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BossMan Dlowが選んだレーベルという武器

レーベルに所属すべきか、インディペンデントで戦うべきか。ヒップホップの世界で最も議論され、最も答えが出ない問いの一つだ。ポッドキャスト"MILLION DOLLAZ WORTH OF GAME"Episode 374で、BossMan Dlowはこの問いに対し明確な立場を示した。「レーベルなしでは触れない部屋がある」。Port Salernoポートサレルノ出身で、町にプロデューサーもエンジニアもいない環境から音楽キャリアを立ち上げた彼にとって、独立という選択肢はそもそも存在しなかった。インディペンデントの成功譚がSNSに溢れる時代に、「俺にはレーベルが必要だった」と言い切る率直さには、出発地点の現実に裏打ちされた重みがある。だがその一方で、彼はレーベル信奉者でもない。「人によってルートは違う」と繰り返す姿勢は、安易な一般化を拒否するものだ。この記事では、BossMan Dlowがなぜレーベルを選んだのか、そしてその選択がなぜ万人に当てはまるわけではないのかを、彼自身の言葉から読み解く。


何もない町の出発点

BossMan Dlowの出身地Port Salernoは、Palm Beachパームビーチから車で20分から30分の距離にあるFloridaフロリダの小さな町だ。ホストのWallo267が「聞いたことないぞ、その場所」と驚いてみせたほど、音楽シーンとは無縁の土地である。BossMan Dlow自身が「Port Salerno出身で最初のラッパーだ」と語り、Wallo267が「他にポップしてるラッパーはいたのか」と問い返すと、答えは明快に「いない」だった。プロデューサーがいない。エンジニアがいない。レコーディングスタジオがない。BossMan Dlowは楽曲を録音するためにFort LauderdaleフォートローダーデールMiamiマイアミまで遠征しなければならなかった。録音のたびに長距離を移動する必要があるという事実は、制作の頻度と速度に直接影響する。都市部のラッパーが思いついたその日にスタジオへ向かえるのに対し、BossMan Dlowは移動の手配から始めなければならない。この物理的な距離が、キャリア初期の彼にとって最大の障壁だった。

この出発点の意味を過小評価すべきではない。Atlantaアトランタのように音楽産業が集積する都市で活動を始めるラッパーは、自宅から徒歩圏内にビートメイカーがいて、地元のスタジオで録音し、地元のDJに曲を回してもらうことができる。Port Salernoにはそのどれもない。「Atlantaとか、ラップが盛んな場所から始めるやつらとは違う」とBossMan Dlowは言う。インフラがゼロの状態から始まるということは、最初の一曲を世に出すまでのコストと労力が、恵まれた都市のアーティストとは桁違いに大きいということだ。

そしてさらに重い事実がある。BossMan Dlowは音楽キャリアの途中で収監しゅうかんを経験している。5年かけてようやくショーの出演料が2500ドルに到達したが、そのうち1年か2年は刑務所の中だった。しかも2500ドルを稼いでも、遠征費やその場の出費で3000ドルを使ってしまい、実質的には赤字だった。出所し、保護観察中にもう一度音楽に挑戦し、再び収監され、「もう一回だけやってみる。ダメだったらストリートに戻る」と覚悟を決めた。Port Salernoのインフラ不在に加え、この断続的なキャリアの中断がある。独力で音楽産業にアクセスする手段が限られている以上、「誰かの力を借りなければ発見されることすらない」というのが彼の率直な自己認識だった。この自己認識が曇りなくレーベル契約へ向かわせた。自力で道を切り開くロマンチシズムより、目の前の現実を冷静に読んだ結果だ。

レーベルが開く「入れない部屋」

ホストのWallo267は「レーベルなしでも今やっていることはできたか」と単刀直入に聞いた。BossMan Dlowの答えは「No」だった。「特定の部屋、特定のビート。レーベルなしでは触れない部屋がある」。この「部屋」という比喩は、音楽産業における見えない参入障壁を指している。注目すべきは「部屋」だけでなく「ビート」にも言及している点だ。プレミアムなビートメイカーは、実績のあるレーベルのアーティストに優先的にビートを回す。無名のインディペンデントアーティストがDMで依頼しても返信すら来ないビートが、レーベルの看板を通せば手に入る。SportsCenter出演を例に挙げ、「SportsCenter出られたのもレーベルのおかげだ」と語った。Gillie Da Kingは「SportsCenterにはレーベルなしでも出られたかもしれないが、レーベルの力があれば圧倒的に楽になる」と補足している。ここには重要なニュアンスがある。レーベルは「不可能を可能にする」のではなく、「可能ではあるが非現実的な難易度のことを、現実的にする」という機能を持っている。

