一日一節「倫理経営原典」(045):気づいたら行う、窮したら捨てる(3/7)
第八章 気づいたら行う、窮したら捨てる 第三節
直観とは叡智である。
気づくとすぐする実践が、直観の質を高め、決断力が鍛えられる。
・第一感を働かせよ
・朝に直観を磨く
・普段の追求が直感力を磨く
・小さな決断をおろそかにすべからず
・むずかしい決断も逃げるな
直観とは叡智である
第八章「気づいたら行う、窮したら捨てる」は、純粋倫理の中でもとりわけ実践色の濃い章であるが、その第三節の扉のことばは静かだが鋭い。
ここで語られている「直観」とは、思いつきや勘の良さといった軽い意味合いのものではない。むしろ、人生や仕事の要所で頼りうる、深い判断力の源泉として位置づけられている。
第一感を働かせよ、という挑戦
私は長らく、自分を「熟慮タイプ」だと思ってきた。物事は十分に考え、検討し、納得してから動く。それは強みであり、誇りでもあった。
しかし、純粋倫理の「即行・即止」「気づいたらすぐする」という教えに触れ、実践を重ねるうちに、自分の中に立ち上がる第一感を、以前よりも素直に受け取れるようになってきた感覚がある。その積み重ねが、自分軸の自覚と活用の礎になっているように思う。
本節で言う「気づき」とは、単なる情報認識ではない。それは直観であり、第一感であり、叡智そのものなのである。
直感と直観は似て非なるもの
ここで一度、「直感」と「直観」を整理しておきたい。
一般に直感とは、五感や感情を通じて瞬時に生じる判断や予感を指す。
「この人は信頼できそうだ」「何となく嫌な感じがする」といった、いわゆる勘に近いものだ。英語で言えば gut feeling や hunch に近い。
一方の直観は、推論や分析を介さずに、物事の本質や全体像を直接把握する認識である。経験や知識の蓄積を背景にした、深い洞察だ。将棋のプロが一瞬で盤面の流れを読むような認識に近い。
認知科学的には、ダニエル・カーネマンのいう「システム1(速い思考)」と関係づけて説明されることも多い。ただし、直感が情動や身体反応に強く依存し、バイアスを含みやすいのに対し、直観は経験によって磨かれた暗黙知に基づく判断であり、訓練可能な能力とされている。
直観は日常の姿勢によって磨かれる
では、その直観力はどのように鍛えられるのか。本節は極めて実践的な答えを示している。
気づくと同時に実行する
小さな決断をおろそかにしない
むずかしい決断から逃げない
つまり、特別な修行や才能が必要なのではない。日々の些細な判断と行動に、どれだけ誠実に向き合っているかが問われているのだ。
夜中にふと目が覚めたとき、朝起きた瞬間に浮かぶひらめき。入浴中やトイレでのひと時、あるいは自然に身を委ねて過ごす時に不意に訪れることもある。それらは、丸山敏雄の言う「邪念妄想の少ないときに頭に浮かぶ第一感」であることが多い。しかし、もたもたしているうちに、その感覚は夢の記憶のように消えていってしまう。
私自身、目覚めた瞬間や山中でのひらめきをとらえたことで、新たな人との出会いや事業アイデア、困難を打開する糸口につながった経験が何度もある。そして、いうまでもなく、とても大切なことなのだが、
直観は、行動されて初めて力を持つ。
決断力は積み上げでしか鍛えられない
本節が繰り返し強調するのは、「小さな決断」を軽んじない姿勢である。
大きな決断だけを直観に委ねようとしてもその力は育たない。
日常の選択、些細な即行、やるべきことから逃げない姿勢。その積み重ねが、いざという時の決断力を支える。
「むずかしい決断も逃げるな」という言葉は重い。
しかし同時に、それは人間を鍛え、人生を前に進める励ましでもある。
わからぬことは人にたずねる
文末に示されているもう一つの示唆も見逃せない。それは、「わからぬことは人にたずねる」という判断も直観のうちであるという点だ。
すべてを自分の内側で完結させることが直観ではない。誰に、いつ、何を聞くかを即座に判断することもまた、叡智の働きなのである。これはしばしば耳にする Know-how ではなく Know-who の感覚にも通じる。
直観は幸福への実践知である
直観は天から降ってくる神秘的な力ではない。
日々の姿勢、即行の積み重ね、誠実な実践によって磨かれていく、人間の叡智である。
「気づいたら、毛髪一本のすき間もなく、ぐいっとつかむ。」
その生き方こそが、決断力を育て、良きことを行う幸福の道をひらく。
本節は、考えすぎて動けなくなりがちな現代の経営者に対し、静かだが力強い実践の指針を示しているように思える。
