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命の選択、そして愛の物語…『#真相をお話しします』鑑賞レポ①…

 この記事では、映画『#真相をお話しします』を鑑賞して感じたことを、ネタバレありで思うがままに綴っております。現時点で映画の鑑賞は一回のみ。書きたいことがまとまった順に何回かに分けて公開していく予定です。長丁場になりそうですが、どうぞお付き合いください。

 まず、この映画のテーマはなんだろうかと考えたとき、私は「愛」を強く感じました。全体的にグロテスクで鬼気迫るシーンが多いのにどこが愛……と感じる方も多いかもしれません。長くなる予感がしますが、各セッションごとに詳しく見ていきましょう。



『惨者面談』

 息子を事故で亡くしてしまったが、受け入れられない。劇中、お隣の桂田さんに強く当たるシーンがありましたが、旦那さんに対してもそうだったかもしれませんね。

 なんで息子が見えないの。
 ここにいるじゃない。

 棘が多くなる言葉に疲弊して、旦那さんは深く関わるのをやめたかもしれません。そして、旦那さんに向かうはずの棘のある言葉が桂田さんに追加されたかもしれない。

 桂田さんのバックグラウンドは詳しく触れられてはないけれども、子どもが欲しいのにできない状態だったかもしれない。もしかしたら不妊治療を長年受けていたかもしれない。はたまた、矢野家と同じくお子さんがすでに亡くなっている状態だったかもしれない。

「お宅は子どもがいないから」という言葉も、もう何回目だったのでしょうか。

 お母さんの息子に対する愛が大きすぎたからこそ、他人を傷つけ、その傷つけた分がある日自分に跳ね返って殺されてしまった。こじつけかもしれませんが、そんなお話のように感じました。

 また少し話が逸れますが、桂田さんと揉める前、矢野ママは空き巣少年と何かやり取りしてたんだろうかとも思いました。少しの時間でも擬似親子できただろうか。お母さんは幸せだっただろうか。考えずにはいられません。


『ヤリモク』

 父親が愛する娘のために人を殺す。殺した相手には何の恨みもなくて「娘を愛しているから」が殺した動機になる。対する娘は父親のことを敬遠している描写が多く見受けられますが、お父さんに対する愛情が全くなかったわけではないと私は思っています。何故なら、お父さんとのツーショット写真が、娘さんのパソコンの画面にあったから。普通、嫌いな人のツーショット写真なんて飾っておきませんよね。ここからは私の勝手な推察ですが、父親の殺害動機を知ったときに彼女の中で何か変わったのではないでしょうか。

 そうか、パパは私のために殺したのか。
 私のためにそんなことまでしてくれたのか。


 もちろん決して許される行為ではありませんが、「人を殺す」という行為はよっぽどの強い感情がないと踏み込めない領域です。だから、お父さんの愛がとても大きなものだったというのもまた事実でしょう。その愛の大きさを娘さんは思い知ったのではないでしょうか。

 だから、スピーカーで真相を話したのも、父親を利用して大金を稼ごうということ(だけ)ではなくて、「うちのパパはこんなに私のことを愛してくれてすごいでしょ」からの「(愛してくれて)ありがとうパパ」だったかもしれない。もしかしたら真相で稼いだお金の額だけ、お父さんの自分に対する愛情を視聴者に認めてもらえたと思ったのかもしれない……ただの考察ですが。


『三角奸計』

 浮気した婚約者を殺してしまう。愛していたのに向こうは愛していなかった。そしてあろうことか他の人を愛していた。だから殺した。罰を与えた。最初、宇治原は婚約者に加えて桐山も殺そうとしていましたが、桐山は宇治原の婚約者と知らずに付き合っていたことを知って最終的には「殺さない」という選択をします。

 そう。これ、親友を「殺さなかった」話にもなるんですよね。壊れてしまったと思った友情(一種の愛)が実は壊れてなくて、なんなら茂木をも守ろうとした桐山。

 俺たちの友情って最強じゃん。
 そう言わんばかりに、熱く抱擁する宇治原。

 茂木は正直よく分かりません。ひとつだけ言えるとすれば、婚約者と桐山が殺されても構わないと思っている人物ということでしょう。悪いことをしたのだったら殺されても仕方ない。だから成敗しようとする友を応援する。それこそが友情(愛)だ。宇治原の狂気に隠れているけど、茂木も負けずに狂気。桐山が人間不信になるのも分かるかも。

 話は逸れましたが、宇治原目線で見ると、愛する友(桐山)を殺さずに済んだ話にもなってしまいそうですね。


『真相チャンネルの真相』

 後半は怒涛の復讐パートに入ります。

 過去に晒された経験を持つチョモとサテツが今度は視聴者を晒す側に立つ。さっきまで傍観者だったはずが、いきなり当事者になる視聴者。そして、最後には映画を鑑賞していた私たちも問いかけられる。

 どこに「愛」の要素があるのか。

 まず私が感じたのは、これは本当に「復讐」なんだろうか、ということ。そもそも、五分のシンキングタイムは必要なんでしょうか。ネットの傍観者に復讐したいんだったら、アンケートなんて取らずにいきなり全員の個人情報を晒してもいい気がします。なのに彼らはシンキングタイムを設けた。

 もっと言いますよ。

 スピーカーに選ばれた桐山は最初こそ👍(ルーを殺す)を押したものの、途中で考えを改めて👎(個人情報を晒す)に変更しています。サテツは桐山の勤務しているビルの違う階で配信を行っており、チョモは桐山の横にいるので、桐山の個人情報が特定されるということは彼らのいる場所が特定されるということ。さらに、その気になれば桐山は配信現場に乗り込んでルーを助けることができるかもしれない。(これぞリモートじゃなくて対面の強み)

 だから、桐山をスピーカーにすること、そして鈴木(チョモ)が桐山に接触することって、彼らにとってマイナス要素でしかない。

 さらに、ルーに関しても、ガムテープを取って喋れる状態にしているため、彼女が何を語るかによっては自分で自分の身を守ることもできるかもしれない。(それが嘘だとしても)

 さらにさらに、150万人も視聴者がいれば、拘束されたルーが登場した時点で通報している人間がひとりはいるはず。呑気にシンキングタイムなんて設けているうちに警察が突入して復讐が果たせないかもしれません。

 なんで、こんな不利なことをするのか。

 そういえば、鈴木(チョモ)のセリフで「復讐とかそういうのではない」みたいなものがあったのも少し引っかかります。

 考えるに、これは時間稼ぎです。

 本当は止めてほしい。
 本当は人を信じている。信じたい。
 だから五分だけ待っていたい。

 もしかしたらチョモとサテツは、そう思っているかもしれない。

 だからこの復讐パートは、桐山、ルー、そして鑑賞者の私たちで彼らを止らめれるか。私たちが持っているはずの善意(私はそれを「愛」と呼びたい)、それで殺めることを止められるか。そんなことが問われている気がしました。


おわりに

 長文になりましたが、これまでの話をまとめると、以下のような感じになると思われます。

・惨者面談→愛故に殺された話。
・ヤリモク→愛故に殺した話。
・三角奸計→友情(愛)故に殺さなかった話。
・真相チャンネルの真相→愛で殺しを止められるか。

 若干こじつけ感はありますが、大きく括ると「愛」の物語なのではないかと、私は考えています。

 まあ、こんなことをペラペラ喋っている私自身も、個人情報を晒さずに安全圏にいるひとりなのですが、だからといって何も発言しない(書かない)のは責任逃れ。これからも誠意を持って、発信を続けていきたいです。

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