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なぜLAは新世代を受け入れないのか?310babiiとKendrick Lamarの苦悩

ヒップホップの世界において、ロサンゼルス(LA)という都市が持つ意味は計り知れない。N.W.A. がストリートの現実を叩きつけ、Dr. Dre のGファンクが世界中のスピーカーを揺らしたこの街は、常に独自の文化とサウンド、そして揺るぎないプライドを育んできた。しかし、その強固なアイデンティティは、時に新しい才能の前に分厚い壁として立ちはだかる。

2023年、LAヒップホップシーンの停滞を打ち破るかのように登場した 310babii の "Soak City"。この曲は、ローカルな文脈を飛び越え、グローバルなヒットとなった。誰もが、LAに新たなスターが誕生したと確信したはずだ。しかし、当の本人である 310babii は、その成功の裏で、地元LAシーンとの間に横たわる、目に見えない「距離」を感じていた。

彼のこの感覚は、単なる個人的な悩みや被害妄想ではない。それは、LAヒップホップという複雑な生態系が内包する、歴史的かつ構造的な問題を浮き彫りにする。そして奇しくも、今やLAの王として君臨する Kendrick Lamar もまた、キャリアの初期に同じような疎外感と戦っていたという事実は、この問題の根深さを物語っている。

なぜLAは、時に自らが産んだ新世代の才能をすぐには受け入れないのか。本記事では、310babii の痛切な告白と、Kendrick Lamar が歩んだ過去の軌跡を重ね合わせることで、LAヒップホップシーンにおける「成功」と「承認」の複雑な力学を紐解いていく。


310babiiの告白:「LAは俺を『俺たちの代表』だと思っていない」

310babii がLAシーンに対して抱く感情は、一言で言えば「疎外感」である。彼は、ポッドキャスト番組の中で、自身のヒットが地元でどのように受け止められているかについて、驚くほど率直かつ冷静に語っている。

「LAは、俺が特別な存在だと感じさせてくれない。LAは、『お前は俺たちのためにやってくれてる』なんて感じさせてくれないんだ」

この言葉は、彼の成功の大きさを考えれば衝撃的だ。"Soak City" は、長らくヒットから遠ざかっていたLAシーンにとって、まさに希望の光だったはずだ。しかし、310babii が感じているのは、祝福や一体感ではなく、ある種の壁の存在である。彼は、この疎外感の根源が、自身の音楽性と立ち位置にあることを正確に理解している。

LAヒップホップの歴史は、ストリートの現実をラップするギャングスタ・ラップと深く結びついてきた。所属する地域やグループへの忠誠心(アフィリエーション)は、アーティストの信憑性を担保する重要な要素であり、その文化は今なおシーンの根底に流れている。しかし、310babii の音楽は、その伝統的な文脈からは大きく外れている。彼の楽曲は、闘争や緊張を描くのではなく、誰もが参加できる「楽しさ」と「ポジティブなバイブス」に満ちている。彼はどの特定のグループにも属さず、「ただ音楽を作っているだけ」の存在なのだ。

この「無所属」で「ポジティブ」なスタンスこそが、彼をLAの伝統的な価値観の中で「異物」として際立たせている。彼は、シーンの現状をさらに辛辣に分析する。

「スタッツとか曲のことになると、お前らが俺の曲を歌うのは、他に歌うべき曲が誰もいないからだろって感じだ」

これは、彼の成功が実力によるものではないと言っているのではない。むしろ逆だ。彼の音楽は、既存のLAの文脈を必要としないほど強力であり、だからこそ人々は熱狂する。しかし、その熱狂と、シーンが内部のアーティストに示す「身内」としての承認は、全く別の次元にあるという痛烈な皮肉である。彼は、グローバルなヒットとローカルな承認の間に存在する、埋めがたい溝の存在を明確に認識しているのだ。The Novo のような大きな会場をソールドアウトさせるほどの人気を誇りながらも、彼はシーンの中心にいるという実感を得られていない。この苦悩こそが、LAヒップホップの複雑さを象徴している。

歴史は繰り返すのか? Kendrick Lamarが歩んだ茨の道

310babii が直面しているこの状況は、決して彼だけが経験している特殊なケースではない。驚くべきことに、今やコンプトンが生んだ英雄であり、LAヒップホップの頂点に立つ Kendrick Lamar も、キャリアの初期段階で同様の壁にぶつかっていた。

310babii へのインタビューの中で、インタビュアーは興味深い指摘をする。

「ケンドリックも最初はそうじゃなかったんだよ。彼が(シーンに)認められるまでには時間がかかったんだ」

この一言は、忘れられがちな歴史の真実を呼び起こす。Kendrick Lamar の音楽は、キャリア初期から極めて内省的で、社会的なメッセージを内包する「コンシャス・ラップ」であった。彼の複雑なリリックと物語性の高い作風は、当時のLAで主流だった、より直接的で快楽主義的なギャングスタ・ラップやクラブミュージックとは一線を画していた。

その結果、彼は当初、LAシーンの「本流」からは少し離れた、孤高の存在としてキャリアをスタートさせた。もちろん、彼の才能はアンダーグラウンドで高く評価されていたが、LA全体が彼を「俺たちの代表」として熱狂的に受け入れるまでには、"good kid, m.A.A.d city" という歴史的名盤の登場を待たねばならなかった。彼もまた、自身の音楽性がシーンの期待と完全に合致するまで、ある種の「疎外感」と戦い続けていたのである。

