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【バイロン・シャープ『ブランディングの科学』】①マーケティングの“思い込み”


はじめに:「ロイヤルティを高める」というマーケティングの”常識”

これまでMLB関連の記事を書いてきましたが、今回は本業のマーケティングにおいて非常に興味深い本を紹介したいと思います。ビジネス全般にも通じるところがあると思いますので、是非知って頂きたい本です。今回紹介したいのはバイロン・シャープ教授が書いた『ブランディングの科学』です。

この本の非常に興味深い点は「”常識”にケンカを売っていること」に尽きます。

私は数年前まである消費財メーカーでマーケティング戦略の立案に携わっていました。そのころはよく「優良顧客を大切にし、ブランドへの愛着を高めるべき」「売上の8割は2割のヘビーユーザーが生み出しているのだから、彼らを重点的に狙うべきだ」といったようにロイヤルティの高い顧客を重視することが”常識”のように語られていました。私もその常識を疑っていなかったひとりです。このロイヤルティに関する考え方は、マーケティングに携わっていなくても、ビジネス全般で一般的に浸透しているものかと思います。

しかし、これらの”常識”が、実はデータに基づかない単なる”思い込み”だとしたらどうでしょうか?

オーストラリアのマーケティング科学者、バイロン・シャープ教授が著した『ブランディングの科学』(原題: How Brands Grow)は、まさにその常識に真っ向から異議を唱える一冊です。本書は、長年にわたる膨大な消費者パネルデータを分析し、ブランドが「どのように成長するのか」という普遍的な法則となるものを紹介しています。その結論は、私も含めビジネスに携わる者にとって衝撃的でした。今回は、その一端をご紹介したいと思います。

今回から3回にわたり『ブランディングの科学』のエッセンスを解説していきます。第1回は、私たちが固く信じてきたマーケティングの2大原則、「ロイヤルティ信仰」と「80:20の法則」が、いかに現実と乖離しているかを、例と共に解き明かしていきます。

第1部:ロイヤルティ神話への疑問 ―「ダブルジョパディの法則」

「顧客ロイヤルティの向上がビジネス成長の鍵だ」。そう信じて、ポイントカードや会員ランク制度、限定クーポンといった施策に多大な労力を費やしている企業は少なくありません。既存顧客を維持するコストは、新規顧客を獲得するコストの数分の一(1/5の法則など)という言葉も、この考えを後押ししています。しかし、本の中で著者のシャープ教授は「ブランドの成長はロイヤルティ向上では達成できない」と断言します。その根拠となるのが、本書の根幹をなす「ダブルジョパディ(二重の不利)の法則」です。

これは、「市場シェアが低いブランドは、①顧客数が少ないだけでなく、②さらにその顧客たちの購買頻度も(わずかながら)低い」という、二つの不利を同時に背負うという法則です。

一見すると、「人気のないブランドはあまり買われない」という当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれません。しかし、この法則が持つ本当の意味は、その裏側にあります。それは、「どのブランドのロイヤルティ(購買頻度や態度)も、実は大して変わらない」という事実です。

もし、あるブランドが他社を圧倒するような高いロイヤルティを誇るのであれば、そのブランドの顧客はもっと頻繁に商品を購入し、ダブルジョパディの法則は成り立たないはずです。しかし、現実のデータは、カテゴリー内のどのブランドも、ロイヤルティレベルでは似たり寄ったりであることを示しています。市場シェア1位のブランドも、最下位のブランドも、その顧客たちのブランドへの”愛の強さ”に劇的な差はないというのがシャープ教授の主張です。

つまり、ブランドの売上規模を決めているのは、ロイヤルティの「質」ではなく、単純な顧客の「数」。ブランドを成長させる唯一の方法は、既存顧客のロイヤルティを深めることではなく、まだ顧客でない人や、たまにしか買わない人にアプローチし、顧客の総数を増やす(=市場浸透率を高める)こと以外にない、というのが本書の結論となっています。

【粉末洗剤ブランドのデータで見る「二重の不利」】

この法則を、概念だけでなく実際のデータで見てみましょう。本書では英国の粉末洗剤ブランドのデータが紹介されています。

  • 1位ブランド:「パーシル」

    • 市場占有率:22%

    • 年間市場浸透率(顧客である人の割合):41%

    • 平均購買頻度:3.9回

  • 5位ブランド:「サーフ」

    • 市場占有率:8%

    • 年間市場浸透率(顧客である人の割合):17%

    • 平均購買頻度:3.4回

この2つのブランドを比較すると、「ダブルジョパディ(二重の不利)」が明確に分かります。

  1. 不利①(顧客数の差): パーシルの顧客基盤(浸透率41%)は、サーフの顧客基盤(浸透率17%)に比べて、約2.4倍(41 ÷ 17 ≒ 2.41)も大きいことが分かります。市場シェアの差以上に、顧客数で大きな差がついています。

