60秒の小さな物語 #最終話
※「60秒の小さな物語」は、読了時間1分前後で読める短編シリーズです。
今回の最終話は、約1300字。
通勤中・休憩中など、ほんのひとときをご一緒に。
「お力になれず……す、みま……せんっ……」
泣きじゃくりながら、頭を下げる担当くんの声が、まだ耳に残っている。
彼にそんな顔をさせたかったわけじゃない。
十年以上、ともに物語を作ってきた。彼は私にとって、編集者であり、同士であり、数少ない友人だった。
彼と向き合う、最後の日になってしまうとは。
きっかけは偶然だった。
長編の再版見本を見て、彼がぽつりと言った。
「この部分、こんな繋がりでしたっけ?」
それは、私にとっても違和感だった。
確かに、もっとえぐい話の補足があったはず。そう返すと、彼は慌てて本棚から初版本を取り出し、確認した。
その章は、存在していた。
しかし、古本屋で見つけた“同じ初版本”には、その章がなかった。
章番号は連続しているのに、ページが飛んでいた。
そこから彼の異変が始まった。
「あの話って……――っ!?」
言葉が、出せなくなった。
声にできない。書くことも、打つこともできない。
“あの話”を誰かに伝えること自体が、禁じられているようだった。
そして、彼の友人が急死した。
彼には言わなかったが、私は知っている。
あの頃から、私は毎晩、誰かの声を聞くようになった。
「おまえのせいだ。」
見知らぬ何かが、耳元で囁いてくる。
私だって、悪意があったわけじゃない。
ただ、小説の設定として描いただけだ。
たまたまその物語が、この世界の真理に触れてしまったというだけのこと。
──たぶん。
世界がいちいち教えてくれるわけがない。
けれど、あれを書いてから、私はずっと監視され、干渉されてきた。
疲れた。
けれど、すべての人から消されたわけではないらしい。
出版社には、あの章についての問い合わせがあったという。
ならば、世界に違和感を抱いている人間は、私たち以外にもいるのだろう。
どれだけの人数がいるかは知らない。多いのかもしれないし、数人かもしれない。
少なくとも、自分と担当くん、問い合わせてきた読者の三人はいる。
私が書いてしまった“あの真理”──
優秀とされた死者だけが、選別され、リサイクルされている世界。
思想と知性は、記憶と肉体を失って、新たな子どもにそっと付与される。
知らずに受け継がされる。知らされぬまま、次の器へ。
知ってしまった者は、再利用されない。
それが、私の物語の設定だった。
でも、現実もそうだとは、誰も言っていない。
ただ──そうであるようにしか、思えなかった。
公表する気はない。
私が世界を変えられるとも思っていない。
そんな傲りは、持っていない。
でも、願ってしまった。
いつかの未来で、何かが変わる日が来るように、と。
初版本は、いまや手元に一冊だけ。
新たに記録を残そうとしても、それは許されない。
なんて歯がゆい世界だろう。
去っていった扉を見つめる。
担当くんは折れたが、諦めてはいなかった。
ならば、私の役目も、そろそろ終わる。
種はまかれた。
芽吹くかどうかは、わからない。
それもまた、世界のあり方なのだろう。
私は初版本を本棚に戻す。想いを込めて、静かに、そっと。
背表紙をひと撫でし、私もまた、部屋を出る。
美しい夕暮れだ。
誰そ彼時──名を呼べぬ誰かが、私を迎えに来た。
昏い何かに、消されていく。

※この物語は、2025年7月15日〜16日に公開された、全4話構成の群像劇の一編です。
他キャラクター視点の物語も、同シリーズ内に掲載されています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「60秒の小さな物語」は、これにて完結となります。
全131話。短くも小さな断片たちが、どこかで誰かの記憶や感情と交差していたなら、とても嬉しく思います。
今後は、シリーズ全4巻としてKindleにて書籍化予定です。
そちらでも、またこの物語たちに出会っていただけたら幸いです。
それでは、またいつか。