このKendrick Lamar の前例は、310babii が感じている苦悩が、LAシーンにおける「通過儀礼」のようなものである可能性を示唆している。LAという街は、単にヒット曲を生み出すだけでは満足しない。そのアーティストが、LAの文化や歴史、そして複雑な人間関係の文脈を背負い、シーン全体の物語を更新する存在であるかどうかを、厳しく見極めようとするのだ。

310babii のポジティブなパーティミュージックも、Kendrick Lamar のコンシャス・ラップも、それぞれの時代においてLAの「当たり前」ではなかった。だからこそ、両者ともにシーンからの完全な承認を得るまでに時間を要した。歴史は、異なる形で繰り返されているのかもしれない。新世代の才能は、いつの時代も、まず既存の価値観という名の分厚い壁を乗り越えることを宿命づけられているのだ。

「承認」という無形の壁:LAシーンの特殊な力学

310babii と Kendrick Lamar の事例から浮かび上がってくるのは、LAヒップホップシーンにおける成功の二重構造である。一つは、チャートやセールス、ストリーミング回数といった「客観的な成功」。そしてもう一つが、シーンの内部からのリスペクトや支持、すなわち「文化的な承認」である。LAにおいて真のレジェンドとなるためには、この両方を手に入れなければならない。

特に後者の「文化的な承認」は、極めて複雑で、目に見えないルールに基づいている。それは、どの地域の出身で、誰と繋がり、どのような振る舞いをするかといった、音楽以外の要素が大きく絡み合っている。例えば、故 Nipsey Hussle は、音楽活動と並行して地元クレンショーでの地域貢献活動に尽力し、ストリートからの絶大な信頼を勝ち取ることで、単なるラッパーを超えた文化の象徴となった。彼の成功は、音楽と地域性が不可分に結びついた、LAらしい「承認」の形と言えるだろう。

このような環境において、310babii のようなアーティストは困難な立場に置かれる。彼の成功は、TikTokという、LAのローカルな文脈とは無関係なグローバルなプラットフォームからもたらされた。彼は、伝統的なヒップホップのメディアや、シーンのキーパーソンたちの「お墨付き」を得る前に、いきなり世界のスターダムに躍り出た。これは彼の強みであると同時に、LAシーンとの間に溝を生む原因ともなっている。

彼が「他に歌う曲がないから」という言葉で表現したように、人々は彼の音楽を「消費」はするが、彼という人間をLAの物語の一部として「所有」するには至っていない。これが、彼が感じる疎外感の核心である。彼は、シーンのゲストではあるが、まだ家族の一員ではないのだ。

この無形の壁は、LAヒップホップが単なる音楽産業ではなく、強固なコミュニティであり、アイデンティティを共有する「部族」の集まりであることを示している。新参者がその部族の一員として認められるためには、ヒット曲という「手土産」だけでは不十分なのだ。その部族の歴史を理解し、そのルールを尊重し、そして未来に貢献する意志を示すことが求められる。310babii の挑戦は、まさにこの見えざる壁に挑む戦いなのである。

疎外感を越えて  新世代がLAで生き抜くための戦略

では、310babii はこの状況をどう乗り越えようとしているのか。彼の言動からは、極めてクレバーな二つの戦略が見て取れる。

第一に、「ローカルな評価に固執しない」ことである。彼はLAからの承認が得られないことに悩みつつも、それに心を縛られてはいない。彼は、自身の成功の基盤がグローバルなリスナーにあることを理解している。だからこそ、彼は無理にLAの伝統的なスタイルに迎合しようとはしない。彼は、OhGeesy との全米ツアーなどを通じて、LAの外に広がる広大なファンベースとの関係を深めることを選んだ。これは、いわば「外堀を埋める」戦略だ。世界的な成功という既成事実を積み重ねることで、LAシーンが彼を無視できない状況を作り出し、逆輸入の形でその地位を確立しようとしているのである。

第二に、「本質で勝負する」という強い意志である。彼は、シーンの力学や人間関係といったゲームのルールを理解しつつも、最終的には音楽の力でそれを乗り越えようとしている。彼が Kendrick Lamar という「頂点」に敬意を払い、Tyler, The Creator という「創造性」の極致に憧れるのは、両者が最終的に音楽そのもののクオリティで世界を納得させてきたからだ。310babii もまた、小手先のブランディングや人間関係に頼るのではなく、自身の音楽性を深化させ、誰もが認めざるを得ない作品を生み出すことで、LAからの真の「承認」を勝ち取ろうとしている。

Kendrick Lamar は、コンプトンのストリートを描写した傑作を生み出すことでLAの王となった。310babii は、それとは異なるアプローチを取るだろう。彼の武器は、ストリートのリアリティではなく、世代や地域を超えて人々を結びつけるポジティブなエネルギーだ。彼がその音楽でLAの若者たちを熱狂させ続け、彼らの世代の「声」となることができた時、シーンは彼を新たなリーダーとして認めざるを得なくなるはずだ。

310babii が感じている苦悩は、彼がLAヒップホップという偉大な歴史と真摯に向き合っている証拠である。そして、その挑戦の行方は、LAヒップホップが未来に向けてどのように進化していくのかを占う、重要な試金石となるだろう。彼がこの見えざる壁を乗り越えた時、LAの音楽シーンには、また新たな黄金時代の扉が開かれるのかもしれない。

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