Kendrick Lamar ”Poetic Justice”陰謀説の真偽
最側近エンジニアが語る、天才の 深淵と沈黙の美学
2024年、Kendrick Lamarと Drakeの間で繰り広げられた歴史的な 確執は、ヒップホップ史に残る焦土作戦として記憶された。しかし、両者の緊張関係の火種は、10年以上前の共演曲に既に埋め込まれていたのではないか。そんな「陰謀説」が、コアなファンの間で長年囁かれ続けている。
その楽曲とは、Kendrick Lamarのメジャーデビューアルバム "Good Kid, M.A.A.D City" に収録された "Poetic Justice" である。甘美な Janet Jackson のサンプリングに乗せて歌われるこのラブソングは、一見すると Drakeとの友好的なコラボレーションに見える。だが、インターネットの深層では、「実は Kendrickが Drakeを嵌めたのではないか」「Drakeのヴァースすら Kendrickが書き、彼に自らをディスらせたのではないか」という驚くべき仮説が存在するのだ。
この都市伝説に対し、当時 TDE(Top Dawg Entertainment)のハウスエンジニアとしてすべての録音・ミックスを担当した MixedByAli(Derek Ali)が、沈黙を破り口を開いた。彼の証言は、単なるゴシップの真偽を超え、Kendrick Lamarという稀代の芸術家がいかにして作品を構築し、聴衆をコントロールしているかという本質的な問いへと我々を導く。
ネットを震撼させた”Poetic Justice”陰謀説の全貌
MixedByAliが出演したインタビュー番組において、ホストが提示した「ある仮説」は、非常に論理的かつ戦慄すべき内容であった。この説は「Poetic Justice Theory」と呼ばれ、あるポッドキャスト番組によって提唱されたものである。
その根拠は、アルバムの曲順と歌詞の巧みな配置にある。"Good Kid, M.A.A.D City" において、"Poetic Justice" の直前に収録されている楽曲は "Money Trees" だ。この "Money Trees" のフックで、Kendrick は象徴的なラインを口ずさむ。
Money trees is the perfect place for shade
And that's just how I feel
(金のなる木は、日陰を作るには絶好の場所だ。
俺はそう感じる)
ヒップホップのスラングにおいて「Shade(日陰)」は、「誰かを遠回しに批判する(Throwing shade)」という意味を持つダブルミーニングだ。つまり、「金(商業的成功)は、誰かをディスるには絶好の隠れ蓑だ」とも解釈できる。
そして、その「日陰(Shade)」の直後に流れる曲こそが、当時商業的な成功の頂点にいた Drakeをフィーチャーした "Poetic Justice" なのである。
陰謀説はさらに過激さを増す。Kendrickは、この曲における Drakeのリリックすらゴーストライティングし、Drake自身には気づかれないように、彼自身の軽薄さや商業主義を露呈させるような内容を歌わせたのではないか、というのだ。もしこれが真実であれば、Kendrick Lamarはアルバムというキャンバスを使って、最大のライバルを自らの作品の中で道化として演じさせたことになる。これほど「詩的な正義(Poetic Justice)」があるだろうか。
このあまりに出来すぎた、しかし Kendrickならやりかねないと思わせる深読みに対し、すべてを知る男、MixedByAliはどう反応したのか。
MixedByAliの証言 スタジオで実際に起きたこと
ホストがこの理論を熱っぽく語り終えたとき、Ali は一瞬の間を置いて、真顔でこう答えた。「それは100%真実だ」。
スタジオが爆笑と驚きに包まれた直後、彼はすぐに「いや、嘘だ」と否定した。Ali 特有のジョークであった。
Ali は続けて、当時の実際の制作プロセスについて明かした。彼の証言によれば、プロセスは極めて標準的なものだったという。TDE側から Drakeへ楽曲のファイルを送り、Drakeがヴァースを録音して送り返してきた。特筆すべき点があるとすれば、Drakeが一度送ってきた後、「Kendrickのヴァースを聴いた後で、もう一度やり直したい」と申し出たことくらいだという。
「Drakeは Kendrickのヴァースを聴いて、それに釣り合うように自分のパートを調整した。それだけのことだ」と Ali は語る。つまり、ゴーストライティング説や、意図的に嵌めたという説は、事実としては否定された形となる。
