Benny the Butcherの金と独立の流儀
Buffaloのプロジェクトから這い上がった男が語る、成功の代償と音楽への覚悟
New York州の北西端に位置するブルーカラーの街、Buffaloから、ヒップホップ史を塗り替えるムーブメントが生まれた。Griseldaである。その中核を担うラッパーBenny the Butcherが、Mannie Freshがホストを務めるポッドキャスト「Still 400」に出演し、自身のルーツ、金との付き合い方、メジャー契約の光と影、そしてヒップホップの未来について赤裸々に語った。
Bennyの言葉には、ストリートの矜持と、痛みを通じて得た知恵が同居している。プロジェクト(公営住宅)から這い上がり、7桁の契約を手にし、最初の大金を30日で使い切った男の物語。そこには、成功を手にしたすべてのアーティストが直面する普遍的な問いが潜んでいる。
Buffaloが生んだGriseldaのDNA
Bennyが育ったBuffaloは、中西部のテイストと都会の空気が混在する独特の街だ。彼自身の言葉を借りれば「ハスラーの街」であり、ラッパー、デザイナー、アスリート、そして警察官までもが同じブロックから巣立っていく場所である。Bennyが育ったフッドでは、毎日2万から3万ドルが動いていた。億万長者もギャングスターも、堅気の人間も、同じ通りが育てた。
Griseldaが特異だったのは、「New Yorkのサウンドを取り戻した」ムーブメントでありながら、その担い手がNew York City出身ではなかったことだ。Bennyはこの矛盾を「贈り物であり呪い」と表現する。贈り物とは、シティの複雑な政治からの自由だ。各ブロック間の対立や確執に巻き込まれることなく、すべてのエリアから支持を受けることができた。一方で呪いとは、バックアップの不在である。Pusha Tの兄No Maliceが弟について語った言葉をBennyは引用する。「俺は弟を見ていた。あいつは島にいるようだった」と。地元に"ビッグホーミー"がいないBennyたちは、すべての敬意と信頼を自ら勝ち取らなければならなかった。
Griseldaのムーブメントの設計者はWestside Gunnだった。Bennyはそれを率直に認める。「Wesは常に頭脳だった。ムーブメントはどの個人よりも大きくなる、とわかっていたはずだ」。Conway the Machine、Benny the Butcher、Westside Gunnという名前そのもの、服のライン、すべてが計算された世界観の一部だった。重要なのは、Griseldaがグループではなくレコードレーベルであるという点だ。Bennyの知名度が上がる以前、ツアーの看板には「Westside Gunn and Conway」と書かれていた。3人の名を並べる代わりに「Griselda」と冠されるようになったのは、Bennyが頭角を現した後のことである。
その転機を確信した瞬間を、Bennyは鮮明に覚えている。メジャー契約よりも前、Bostonで行われたWestside Gunnのショーに招かれた時のことだ。観客は歌詞を知っていた。400ドルのマーチャンダイズを身に着けていた。Bennyはまだプロジェクトに住んでいた。「これはマジだ。本当にこのゲームでチャンスをつかめる」。そう確信した瞬間だった。
Bennyはまた、Griseldaの音楽が実体験に根ざしていることを強調する。「俺の想像力はそこまで良くない」と笑いながら、Conwayは後頭部を撃たれた過去を持ち、Westside Gunnは州刑務所にも連邦刑務所にも入った経験がある、と語る。歌詞に刻まれたストーリーは、Buffaloという街の肌理そのものなのだ。
金が教えた自分と他人の本性
最初の大金を手にしたBennyは、正直に告白する。「BMFした」と。30日で消えた。「追いつくべきものがあった」というのが彼の弁明だが、その率直さには誰もが共感できるだろう。80,000ドルで買った車が、数年後には44,000ドルまで減価していたのを見て、「本当にあれが必要だったのか」と自問した。彼は今もなお運転免許を持っていない。車に興味がないのだ。15万ドルを1台の車に使うくらいなら、3台に分ける。自分に1台、娘に1台。それがBennyの「金に慣れた」後のスタイルである。
