちょっと現実的な近況報告もした。正直、経済的な面ではいろんな支えが必要な状況で、周囲に頼る場面もある。でも、ある出来事をきっかけに、制度的な支援に繋がる可能性が見えてきて、ほんの少し状況が動き出した。
すると、先輩は「本当に良かった、このままうまくいくといいね」と言ってくれた。
「あなたは本当に頑張ってるんだから、報われて当然だよね!」とも。
でもね……
その直後に、こんな話を聞いた。
あるドキュメンタリーで、社会制度に過剰に依存している移民について見たことがあって、働いて納税している側からするとやるせない気持ちになる、と。
不思議なことに、こういう話の流れ、これまで5人くらいから聞いている。
「あなたは特別よ、でも…」というやつ。
時空が歪む。
というのも、彼らが語る「迷惑な他者」と私の境遇、たいして違わないからだ。
じゃあ彼らが私に求めているのは、いったい何なのだろう?
まるで、突然現れる濁流のよう。ちょっと詩的に言えばそうなるけれど、実際のところは「汚水」的なものだ。
誠実で良心的な人たちが、心のどこかで必死に押さえてきた濁流のような感情が、ぐるぐると表に現れてきてしまう。その瞬間に立ち会うと、なんだか切ない。
そんなことを考えながら帰宅すると、今度はフランス人のクラスメイトから電話がかかってきた。
しばらく会っていなかったのでお互いの近況を話し合っていたら、彼女が「夏休みにはうちに来てほしい」と誘ってくれた。
事情があり子供を連れて日本には早々行けないことを話すと、彼女はカンカンに怒って、「私の心をシェアしたい」とのことだ。ありがたい話だ。
私が「この年で親に世話になってるのが恥ずかしいよ」とこぼすと、
「そんなことないよ、親だってきっと助けられて嬉しいはず」と励ましてくれた。
でもそのあと、急に彼女のモードが変わった。
「ね、あなたのことじゃないのよ。あなたのことは本当に大切に思ってるんだけど……」
「私が昔離婚したときは仕事があったから住宅支援は受けられなかったの。ずっと働いてきたから。
差別的なことを言うつもりはないし、親友にも外国人がいるし、あなたのことは大好き。でも……クラスのM(アフリカ系のクラスメイト)が大嫌い!」
(え、急にどうした)
「彼ね、私たちが必死に働いて収めた税金で無料で勉強して、奨学金までもらっておきながら、資格取ったらスイスに行って稼ぐと言ってたの。それ聞いて、もう腸が煮えくり返ったのよ!」
…こういうふうに、「勤勉で責任感のある人たち」が、なぜか私の前でポロっと本音を漏らしてしまうことがある。
むしろ、私の何かがそうさせているのかもしれない。
こういう時、白人でもなく移民としても分類されづらい私の肉体が、なにか媒介のように機能してしまう。
「そうだよね……」と受け止めつつも、
「でも、彼らも何度も壁にぶつかって、もうこの国には自分の居場所がないと思ってるのかも」とだけ伝えてみる。
そういう話を通して、見えてきたことがある。
彼らの語りの根っこにあるのは、たぶんこんな気持ちだ:
「私たちは家も仕事も車も維持しながら、懸命に働き税金を納めている。その大変さの中でも、あなたのような存在を見ると、つい助けたくなってしまう。私の善意を裏切らないでね。」
それとも私を通して過去を追体験しているのか
自分の努力で乗り越えてきた苦々しい思いが蘇るのか
私には分からない。
たぶんそういう人たちは、いつも「損な役回り」も受け止めてしまう人たちなんだろうな。
だから私はこう思う。
こういう優しくて真面目な人たちが、濁流を抱えなくてすむようにしたい。
ダムや治水工事は社会の仕事だ。
ケアはみんなで担うものだ。
クッキーが1個しかないのに半分わけてくれるアンパンマンみたいな人たちが、民間で孤軍奮闘する時代は、もう終わりにしたほうがいい。
いっぱい持ってる人、実は他にいるじゃないか、クッキー。
……そして、私は考える。
「裏切らないよ。ちゃんと医療や研究で地元に貢献するから」「健全なケアが循環する社会を目指していくね」
そう言えば、彼らは納得してくれるだろうか?
いや、多分こう言う気がする。
「楽しそうに生きてくれたら、それだけで嬉しいよ」って。
アンパンマン気質だから。…気のせいかな。
