LaRussellが語るJay-Zの真実:「負けた側の視点」から語られるインターネット時代の英雄論
インターネットの嘘に気づいた瞬間
LaRussellは、自らの過ちを率直に認めるアーティストだ。Truth Hurtsポッドキャストで「アンポピュラー・トゥルース(不人気な真実)」を問われたとき、彼が選んだテーマはJay-Zだった。そして彼は、まず自分自身の加害性を告白した。
「俺自身が、かつてあの言説に加担していた。インターネットが作り上げたJay-Zのイメージを信じ、広めていた側だった」
しかし、実際にJay-Zと2時間にわたって対面で話した後、LaRussellは深く後悔した。「Hovは、インターネットが作り上げようとしている人間じゃない」。この言葉は、インタビューの中で最も重みのある発言の一つだ。
なぜ人々は、会ったこともない成功者について確信に満ちた否定的見解を持つのか。なぜインターネットは、成功者のネガティブなナラティブを生産し続けるのか。本稿では、LaRussellのJay-Z体験を起点に、インターネット時代における「成功者の物語」の歪み方を考察する。
「負けた側の視点」とは何か
LaRussellは、母親にJay-Zに会いに行くと伝えたとき、興味深い反応に遭遇した。
「母が言ったんだ。『YouTubeのビデオを見たでしょう? あの人たちが何を言っているか。心配だわ』って」
LaRussellは母に返した。「YouTubeの人間は、負けた側の視点から語っているんだ。やれなかった人間だけが、やった人間についてコメントできるのか?」
この「負けた側の視点」という概念は、インターネット批評の構造を鋭く射抜いている。YouTube、Twitter(X)、Instagram。あらゆるプラットフォームには、Jay-Zを批判する動画や投稿が無数に存在する。だが、LaRussellが指摘するのは、その批判を発信している人間の「立ち位置」だ。
彼らの多くは、Jay-Zと同じフィールドで競い、敗れた者たちだ。あるいは、そもそもそのフィールドに立ったことすらない者たちだ。彼らの証言は「ファクト」として流通するが、その視点にはバイアスが織り込まれている。敗北した側のナラティブは、勝者を悪者に仕立てることで、自身の敗北に意味を与えようとする。「負けたのは自分が悪かったのではなく、相手が不正だったからだ」。その物語を信じれば、自尊心は守られる。
だが、それは真実ではない。少なくとも、真実の全体像ではない。
「自分のDSPを作り、鍵を仲間に渡そうとしている男」
Jay-Zとの対話後、LaRussellが最も強調したのは、Jay-Zの行動の「質」だった。
「自由な黒人の男が、自分のDSP(デジタル・サービス・プラットフォーム)を作り、自分のDRO(デジタル・ライツ・オーガニゼーション)を築き、仲間に鍵を渡そうとしている。そしてそれを、自分のコミュニティから叩かれている」
LaRussellはここで、Jay-Zの活動を一つ一つ挙げていく。誰がオバマを大統領にする手助けをした? 誰がスーパーボウルに黒人アーティストを立たせた? Bad Bunnyさえスーパーボウルに立たせた。60回のスーパーボウルの歴史で、黒人アーティストがようやくプラットフォームを得るようになったのは、つい最近の話だ。
そして彼が投げかける問いは、「億万長者になれば、もう自分の人々のために戦う必要はないんだ。歩いて去って、島を買って、自分の人生を生きればいい。でもそれでもやることを選ぶ人間がいる。どう扱われようと、何を言われようと」。
LaRussellのコミュニティへの献身は、以前の記事からも一貫している。「LaRussellの常識を覆すビジネスモデル:なぜ革命家なのか?」では、自らのビジネスの利益をコミュニティに還元する仕組みを紹介した。彼は自分のスケールでJay-Zと同じ哲学を実践しているからこそ、Jay-Zのスケールにも深い共感を寄せるのだろう。
「モハメド・アリにモハメド・アリでいさせろ」
LaRussellのJay-Z論の核心は、こう要約される。
「俺たちは時々、黙ってモハメド・アリにモハメド・アリでいさせなきゃいけないんだ」
この比喩は、インターネット時代の「英雄の消費」に対する鋭い批判だ。SNSの普及により、かつては遠い存在だった成功者が身近に感じられるようになった。しかし、その「近さ」は、敬意を生む代わりに、しばしば親しみを装った攻撃を生む。「あいつにだってダメなところはあるだろう」「あの成功は本物じゃない」「あれだけ金があるのにこれしかしないのか」。
LaRussellが求めているのは、盲目的な崇拝ではない。実績に基づいた正当な評価だ。会ったこともない人間についてのYouTube動画を根拠に、その人間の全人格を否定することの非合理性を、彼は体験から語っている。
「会ってみろ。話してみろ。そうすれば分かる。でも、多くの人はそれをしない。コメント欄から判断する方が楽だからだ」
直接対話でしか得られないもの
LaRussellの教訓は明快だ。インターネットは情報を民主化したが、同時に「知ったつもり」を大量生産した。コメント欄で意見を形成し、YouTubeの分析動画で確信を深め、Twitterのスレッドで立場を固める。その一連のプロセスに、一度も「対象者本人との対話」が含まれない。
LaRussellは、Jay-Zについて判断を下す前に、Jay-Zと話した。その結果、彼の見方は180度変わった。この単純な事実が、私たちに問いかけている。
あなたが強い意見を持っている対象、そのアーティスト、その経営者、その政治家と、あなたは実際に話したことがあるか? もしないなら、あなたの意見の根拠は何か? それは「ファクト」なのか、それとも「負けた側の視点」が生産したナラティブなのか?
LaRusselは言う。「俺たちは時々、黙ってモハメド・アリにモハメド・アリでいさせなきゃいけないんだ」。成功者を正当に評価し、その実績を認め、その上で批判すべきことは批判する。それが、インターネット時代における成熟した英雄観の姿なのかもしれない。
コメント欄で作られた「真実」を鵜呑みにする前に、一度立ち止まることだ。その「真実」は、誰の、どの立場からの、何のための語りなのか。LaRussellがJay-Zとの対話で得た最大の教訓は、おそらくそこにある。
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