だが本当に衝撃的だったのは、金にまつわる「教育の不在」だった。高卒認定しか持たない、ストリート出身の人間にレーベルは大金を渡す。しかし誰もファイナンシャルアドバイザーを送ってこない。税金の仕組みも、100万ドルが手取りで100万ドルではないことも、誰も教えてくれない。「金を渡されて、周りを見回して、『誰も何も言わないのか?』と思った。俺は大人だから、ある程度は自分で対処できた。でも、もっと若いアーティストたちのことを考えてみろ。誰も彼らに話しかけていない」。この問題意識は、Maxoが語るメジャーレーベルでも別の視点から語られている構造的な問題だ。
金はもう一つの残酷な教訓を彼に与えた。人間の本性を見せるのだ。「宝くじに当たったとしよう。お前がチケットを見ている横で、周りの人間は『これは自分にとって何を意味するのか』を考えている。『おめでとう』じゃなく、な」。Bennyはそれを恨みとして語っているのではない。フッドにおける成功者への期待構造として、冷徹に分析しているのだ。「お前は救世主にならなきゃいけない。ブロックの、家族の、すべての救世主に」。しかしフッドの外に出た成功者たちは「あそこに戻るな」と言う。この矛盾の中で、Bennyが選んだ原則は明快だ。「仲間内のビジネスをやるな」。
友人をマネージャーに据える。ストリートで共に過ごした仲間にビジネスを任せる。「最初はうまくいく。曲がヒットしている間はショーがある。金が回る。でもヒットが止まった時、そのマネージャーに本物のスキルがあるか? ショーを探す能力があるか? ない。あいつはただ、目の前の状況を処理していただけだ」。一方でBennyは、従兄弟であるWestside Gunnに対して、ビジネスの関係を血縁とは切り離して維持してきた。Atlantaで契約を結んだ直後、金に困っていた時期でも、Westside Gunnに金を無心したことは一度もない。「あいつはすでに別の形で俺を助けてくれている。その上にさらに負担をかけるべきじゃない」。そして若いアーティストに向かって、Bennyはこう言い放つ。「人の懐を数えるのをやめろ」。
メジャーかインディか、永遠の問い
Def Jamとの契約について、Bennyは複雑な感情を隠さない。「メジャー契約を結んだのは、それをやったと言うためだ。街を代表するためだ」。Buffaloからアンダーグラウンドな音楽で出発し、7桁の契約にたどり着いたことを、後に続くアーティストたちに見せたかった。しかし同時に、「正直に言えば、やらなかった方がよかったかもしれない」とも認める。多くの歯車が動き、集中力を削がれた。学ぶことは多かったが、代償もあった。LaRussellの独立哲学で語られるインディペンデントの価値と、Bennyの体験は表裏一体の関係にある。
では、いつ契約すべきなのか。Bennyの答えは驚くほど実利的だ。「断ったら馬鹿だと思われるほどの金額なら、取れ。ばあちゃんもみんなも、お前に頼っている。金を取れ」。ただし条件がある。「尊厳を損なわないこと。それは言うまでもない」。家族を養い、フッドの仲間を支え、次世代の道を示す。それが個人の自由を超えた責任であると、Bennyは考えている。
その学びの先に、Bennyが打ち出した新たなビジネスモデルが「Reckless Weekend」だ。金曜日から月曜日まで、気の合うアーティストと曲を作り、仲介者なしで50対50の取り分で配信する。業界の煮詰まったシステムを迂回して、アーティスト同士が直接つながるための仕組みである。Mannie Freshがその場で参加を即決した事実が、このコンセプトの説得力を物語っている。
