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『間違っていないのに、前に進めないのはなぜか——自分の誠とは何か』新日本復活論(外伝)


【創作大賞2026 エッセイ部門 応募作品】

本作は、連載してきた『新日本復活論(外伝)』を、一つのエッセイ作品として再構成した応募作品です。

最後までお読みいただけましたら幸いです。


序章


私たちは、間違っていないはずだ。
それでも、なぜか前に進めない。

やるべきことはちゃんとやっている。
ルールも守っている。
真面目に生きているつもりだ。

なのに、
どこかで胸の奥が重い。

「このまま続けて、本当にいいのだろうか」という、
言葉にしにくい感覚が、静かに残っている。

真面目であればあるほど、
気づかないうちに自分を追い込んでしまう。

「まだ足りない」と、
どこかで息を詰め続けてしまうのかもしれない。

この重さや違和感には、
うまく言葉にできない何かが、
含まれているのかもしれない。

外側の世界と、
自分の内側にある小さな感覚が、
静かに擦れ合い始めたのかもしれない。

あなたが弱いわけでも、
努力が足りないわけでも、ないのかもしれない。

ただ、
「間違っていない」ということと、
「前に進む」ということが、
少しずつずれてきてしまったからかもしれない。

そんな感覚を抱えている人は、
意外と少なくないと思う。

答えを出すためではなく、
ただ、その感覚の正体を、
少しだけ近くに感じるために、
この外伝を一緒に考えてみたい。

目次


第一章 間違っていないのに、前に進めないのはなぜか
第二章 誠から少しずつ離れてしまったのかもしれない
第三章 内側に静かに戻っていくということ
第四章 矛盾を抱えたまま、それでも
補論 なぜソクラテス・新渡戸稲造・渋沢栄一なのか
第五章 自分の誠を生きるということ
終章 壊れたのではないのかもしれない
後書き

第一章


間違っていないのに、前に進めないのはなぜか

(※序章と同本文)

