命の価値は・・・
私たちは、いつの間にか「命=金」という現実の中で生きているのではないか。
お金のために人をだます。
お金のために奪う。
お金のために、簡単に人の命まで奪ってしまう事件が起きる。
ニュースを見るたびに、胸が苦しくなる。
人の命は、そんなに軽いものだったのか。
人は、そこまでして金を求めなければならない社会に追い込まれているのか。
私はそう感じる。
政治も同じだと思う。
本来、政治は人々の生活を守るためにあるはずだ。
けれど現実には、金、票、組織、保身、利権。
そうしたもののために動いているように見える場面があまりにも多い。
権力もまた、金と結びついている。
日本で政治家になるには、多額の資金が必要だと言われる。
選挙をするにも、広報をするにも、人を動かすにもお金がかかる。
つまり、理想や信念だけでは簡単に政治の場に立てない。
そこには、残酷な現実がある。
権力を持つには財力がいる。
財力がある者が、より権力に近づく。
そして権力を持つ者が、さらに金を動かせる。
これは日本だけの話ではない。
アメリカも、他の国々も、程度の差はあっても同じ構造を抱えている。
金が権力を生み、権力が金を守る。
その循環の中で、いちばん大切なはずの「命」が後回しにされていく。
私は、家や血筋を守るという考え方にも疑問を持っている。
たとえば天皇や王族という存在がある。
もちろん、歴史や文化として大切にしている人もいるだろう。そこに敬意を持つ人がいることも理解できる。
しかし、忘れてはいけないことがある。
天皇であっても、王族であっても、人間である。
神ではない。
特別な血筋だから命の価値が高いわけではない。
一般市民だから命の価値が低いわけでもない。
誰かを必要以上に崇拝することは、人間の平等を見失わせる危うさがある。
人は、人である。
それ以上でも、それ以下でもない。
どれだけお金を持っていても。
どれだけ地位が高くても。
どれだけ有名でも。
どれだけ権力を持っていても。
命の価値は、本来、変わらないはずだ。
貧しい人の命も、富裕層の命も。
政治家の命も、一般市民の命も。
王族の命も、路上で暮らす人の命も。
子どもの命も、高齢者の命も。
すべて同じように重い。
けれど今の社会は、そうなっていない。
金を持つ人の声は大きくなり、金を持たない人の声はかき消される。
権力を持つ人は守られ、弱い立場の人は切り捨てられる。
その現実を、私たちは本当に見ているだろうか。
命の価値とは何か。
それは、金で決まるものではない。
肩書きで決まるものでもない。
家柄で決まるものでもない。
国籍で決まるものでもない。
宗教で決まるものでもない。
命の価値は、すべての人が平等に持っているものだ。
そして、人は自由であるべきだ。
誰かに支配されるために生まれてきたのではない。
誰かの金儲けの道具になるために生まれてきたのでもない。
誰かの権力を守るために犠牲になるために生まれてきたのでもない。
私たちは、もっと怒っていい。
もっと疑っていい。
もっと考えていい。
なぜ、命より金が優先されるのか。
なぜ、弱い人ほど苦しむ社会になっているのか。
なぜ、権力を持つ人ほど守られるのか。
なぜ、人は人を見下すのか。
世界中の人に気づいてほしい。
命は、金ではない。
命は、権力の道具ではない。
命は、誰かの所有物ではない。
命の価値は、みな平等だ。
どんな時代になっても、どんな社会になっても、この一点だけは失ってはいけない。
人は、金のために生きているのではない。
人は、権力のために生きているのでもない。
人は、人として生きるために生まれてきた。
その当たり前を、私たちはもう一度、取り戻さなければならない。
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