しかし、Aliの否定は、この陰謀説の価値を損なうものではない。むしろ彼は、こうした深読みが生まれる状況こそを「素晴らしい」と称賛した。なぜなら、ファンがここまで深読みするという事実は、Kendrick Lamarの作品が持つ圧倒的な「密度」と「信頼」の証左だからだ。リスナーは無意識のうちに理解しているのだ。「Kendrickなら、これくらいの伏線を張り巡らせていてもおかしくない」と。
制作陣すら欺くKendrick Lamarの全体構想
ここで Ali は、Kendrick Lamarの制作スタイルの恐るべき側面について言及する。それは、エンジニアである Aliですら、アルバムが完成するその瞬間まで「全体像が見えていない」ことが多々あるという事実だ。
例えば、歴史的名盤 "To Pimp a Butterfly" の制作時のエピソードだ。このアルバムのラストトラック "Mortal Man" には、故 Tupac Shakurの生前のインタビュー音源を使用し、あたかも Kendrickが Tupacと対話しているかのように編集された衝撃的なスキットが収録されている。
しかし Ali は、アルバムのミキシングの最終段階になるまで、このスキットの存在を知らされていなかったという。「俺はただ曲をミックスしていただけだ。Tupacの声が入るなんて聞いていなかった」。彼はスタジオで黙々と作業をこなし、最後の最後で Kendrickが「ここにこれを差し込む」と指示を出した瞬間に、初めてアルバムの真のコンセプトを理解したのだ。
「彼は頭の中ですべてを構築している。だが、それを最後のピースがハマるまで誰にも明かさない」。
これは驚異的な事実だ。エンジニアは通常、楽曲の構成要素をすべて把握していなければ最適な音作りができない。しかし Kendrickは、自身の意図が漏洩することを防ぐためか、あるいは制作の鮮度を保つためか、最も近いスタッフにさえ情報を断片的にしか渡さないことがあるのだ。
Ali は当時を振り返り、「自分はただノブを回して、音が良く聞こえるようにしていただけだった」と謙遜するが、その言葉の裏には、Kendrickという巨大な知性に対する畏敬の念が見て取れる。Kendrickの頭脳というブラックボックスの中で何が起きているのか、それは誰にも。たとえ隣に座っているエンジニアにさえ、完全には理解できないのだ。
だからこそ、Aliは「Poetic Justice」の陰謀説に対しても、完全に否定しきれない余地を残すような含みを持たせた。「意図的にやっていることもあるし、ファンが勝手に繋ぎ合わせることもある」。彼自身ですら、「これは本当なのか?」と疑いたくなるような仕掛けが、Kendrickの作品には無数に散りばめられているからだ。
沈黙が生み出す「スーパーファンダム」と神秘性
インタビューの後半、話題は Kendrick Lamarの「寡黙さ」へと移る。現代のアーティストは、SNSで朝食のメニューから制作中の悩みまで、すべてを共有することが求められる。露出こそが正義であり、沈黙は死を意味する時代だ。
しかし、Kendrick Lamarは真逆を行く。彼はアルバムをリリースすると、数年間姿を消す。インタビューには滅多に応じず、SNSも動かない。そして、この「沈黙」こそが、彼の最強の武器であると Aliは分析する。
「彼が黙るからこそ、ミステリーが生まれるんだ」。
情報が与えられないからこそ、ファンは飢餓感を覚え、歌詞の一行、サンプリングの出典、曲順の並びといったわずかな手掛かりを元に、巨大な考察(Theory)を構築し始める。これが「スーパーファンダム」の形成メカニズムだ。「Poetic Justice」の陰謀説も、Kendrick の沈黙が生み出した副産物であり、彼のアートの一部と言えるだろう。
Aliはこの姿勢を、彼らのメンターである Dr. Dreの影響だと語る。かつて、インターネット以前のスターたちは「神秘性」を纏っていた。Dr. Dreもまた、スタジオに籠もり、私生活を切り売りすることなく、音だけで世界を支配した。TDEのメンバー、特に Kendrickは、その「神秘性の力」を正しく継承している数少ない現代のアーティストなのだ。
「誰もが手の届く存在になろうとしている時代に、彼は手の届かない存在であり続ける」。
"Poetic Justice" で Kendrickが Drakeを嵌めたのかどうか、その真実はもはや重要ではないのかもしれない。重要なのは、Kendrick Lamarというアーティストが、私たちがそこまで深読みしたくなるほどの「深淵」を作品の中に作り出しているという事実だ。そして、その深淵のすぐ側で、MixedByAliは今日も黙々とノブを回し、我々が迷い込むための音の迷宮を構築しているのである。
いいなと思ったら応援しよう!
応援お願いします! コーヒー代・ライブ代・その他諸々原動力になります!