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聞こえているのに、わからなかった私の話

かなり前のことです。
後輩が、こんなふうに言いました。

「私は、耳からの情報より
目から入るほうが得意なので、
電話よりメールにしてもらえると
助かります。」

その時のわたしは、
「そういう人もいるんだな」
それくらいの感想しか持ちませんでした。

まさかそれが、
あとから自分の話になるなんて、
思ってもいなかったから。

日常で困っていなかった私は、
気づけなかった

当時のわたしは、
日常生活で大きな困りごとが
あるわけではありませんでした。

仕事も回っていたし、
人と会話もしていたし、
「問題がある」と言えるほどの
自覚もなかった。

だから、
自分も同じタイプかもしれない、
なんて考えもしなかったんです。

気づいたきっかけは、代表電話でした

転職して、
会社の代表電話に出るようになってから、
少しずつ違和感が出てきました。

話は聞いている。
聞いた瞬間は理解できてる。

なのに、
話題がどんどん進み
拾うことができなくなって
内容がほとんど残っていない。

集中しようとすればするほど、
逆に言葉が遠くなる感覚。

メモを取ろうとすると、
今度は耳が止まる。

手と耳が、
同時に機能していないような感じでした。

普通なら耳から情報が入ると
口に入った飴玉を転がすように
言葉の情報を確かめる事ができる。

でもわたしの場合は赤ちゃんのおやつの
ボーロみたい。
口に入れるとあっという間に
溶けて混ざって重なって
次から次へと口に運ばれて、
確かめる事ができない…そんな感じです。

「今まで大丈夫だった理由」に気づく

しばらくして、
ふと気づいたことがあります。

今までの仕事では、
電話の相手がほぼ決まっていた。
会社名も、用件も、流れも、だいたい同じ。

いわゆる「初見」のやりとりが、
ほとんどなかったんです。

慣れで補っていただけで、
実は聞けていたわけじゃなかった。

そう思ったとき、
胸の奥が少し冷えました。

子どもの頃の記憶が、つながっていく

そこから、
昔のことを思い出しました。

親が電話をしている横で、
話を聞いていても、
何を言っているのか
分からないことが多かった。

前を歩いている女子高生の会話。
聞こえるのに、
内容が理解できていなかった。

授業中、聞いた瞬間はわかるのに
あっという間にわからなくなる。

でも当時のわたしは、
「まだ子どもだから分からないんだ」
そう解釈していました。

まさか、
聞こえているのに処理できていない、
なんて考えもしなかった。

名前を知ったときの、衝撃と安心

いろいろ検索していく中で、
「聴覚情報処理障害」という言葉を知りました。

簡易テストを受けてみると、
平均を上回ることができなかった。

正直、ショックでした。
でもそれと同時に、

「あ、これか」

という、
理由が見つかったような安心感もありました。

今なら分かること

飲み会や、
ざわざわした音の多い場所。

後ろの声がやたら気になって、
目の前の人の話に集中できなかった理由。

「気が散りやすいから」
「社交性が低いから」
そう思っていたけれど、
そうじゃなかった。

ただ、
情報の入り口が合っていなかっただけ。

このことに気づいてから、
自分を責めることが減りました。

できない理由に、
ちゃんと名前がついたから。

「向いていない方法」を
無理に続けていただけだった。

そう分かっただけで、
心が少し楽になったんです。

苦手なままでも、楽になる方法はあった

代表電話が得意になったわけではありません。
今でも、正直に言えば苦手です。

でも、
「全部を完璧にやろう」とするのを
やめてから、少し楽になりました。

たとえば、

・相手に聞く条件を、最初から絞る
・話が一気に進んだときは、
 いったん聞いて要約し、
 「こういうことで合っていますか?」と返す
・名前や担当者を声に出して確認し、
 周りの人がサポートしやすい形をつくる

ひとりでなんとかしようとしない。
自分の苦手を前提に、流れを組み替える。

それだけで、
「できない自分」を責める時間が、
ぐっと減りました。 

おわりに

聞こえているのに、分からない。
集中しているつもりなのに、残らない。

それは、
努力が足りなかったわけでも、
能力が低かったわけでもなくて。

ただ、
合わない入口を使っていただけ。

もし今、
自分を責めてしまっている人がいたら。

その前に一度、
「仕様が違うだけかもしれない」
そう考えてみてもいいのかもしれません。

気づくだけで、
世界は少し、静かになる気がします。

読んで下さりありがとうございました(*^^*)

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