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11:36

🌼夢の部屋

夢の中で、私はいつも同じ場所にいる。
寝室を抜けると、そこは白を基調とした北欧風のお洒落な部屋だった。
自分がプリンセスになったかと思うほど大きな鏡。柔らかな光が差し込み、トコトコと足音が近づいてくる。
「ママ、朝だよ」
娘の声が聞こえたところで、私は目を覚ました。
夢だった。
現実の私の寝室には、そんなきらびやかな部屋など隣接していない。

🕰️11時36分

目の前にあるのは、グレーとネイビーの壁紙。
遮光カーテンを隙間なく閉め切った部屋は真っ暗で、朝なのか夜なのかもわからない。
枕元の携帯を見る。
11時36分。
「あぁ、また寝過ぎてしまった」
うつ病になってから、朝が来るのが怖くなった。
朝まで眠れず、ようやく眠りについた頃には外は明るくなっている。寝ても途中で何度も目が覚めてしまう。もう一度眠ろうとしても、頭だけが冴えて眠れない。
そして朝。
いや、もう昼と言った方がいいのかもしれない。
目が覚めても、身体が鉛のように重い。
起きなきゃ。
洗濯しなきゃ。
ご飯を作らなきゃ。
そう思うのに、身体がまったく動かない。
そんな毎日が、何か月も続いていた。

💔壊れるまで気づかなかった

未婚のシングルマザーになって3年目。
当時23歳だった愛猫がキューピットとなり、
一人の獣医師と出会った。
結婚式は人生で一番幸せな一日だった。
1年後には念願のマイホームも建てた。
ようやく家族みんなで幸せになれる。
そう信じて疑わなかった。
けれど、人生は思い通りにはいかなかった。
夫との小さなすれ違いは少しずつ大きくなり、
やがて激しい喧嘩へと変わっていった。
同じ頃、転職した職場では
上司からのいじめが始まった。

家に帰れば夫との衝突。
職場へ行けば嫌味。

一体、私の心はどこで休めばいいのだろう。

苦しい。
しんどい。
助けて。
本当はそう叫びたかった。
けれど、私は昔から弱音を吐くことが苦手だった。
だから、壊れるまで気づかなかった。
いや、気づかないふりをした。

精神科で医師に告げられた。
「うつ病ですね」
驚きはなかった。
「そうでしょうね」
むしろそんな気持ち。
新居での生活は、わずか八か月で終わりを迎えた。
仕事も失い、夫も失った。
何もかもなくなったように思えた。

🐱二匹の猫と画面の向こう側

家に閉じこもる毎日。
社会から切り離されたような感覚があった。
そんな中、唯一の癒やしは2匹の猫だった。
猫の動画を撮ってTikTokに投稿する。
「かわいい!」
「癒やされました」
「元気もらいました」
そんなコメントや「いいね」が届くたび、私は少しだけ救われた。
画面の向こうには誰かがいる。
完全に一人になったわけじゃない、そう思えた。

調子の良い日は散歩にも出かけた。
空を見上げる。
木々の緑を見る。
ただそれだけで、少しだけ心が軽くなった。

📕本屋という避難場所

そして私は、本屋へ向かった。
もともと本が好きだったわけではない。
むしろ嫌いだった。
国語教師の母の影響で、実家には本が溢れていた。
「本を読みなさい」
そう言われ続けた私は、反抗するように活字を避けてきた。
そんな私が読書に救われたのは、高校時代に心を病んだ頃だった。
誰かに相談するより、自分で本を開いて答えを探す方が性に合っていた。
いつしか本屋が好きになった。
自己啓発本や哲学本を手に取り、傷ついた心を立て直してくれる言葉を探していた。

✨思い出は先延ばしにしない

そんなある日、1冊の本が私の人生を変えた。
『DIE WITH ZERO』。
「人生で一番大切なのは、思い出を作ること」
その言葉が胸に刺さった。
そういえば私は、ずっと誰かの都合を優先して生きてきた。
ディズニーに行きたい。
そう思っても、
「仕事を休めないから無理」
と言われれば諦めていた。
けれど、ふと思った。
娘と二人で行っちゃえばいいじゃん。
人生は一度きりなんだから。
思い立った私は、その場でホテルと新幹線を予約。