  2. 不利②(購買頻度の差): さらに、顧客一人当たりの購買頻度を見ても、パーシルの3.9回に対し、サーフは3.4回と、約13%少なくなっています((3.9 - 3.4) ÷ 3.9 ≒ 0.128)。顧客数が少ない上に、その少ない顧客たちでさえ、購入する回数がわずかに少ないのです。

このように、シェアの低いブランドは「顧客数が少ない」という不利と、「購買頻度が低い」という不利の二重苦を背負っています。これは、ブランドの魅力の差というよりは、規模の差がもたらす必然的な結果なのです。この現実を直視すれば、マーケティングの主戦場が「ロイヤルティ向上」ではなく「顧客数増加」であることが、数字の上で明らかになります。

第2部:80:20の法則は本当か? ― 成長の鍵を握る「ライトユーザー」とは?

マーケティングの世界で、もう一つ広く信じられているのが「パレートの法則」、通称「80:20の法則」です。「売上の80%は、上位20%のヘビーユーザーによってもたらされる」、これはビジネスパーソンなら一度は聞いたことの理論です。これは、ブランドに多額のお金を費やしてくれる上位顧客(ヘビーユーザー)を見つけ出し、彼らを手厚くもてなすことが最も賢い戦略だということを表すものです。しかし、実際にどの程度か計算された方は少ないのではないでしょうか?

【ボディスプレイのデータで見る「本当の売上構成」】

この点について、本の中で検証されています。本書では、ボディスプレイとデオドラントカテゴリーのブランドデータが紹介されています。紹介されたデータでは、上位20%のヘビーユーザーが年間の売上の何%を占めているかを示しています。

もし「80:20の法則」が正しければ、この数字は80%に近いはずです。結果はどうでしょうか。

  • 市場全体の平均: 19のブランドを調査した結果、上位20%のヘビーユーザーがもたらす売上の割合は、平均で50%でした。これは80%という通説とは大きくかけ離れた数字です。

  • 個別ブランドの例:

    • 市場シェア1位の「シュア」(シェア16%)ですら、この割合は53%です。

    • シェア2位の「リンクス」(シェア14%)でも53%です。

    • 他のほとんどのブランドも45%から55%の間に収まっています。

上記の検証から、売上の約半分(50%)は、大多数を占める下位80%のライトユーザーたちによって生み出されていることがわかりました。彼らは年に数回しか買ってくれないかもしれません。しかし、その圧倒的な人数が、ブランドの屋台骨を支えているということを表しています。

ヘビーユーザーはもちろん重要ですが、彼らだけを見ていてはブランドの半分しか見ていないことになります。成長の機会は、まだあなたのブランドをたまにしか買わない、あるいは一度も買ったことのない広大なライトユーザーの海にこそ眠っている。それが今回の重要なポイントです。

まとめ:常識を疑い、科学の視点を持つ

今回は、『ブランディングの科学』で紹介された2つの衝撃的なポイントを紹介しました。

  1. ブランドの成長はロイヤルティ向上では達成できない。 成長の鍵は、顧客数を増やすこと(市場浸透率の向上)にある(ダブルジョパディの法則)。

  2. ブランドを支えているのはヘビーユーザーだけではない。 売上の半分は、膨大な数のライトユーザーによってもたらされており、彼らこそが成長の源泉である。

これらは、私たちがこれまでマーケティングの「常識」として学んできたこととは大きく異なるかもしれません。しかし、これらは感情論や経験談ではなく、膨大なデータに基づいた科学的な結論であると述べられています。

マーケティングでは、限られた資源をどこに投下するかを決めることが重要かと思います。その意思決定の土台となる「常識」そのものが間違っていたとしたら、戦略全体が砂上の楼閣になりかねません。今回紹介したポイントは、その常識を見つめなおす良い機会となるかもしれません。

ここまで読んでいただくと、次にこのような疑問が出てくるかもしれません。
ロイヤルティ向上やヘビーユーザーへの集中が非効率で、ライトユーザーをターゲットにすべきであるとしたら、そのライトユーザーはいったい「どんな人」なのか、そして「何を」すべきなのでしょうか?

次回の記事では、本書で紹介されている「ターゲット顧客」の正体と、なぜターゲティングが無意味と述べられているのか、について掘り下げてみたいと思います。

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