第二章


誠から少しずつ離れてしまったのかもしれない

第一章で触れた、あの胸の重さや違和感。

あれは、もしかすると、
自分の中にある小さな声から、
少しずつ距離ができてしまったからかもしれない。

普段は忙しさの中で、
その声に耳を傾ける時間が減っていく。

「今はこれを優先しなければ」
「これを我慢すれば上手くいく」

そんな考えが積み重なるうちに、
いつの間にか、
自分の内側にある静かな感覚が、
遠くに聞こえるようになってしまう。

真面目であればあるほど、
その傾向は強くなるのかもしれない。

周囲の期待に応えようとしたり、
責任を果たそうとしたりするうちに、
自分の内側にある「こう感じている」という声が、
後回しになっていく。

それは、
決して悪いことではない。

社会の中で生きるためには、
必要なことでもある。

ただ、
その積み重ねが、
いつしか何かを少しだけ置き去りにしているような、
そんな気がすることがある。

私は農業の現場で、
そんな人たちを何度も見てきた。

一生懸命に働いているのに、
どこか疲れが取れない様子。

笑顔は作れているけれど、
目が少し寂しげに見える瞬間。

あれは、
何かを少しだけ置き去りにしていた、
静かな時間だったのかもしれない。

この章では、
そんな「自分の中の声との距離」について、
もう少し一緒に考えてみたいと思う。

答えを探すためではなく、
ただ、その距離に気づくきっかけになればと思う。

第三章


内側に静かに戻っていくということ

新渡戸稲造は、武士道を語る中で、
「誠」というものを、とても大切に扱っていた。

彼にとって誠とは、
ただ正直であることではなく、
自分の内側にある声を、
どれだけ偽らずに受け止められるか、
ということだったのかもしれない。

ソクラテスは、死を目前にしてもその問いから逃げなかったという。
渋沢栄一は、その問いを現実の経済という荒々しい場に持ち込もうとした。

彼らは、
それぞれの時代の中で、
自分の内側に耳を澄ませ続けていたのかもしれない。

忙しさの中で忘れていた、
自分の呼吸の感じ方。

誰かに段ボールを手渡した瞬間、
土と汗の匂いが少し混じる。

夜、何も考えずに座っていたはずなのに、
気づくと少しだけ息が深くなっている。

そんな、ごく普通の瞬間に、
自分の内側にあるものが、
少しだけ戻ってくることがある。

それは、
何かが完全に解決するというより、
矛盾を抱えたままでも、
少しだけ自分の呼吸に戻っていくような、
小さな感覚なのかもしれない。

第四章


矛盾を抱えたまま、それでも

第三章で触れた、「内側に静かに戻っていく」感覚。

でも、実際にそうしようとすると、
どうしても避けられないものにぶつかる。

天候は読めない。
資材は高騰する。
頑張っても価格は上がらない。

それでも、朝が来ればまた畑に出なければならない。

真面目であればあるほど、
この矛盾は体にのしかかってくる。

思うようにいかない日が続き、
体は疲れ、
心のどこかが擦り減っていく。

それでも、
誰かに野菜を渡した瞬間に、
微かな安心のようなものが生まれる瞬間がある。

完全にうまくはいかない。
思うように前へ進めない日もある。

それでも、
朝になるとまた畑へ向かう。

矛盾を抱えたまま、
少しだけ息をしながら続けていく。

そういう生き方しか、
できないのかもしれない。

ソクラテスも、
新渡戸稲造も、
渋沢栄一も、
それぞれの時代の中で、
矛盾を抱えながら、
それでも問い続けていたのかもしれない。

その「それでも」という言葉の中に、
もしかすると、
私たちに残された、
最も静かで、
最も根源的な力があるのかもしれない。

補論


なぜソクラテス・新渡戸稲造・渋沢栄一なのか

ここで少しだけ、この三人の名前を出した理由を触れておきたい。

ソクラテスは、
死を目前にしても問いから逃げなかった人だった。

新渡戸稲造は、
その問いを「武士道」という形で、自分の内側に深く落とし込んだ。

渋沢栄一は、
さらにその問いを、現実の経済という最も荒々しい場に持ち込もうとした。

三人とも、時代も立場も違う。

でも、根底にあるものは似ている気がする。

「自分の誠とは何か」と、
真正面から向き合おうとしたこと。

私はこの三人を、
特別に偉いから選んだわけではない。

ただ、
矛盾を抱えながらも、
それでも問い続け、
自分の内側に耳を澄ませようとした人たちとして、
自然とここに並んだ。

この作品は、
彼らの問いを現代の現場に重ねながら、
「それでも、どう生きるか」という問いへ、
静かに繋げていきたいと思っている。

第五章


自分の誠を生きるということ

ここまで見てきたように、
私たちは「間違っていないのに、前に進めない」感覚を抱えながら、
それでも日々を生きている。

誠から少し離れてしまったような気がして、
内側に静かに戻ろうとしても、
矛盾はいつもそこにあり、
完全に解決することはできない。

それでも、
少しだけ息をしながら、
今日を続けていく。

自分の誠を生きるということ。

それは、
大きな決意や、
完璧な生き方を見つけることではなく、
ごく普通の瞬間に、
もう一度、自分の内側にある小さな声に、
耳を澄ませてみることなのかもしれない。

朝、畑に向かうとき。
誰かに野菜を手渡すとき。
夜、ただ黙って座っているとき。

そんなときに、
ふと胸の奥が少しだけ緩む瞬間がある。

それが、
矛盾を抱えたままの、私たちの「誠」なのかもしれない。

ソクラテスも、
新渡戸稲造も、
渋沢栄一も、
それぞれの時代で、
完全に正しい答えを持っていたわけではない。

それでも、問い続け、
自分の内側と向き合おうとした。

私たちもまた、
同じように、
未完成のまま、
問い続けながら生きている。

自分の誠を生きるということ。

それは、
もしかすると、
「正解を見つける」ことではなく、
「正解が出ないことを受け入れながら、
それでも耳を澄ませ続ける」

そういう、
静かで、
根源的な営みなのかもしれない。

終章


壊れたのではないのかもしれない

ここまで、
「間違っていないのに、前に進めない」感覚から始まり、
自分の内側にある声との距離、
誠という問い、
矛盾を抱えたままの生き方について、
一緒に考えてきた。

結局、
私たちは完璧にはなれない。

矛盾は完全に消えず、
誠から離れてしまう瞬間もある。

それでも、
少しだけ耳を澄ませ続けることができる。

壊れたのではないのかもしれない。

ただ、
少しだけ遠くに感じていた声を、
もう一度、
静かに呼び戻そうとしている途中なのかもしれない。

朝、畑に向かうとき。
誰かに野菜を手渡したあと。
夜、ただ息を吸う瞬間。

そんな、ごく普通の瞬間に、
胸の奥が少しだけ緩むことがある。

それが、
今の私たちにできる、
最も静かで、
最も素直な「誠」なのかもしれない。

新日本復活論は、
特別な答えを出すためのものではない。

ただ、
私たちがすでに持っている、
しかし少し置き去りにしてしまったものを、
もう一度、
優しく取り戻すための、
一つの試みである。

それでも耳を澄ませ続ける。

その小さな営みが、
いつか、
静かに繋がっていくことを、
私は信じている。

後書き


この外伝を書いている間、私は何度も畑で立ち止まった。

本当にこれでいいのか。
本当に伝えたいことはこれなのか。

そんな自問を繰り返しながら、
それでもペンを置くことができなかった。

私は哲学者ではない。

ただ、土を耕し、
人を看取り、
矛盾を抱えながら生きてきた、一人の農夫に過ぎない。

だからこそ、
この作品に完璧を求めることはできない。

未完成のまま、
問い続けている。

もしこの文章が、
誰かの胸の奥で、
少しだけ息を緩めるきっかけになったなら、
それだけで十分だと思う。

自分の誠とは何か。

その問いは、
おそらく一生、
完全な答えが出ることはない。

それでも、
耳を澄ませ続ける。

それが、
今の私にできる、
最も素直な生き方なのかもしれない。


誠の巻

(完)


新日本復活論の解剖図は💁


日本人の格好良さとは


道徳の巻はこちら💁

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