現在のBennyは、過去18か月で4つのプロジェクトをリリースした後、自らの音楽活動を意図的にスローダウンさせている。Atlantaに新しいスタジオを構え、所属アーティストのプロデュースに集中している。中でも力を入れているのが、BSF(Black Soprano Family)所属のFuego Baseだ。ショートフィルムを伴うプロジェクトを準備中で、Bennyは「今年、彼を世界に紹介する」と宣言している。さらに、テクノロジーとAIへの投資にも積極的で、AIライセンシングプラットフォームLutelyにも出資。加えてホラー映画の制作を進めている。「ブッチャー(肉屋)」の名にふさわしいスラッシャー映画で、あえてフッドの物語ではなくジャンル映画に挑む。Bennyが普段はホラーを観ないという事実が、この選択をより興味深くしている。自身の音楽面でも新たな方向性を模索しており、Ari Lennox、Coco JonesといったR&Bアーティストとのコラボレーションを望んでいる。グリッティなサウンドにR&Bの要素を融合させたいという構想には、Griseldaの枠を超えた表現欲が滲んでいる。
ヒップホップの「基準」はどこへ向かうのか
Bennyは「怒れるオールドヘッド」に見られることを嫌う。新しい音楽にも敬意を払っている。それでも、彼が感じている懸念は率直だ。「バーが下がった」。かつてはNew York、ウェストコースト、サウスと、聴けばすぐにわかる地域ごとのサウンドがあった。50 Centは"Wanksta"のようなストリートソングを作りながら、ラジオでも当たり前にヘビーローテーションされていた。今はそうはいかない。
だがBennyは自らの矛盾も認識している。「Griseldaがここにいるのは、インターネットと新しい時代のおかげだ。音楽がよりアクセスしやすくなったから俺たちはチャンスを得た。でも、それと同時に、門が開きすぎた」。毎日800曲のラップがリリースされる現実を、他のジャンルと比較する。「他の音楽ジャンルなら、こんなことは許さないだろう。どこかで『全員にやらせるわけにはいかない』となるはずだ」。
Mannie Freshもまた、DJとして毎日送られてくる膨大な楽曲の数に圧倒されていると共感を示した。彼が指摘したのは、多くの若いアーティストが「自分はラップはしない、ただ言葉を並べるだけだ」と公言する風潮への違和感だ。Bennyの反応は辛辣だった。「それがゲームをつまらなくした。ラッパーなのにラップしないと宣言する。お前は何をする人間なんだ?」。
ソーシャルメディアへの視線もまた厳しい。「来年、ソーシャルメディアを全部止めてほしい。そうすれば、本当に実力のある人間が誰かわかる」。Xについては、自分自身がネガティビティに加担してしまうことにも自覚的で、距離を置いている。人と直接会い、握手を交わし、顔を見て話す。それがBennyの流儀だ。
では、ヒップホップに未来はあるのか。Bennyは希望を捨てていない。「ゲームは誰かを待っている。誰かが現れて一気に流れを変える。それは必ず起こる」。時代を超えて響く曲として、Meek Millの"Dreams and Nightmares"、N.W.A.の"Dopeman"、Lil Wayneの"A Milli"、DMXの"Party Up (Up in Here)"を挙げる。ウェディングからバーファイトまで、あらゆる場面で機能するこれらの楽曲の生命力を、Bennyは信じている。
しかし構造的な問題は残る。「ユニオンができるまで、俺たちは永遠に搾取され続ける」。ヒップホップがひとつの産業として団結し、互いをユニットとして認め合わない限り、文化は外部に切り取られ、商品化され、利益は別の場所に流れていく。Bennyのこの指摘は、個人の成功を超えた業界全体への問いかけである。
インタビューの最後、Bennyは母親への謝罪を口にした。8人の子どもを育てた母。ぶつかったことも、すれ違ったこともあった。だが「過去20年、そんなことはない」。今は母の笑顔を見ることが、何よりの報酬だと語る。Buffaloのプロジェクトから出発し、メジャー契約を経て、自らのビジネスを築き、なお母の笑顔に最大の価値を見出す男。Benny the Butcherの物語は、ヒップホップの成功と、その先にある人間としての成熟の記録である。
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