独立系のアーティストでもSportsCenterに出演した例はある。だがそれは業界に長年のコネクションを持つマネージャーがいたり、別の形で人脈を築いていたりする場合だ。Port Salernoからキャリアを始めたBossMan Dlowには、そのコネクションが存在しなかった。レーベルが提供するのは金だけではない。業界の中のドアを開ける鍵だ。ビートのプレイスメント、メディア露出、ツアーのブッキング。これらすべてにおいて、レーベルの名前が持つ信用力が参入コストを下げる。

対照的なケースとして、同じMDWOGに出演した6WAの事例がある。6WAはなぜインディで勝てたのかで描いたように、6WAはインディペンデントの立場から成功を収めた。だがここで見落とすべきでないのは、6WAの置かれていた環境とBossMan Dlowの環境は根本的に異なるという事実だ。出発地点のインフラ、既存の人脈、地域の音楽エコシステム。これらの変数を無視して「インディでいけ」「レーベルに入れ」と一般化するのは危険だ。BossMan Dlowが選んだのは、自分の出発地点を正確に読んだうえでの合理的判断だった。レーベルを「使う」という能動的な選択であり、「支配される」という受動的な服従ではない。Gillie Da Kingも「人生は誰を知っているかで決まる。15年、20年レーベルを経営していた人間が今はマネージャーをしていても、コネクションは残っている」と指摘している。レーベルの本質的な価値は資金力ではなく、この蓄積された人脈と信用のネットワークにある。

正解は人による

BossMan Dlowはレーベル信奉者ではない。「正直に言えば、人によってルートは違う。インディペンデントのほうが合う人もいるし、レーベルのほうが合う人もいる。自分の音楽が何を求めているか、自分がどこにフィットするか次第だ」と率直に結論づけている。この発言の価値は、レーベル契約の恩恵を受けている当事者が、二項対立を拒否している点にある。レーベルの力で成功した人間が「レーベルこそ正義」と言わないところに、BossMan Dlowの知性が表れている。

彼はこの議論を刑事司法のアナロジーで説明した。「同じ罪状で二人が捕まっても、一方には2年、もう一方には別の量刑が提示される。結果は人による」。この比喩は荒削りだが、本質を突いている。同じ条件のように見えても、個人の背景によって最適解は変わる。音楽ビジネスにおけるレーベルとインディペンデントの選択も同じ構造だ。SNS時代のヒップホップ文化には「レーベル不要論」が根強く存在する。ディストリビューションが民主化され、自分で楽曲を配信できる時代に、なぜ取り分を分け合う必要があるのか。この議論自体は正しい。だがそれは、配信以前の段階で音楽を作り、人の耳に届けるインフラがすでに存在する場合の話だ。

BossMan Dlowの物語が教えるのは、出発点の格差という見えにくい変数の存在だ。Port Salernoのように音楽インフラがゼロの場所からキャリアを始める場合、「自分で全部やれ」は机上の空論になりうる。レーベルが必要かどうかは、あなたが何を持っていて、何を持っていないかで決まる。BossMan Dlowは自分が持っていないものを正確に認識し、それをレーベルという武器で補った。その結果、YouTube再生数は10億回を超え、新アルバム"Chicken Talkin Bastard"は全20曲のボリュームで世に出た。

夏にはさらにもう1枚アルバムをリリースする可能性にも言及しており、6月か7月に投下するかもしれないと語った。このペースの制作と発表が可能なのは、レーベルのインフラが背後にあるからだ。ビートの調達、スタジオの確保、流通網の構築。インディペンデントならすべて自前で組み上げなければならない工程が、レーベルの仕組みの中では既に回っている。「レーベルは俺を助けた。他のやつにとってどうかは知らない」。この率直な限定こそが、BossMan Dlowの最も誠実な回答だ。BossMan Dlowが語る金と孤独の正体で描いた復活劇は、この「レーベルという武器」を手にしていなければ成立しなかった。正解は人による。だが自分の出発点を無視したまま他人の正解を真似ることだけは、確実に間違いだ。

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