突然のディズニーシー。
娘と二人で笑いながら食べたご飯。
一緒に撮った写真。
本当に幸せだった。
「また来ようね」
そう言い合ったあの日の思い出は、今でも私の宝物になっている。

✏️「趣味はなんですか?」

うつ病になり、仕事も夫も失って、ぼんやり携帯を眺める日々。
そんな時、昔登録したまま放置していた匿名SNSが目に留まった。
なんとなく開いてみる。
深い意味はなかった。
私はユーザー全員に向けて質問した。
「趣味はなんですか?」
たくさんの回答の中で、1つの言葉が目に留まった。
「本を読むことです」
思わず笑った。
「私と一緒だ」
それが彼との出会いだった。

👁️優しい目をした人

彼は国語教師だった。
そして不思議なことに、顔も名前も知らないうちから、私の言葉、文章を好きになってくれた。
仕事もない。
結婚も失敗した。
うつ病になった。
自己肯定感はどん底状態。
だから私は聞いた。

「私のこと本当にずっと愛してくれる?」
「もし娘に気に入ってもらえなかったら、どうするの?」
すると彼は、優しい目で真っ直ぐ私を見つめて言った。

「うん。一生愛するよ。
あなたが人生が終わりを告げる瞬間に 
あぁ、あの言葉は本当だったんだな、と思ってもらえるように。」

「僕が例え嫌われても、僕が娘さんを精一杯愛するだけ」

その視線には迷いがなかった。

❤️私の中に残っていたもの

当時の私は、
どうして今なんだろう。
もっと若い時に。
もっと元気な時に。
もっと幸せな時に。
そんな私だったらよかったのに。
そう思っていた。
すると彼は、日本の哲学者・森信三の言葉を教えてくれた。
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」
「今だからこそ良かったんだよ」
その言葉に、張り詰めていた心が少しずつほどけていった。
そして私は気づいた。
彼が最初に見つけてくれたのは、私の文章だった。
そうか。
私は何も失っていなかったんだ。
私の中には、まだ誰かに届けられるものが残っていた。
言葉だった。

👧🏻8歳の娘の言葉

「ママ、もう喧嘩は見たくないよ」
娘は言った。
いつものあっけらかんとした笑顔ではなかった。
小学校三年生とは思えないほど、疲れ切った表情をしていた。
胸が締め付けられた。
私は娘を幸せにしたくて頑張ってきた。
なのに、怒ってばかり。
泣いてばかり。
笑えていなかった。
娘に見せたかったのは、我慢している姿じゃない。
心から笑っている姿だった。

🏠グレーとネイビーの寝室から

今も私は、グレーとネイビーの寝室で目を覚ます。
けれど、11時36分の時計を見て絶望することはなくなった。
朝寝坊した日があってもいい。
失敗してもいい。
少しずつ、ありのままの自分を認めてもいいと思えるようになった。
そして、何事にも挑戦してみようと思えるようになった。
夢の中で見ていた、あの白くて美しい部屋。
私は今、気づいている。
あの部屋は遠くにある理想郷なんかじゃなかった。
彼が最初に見つけてくれた、私の「言葉」。

そして、どん底でも消えることのなかった、
小さな希望。
あの部屋は、ずっと私の中にあったのだ。
グレーとネイビーの寝室も、
11時36分の時計も、
何ひとつ変わっていない。
変わったのは、私だった。

🍀過去の私へ

もし、過去の自分に会えるなら、こう伝えたい。
今まで、本当によく頑張ったね。
あなたは輝ける。
これから先、幸せなことがたくさん待っているよ。

人間は、逢うべき人には必ず逢える。

しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。

人生に無駄なことなんて、一つもない。
今の私は、心からそう思える。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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